0136 潜み、潜ませ、探り、読み、暴き合う
7/8 …… 2章の改稿・再構築完了
"野営地群"を越え、ヘレンセル村内部にまで至らせ忍び込ませていた「擬装部隊」――表裏走狗蟲や脱皮労役蟲らが化けた小動物や鳥獣の類――が集めた情報を精査し、また整理統合に集中して勤しみ始めてから少し経ってからのことである。
出ていったと思いきや、しばらくして供の若い衆を数名連れて俺が拠点とする"珍獣売り"の小屋に舞い戻ってきた【霜露の薬売り】の老頭目ヴィアッド。
まるで貴重な薬草でも見つけて小躍りするかのようにニヤけた顔で、ゼイモントとメルドットを通して伝えてきたのは――この地のキーマンの一人であるマクハードが俺に会ってみたがっている、という話であった。
話を通しておくとは言っていたが、随分と早いものである。
それだけ、彼女にとっては気合の入る事態なのであろうが。
事前の確認では、この"野営地群"の重要人物は5~6名。
旧ワルセィレ出身の商隊を率いるマクハード。
【聖墳墓教】の教父ナリッソ。
『関所街』から派遣されてきた2つの"商団"――もとい密輸団の長達。
加えてラシェット少年が遭遇した出来事から、ヘレンセル村に引っ込んでいるかと思われた"村長"セルバルカやその部下にあたるエスルテーリ指爵家の従士達……そして彼らが護るべき存在であるはずの令嬢エリス、といった辺りである。
元より、この地の情勢を知るという意味でも、早い段階で有力者達と渡りをつけることは浸透にあたっての基本事項だ。第一、そのための口実とすべく、森の猛獣達による「負荷」をかけていたのも予定通り。
また、ゼイモントとメルドットを"珍獣売り"として、その奇異さを強調して目に留まりやすくさせており、寄合いの席を"買った"と言われるような交渉を指示したのも、そのためのもの。それで、てっきり俺はマクハードの縄張りにして"寄合い"の拠点でもある『即席酒場』の方へ連れて行かれることになるかと思っていたわけであるが……。
果たして、ヴィアッドらに先導されてたどり着いた場所は、教父ナリッソが拠点とする『即席礼拝所』であった。
――少しだけ肌がピリつく。
針とまではいかなくとも……まるで無数の毛羽立った"ささくれ"のようなものに、擦るかほんの少しチクチクと当てるかのような感覚が全身を襲う。
このひりつく感覚が、単なる俺自身の良い意味での、つまり高揚の一種としての張り詰めた"冴え"と集中の高まりによるものなのか、それとも迷宮領主として感じている【人世】の神々の気配であるのかは、判然としない。
――だが、ただちに問題が起きることは無いだろう、という推測はしていた。
確かに【闇世】において、"聖女"ということにされている「神に祝われた少女」と遭遇した際に、俺は迷宮核が俺に対して、それを直ちに排除すべしという一種の警告が脳内にやかましく響き渡らされた。それは、言うなれば【闇世】の九大神をして、迷宮核を通して俺という使徒に送ってきたある種の指令のようなものだろう。
遥かなる神々の大戦の後、世界に対して直接の干渉を行う意思と能力から自らを隔離した諸神達ではあるが――【後援神】系の技能を通じて【闇世】側の神々が為すのと同じように、【人世】側の神々もまた、この俺という異物の存在を察知しうる可能性を想定自体はしていたのだ。
主にル・ベリやルクなどからの懸念点として。
無論、脅威への警戒そのものは重要である。
だが、物事は程度問題である。
【闇世】Wikiを紐解くに、【闇世】は【人世】から分離してその攻撃に晒され、また反撃を積極的に行う側であったと言える。であるならば、【人世】に対する対抗心と敵愾心、その隙を突かんとする意思は、より強固なものであろう。
【闇世】が【人世】から枝分かれした『子世界』と考えた場合でも、そもそも迷宮システムそのものが、あまりにも特異である。なるほど、【人世】にも魔導学を始めとした超常の術がいくらもあろうが……それらと比較してなお、まるで「直接の干渉さえしなければ何をしてもいい」と言わんばかりに突き抜けた代物であると受け止められた。
そのような【闇世】の、それも迷宮領主の力が最も高まった【領域】のど真ん中にて、【人世】側における迷宮領主に匹敵するレベルの重要度であろう使徒なる存在が、ほんの少し手を出せば一捻りで捻り潰すことができるような場面で無防備に存在していてさえ――迷宮領主たるこの俺に示されたのは、単なる迷宮核からの自動応答じみた警告の通知に過ぎなかったのだ。
それが俺自身の意思で、それこそ技能【強靭なる精神】にすら頼ることなく容易く拒絶することができた時点で、強制力があるものではまったくないのである。
……他に懸念点があるとすれば、例えばその情報が【闇世】を統べる"界巫"あたりに伝えられているような場合などであろうが――来るならば来い。俺は目的のために手段をある程度は選ばないが、それでも、俺の中において踏み越えることのできない一線は、あるのであるから。
話を戻そう。
【闇世】側においてでさえ、そのレベルであるならば、そもそもが『聖人』未満の、多少【守護神】系統の技能に目覚めた存在に過ぎないであろう"教父"程度が俺に遭遇したところで、彼の脳内に神からの啓示のような形で警戒や警告が発されるとは、とても思えないのである。
それこそ相手が【聖人】ならば、いざ知らず――事前の情報では、教父としての能力すら足りず左遷されてきた"才無し"如きに、【闇世】では"界巫"のみが持つ「神の啓示」なんぞを受け取ることのできるような高級な機能や技能があるとは、とても思われない。
第一、フェネスら迷宮領主の先達らの態度を見るに、【人世】への【闇世】存在の派遣自体は、大々的にではなかろうが行われてきていたことはほぼ推察できることであった。こうした行為を試みたのは、別にこの俺が最初というわけではないことには確信があった。
だから、仮に"察知"されるのであれば、そもそも【闇世】の住人たる迷宮領主はおろか、その眷属達が"裂け目"から這い出した時点でとっくに対処されていることだろう。
しかし、リュグルソゥム兄妹から従徒献上された"知識"に基づく限りは、"裂け目"への対処は『末子国』の専管。それも【忘れな草の霧】という神威による一種の封印や、例えば大氾濫といった有事に「武装僧兵団」なる組織による突入と掃討が中心であるという。
例えば俺のような存在が、慎重かつ分析的思考を以て"浸透"してくることへの組織的な対処や、あるいは同じ英雄王を祖とする"兄弟国"達に対して、そうした情報を共有する仕組みが存在している……とは見受けられなかった。
無論、『長女国』の高位貴族とはいえその末席であったリュグルソゥム家にも他家には明かさぬ秘密があったように、『末子国』が他の"兄弟"達に明かさぬ部分もある、かもしれない。
だが、仮にそうであったとしても――基本的な発想は、当初の対『長女国』の魔導的な感知技術に対するスタンスから変わるものではない。
探索やマッピング、索敵や生態調査なども兼ねてはいたが、"擬装部隊"を外側から徐々にヘレンセル村へ近づけ、ついには侵入させていることも然り。
ガワはともかく、中身に関してはもはや明らかに「混じり」であるゼイモントとメルドットを、あらかじめ"先触れ"として派遣したのも然り。
それらが察知されているならば、『末子国』の関係者が動かぬはずはない。
『長女国』をメインターゲットとしつつも、そうした他国の"察知能力"についても、測る意味合いは込められ兼ねられていたわけである。
ゼイモント&ジェミニとメルドット&ヤヌスを「擬装部隊」の率い手として、教父ナリッソの周りでも「ちょろちょろ」と探らせていた中で、少なくとも"察知"された兆候は見受けられなかった。
そして逆に俺の方で察知したのが、ラシェット少年とエスルテーリ指爵家を巡って引き起こされた事件の、その直接の実行役となった密輸組織『西に下る欠け月』の動きというわけであった。
教父ナリッソの身辺を探らせることで確認したいことは、それで一旦、というつもりであったのだが……。
『即席礼拝所』は、伊達に"野営地群"の中心の一つではない。
おそらくは、元の"仮設住宅群"の中でも集会所だか墨法師の住居兼指令所的な機能を持った建物だったのだろう。ラシェット少年が介抱されていた、隣の『即席診療所』や、同じく中心を成す『即席酒場』よりはずっと大きく、同時に十数人ほどが礼拝に参加できそうなほどの広さである。
内装は小綺麗に整えられてはいたが、【聖墳墓教】であったり『八柱神』を思わせるような、何か宗教的なものがある、だとか言うわけでもない。それは"野営地群"自体がそもそも「即席」のものであることや、ヘレンセル村における教父ナリッソの地位が決して優越的なものであるというだけでもなく――。
「あぁ! 乙女よ! 【癒やしの乙女】よ! この哀れなる神の下僕達に慈悲を! こぼれ落ちし涙の慈悲の神威を!」
一般的に「宗教家」という存在が持つ、ある種の威厳や人間的な経験に裏打ちされた風格といったものはどこへやら。
あまり材質のよろしくない素材で彫ったと思しき【聖墳墓教】の宗教具――『八光』の首飾り――を掲げ、汚れた法衣をまとった赤ら顔の中年の男が目に涙を溜めながら、寝具の隣に陣取りながらほとんどカッコウの雛が宿主を振り落とさんばかりに覆いかぶさる勢いですがりつくという光景を俺は目の当たりにすることとなったのであった。
いっそそれは、元の世界においては東南アジア地域などに存在する、遺体を見送る役目を持つ"泣き女"じみた鬼気迫る有様であったが――赤ら顔の上にやや礼拝所全体が酒臭いのは如何してやら。
見るからに複数人から暴行を受けた様子で体中に怪我や痣が生々しく、血の滲んだ衣服を剥ぎ取られた上から包帯を巻かれつつも、滲み出た血の痕も未だに乾ききっていない数名の男達のうち、現在"泣きつかれ"ている標的となっている壮年の男こそが、どうやらヘレンセル村の村長を任されるエスルテーリ指爵家従士であるらしいセルバルカという人物。
……ナリッソの親指を除く左右8つの指に、それぞれが【人世】の『八柱神』を表す意匠で彫り込まれたややごてごてしい指輪が嵌められているのであるが、その状態で悲壮にすがりつきしがみつくような「触診」が行われているものだから、それらの凹凸が包帯の上からセルバルカの傷口にところどころ無遠慮に当たっているのであろう。意識が今あるのかないのかはわからない状態で、今もなお苦悶に呻いているようにも見えた。
ちらと横目で見たル・ベリの反応から見るに、少なくともこの世界基準からしても「医療行為」としては首を傾げる行動とも思われる。
そして、俺と同じような"感想"を抱いているのは――『即席礼拝所』で"通常ではない施術"の様子を観察させられ、また"村長"という重要人物の回復を待たされている他の面々もまた同じであったようだ。
短く刈り込まれた頭髪をした、一見して優秀な武人であることがわかる大男ミシュレンドは、エスルテーリ家の従士達を率いてヘレンセル村へ乗り込んできた人物。露骨に眉間にしわを寄せ、腕を組んで苛立った様子でそれを見ている。
また、俺をここに呼びつけた張本人である"薬売り"の頭目ヴィアッドは、名が体を表すという意味からも、【聖墳墓教】教父による施術に対して思うところが様々にあったということであるか。何となれば、包帯を巻いたり初期的な治癒は彼女の組織が請け負ったのかもしれない。
そしてもう一名、無表情でナリッソの様子を見守る男が行商人マクハードである。
一代で、それも被征服地出身から成り上がった才覚を持つ人物らしく、飄々とした人柄であると聞いてはいたが、そんな気色はどこへやら。感情の窺い知れない無表情でセルバルカの様子を見つめる様は……やはり征服者たる『長女国』関係者へ抱いているであろう複雑な念によるものか。
三者三様に、微妙な表情を浮かべてはいた。
――しかし、決してそこに【聖墳墓教】に対する侮蔑や疑念、軽視の眼差しは込められていない。まぁ、ナリッソという個人への感情は別だろうが。
なぜなら、ナリッソの周囲と特にその身にまとったいくつかの宗教具からは、微かに、ごく微かにであるが、『神威』の気配が漂っていたからである。
――それは、今なお俺の迷宮で眠っている『加護者』リシュリーが、ただそこにいるだけで迷宮核からの警告を呼び起こしていたある種の神気などと比べれば、足元にも及ばぬほど微かであり、果たしてこの場にいる"一般人"達がどれほどそれを感じ取れているかはやや疑問ではあったが……決して、馬鹿にしている気配自体が無いあたり、実績や経験や体験として理解はしている、というところであろうか。
これこそが、俺が先ほどから肌に微かにピリつく感覚を感じていた根源である、そんな気もさせられているが……今のところ、俺の心臓に宿る迷宮核を含めて異常は無い。物の試しと何度も試している【情報閲覧】にしても、少なくともその"神気"によって妨害されているような感触はなく、ただ【人世】に降り立った当初と同じ程度の「重さ」の範疇であった。
そんな風に、俺なりに試したいことを試しながら、教父ナリッソによる渾身にして必死の、しかし素人目にも空回りしているとしか言えない中途半端な神威の行使を間近に観察していて――なるほど、と俺はヴィアッドがわざわざ俺をこの場に呼び寄せた意図と、そしてナリッソが"才無し"と蔑まれている意味を理解した。
迷宮領主的な"視点"から言えば、つまり俺の【魔素操作】と【命素操作】に反応があったのである。その意味では、それが紛うことなく、魔法とも異なるこの世界の超常の一種であることが物語られていたわけであるが――村長セルバルカと彼の供の者達が受けた傷は、通常の医療手段では回復が厳しいとまで言われていたはずだ。
それで、対立しつつも協力関係にある教父としては、死なれては大いに困るのであろう、乾坤一擲に賭けたことが窺い知れるわけだが……そんな場に、この俺をわざわざ同席させてみたヴィアッドの意図がどこにあるのか。
――ゼイモントとメルドットから、ラシェット少年の"治療代"をエリス嬢が【霜露の薬売り】に支払ったことは既に報告を受けていた。
だからこそ、俺がラシェット少年にあえて【命素操作】を【活性】属性魔法の如く駆使して、老ヴィアッドによる"治癒"を完遂させてやったことに、治療を施したヴィアッド本人がまず真っ先に気づいた。
俺の力を直接、それもこの早い段階で垣間見たことで、組織の長としての計算が働いたことは想像に難くはない――読み通りに動いてくれたわけである。
ゼイモントとメルドットのような"夢見る"者達が、いたのだ。
他に同じように、俺が見せた力の片鱗に魅せられない者がいないとは言い切れまい。そういう候補者を炙り出す意味での"先触れ"でもあったわけであり、彼らと真っ先に意気投合したのがヴィアッドだったわけである。
なお、"寄合い"とは言いつつも、この場には『西に下る欠け月』側の代表者だけがいなかったが……襲撃者と被襲撃者が同居するのもまた話をややこしくさせることであろう。
むしろ同僚であるはずのセルバルカを睨みつけるように険しい表情をしているミシュレンドの様子には、事態を観察させていたゼイモントとメルドットともども、俺は少々の疑念を抱いていた。
主から不安定な地域の村を任されている"村長"の元へ、当の主の令嬢が護衛達と共に来訪し。
そして数日もしないうちに、地元に進出していたヤクザ者達によって、あわや森の猛獣達の"餌"にされかけるとは……あまり、穏やかではないな?
ただ、今はその辺りの事情を探ることよりも、"寄合い"に顔をつないでやることが先であろう。
今も、天井の隙間であるだとか、地中の小さなくぼみに、小動物に擬態させあるいは潜ませた「擬装部隊」が隠れ潜み浸透しじっと息を潜めているが……まだ、まるごと"野営地群"を【領域】に取り込むような段階にはない。
最低でもそれは"廃絵の具"や『関所街』側の出方を見てからであった。
――なので、今はこの場にわざわざ俺を招いたヴィアッドの"期待"に応えてやることとした。
意識を軽く集中させ、気取られないように【命素操作】を発動させる。
両脇を固める従徒達は心得たもので、ソルファイドも、ル・ベリも微妙に武気や闘気を発して――つまり【武技】や【魔闘術】の空撃ちによって体内の命素や魔素を適度に循環・放出させるような形で、それぞれの存在感をあえて発しているのである。
俺が行っているちょっとしたお節介に。
果たして数分、十数分。
重傷で昏倒していたと思しき"村長"セルバルカと、そして彼の付き人である数名が、うめき声を上げ咳き込みながらも、身をよじり、意識を取り戻したのであった。
「セルバルカ殿……! なんと」
ミシュレンドがわずかに驚いたように目を丸くし、しかしすぐに寄せられた眉間のしわの中にその驚きをしまい込む。すぐさま、彼はまるで用済みだと言わんばかりに教父ナリッソをやんわりと、だが力強く押しのけながら、部下達と共にセルバルカらを介抱せんと身を乗り出したのであった。
当の教父はといえば、これまた驚いたようにぽかんと口を開け、押しのけられて尻もちをついたことに抗議すらせず、自分の両手のひらを宗教具である指輪や首飾りともどもに、しげしげと眺めているのであった。
無論、【神威】そのものへの干渉を試みたのではない。
――そのような行為は、それこそ【空間】魔法と【領域】技能の衝突以上に何が起きるか、現時点では全く予測ができない。
そうではなく、俺はラシェット少年に対してやったことと、同じ"技"を――再現して見せてやったのである。
教父の祈りによってか、はたまた彼らの生来の回復能力だかまでは判然としないが、重傷者達の身体の内側では既に"内なる命素"が活発に循環していたのである。俺は、迷宮領主としての力によって、ほんの少しそれを手助けしたまでのこと。
重体の者には通用しないし、また、何らかの理由によって回復力が阻害されている者に効くものではない。それこそ眷属達が【領域】内において、命素をゆっくりと吸入してHPを回復させていくことに原理としては近いか。
――言い換えれば、【命素】という概念さえ理解し、それを操る術を身につければ、別に俺による手助けがなくとも【人世】の"枯れ井戸"達にも扱うことができるようになる技術である。
そしてその点において、リュグルソゥム兄妹が『長女国』第3位頭顱侯【聖戦】家の秘技術を看破できたかもしれない、と言ったものだと俺は理解していた。
「おやおや! まぁまぁ! こいつは久しぶりの"当たり"ってやつかい? 飲んだくれの教父様でも、十に一つ……いや、百に一つは神様達も見ていてくださることがあるもんなんだねぇ!」
「わ、私も驚いた。驚きましたよ……こんなことが、この、私が……? え、だって……?」
「ははは! いや、教父殿! ナリッソの旦那! これは、たまげたなぁ、俺だって驚いたとも……あるいは"癒やしの乙女"様のお慈悲ってやつなのかねぇ? それとも、そこで苦しんでいるのが『長女国』の貴族様だから、ちょっとばかしのサービスでもくれたのやら? ははは! ははは!」
大仰に驚いた風を装うヴィアッドであったが、意識は明らかに俺の方に向けられていた。
少々、サービスが過ぎたかもしれないが――彼女が確かめたかったことと、そしてそれをアピールしたかった人物に、有無を言わせず見せつけてやったのである。これで文句は、あるまいよ。
それから、今の反応で、大体ナリッソがどういう人間か俺にはわかったような気がした。彼がどういう経緯で【聖墳墓教】の教父になったのかまではわからない。だが、少なくとも、肝心の神威に仕える者としては、きっとうだつが上がらなかったのだろう。
『加護者』ならぬ【聖墳墓教】関係者にとっての【神威】を扱う"能"がどのように組織内で評価されるかまではわからないが、例えば、潜在的な『加護者』候補のような者であるとすれば……ナリッソが、今、この場にいることは明確な辺境への左遷人事のようなものであろう。
それはルクの次のような解説からも裏付けられていた。
≪『末子国』の伝道者達にとって、最も重要な場は――"東"の方ですからね。旧教との宗教的学問的論争と、あとはまぁ闘争の最前線ですから、あそこは≫
あるいは教父としてのキャリアの中で、1回足りとも"成功"したことのない神威を執り行うという博打でも打っていたのか? と思うほど、ナリッソは焦燥から開放された様子でわなわなと感情を抑えきれない様子であったが……今は、彼に構ってはいられない。
俺を含めて、場にいる者達の意識は、ミシュレンドに対して嫌味のこもった言い方を隠そうとしない物言いを吐いた男に向いていた。
やや白髪が混じっているが、殊更に老けた印象は持たない。だが、より若い世代から見ればどこか"父親"然とした包容力と余裕を持つようにも見える。
歳は行ってても40の半ばかそこらであろう、伝え聞く成功に対してはそこそこ若くしてそれを成した人物である……というのが、この"野営地群"の実質的なトップである男マクハードへの俺の印象であった。
嫌味を露骨に口走っておきながら、しかしその表情は嫌味ったらしくない。
態度自体はむしろ明るいものであり、それこそ、酒場でのちょっとした喧嘩上等な軽口であった。無論、【聖墳墓教】が広く信仰されている【四兄弟国】圏にあって、為政者の側で体制に忠誠を捧げ禄を食む武人たるミシュレンドには、容易には聞き捨てならぬ言葉でもあろう。
ただし、その発言の"微妙"さは、マクハードという男の立ち位置そのものの複雑さを表すものであった。
「マクハード殿。故郷を【紋章】家へ売り飛ばし、狗のそのまた狗に成り下がった男め……同胞達の血と財を吸い上げて、そこの"ならず者"達に振る舞う酒の味は、さぞかし美味いのでしょうな?」
「抜かしなさんな、"従士長"のミシュレンド殿、被った仮面から本音がぽろりぽろりと零れ落ちていますぜ? 結局、俺にはエスルテーリ指爵家がどちらの味方をしているのか、わかりませんなぁ……この段になって、この事態になって、指爵ご当人がわざわざまたこの辺村にご来訪される? 【深き泉】の護りは、もういいのですかね?」
「そいつは、ここも窮屈になりそうだねぇ! だが、普通に考えてこの短期間で、これだけ人が集まったし……『長き冬』の災厄はあるにせよ、活気はある。村がもう一つできてもおかしくはない、てのは下々にもわかることだね」
「今も昔もアイヴァン様は、エスルテーリ家は『長女国』に仕えている。そこの"薬売り"の言う通り、『長き冬』に加えて"火の魔石"に、そして問題を起こす輩の存在――そしてそやつらを陰に陽に支援する者の存在。動くのが遅すぎたぐらいなのでね」
「それで、『執政』殿の許可をよく取れましたね? 俺はてっきり、指爵様は煙たがられて一番危険な場所に追っ払われたと思っていましたんですがね」
「わからないよ? マクハードの坊主。案外、その一番危険な場所に、こうしてまた追っ払われるってことかもしれないんだからねぇ」
意識を完全に取り戻しつつ、痛む傷にうめきながらもミシュレンドに肩を借りて起き上がったセルバルカに向け、ヴィアッドが意味深な目を投げかけた。
一方でミシュレンドは、これ以上"野営地組"と付き合う気は無いとばかり、セルバルカと小声で二言、三言だけ口を交わす。どちらも眉間のしわが刻み込まれたように深い、という点だけで言えばまるで親子のようである。
ややあって、"寄合い"の全員に向き直り、口を開いたのは、セルバルカの方であった。
「……誤解があるようだが、指爵様が、この地を統治するわけではない。問題を解決されるために、手勢を率いて、到来されるのだ……」
咳を押さえるように、しかしなけなしの威厳を絞り出すように、低い声でセルバルカが俺を含めた場の全員を睨みつける。
曰く、ロンドール家のやりたいことに干渉するつもりは無い、と。
ロンドール家が『掌守伯』としての務めを放棄しない限り、指爵家もまた『指差爵』としての務めを全うするだけのことなのだ、と。
――まぁ、要するに『関所街ナーレフ』を抑えるロンドール掌守伯家の寄子……とは必ずしもその『長女国』における特殊な"役割分担"上は言えないのだが、形式的な意味での上下関係においては、その下についていると言えるエスルテーリ指爵家の当主が、ヘレンセル村へ乗り込んでくる。
あらかじめ、ルク達との事前確認の中で想定していた展開の一つでは、あった。
単に"ならず者"で説明するには、いささか不審な職業やら技能やらを持つ流れ者やらが、何人も"野営地群"に入り込んでいることは、時折、気まぐれに通る【情報閲覧】によって既に把握済であったのだ。
十中八九、彼らは旧【森と泉】の復興を目指す独立派勢力【血と涙の団】の関係者であろうと理解していたが――。
たった今【情報閲覧】が通ったことで俺はその予測を「確証」に切り替えた。
何故ならば、ミシュレンドらに言うべき皮肉は言い終わったとばかり、気配を消していた俺を覗き込むように顔を向けてきた、マクハードという男。
……俺にだけ見える【情報閲覧】の青白いウィンドウに、そのふてぶてしい表情と共に、【獅腹を食い破る者】という"称号"の文字が重なって踊っていたからである。
【四兄弟国】に頼らぬ独自の信仰と文化を有し、それが生活に至るまで根ざしていた旧【森と泉】。そんな被征服地の出身でありながら、ロンドール家とも良好な関係を構築して『次兄国』で商人として成功しつつ、しかし、その裏で【血と涙の団】と繋がっているマクハードは、泳がされている自覚を有しつつも、きっとロンドール家の知らない泉で悠々と泳いでいる自負に満ちているのであろう。
その自負をして、彼はロンドール家の"狗"としてエスルテーリ家を、いや、ひいては征服者である『長女国』そのものをなじったのだ。
「問題なんてのは、いつの時代にだってどこにだって現れる、そうじゃありませんかい? "村長"さん。いつだって、人は現れては消えて、そして入れ替わるものだと俺は思いますがね――そこにも一人、訳の分からない"珍獣売り"を従えた新参君が闖入してきたことですしね?」
「諸先達方、お初にお目にかかります。ええと、マクハードさん、自分はあまりこの地に詳しくはなくてね……なにせ、流れの学究者。従えているなど大袈裟ですよ、大袈裟、大袈裟。ちょっと専門知識からの助言を与えたら、懐かれてしまっただけのこと」
間髪容れずに丁寧な茶々をくれてやる。
「まるでそいつらの"珍獣"どもみたいにかい? よく言うよ、あっはっはっは」
「言うねぇ、ヴィアッドの婆さん、違いないなははは」
目配せをするヴィアッドとマクハード。
面白いことに、話についていけていない様子の教父ナリッソに目をやったのも二人は同時タイミングであった。
まぁ、ヴィアッドが言っていた「後で話を通しておく」などというのは、食わせの類に相違なかったわけだ。この反応は、「事前に」話していたと見てよい。
ヴィアッドにとっては、俺に取り入ると同時に、もしも俺が期待外れや思惑外れであった場合の保険として、現時点でこの地で自分より力を持っている存在であるマクハードにも同時に取り入っているのは当然のことだろう。
やり取りの途中で、セルバルカと彼に肩を貸すミシュレンド以下のエスルテーリ指爵家従士達は、ならず者同士の交渉事になど興味はない、言うべきことは言ったとばかり、さっさと『即席礼拝所』を後にしていた。
その様子を感情の読めない細目で見送りながら、マクハードがふふんと鼻を鳴らす。
ここまでで得た情報からの"読み"通りならば、次に彼が提案してくることは――。
「……それじゃあ、そんな思慮深い"学究者"さんに、単刀直入にお願いしようかなぁ。ちょいと、村を是非とも案内したいんだ、どうだろうか? 最近まで、あんたと同じような……ええっとあっちは"学者"様か、流れの魔法使いがいて色々助けになってくれていたんだが。いなくなってしまってね。"暖"を取るには、遅れすぎてしまってなぁ。病人が多数なんだ、その知恵を貸してもらえたらありがたいんだが、どうだろうか?」
「――構いませんよ、私としてもこの地でツテや知己、繋がりを作っていきたいなと、是非とも思っていた身。こちらこそ、できることで手助けさせていただけるなら、"お互い"のためになることでしょうから」
――いい関係を築きたいものです、と言外に込め。
予定より少々早かったが、俺はそのまま、ヘレンセル村行きを快諾したのであった。





