0137 人は御徴に拠りて誘(いざな)わるか
7/8 …… 2章の改稿・再構築完了
オルゼ=ハルギュア大陸、東オルゼ地方。
『長女国』南西、【紋章】のディエスト家の支配域。
旧【ワルセィレ森泉国】が辺村、名をヘレンセル。
人口は約300人ほどで、目立った主産業は無し。
『赫陽山脈』から流れ落ちてくる大量の雪解け水など相当に水はけの悪い土地柄であるが――この地域特有の『水蚯蚓』を利用した農法により畑作が行われている他は、森に分け入っての材木の伐採、薪となる木材や薬草・茸の採取に、時折、獣を狩ってその皮と肉を糧として得る暮らし。
ただし、征服後は『長女国』の経済圏と、そして何より"荒廃"を均すための『晶脈ネットワーク』に組み込まれ、さらに生活の基盤の一つであった森全体が『禁域』に指定された影響を受け、生活必需品を得るにも『関所街ナーレフ』を中心とした行商ネットワークへの依存が急速に進んでいる。
その意味では、エスルテーリ指差爵家の従士ミシュレンドがマクハードをして、同胞から財を吸い上げたと指弾するのは、物事の一側面の悪意的な捉え方でしかないだろう。この地出身にして、厳密にはお隣の『次兄国』で商人としてのいろはを叩き込まれ叩き上げてきたマクハードが構築した彼独自の人脈とそれに基づく行商ネットワークの存在は、『長女国』の仕組みの中に組み伏せられ組み込まれていく旧【ワルセィレ】地域を、まだなんとか、己の手でコントロールしようとする試みであるとも思われた。
ただまぁ、それも含めてこれは典型的な「占領統治」だな、というのが"野営地群"から村に居を移して2日、3日目での、俺の印象である。
例えば民族浄化的なことをするのでもないのであれば、当然だが新たな征服地にはその地に元から、昔から、独自のネットワークを築いて暮らしてきた被征服民達がおり、彼らを無視した統治はできない。
……もっとも、無視せずともそうした土着の人と物と情報の繋がりが、大抵の場合は根強い抵抗運動の温床ともなると言える。
そういう意味では、マクハードはマクハードで上手に泳いでいるという認識だろうし、統治を任されている『関所街』のロンドール家はロンドール家で、マクハードを体良く利用しているという認識であろう。後は、どちらがより深いレベルで相手を出し抜くか、という世界の話となる。
【情報閲覧】で確かめることができたマクハードの『称号』は【獅腹を食い破る者】。字義通りにこの状況と合わせて解釈すれば、このレジスタンス支援者は、自ら『長女国』という巨大な獅子の腹の中に飛び込み、そしてそれを食い破ろうと長年活動をしてきたようなものだとも思われた。
ヘレンセル村自体にも、そんな"野営地群"からあぶれてきたか、あるいは連絡役のような立ち位置で「よそ者」が増えていたが、その中にもやはり、【情報閲覧】によって確認する限り職業や、特に『役職』という項目(俺の配下達では『従徒職』に相当する箇所)から、その所属が【血と涙の団】という旧ワルセィレの復興を悲願とする反乱組織であると思われる者達が、そこそこの数で入り込んでいた。
そして、こうしたきな臭い連中の表向きの"所属"については、大抵がこのマクハードという男に近いとされている、つまり地元民割合の高い商隊や団体なのである。
果たして――『関所街ナーレフ』側は、いっそ【血と涙の団】を蜂起させて一網打尽とするつもりであり、故にマクハードをあえて泳がせているのか。その辺り、"やり手"であると噂に名高い『関所街ナーレフ』の執政サマのお手並み拝見といったところ。
……だが、よくもまぁ投げ込んだ石ころがここまで波紋を広げたものだ。
【血と涙の団】。『火の魔石』。
既に俺の迷宮の贄となり糧となったが【人攫い教団】。
『関所街ナーレフ』から送り込まれてくる数々の裏の顔を持つ組織。
"絵画売り"もとい"廃絵の具"。
エスルテーリ家の当主とその率いる手勢。
そして"珍獣売り"であるこの俺。
ただし、この状況、逆に言えば、そもそも俺が手をくださずともこの地には元から様々な"思惑"がゴロゴロと転がっており―― それぞれが一様に「切掛」を待ちわびていたのであろう。
いずれも偶然によって、この揺らめく波紋に引き寄せられたわけではない。
そこに「切掛」としての価値を見出し、利用しようと誰もが考えたからこそ、まるで連鎖反応のように、皆が画策に画策を重ね、思惑が思惑を誘引し、次から次へと引き寄せられ引き込まれてきた結果なのである。それは……ただ単に、この地で混乱を起こしてその隙に『関所街ナーレフ』を素抜けるには、あまりにも惜しい状況ではあると言えたのだ。
――故に、俺は来るべき者達の到来を、じっと観察を続けながら待っていた。
マクハードからのとある依頼を、文句も言わず引き受けてやりながら。
***
「オーマ先生! 今度は、西側に4軒隣のトマイルさんのとこからだ、頼みます!」
「よし、行こうか」
「うわぁ!? 急に出てくんな!?」
どたどたと落ち着きの無い様子で廊下を駆けてくる足音から、それがラシェットのものであるとすぐにわかった。実は俺にはささやかな特技があり、それは足音の特徴からある程度、誰が来るのかを事前に判別できるというものであり――かつては悪ガキどもから「まるで犬みたい」だなどと≪まるで犬さんみたいなのだきゅぴ……はっ!≫とか失礼なことを言われたことも、今は疼くような懐かしさであるが。
……犬小屋に脳みそ幼児型エイリアン達をすし詰めにするイメージを叩きつけて追い払いながら。
それで、この痩せた、飢えた小さな野犬を思わせるような少年ラシェットが入ってくる数秒前には用件にあたりをつけており、"生きた杖"ことカッパーを構えながらすっと立ち上がって、ラシェットがドアを開けるタイミングを見計らってにゅうと顔を見下ろし近づけ覗かせてやったわけである。
驚いて飛び退く、元密輸団の下っ端のそのまた下っ端の丁稚奉公を後目に放っておき、早歩きでさっさと進んでいく。
心得たもので、供である従徒のうち、今日は眼帯を外しているソルファイドがいつの間にか随伴して合流しており、その後ろに慌ててまた駆け出すラシェットがちょこまかと追いすがってくる。
"野営地群"の方に置いてくる、という選択肢は無かった。
元々属していた『西に下る欠け月』にラシェットはもはや戻ることはできず――彼の称号に踊る【孝行息子】や、収集した情報などから、病身の母を『関所街』に置いてきていることは明らか。だが、それならば小間使いとして働いてもらうまでであろう。
ゼイモントとメルドットの"珍獣売り"……まだ商団として正式な名前すら定めていないが、これを今後【人世】側で拡大させていこうと思うならば、こういう形での「現地雇用」は少しずつ拡大していくべきでもある。その点、元は組織運営者でもあった元老人2名の手腕を疑うものではないが――如何せん、如何せん、ラシェット少年の"夢"に元老人2名もまた感化された嫌いがあるか。
それなりにえげつないことをしてきた2名でもあったはずであるが、すっかり【人攫い教団】有力支部のトップであった頃の毒気から文字通り生まれ変わっており、ラシェット少年には非常に甘い様子なのであった。
話をヘレンセル村での観察に戻そう。
【精密計測】により、ヘレンセル村の地形・地勢に各住民の住所などは全て把握済みであった。
【人世】における副脳蟲メリーゴーランド経由のため、多少精度は落ちてはいるが、この情報は既に【共鳴心域】の心域内において【精密計測】技能と組み合わさって「立体地図」化される形で俺の脳内に展開されており――「きゅーぴーえす」などと名付けられた無駄なナビゲートシステムに従って、俺は最短距離で、あてがわれたいやに広い屋敷の中を大股で通り過ぎていく。
なお、俺の迷宮へ至る直前までヘレンセル村に逗留していたリュグルソゥム兄妹。本人達は、それこそ魔導貴族的な感性で「大したことはしていませんよ」などと言っていたが……"暖"の不足にあえぐヘレンセル村でのわずかな滞在で、庶民の感覚から言えばそれなりに結構な「手助け」をしていたようであり。
マクハードの手の者が早々に話を通しておいたのか――被征服前は"祭殿"として扱われていたらしい、村の中では堀に囲まれた村長邸の次に大きな屋敷に、一時滞在を許されたのであった。
ただし、当初は兄妹が逗留していた場所に入るはずが、ミシュレンドと共にエリス嬢を伴った村へ戻った村長セルバルカの一声による急遽の「格上げ」であったが。
差し詰め、俺という存在を見極めたいということと、あわよくばマクハードと切り離したいというところであろう。セルバルカの回復を待ち、またエスルテーリ指差爵の到来を待ってから、話がしたいという打診も内々に示されていたが……今はそんなことよりも"診療"である。
それなりに広い"元祭殿"の廊下を歩き過ぎる道中、部屋の1つでル・ベリが「施術」をしているのを一瞥。目を聡くさせるまでもなく肌で俺の気配に気づいた"第一の従徒"と目が合ったので、頷きを返して、そこも足早に通り過ぎていく。
俺は俺で――貴重な『治癒の技』の使い手として己を売り込む形となったわけだが、ル・ベリもル・ベリで母リーデロット譲りの医術知識や薬草知識を生かし、俺の助手の『薬師』ということにして、手伝ってもらっているわけである。
……『霜露の薬売り』が『関所街』から送り込まれた悪どい組織であることは村人にも知れ渡っていることから、それらの紐付きではない、というマクハードの紹介は絶大な威力を持っていた。ほとんど、好意的に俺は受け入れられており、それは当初ヘレンセル村へ丁稚として入り込もうとして邪険に追っ払われたラシェット少年をして、目を丸くさせんばかりのものであったが。
だが、それにしても、呪詛や魔法を受けたわけでもないにも関わらず――単なる「冬の寒さ」だけでは説明できないほど体調を悪化させた村人のなんと多いことか。
≪人口の7割てのはいくらなんでもイカれてやがる。ただの風土病で説明しようにも『ちょうちょう様のお怒り』って奴の影響が、大きすぎるんじゃないのか?≫
≪加えて絶妙に……【火】属性の「内なる魔素」が欠けていることが原因としか思えないような、≫
≪まるで人の体内で"荒廃"が起きたかのような……そんな症状。こういう訳でした、我が君≫
それは、以前に村に逗留していたルクとミシェールが、既にある程度分析していたことであった。
だからこそ【火の魔石】が、それこそ旧ワルセィレの民にとっては「燃えるちょうちょう様」の"御徴"として文化宗教習俗的な意味で絶大なインパクトを与えたわけでもあったが、こうして実施で一人ずつを診るのとでは、やはり違う。
俺としては、当初"実験"がてらにラシェット少年や村長セルバルカ達に行ったのと同じ【命素操作】だけで事足りる、と思っていたのであるが――特に【火】属性に関して【魔素操作】も使用する羽目になったのであった。
ただ単に、春が訪れて1年の巡りが始まっていくはずが、年間を通した生活リズムと共に健康と体調を崩す者が続出していた、というのとは異なる。
それこそ迷宮領主が己の眷属達のHPとMPを【魔素操作】【命素操作】で回復してやっているかのような、俺は『治療師』としてではなく迷宮領主としてこの場所を訪れたのか? と一部分だけだが錯覚しそうになるような、そんな有様だったのである。
無論、当初想定通りの怪我人達も村には多かったが。
今、ヘレンセル村や『禁域の森』を経て『ハンベルス魔石鉱山』への攻略拠点となっている"野営地群"に集っているのは、食い詰めた者達や、先行投資のためには危険な場所を訪れることを厭わない者達である。つまり、身体が資本であり、荒くれ者とアウトローという領域にそれぞれ片足ずつ突っ込みかけている者達でもある。
耐えぬトラブルや喧嘩沙汰だけではなく、彼らが言うところの"魔獣の襲撃"――その実は俺が森に放った寄生小蟲越しに操る大型中型の野生動物達であるが――によって怪我をした者もまた、村人に限らず少なくはない。
結果的なマッチポンプだが、『霜露の薬売り』が嫌われて村へ入りこむことを拒まれている中では、俺やル・ベリのような"治癒の技"を持つ者は貴重であり、速やかに受け入れられていく素地が元々あったわけであった。
――そして。
【火】の属性が枯渇している、ということでしか説明できない超常に片足を突っ込んだ不可思議な体調不良者が続出しているという、多少の想定外はあったが。
この「治療師」という束の間の評判を悪用して、俺はこれでもか、という勢いで【情報閲覧】を、村で出くわす人間という人間に仕掛けていたのである。
それが『治療の術』であり【活性】属性である――ということにしておいて、それを魔法に明るくない者相手に嘯き囁く限り、目の前で堂々と【領域定義】をしても、まず相手は理解すらできず、それ故に違和感すらも感じないだろう。
それこそ、何か超常の力が自分の中を巡って急に調子が良くなってきた――という程度の認識しか、持たないことだろう。
そして、リュグルソゥム兄妹曰く、【命素】の振る舞いが『魔法学』においては【活性】属性に非常に近い働きをしているということであるため――この技を【活性】属性の治療術である、ということで済ませていたのである。
――面白いことに治癒対象が信心深い村人ほど、【魔素操作】を織り交ぜなければならないという想定外はあったが、それでも、季節の巡りの不順とそれに影響を受けた体調不良それ自体を整調させ安定させるのに、これほどうってつけの技能もまた無いだろう。
迷宮領主としてはあまりに基本的過ぎて、当たり前のように日々眷属達に発動していた権能であった。
しかし、その効果が【人世】においても尋常のものではなく、200年の叡智を蓄えるリュグルソゥム家の末裔兄妹をして驚愕せしめるものであることにも、改めて頷くことができる。
大体にして、この俺自身、QOLを後回しにしさえすれば、最悪、霞を食って生きる古代中華の道仙の如く【魔素】と【命素】を食って生存していくことは十分に可能。
元の世界で生きていた頃は、持病としてあれだけ悩まされていた皮膚の弱さが、この世界に迷い込んでからは快調そのものであるというのは――俺自身の種族が『ルフェアの血裔』に一部、混ぜられる形で"改変"されてしまったことだけの影響では決してない。
迷宮領主という存在へ変貌したことも大きく関係しているのである。
そんなことを反芻しながら、ル・ベリが施療所として使っている部屋を通り過ぎて元祭殿の入り口まで出迎えに顔を出すに、外ではさらに数名の者が控えていた。
マクハードの紹介有りとは言えども、最初こそ、村長セルバルカが俺をこの旧ワルセィレ時代の元祭殿に泊めたことで訝る者も多かったが、積み重ねた実績により、その評価は今やすっかり逆転していた。
重症者達をあらかた元気で活力に溢れる状態に快復させた、だけではない。
ルクとル・ベリの監修の元、物理的に俺自身の脳が睡眠を取っている間でさえ、まるで玩具のように俺の身体を「効率的に鍛錬」させるノウハウを確立していた我が"副脳"達による「副脳蟲自動学習」によって、この世界における優雅で上品さを醸し出す所作振る舞いも俺の身体には叩き込まれてたのである。
『神は細部に宿る』という言葉の本当の意味を俺に最初に教えてくれたのは、果たして消えた少女であったか。それとも、今は亡き人であったか。
どんな文化であれ、その地の土地と社会と歴史の文脈の中で洗練されてきた"所作"というものがある。帝国主義時代に大英帝国のインド総督府に赴任する職員達が、徹底的に現地の文化や歴史を学んだように、あるいは黒船が来航した際に、我が祖国の当時の侍達が武士の座り方でペリーらに相対しつつも――その所作を決して古のアメリカ人達が馬鹿にすることは無かったであろうことのように、洗練とはそこにある種の悠久たる"背景"の存在を、わかる相手には感じさせるものなのである。
表情の一つ。
言葉選びの一つ。
一見、もったいつけた動きの緩慢さ一つに、意味が宿るのである。
……当初は、最初から「占い師」として売り込むつもりであったのだが。
いずれにせよ、「治療」という名分によって俺は合法的に【領域】を一時的に展開し、その中で技能点MAXまで振った【情報閲覧】により――「流れ者の集うヘレンセル村」を1つのケーススタディとして、技能と職業に関する情報を収集し、また、その法則性などに関する考察を進めていく。
そして、次のことがわかってきたのであった。
***
○考察その1 ~ 年齢と位階の関係について
これは、俺自身や、ル・ベリら従徒達の位階上昇を観察してきた中で、早い段階から想定していた仕組みであった。
いかにそれが単なる"外付けブースター"に過ぎないものではあっても、それでも、やはりこの世界においてはどれだけ技能を揃えているかは、直接的な生きやすさ――人生の攻略のしやすさ――に直結しているとは言える。
それならば、この技能群を最終的には一個人はどこまで獲得できるのか? という情報は、あらかじめ"ビルド"や"シナジー"を考慮しようと思う立場からは重要なことであった。
しかし、迷宮領主である俺自身や従徒達に関しては、言うなれば、いささか経験点を得すぎてしまうといっても過言ではなかった。皆、とうにそれぞれの実年齢を越えた位階となっており―― 本当に実年齢を越えた位階である場合、経験点の獲得にセーブがかかるのかどうかを検証する材料としては、やや有効性が落ちていたのだ。
この点、ヘレンセル村で数十人へ【情報閲覧】を通すことができた結果、更に考察を深めることができた。
まず、"人間時代"は齢60を越えていたゼイモントとメルドットもそうであったのだが、「年齢以上」の位階に達している者達は、ヘレンセル村レベルではほとんど皆無だったのである。
元々職業が定まっていない、つまり"経験"を重ねる機会が制限された未成年の子供達は言うに及ばず。
20~40代でおおよそ実年齢の8~9割、50代で6~7割、60を越えるにつれてその年齢に対する位階の割合はさらに下がっていく、という傾向にあることが全体で見られた。
ただし、これは市井においては位階30~40がおおよその上限になる――と早急に結論付けられるものではない。
位階の上昇に必須なものは『種族経験』と『職業経験』である。
その種族"らしく"生き、その職業"らしく"生きることで、この世界の民は位階上昇していく仕組みであるが……例えば老境に入った者はどのようになるであろうか。
既に次の世代が育っているならば、もう自分自身は「上がり」であり、ある意味では一線を引いたという認識に至るのが常ではなかろうか。
そもそも、この『技能点・位階システム』が世間一般には認識されていない状況下では、その生の後半戦に至った時に、それでもなお貪欲に、それこそ若い世代で新たに「その役割」を担う者に対抗してまで、"向上"し"経験"し続けようという者は、決して多数派であるとは言えまい。
――これは特に、村民に多いのだが『農家』や『木こり』、『細工士』などといった"手に職"系の職業持ちに多い、という印象を俺は受けた。
これは、治療中に適当にその技能の取り方などから、一種のコールドリーディングじみた会話技法を駆使して、さも預言者か占い師か、はたまた詐欺師のように、色々とその村人の人生を「言い当てて」やりながら、裏とデータを取った結果である。
年を経た壮老世代になればなるほど、若い頃に身につけた技術をさらに磨いていくというよりは、それを己の日常と人生の訓の一部として"自然"なものと受け止め、その技や知識と"共に在る"という意識が強かったのである。
逆に言えば、そこから先、さらにその技を磨いて熟達していこうという強烈な意思の枯れ始めか。
向上への強烈な意思無くば、経験点の獲得はおろか、本人の意思の強さに伴う自然"点振り"もまた発生する機会を失ってしまう。
だが、「村」という限られた環境、閉じられた世界、ある意味での閉鎖的な安定性の中で生きる多数の"一般人"の一生とは、まぁ、そういうものではあるのかもしれない。
手に職を得て、コミュニティで求められる"役割"をそれなりに果たし。
伴侶を得て、子を成してその世代としてのこれまた"役割"をそれなりに果たし。
やがて「上がり」となって、後は知恵と知識と技を次世代に伝えていくべく「一線から退く」ということ。
それが、きっとどこの"世界"のどんな時代のどんな文化のどんな世界でも変わらない、"人の営み"というものであるのかもしれない。
だが、そうであるならばこそ。
それがこの世界における大多数の民草にとっての"普通"であるならばこそ、ソルファイドや、リュグルソゥム兄妹のように――『加護者』リシュリーは大いなる例外だが――俺と出会った時点で、ほとんど年齢に近いか、それをわずかに越える水準の位階を保ち、また"点振り"率が高いような、そんな向上心ある者達もまた確かに存在していたのだ。
例えばだが、少なくとも向上と究明を終生の目標とし続ける類の存在である『長女国』の『魔法使い』であるだとか、戦場で敵者を下すためには一所に留まり続け安寧と安住に在り続けるわけにはいかない『戦士』の系統などは、あるいはそういう宿命を負わされたような艱難辛苦の下にある者ほど――位階の対年齢比が高まっていくのではないかとも仮説立てられるだろう。
こうした存在が、どんな条件で、どんな背景で、どれだけの割合で、どのような分布で、どれほどの在り様で存在しているか。
それが、是が非でも知りたい重要な情報なのである。
視るだけでなく、干渉することができる俺にとっては。
……なお、この観点からは、単なる統計上の上振れの可能性にあえて目をつむるならば、村で生き村でずっと過ごしてきた村民達と比べれば、まだ、気持ち、流れ者や切った張ったの世界に片足突っ込んで生きている『武装商人』やら『盗賊』やら『不法者』といった連中については、位階の対年齢比が高めである、と言えなくもない水準が見て取れたのであるが。
○考察その2 ~ 【○○士の心得】系の技能の効果について
次に俺が注目したのが、職業技能テーブルでは大半のものに存在している【心得】系の技能系列であった。
大抵は、その職業が表す「○○をする者」という意味での「○○士」に接尾する形で、【○○の心得】、【○○の極意】、【○○の真髄】、【○○の秘奥】という風に技能が上位派生している小技能群であるが――いまいち、その効果や効能が思い至らなかったのだ。
だが、『治療師』として働き、村人達の様々な身上話を聞き取りながら、そのデータを【情報閲覧】から見えてきたその人物の各技能レベルと比較している中で……意外にも、ある相関関係が見えてきた。
【心得】系の技能系列が高い者ほど。
同年齢かつ同職業の他者よりも「位階と"自然点振り"率が高め」である、という傾向がはっきりと観察できたのである。
……一度この相関関係に気づいてからは、あることを意識して聞き取りをするようにした。
その村人の【心得】系の技能の高低に応じて、言い換えれば、彼彼女の"職業"観について問うように心がけたのである。
結果は当たり。
なんと、【心得】系が高い者であるほど――その普段の生活の中で、自身の『職業技能テーブル』に載っている各技能に対応する事象や出来事に対し、微細な注意と高い関心、恒常的な認識が向きやすいということが、定性的に判明した。
例えば『木こり』の【心得】系技能が高い者は、そうでない者に比べて、斧の振るい方への興味関心が深かったり、あるいは森の木々の状態変化によく気がついたり、はたまたその生育状況に関する自然的経験的な知識をよく記憶していたり、あるいは、同じ職業である先達からの教訓話であるとか伝授知識であるだとかに、高い関心と敬意の念を持ちやすい傾向が見て取れたのである。
語弊を恐れず、この現象を一言で言い表そう。
――【心得】系の技能の正体と本質は、その者の「生き方」そのものに関する全体的な意識強化とでも言うべきものである。
……いいや。
強化という表現ではまだまだ生ぬるく、生易しいかもしれない。
例えばそこらを歩いている子供が、何の因果かによって『偵者』とかいう職業として己を定めてしまったら。
彼か彼女は、以後、その人生をそういう生き方に、意識レベルで、本人も気づかぬうちに誘導されてしまう、と言うこともできるのではないか、と俺は気づいて、少々空寒い心地になった。
だからこそ、この気付きはまだ従徒達に共有してはいない。
迷宮領主として、この『技能点・位階システム』の存在を"認識"できており、ある意味では自覚的に客観視して、その上でメリデメをはっきり検討してから利用するか否かを判断できる余地があるこの俺自身とは、異なるからである。
――己の意思で生き、判断し、行動していると信じていることが崩れるような"暴露"は、はっきりと確定し明快に説明できるようになるまでは、まだ保留すべきであろう。
正直なところ、そこまでして生き方を誘導しているのか、という思いである。
……いいや、いいや。
――果たして誘導られているのは「思考」だけであるか?
脳裏をよぎったのは、例えば俺の今の職業『火葬槍術士』に載っていた【悲劇察知】だとかいう技能であった。
かつては協力してシースーアを作り上げたらしい【諸神】が、きっと何らかの肝いりで、何かの目的を込めて導入した、そんな世界法則である。
人の意識や思考に限らず、それこそ物事の大きな意味での因果だか因果律だかにまで影響を与え、運命を改変するレベルでの影響が――仮にこの【心得】系の技能系列にもあったとて、驚きはしないが……そこまでは、流石に、俺の考え過ぎなのだろうか?
――かつて、運命というものについて、大学一回生の時に熱くなりすぎて食ってかかって机上の議論をぶつけてしまった、侍の眼光を眼鏡の奥に隠していた先輩が心象の中に浮かび上がり、そしてまた霧散する。
いろんなことを思い出しそうになったため、頭を振って俺は考察それ自体に意識を戻すことにした。
【心得】系統は、『技能点・位階システム』のことなど知らない一般の民にとっても、ひとたび伸ばしていけばメリットの大きい技能系列であることは間違いない。少なくとも、その職業における"熟達"が、より保証されることに等しいのであるから。
そういうわけで、個人ごとの"振り残し"の割合については、年齢対位階の比率とは異なっており、そこそこに大きな分散が確認できたのである。
……だが、このような点振り率に関する大きな「個人差」の発生に影響を与えていたのは、ひとえに【心得】系統の技能系列だけによるものでは、ない。
【加護】系統の技能系列もまた、大いに誘導をしている可能性が、非常に大なのであった。
※本話は再構築に伴い、話順が入れ替わりました。上書きによる入れ替えしかできないため、過去にいただいた感想と話の内容が噛み合っていませんこと、ご了承下さい。





