0135 泉を遠見る者、足下向くべし
24/9/23 …… 中断の議論の流れがおかしかったのでそこそこ修正を加えました
1/6 …… "裂け目"に関連する事項に関して加筆。全体的に整理
7/8 …… 2章の改稿・再構築完了
≪おお、これが……旦那様の【精神】空間ッッ!≫
≪おおおぉ! 旦那様の存在、旦那様のお力たる【生命の血湧き肉躍る】の皆の存在がここまで、ここまで身近に感じられるとは……!≫
≪我らは、視ているのか……? それとも聞いているのか? 嗅いでいるのか……触れているのか!?≫
迷宮領主技能【眷属心話】が副脳蟲どもの力によって拡張され、特に対エイリアン語の感覚的翻訳機能を備えるという点において高度に効率化されたる【共鳴心域】の領域において、感動に溢れたような"声"が響き渡る。
それはさながら文明の利器に初めて遭遇した、ちょっと伝統的過ぎる暮らしでもしていた住民達が受けたかのようなカルチャーショックみたいな反応にも聞こえたが、然もありなん。
たった今、その「成果」を以て正式に俺の従徒に加わった2名――正確にはそれぞれの"人間部分"なのであるが――は、純然たる"枯れ井戸"ではあったが、【人攫い教団】の墨法師という立場から魔導の片鱗に触れ、また利活用してきた存在でもある。
つまり、何も知らないよりも多少その仕組みを知っていた方が、比較してその深甚さをさらに想起できようというものであったが……いささか、俺の脳内で五月蝿い存在が増えたという事実に変わりはない。その意味で言うならなんという悪影響であることか、などと嘆いていると悪影響の筆頭どもが案の定騒ぎ立て始める。
≪きゅっくっくぴ。まだまだ、驚くには早いのだきゅぴ、おじお兄やっぱりおじいきゅぴさん方。なんと……!≫
≪おおお!? なんと芳醇な!? こ、こんな味覚が……直接だと!?≫
≪ついでにこんなのもぉ~そぉれ~≫
≪ぬぐああああ!? なんだこの香辛料の……"種類"は!? こ、こんなものを旦那様は……!≫
何やら実に妙な"混ぜるな危険"が発生しそうになったため、全身(脳みそだが)にバターが塗りたくられながら空中から落下させられるという「猫バター」実験を副脳蟲どもで試すという想像的実験思考を敢行。
つまり遊び人、いや、脳みそどもの意識を強制的に引き剥がす。
――申し訳ないが、今、元教団の支部幹部であった二人を従徒化させたのは、人の記憶を漁るフードファイターを増やしたかったから、ではない。
二人の"知識"に、用事があったからである。
≪あの薬師の老女が言っていた"絵画売り"。十中八九、【騙し絵】家――"廃絵の具"の手の者でしょう、我が君≫
≪"画板"だの"画材"だの"絵筆"だの。いっそ罠かと思うほどに隠す意図すらない、わかりやすい連中です、まったく。最初から隠す気など無い、のでしょうが≫
≪わからぬ。それのどこが問題だというのだ? 連中が来ることはお前達の想定内ではなかったのか?≫
≪御方様が、まさにジェミニ殿とヤヌス殿……いや、ゼイモント殿とメルドット殿、と言えばいいのか? お命じになった通りの展開ではないのか?≫
【人攫い教団】のヘレンセル村への派遣部隊が忽然と姿を消し、まだ十分に使える仮設住居群を残してその行方をくらませた。
一方で、『禁域』が綻んで"再活性化"した"異界の裂け目"が、大氾濫を起こすこともなく、優秀にして優良な『魔石鉱山』へ通じる【転移】魔法の門と化している――実際には"裂け目"の先ではなく『ハンベルス鉱山支部』跡地に繋がっており、"裂け目"に被せたゴブ皮魔法陣利用による【イセンネッシャの画層捲り】という【空間】魔法を迷宮領主の力で再現したものを活用しているのだが。
――なお、とある"検証"のため、時たま【画層捲り】と本物の"裂け目"に触れた際の世界移動作用を切り替えて、【闇世】側に構築した『偽魔石鉱山』にも侵入者達を招き入れている。
これにより、選別されて生きて報酬と"情報"を持ち帰った者達や、今ル・ベリが言ったように、俺がそのための先触れとして派遣していたゼイモント&メルドットの口を通して――巡り回って【騙し絵】家に"噂"が届くように仕込んでいたのだ。
この点、"廃絵の具"が直接『鉱山支部』の跡地に【転移】するのではなく――そもそも地泳蚯蚓の球状魔法陣でその侵入を妨害していたが――これに食いついてきたのは、出だしとしては順調である。
元支部長と元副支部長の二人は伊達に"元"ハンベルス鉱山支部の長ではなかったという手腕を示してくれたと言える。
――だが、この"食いつき方"と、今回やってくる際の彼らの"体裁"にルクとミシェールは違和感を抱いたようであった。
≪動きの速さは想定の範囲内です。なのですが……走狗どものそのまた走狗どもなんかとわざわざ歩調を合わせているのが、ちょっと。"廃絵の具"という連中は、イセンネッシャ家が代替わりする度に結成し直されているんですが、≫
≪彼らは、かつて『画狂』イセンネッシャが麗しき王都と王国全土に破壊と暗殺の嵐を引き起こしていた時の性格と性質をそのままに、今世に引き継いでいる者達なのです、我が君≫
曰く、わざわざ"商人"に扮する必要など本来は無い。
堂々と【騙し絵】家の特殊工作部隊でござい、と示威し、その恐るべきを誇示して周囲を威嚇しながら殴り込んできても何らおかしくはないはずである、というのがリュグルソゥム兄妹の想定であった。
無論、かつてテロの嵐を吹き荒れさせた時代とは異なる"今の立場"が足枷となった面はあるかもしれない。
かつて凶悪であっただけに、たとえ体制破壊を掲げつつも体制内に所属することとなった以上は、【騙し絵】家もまた統治原理と派閥の力学から完全には逃れられないだろう。
いかに"廃絵の具"が傍若無人に振る舞う、またはそうすることができる手札ではあっても、【旧ワルセィレ】一帯は、『長女国』において彼らの主が率いる【破約派】でも、その敵対派閥である【盟約派】でもなく、両者の間を繋ぐ【継戦派】の首領たる【紋章】家が力を入れて開発し発展させている領域である。
そもそも、始祖アイケルの2男2女に始まる【四兄弟国】の外交関係の核心である【盟約】の破壊を掲げる【破約派】――それを率いるイセンネッシャ家――にとって、中間の現状維持派閥である【継戦派】の取り込みと切り崩しは、それなりに神経を使わねばならぬ重大事項であることはリュグルソゥム兄妹の説明を聞かずとも容易に想像がつく。
"廃絵の具"が自らが走狗でありながら、さらにその下に自由に使えるグレーな駒として【人攫い教団】を主家から付け与えられているのは、彼ら自身が他家で傍若に動くことがやはり政治問題となりやすいからである。それこそ【盟約派】の所領で堂々とその姿を晒そうものならば、それは最低でも抗争の始まりとなろう。
≪ですから、多少なりとも【紋章】家に、連中の筆頭走狗であるロンドール家に気を遣うこと自体はおかしくはないんです。ないんですが……≫
『鉱山支部』に叛逆された……と捉えているであろう"廃絵の具"から見れば、これは疑惑などというものではない。「状況」そのものは、"廃絵の具"の性質を考えれば、気遣い無しに自ら堂々と動いても十分であろう材料が揃っていたはず。
なにせ、リュグルソゥム家の「全頭顱侯」一致による誅殺事件という背景が存在するのだ。
同時襲撃では【騙し絵】家の力が中核となり、【転移】魔法が活用され、綿密に時刻が揃えられたことは既に兄妹が分析し看破していたところであった。その実働部隊たる"廃絵の具"とその女隊長ツェリマには、むしろ"叛逆者の残党"を追撃するという各都市に強引に押し入る大義名分があったはずであり――このような”搦め手”を採る必要があるとはにわかには思えない。
それが真実かどうかはさておき、彼らには「リュグルソゥム家の残党と『鉱山支部』叛逆が関係している」ことを強引に結びつけて行動することもできたはずなのだから。
≪ふむ。確かお前たちの話では、部隊長のツェリマとやらは「やり手」ということだったな。御方様がおっしゃるように「大義名分」があるのなら、どうしてこんな迂遠なやり方で手を出してきているのだ?≫
≪ル・ベリさん、その”部隊長”ことツェリマという「私生児」についてなのですが≫
功を焦らなかった理由はなんだろう、という俺の第一の従徒の疑念に対し、"私生児"という語を強調するように呼吸を合わせてからリュグルソゥム兄妹が答えて曰く。
≪【騙し絵】家では――そもそも、私生児が生まれる事なんて絶対ありえないんですよ≫
≪不義か、不和か、不都合のどれかの象徴とも呼ぶべき落し子ですね。彼らの技か、はたまた一族内の醜聞か、そのどちらかを晒す存在として、きっと、とても難しい立場であったろうことは想像に難くありませんね……≫
≪どうして生き残ってこれたのか不思議なほどに、ですね≫
頭顱侯は「秘技術」や「秘法」を持つが故に頭顱侯という特別な地位にあるのが『長女国』の在り方。リュグルソゥム家の情報収集能力をもってしても、他の全ての頭顱侯達や、その候補者達や、ましてや元頭顱侯家であった各魔導貴族家の全ての秘密を握っているわけではない。
だが、それでも現世とは異なる精神世界に在り、僅かな情報からでも分析することができるのがリュグルソゥム家の強み。
王都・侯邸・西方の戦線の3箇所への同時襲撃の間に、前当主であったシィル=フェルフが”私生児”ツェリマとやり合った際に収集した情報を『止まり木』で徹底的に調べ上げた上での推論を、兄妹は述べたのであった。
”私生児”でありながら”廃絵の具”を率いる存在であるツェリマが【騙し絵】家において、どのような立ち位置であるのかについて、である。
そしてそれは、ル・ベリを困惑させうめき声を上げさせるには十分。
というのも、【騙し絵】家において"私生児"が絶対に生まれるはずが無いという、その理屈は、彼らの閨事に関係していたからだ。
――簡単に言えば【騙し絵】家では、血の正統性を確保するために、【空間】魔法を"受精"に活用していたのである。
自らがどのように母リーデロットの手によって産み落とされたか、その経緯を既に知っているル・ベリとしては、重なる思いもまた多かろう。そういう意味での"うめき声"が【共鳴】の心域にじわりと伝わってくる。
≪なるほどな? この世界でどこまで俺の元の世界の常識が通じるかはわからないが、貴族文化において正嫡であること、つまり血統の重要性は、先祖から代々引き継ぐ権利や財産の正当な継承においては非常に重大なことだ。まして、魔導貴族みたいな容易によそには漏らすわけにはいかない「特別」な力や技術が、その血筋に宿っているなら尚更だよな≫
しかし、そういう一族の掟や論理とは別に、個々人の感情や欲望というものが制御しきれるわけではない。そうした中で、ひょんなことから私生児が誕生してしまった場合に、どのように一族の権利や財産をその者と織り合わせるかは、時に血を見るような問題となりかねない。
そうした事態を防ぐために、リュグルソゥム一族は超近親婚を行った。"止まり木"という特殊な【精神】共有空間に部外者を入れないためにである。
血の濃さの調整や、頭顱侯として役割と責務が増えた中で「分家」を一時的に作ることはあっても――やがてその"血"は再び本家に回収される「婚姻政策」もまた『止まり木』での重要にして主要な討議事項であり続けたわけだ。
同様に【騙し絵】家もまた、自らの特性である【空間】魔法を利用して、この種の問題に対処する一族独自の方策を定めてきたのだ。
≪――"魔法"なんて存在しなかった俺の元の世界の、技術だって足りなかった旧時代からすれば真っ青になるような効率的な避妊方法だし、受精管理方法だよな? いや、医療技術的に下手したら"産み分け"すらできたっておかしくない。ロボトミー手術を手術道具無しでやってのける【空間】魔法手術の手練手管があるのなら、まぁ確かに、二人の言う通り、イセンネッシャ家で「私生児」なんてまずあり得ない≫
ここで「なぜツェリマが”功を焦ら”なかったのか」というル・ベリの疑念に戻ろう。つまり、地味で根回しも面倒だっただろう”搦め手”をなぜわざわざこの血の気の多い工作員集団が採ったのか、という話である。
――端的に言えば、まさにツェリマが"私生児"であったことが関係している、というのが、現時点でできる可能な限りの推測であった。
≪本人の才能か、周囲の思惑によってかは知りませんが、彼女は生き延びた。生き延びてしまった。しかし【騙し絵】家の中で非常に微妙な立ち位置であることには変わらない。変わらないからこそ、≫
≪己の立ち位置を固めて、存在を証明しなければなりませんね。”私生児”という烙印を押されたツェリマは、【騙し絵】家からの厳しい眼差しをも跳ね除けなければならなかった。与えられた役割である"廃絵の具"の長として、形振り構わずに、でしょう≫
≪そう言われてみると、あのツェリマ殿の"ご性格"……あの直情的な、ごほん、あの真摯で誇り高い御方が"廃絵の具"を商人に扮させるなどと、にわかには考え難いですからなぁ。しかしご実家との距離感は、常に慎重に測っていたような≫
知識献上のやり方をルクから学び終えた様子のゼイモントとメルドットが眷属心話の領域に舞い戻ってくる。二人とて、ツェリマとそれほど高頻度に会って話をしたわけでもなかったようだが、"廃絵の具"の長としての彼女に関する知識を幾ばくか献じてきた。
それらも踏まえれば、きっと「私生児じゃない」血族や侯位継承者候補もいるであろう【騙し絵】家において、”私生児”たるツェリマは自らの地位を安定させるための功績の積み増しを目指してきたのが自然であり、これまでの行動もまさにそうであったからだ。ルクとミシェールの追討であれ、叛逆支部への懲罰やその前段での調査であれ、ロンドール家に顔だけ立てる必要があるとしても、その後は彼らにとってはいつも通りの”搦め手”無しの行動でよかったはず。
方や【騙し絵】家という派閥の領袖、方や【紋章】家の傘下とはいえ中位貴族に過ぎないロンドール家の力関係を考えれば、”廃絵の具”は強引に攻めてきてもおかしくはなく、それはリュグルソゥム兄妹の予測でもあったわけである。
……だが、薬師にして密輸団の長ヴィアッドからもたらされた情報によると。
近々、この"野営地群"に『関所街ナーレフ』から派遣されてくる『馬追の老牢番』という組織――『西に下る欠け月』と『霜露の薬売り』よりも古くから活動していた賊上がり――に同行する形で、どこの馬の骨とも知れぬ"絵画売り"の一団がついてくるのだという。
わざわざ商人に、それもロンドール家が次々とヘレンセル村に送り込んで"野営地群"を作らせている子飼いの商隊達の一つに扮してまで(隠す気は無いくせに)ロンドール家の動きに連携する理由は何であろう。
もっと言えば、それを【騙し絵】家と対峙するための功績と距離感のバランスを熟慮しているであろう、”廃絵の具”部隊長ツェリマをして、納得させるだけの理由とは何だったのであろう。
≪……例えばだが、ツェリマが下手に暴れてロンドール家の顔を潰すと【騙し絵】家的にも”まずい”何かがある、とかいう可能性が出てくるな≫
≪同感です。あの【騙し絵】家をしてこれほどの"気遣い"があるというのは、少なくとも、ロンドール家がこの地でしようとしている"何か"に関係している可能性が高いというのが私とルク兄様の見解です≫
≪なるほど、それをツェリマは読み取った、というわけか。功に焦る場面ではないと言うことを聞いているわけだな?≫
思い切りの良すぎる独断専行を思いとどまらせるほどの、何か、拘束力の非常に強い命令でも受け取ったのだろう。
リュグルソゥム兄妹の見解は、俺の見解と同じだ。
彼らの分析にさらに付け加えるならば――”廃絵の具”はただ単に遠慮をしているだけではない。彼らもまた、その"何か"に一枚噛んでおり、最低でも、ロンドール家の邪魔をしないように"配慮"だか"尊重"だかして行動している、そういう可能性もまた考えうる。
≪御方様。それほどの事案をロンドール家めが起こそうとしているならば――状況が不確実になっていませんか? ルクとミシェールの策では、連中が連動していないことが前提だったはず。ロンドール家とやらが"廃絵の具"を支援するとなると、思惑通り、ナーレフを"空"にしてその隙に通り抜ける……というのは、難しいのでは?≫
従徒達を代表して、この俺の【第一の従徒】たるル・ベリが伺いを立ててきた。確かに、目に見えている動きそのものは、当初の想定からは変わっている盤面ではあった。
『ハンベルス"魔石鉱山"』をぶち上げて囮とすることにより、泡を食って調査または懲罰に乗り出してきた"廃絵の具"の動きそれ自体を通して――迎撃して倒すか否かとは別に――【騙し絵】家と【紋章】家を潜在的に対立か、せめて相互に疑心暗鬼にさせて、その目をこの地に向けさせる。
その間に注意の薄れた『関所街』を通り過ぎ、俺にとってこの世界で今後どのように行動していくかを決めるためには、何にもましてまっ先に確かめなければならない一件を確認するために、【深き泉】へ直行するという思惑だったのだ。
最低でも"珍獣売り"として無難に『関所街』を通り過ぎることができれば、「積み荷」を聖山の近傍まで運ぶことができれば良かったのである。
その意味では、『関所街ナーレフ』を治めるロンドール家の若き俊英たる執政様が、まさにこの地で"何か"をしでかそうとしていたとしても――例えばこの野営地群で随分とちらほら目にかかる、少々妙な職業をした"独立運動家"達と関係しているかもしれない――それはこの地での混乱を深めさせ、ますます目を向けさせ、それに乗じて俺が通り過ぎるのにはむしろ都合が良い、というぐらいにしか思っていなかった。
ラシェット少年が遭遇した"指爵"家の従士達の奇妙な動きもまた、この地に既に様々な思惑が渦巻いているという意味では同じことだったのだが。
≪"廃絵の具"の行動の優先順位が変わり、ロンドール家と対立せずに連携するつもりであるならば、当然だが、話は変わってくる。ゼイモントとメルドットも、こんなやり方はツェリマ女史にしては”らしくない”と言っていたからな?≫
≪つまり、そうではない可能性もある、ということか? 主殿≫
≪……優先順位が変わったのは事実ですが、それはただ単に、ロンドール家が起こそうとしていることを利用しようと考えて一旦大人しくしているだけ。「お先にやりたいことをどうぞ」と静観している線ですか。まぁ、それも有り得るとは思いますが、≫
≪その表面的な"配慮"がいつまで続くのか、どこまで大人しくしているつもりなのかを見極める必要がありますね。"この地"にたどり着いて『魔石鉱山』……もとい「裂け目」に突入するところまでなのか。それとも、更に先の利益まで共有しているのか≫
追討対象であるリュグルソゥム兄妹が逃げ込んだ先である可能性が高いこと。
原因不明の突如の連絡途絶が発生した『ハンベルス鉱山支部』の"叛逆"との関係が強く疑われること。
不活性化されていた"裂け目"であることから魔人の存在を想定していない可能性が高いこと。
この3点により――【騙し絵】家は、ルクとミシェールという「リュグルソゥムの残党」こそが鉱山支部叛逆の裏にいると取り違える、というのが俺達の見込みである。
そして【騙し絵】家にとって、このタイミングこそは、『末子国』にも【盟約派】にも邪魔をされずに悲願である"裂け目"への干渉のための絶好の好機が訪れたと見なせるはず。
これだけの条件を目の前にぶら下げられておりながら、強引には突入してこず、あくまでもロンドール家が少しずつしかし急速に"野営地群"を成長させ拡大させ、しかし同時に独立運動家達を集結させている筋書きに配慮しているというのは――単に協力しているというよりは、執政ハイドリィが先にやらかそうとしている"何か"の悪影響が無視できないと"廃絵の具"が理解しているからか。
もしくは反対に、その影響が"廃絵の具"のヘレンセル村での活動を利する何かしらの"良い影響"があると見なして、一旦は大人しくするつもりであるかといったところか。
≪きゅぴ。でも、待ちきれないさんになってきゅピャッハー我慢できねぇ! さんになるかもしれないのだきゅぴ。僕もモヒカンきゅぴ族さんだよぉ!≫
……そうなったらなったでむしろ当初想定通りだ、この世紀末火炎放射脳みそども。俺の脳内から散れ散れ。
≪きゅびぶべらっ≫
≪な、なんで僕達まで……≫
ヘレンセル村での対立や利害衝突や混乱が深まり、注意が向けられれば向けられるだけ、都合が良い。それこそ、ロンドール家の寄親である【紋章】家までもが介入してくるかもしれない。そうなればロンドール家にとっても、今まさにやらかそうとしている悪巧みが潰える焦りが生まれるだろう。
無謀な動きを、つまり、ボロを出すことが期待できる。
それは一族の誅滅事件の真実と裏を知ることを欲するルクとミシェールにとって有利な状況を生むだけではない。
眼前の目的としては『関所街ナーレフ』を通過すること、そして長期的には、決して相容れる可能性の低い【四兄弟国】の一角である『長女国』に対して、俺が対峙する力を整えていくために、状況を分析して、そして必要な介入を今後していくことにも有利に働くだろうと期待している。
≪なるほど、御方様のお考え、よくわかりました。大きな方針は変わらないですな、それならば確かに……≫
≪その通り。ただ、ロンドールの若き俊英様がこの地でやらかそうとしていることが――もっと積極的な意味で【騙し絵】家の利益になるパターンも、無いわけじゃないからな≫
≪例えば、連中の悲願である"裂け目"の調査や侵入を後回しにしてでも巨大な恩恵が得られる、といったところですか。もしくは、≫
≪我が君謹製の『魔石鉱山』に侵入するに当たって、先に執政ハイドリィに動いてもらった方が、諸々の点で有利になるような……そんな状況があり得ますね≫
≪その通り、だ。それを見極めるために――もう少しだけ、もっと"情報"が必要だな。単に、魔法使いの貴族家軍に征服された土地、とかいう以上の何かが、ここにあると思えてならない。それとも、いきなり"本丸"に行くのは間違っている、という警告なのか? これは……≫
――情報は、力なのだ。
確かに、俺は決して【闇世】の尖兵として【人世】を侵攻する橋頭堡を作ること、を至上目的としているわけではない。
当面は『関所街ナーレフ』を越え、ヒュド吉が指し示した方角にある――【深き泉】という場所にまで到達しさえすれば、それでいい。そしてそこでヒュド吉の"同僚"と接触すること、それだけなのである。
だが、今後も『長女国』の領域で俺の力を全面的に行使していこうとするならば、最も邪魔になりうる存在が【騙し絵】家――迷宮領主か、その従徒疑惑のある"画狂"イセンネッシャの子孫達ではあるのだ。
それならば、まだ不意討ちが効くうちに、こちらから誘い込んだ方がマシであるし、それがリュグルソゥム兄妹への俺からの"報い"でもある以上、『魔石鉱山』へ引き込んで迎撃する線を捨てる必要は、まだ無い。
そして、それを判断するためには、はやる気持ちを抑えてまず足元を、自分が何の上に立っているのかを丁寧に確かめる必要があると俺は悟っていた。
【魔素操作】と【命素操作】を、"生きた杖"たるカッパーの補助によって静かに張り巡らせながら、絶えず副脳蟲フィルターを通して届けられてくる寄生小蟲達から母胎蟲を経て集約される情報を検分・整理しながら、俺は視線をヘレンセル村の方へ向ける。
そして更にその先、『関所街ナーレフ』をも越えて【深き泉】にまで。
ヒュド吉が指し示したる、かつての主たる【擾乱の姫君】に共に仕えていたとかいう、彼の"お仲間"――イノリという名の少女を知るかもしれない何者か――の気配を強く感じた方角にまで、遠く遠く、俺は視線と意識を向けた。
(それにしても【擾乱の姫君】か。なんとまぁ、ご大層な"二つ名"じゃないか。でも、そういうのには、まだ早い年齢だったはずだろ?)
迷い込んだ当初は、思いもしなかった。
失われ、喪って、しかし探し続けてきたはずの、消えた少女の"手がかり"の、そのまた"手がかり"が、そこにあるのだ。
だが、信頼すべき眷属達から次々に上がってくる情報は――従徒達の議論や知識を裏取りするものばかり。今一度この村であえて足を踏み、足場を固めるべしという判断を支持するものばかりなのであった。
即ち、この地の"異変"にも、きっとイノリが何らか関わっているのだ、と、まるで目には視えぬ虫が報せるように。
其れを識るために、今俺がすべきなのは、まずは外堀をきっちり埋めてからでなければ臨めない、とでも兆して諭すかのように。





