0133 野良犬が世界に踏み出す一歩[視点:伯楽]
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【盟約暦514年 跳び狐の月(4月) 第24日】
――あるいは【降臨暦2,693年 沃土の月(4月) 第24日】(95日目)
自分は逃げない、と『霜露の薬売り』頭領のヴィアッドに啖呵を切り、"珍獣売り"の二人組に目で態度で囃されたはよかったものの。
バイルが自分を探している、というならば、ここは『西に下る欠け月』の庭も同然。
早晩、この"簡易診療所"にやってくることは確かであるとラシェットは考えていた。
管理者であり有力者である教父ナリッソは悪人ではないが、完全な味方というわけでもない。
迷惑をかけたり、あるいは下手をすれば「大人の事情」によって、彼と『西に下る欠け月』の間の交渉の材料にされかねないよ、と。
呆れたような、つまらなさそうな様子で更なる"助言"を与えてくれたヴィアッドに、ゼイモントとメルドットも同調した。そのため、ラシェットは一旦、まだズキズキと痛む全身を引きずるようにしながら――ナリッソがミシュレンド達の相手をしている今のうちに――簡易診療所を後にした。
「痛ぇな……くそ、寒いし……」
とぼとぼとと"野営地群"の最外周に向かうラシェット。
辺村の村外れ、雪降るもりの奥に設営された"野営地群"ではあったが、実際のところ、拠点としては意外にしっかりとした作りとなっていた。
それは、最初の基礎を構築した【人攫い教団】達が行った「家屋の【転移】」とかいう馬鹿げた手段――"才有り"達にとっては当たり前の芸当なのかもしれないが――だけによるものでもない。切り開かれた雪道には、貴重であるはずの魔石を利用した魔道具である吊りランタンが適当な感覚で並んでおり、夜の間でも道しるべになる程度には明るさを保っていたのだ。
無論、貴重は貴重でも質の悪いものばかりであるが……そんな代物であっても、"枯れ井戸"の貧民がおいそれとお目にかかれるものではない。
理由は単純である。
『西に下る欠け月』が、実質的には、関所街ナーレフを支配する『掌守伯』である【ロンドール家】の走狗であり……その【ロンドール家】は、この国の『頭顱侯』たる【紋章】のディエスト家の走狗であるからだ。
――全てマクハードからの受け売りだが、そういう『大人の』事情で、ロンドール家を経由してそれなりの量の"不良品"がこの野営地群には持ち込まれている、らしい。確かに、時折、吊りランタンが爆裂するという事故もまた起きていたのだが。
そのためかは知らないが、個々の家屋は微妙に距離を取り合っており、さらにその周りを獣避けの柵で囲まれている。さながら、いくつかの勢力が同居するこの場所で、それぞれが己の縄張りを主張している様子でもあったが、しかし、より俯瞰的に見れば、まるで身を寄せ合って、さらに外側からの"脅威"に対して守りを固めているようにも見えるのだった。
ラシェットはついに"森側"の最外周の『柵』まで辿り着き、背を預けるように座り込んだ。
診療所から拝借したぼろぼろの毛布を冬備えの厚着の内側に着込んでいるが、それでも長時間、ここにいることは身体に良くないだろう。服はところどころ破れたものを粗く縫いまとめたものであり、靴もボロボロなのであるから。
それこそ、エリスに見つかったら、今度はハンカチどころか【火】の属性魔石とやらを擦り付けられてきてもおかしくない……と考えて、ははは、と白い吐息と共におかしさが口をついて漏れ出た。
走狗の、走狗の、そのまた"下っ端"ならば、確かに自分は「野良犬」のような存在だろう。
実際に、姿見で見た自分の姿は痩せこけて飢えた野良犬か何かと見間違えるほどだ。腹いっぱいに食べる機会は少なく、同世代よりも身体は小さい――ただ、闘志は失ったつもりは無かった。そうあらねば裏路地では生きていけなかったからだ。
と、そこで。
「やぁ、随分頑丈なんだな? 少年」
全く人の気配がしなかったはずの、冷気が支配する空間。
その中で、不意に声がかけられる。
誰だ、と弾かれたように辺りを見回すラシェットだったが、近くには誰も居らず。
警戒心はそのままに、顔を正面に戻した直後――彼はぎょっと飛び退いた。
いつの間にか、そこにフードを被った男が3名、現れていたからだ。
見た目にも、声にも、その佇まいにも見覚えが無い。おそらくは"新参者"なのだろうが――どうしてだってこんな時間に、それも森の方から現れたというのか。
一人で考える時間が欲しくて、人目に付かないよう、傷と痛みに沁み入る冷気に耐えながらもこの場所にやってきたというのに。
――このまま、また"野営地群"にとんぼ返りするか? そんな考えが頭をよぎる。
だが、帰る場所はもう無い。『欠け月』に戻れば、今度は殺されてもおかしくない。バイルなど怖くは無いが、今そうされてやる理由なども存在しないのである。
だから、ラシェットはその全く見知らぬ3人に対して、空元気と不敵さを表情にまとわせた眼光で見つめ返してやった。
「なんだ、あんたら"新入り"かよ? こんなところから……こそこそと。俺に何の用だ?」
身を守る本能が働いたと言うべきか。
警戒した姿勢のまま、ラシェットは痛む片腕と片足をかばいつつ、懐の中に手を入れ、いざとなれば隠し持った小振りの鉈を取り出せるように、油断なく――ラシェット自身としては油断していないつもりで――身構えていた。
だが、そんな決死の様子を見て、一体何がおかしかったのか。
真ん中の男がおもむろにフードを脱ぎ、漆黒に濡れた鴉のような黒髪を顕わにする。
フードと一体化した分厚い外套の下、見慣れない異装に身を包んだ黒髪のその男は、思ったよりは若い風体であったが……まるで片腕に絡みつくかのような非常に長大な三叉に分かれた"杖"を立てていた。
後の二人も、片方は腰の左右に二振りの剣を佩いており、黒髪の男よりもさらにがっしりと高い偉丈夫である。もう片方は、背丈だけならば3人で最も小柄であり、杖や剣のような何か得物を持っているわけではなかったが――全く動きに隙が無い。
一目で分かる"手練れ"であった。
そして"手練れ"という意味でなれば、つい数刻前に散々脅かされたミシュレンドのような「兵士」としてのそれともまた異なっていた。ラシェットはその違いを上手に表現する言葉を持たなかったが、何者かに訓練されたものとも違う、ある種の覇気のようなものを感じ取っていたのである。
少なくとも、バイルが何人束になってかかっても、この左右のどちらの男にもまるで歯が立たないだろう。ミシュレンドすらも、きっと1対1では敵わないかもしれない――そんな"強者"であることをようやっと悟り、そんな相手に"新入り"などと威勢の良い声をかけたことを後悔し始める。
だが、ラシェットがたじろぐ様子を瞬時に見て取り見抜いたのか。
真ん中の黒髪の青年が、まるで直接目を覗き込んで来るかのようにその身をぐっとかがめて寄ってきたのであった。
「な、なんだよ……!」
「いや、酷い"怪我"だと思ってな? それなのにそんなに動けるんだから、さっきも言ったが随分"頑丈"だ、って思ってな。いかにも、俺達は"新入り"だ。お近づきの印に、その怪我をどうにかしてやろう」
口の端を吊り上げるような笑みを浮かべており、その切れたように長い眼をすうっと細めている。
ラシェットは、何か、自分の奥底まで"視られ"ているような、内臓に触れられたかのような気味悪さを感じつつ――その黒髪の青年が、手袋を外しおもむろに掌を伸ばしてくる。
「や、やめろ!」
積り募っていた緊張と警戒心が、ほとんど恐怖心に取って代わり、ラシェットは反射的にそれを振り払おうとする。だが、その勢いで隠し持っていた鉈をそのまま引き抜いて、切りつけるような形になり――。
「う、ぐあああッ……!」
「おい馬鹿、ひねり過ぎだル・ベリ。ソルファイドと副脳蟲どもの"特別メニュー"で鍛えられたこの俺だ、子供のナイフなんぞ簡単にいなせる」
「これは、お許しを、御方様。腱と筋は傷まぬようにしました」
「あぁ、なら良いか。当面は下手に怪我人は出さないようにしておけ」
激痛、と共にひねりあげられる無事な方の腕。
全く認識することすらできなかった速さで、小柄な方の男に腕を取り押さえられ凄まじい"怪力"でひねりあげられ短刀を落とした――瞬間、黒髪の青年がそれをたしなめたようだった。
「あぁ、伴の者が済まなかったな。だが、悪いようにはしない、ちょっとじっとしていてくれよ」
痛みと混乱でうずくまったラシェットであったが、黒髪の青年がかざした掌が頭に触れる。
――その感覚に、大盾を構える父の背中をラシェットは幻視した。
だが、次の瞬間に起きた出来事は幻ではなく現実でのことである。
目元で何かがちかりと煌めく。
黒髪の青年の"杖"の三叉の頭が、まるで生きているかのように唸る幻聴が聞こえた気がした――その刹那。
まるで「熱」のような何かが奔流となり、少年の中に流れ込んできたのであった。
心臓が早鐘を打ったかのように鼓動する。
だが、それは苦痛と不快感からは程遠い。
むしろ、体の奥底から"活力"が溢れてくるかのような、蓋をしていた場所から堰を切ったように「熱」が流れ出してくるかのような――そんな内なる生命そのものの力のような、何か力強い、そしてどことなく神秘的な、心が塗り潰されるような何かが全身に鼓動の如く巡っていく。
疲れ果てた身体。動かしすぎて痛んだ筋肉。
無数の擦り傷、そしてエリスと共に猛獣の囮にされた際、意識を失う前に負っていた大小の様々な怪我。
そうした箇所の一つ一つに、まるでボロ服のほつれの1つ1つに当て布が当てられるかのように――特にこの「熱」のような奔流が殺到というべき勢いで集まっている。それは、血よりも暖かくて熱い、そんな何かが、ぶるぶると震えるように溢れ出てくる感覚であった。
「これは……ま、魔法――ッッ!?」
奔流が過ぎ去り、ラシェットは不思議と身体が軽くなっていることに気づいた。
そんな彼の驚愕と共に上げられた声を、黒髪の青年が、笑みを深めて口の端を吊り上げながら受け答える。
「ちょっとだけ"回復力"を高めさせた、ってところかな? なるほど、これが【活性】属性か――さぁ、これで俺達はもう知らない仲じゃあない。お近づきの"しるし"って奴だ。だから、君の、名前を教えてくれないか? ラシェット君」
「俺は……って、え、は?」
聞く前から知ってるじゃねぇか、と思わず叫びそうになり。
それは、初対面であるにも関わらずどうして知っているのか、という疑念に即座に取って変わられ、ラシェットは反射的な返答を飲み込んだ。
目の前の黒髪の青年は、とても楽しそうで愉しそうな、露悪的な表情でにやりと破顔していたのである。
そうやって自分をからかう大人を何人か、例えばマクハードであるだとか、ラシェットは知っていたが……青年のそれは、まるでそれが彼の生業であると言わんばかりの自信に溢れたものであったことが酷く印象に焼き付いている。
彼に恐怖すべきなのか、それとも困惑するべきなのか。
――はたまた、頼るべきなのか。
判断に困りラシェットは固まっていた。
なまじ、身体に『魔法』による活力を与えられたこともあり、それに引っ張られて気分がまるで無理矢理にでも高揚させられていくかのようであった――と、ごつんと拳骨を頭に入れられる。
「御方様がお前の名を問うている、答えろ小僧」
「痛えな……! ていうか、さっきは気付かなかったけど……待てよ、お前だって声若いし、小僧じゃねぇか! 俺は、ラシェットだ、お前らこそ名乗れ!」
そんな状態で痛みと、やや理不尽とも言える形で促されたことでヤケクソとなったか。
ラシェットは半ば、崖から飛び降りるような心地で啖呵を切る。
だが、そんな様子にむしろ満足そうに頷き、黒髪の青年がもう一度だけラシェットの頭を強引にわしゃわしゃと撫でてから立ち上がり―― ラシェットの腕を握って、力強く引っ張り立ち上がらせたのであった。
***
どうしてだって"才有り"の連中は、こうも強引なんだろうか。
こちらがどんなに努力しても、どうにもならないから、諦めて、あるいはなんとか知恵を絞って苦闘していることを――こうもあっさりと解決してしまうのだ。
「覚えて……いやがれッッ!」
威勢よく血を吐き捨てるような、いっそ悲鳴に近い怒声。
実際に唾と共に鮮血を吐き出し撒き散らして雪道を赤く汚し、ほうほうの体で逃げ去っていく――ラシェットにとっての憎き宿敵であった禿頭の大男バイル。及びその取り巻きである『欠け月』の荒くれ者達。
――この間、わずか5分にも満たない。
人を食ったような青年に飲まれるままに自分が何者かを話し、そのまま"野営地群"の案内を依頼されたのがつい先程のこと。何より、貧民相手に無料で、魔法の力なんぞで怪我を治してくれた恩義には報いなければならない。
それが、人と野良犬を分かつ意地なのだ、とラシェットは信じている。
だからこそ、腹をくくって"野営地群"に舞い戻ったのだ。
バイルが自分を探していることは知っていた。
遭遇しなければそれで良し。だが、遭遇したならば、自分の厄介事に彼らを巻き込むわけにはいかなかった以上……ラシェットはいっそ己の身をバイルらに預けて、青年達を見逃してもらうようにすることすら、内心で覚悟を固めていたのであった。
従順にしていれば、まぁ、2つに1つは気まぐれで生かされるかもしれないのだから。
そんな悲壮な決意を胸に秘めて、しかしそれを顔には出さず、見せないようにしていたというのに――。
宙を舞う禿頭の巨体。
自分自身が吹っ飛ばされた回数などはもう数えるのを止めていたが……普段、ふっ飛ばしてくれていた側である、暴漢バイルが吹っ飛んでいるのを見るのは、ラシェットには初めてのことであった。
やったのは双剣を佩いた偉丈夫『ソルファイド』の方である。
彼の神速の踏み込みはラシェットの知覚能力を完全に越えていた。微かにであるが、彼が、ちょうど黒髪の青年がラシェットに対して"癒やし"の魔法を行使したのと同じような闘気を発したかと思ったその次の瞬間には、軽い風圧が辺りに積もった雪をぱっと吹き散らすや、鈍い衝撃音と共にバイルの巨体がラシェットの頭上ほどもの高さに蹴り上げられていたのである。
血眼になって探していたというラシェットを、通りの向こう側から目ざとく見つけ、大声で、周囲に散っていた仲間達を呼び集め……青年達ごと囲んだまでは思惑通りだったろう。
だが、拳と首をパキリゴキリと鳴らしながら近づいてくるバイルに対し、自分の身を差し出そうと前へ一歩出ようとしたラシェットを黒髪の青年が不思議な笑みで止めたのである。そして、露骨に挑発と侮蔑の言葉を迫ってきたバイルに差し向け――激昂した突進しか知らぬ暴漢がラシェットごと青年を襲おうとした、その後の先の刹那のうちに、巨体は宙を翻って、数メートルも離れた雪の塊の中に叩き込まれていた。
取り巻き達もその展開が予想外であったか。
反応できぬうちに――まるで訓練された野猿のような俊敏さで、ラシェットの手をひねった少年『ル・ベリ』が縦横に飛び回り、周囲に集まっていた数名の『欠け月』構成員達を、まるで引き倒すかのように地面に昏倒させていたのであった。
どうにも、重心を崩して転倒させる"技"が中心であり、昏倒の派手さの割りに大きな怪我をさせた様子は無いことが、ラシェットの素人目にもわかった。
なるほど、先程の「必要以上の怪我をさせぬように」という黒髪の青年の指示を守った、ということか。
だが、そんな目にも留まらぬ百錬の早業は、実際の怪我が無くとも襲撃者達の心を折るには十分すぎた。
ラシェットを含め、『欠け月』の下っ端達は、幹部連中が時折、バイルらの"指導役"に躾をするのを見たことが無いわけではない。だが、バイルほどの大男ともなると、布で包んだ剣の腹で殴りつけるだとかそういう折檻が中心。
よもや、直接力によってこの大男をねじ伏せることができる人物がいようなどと、ラシェットには夢にも思わぬことであったのだ。
それで、自分の中の何かがひび割れていくかのような心地であった。
あれだけ厄介な――憎い仇であると同時に、母を助けるための金を稼ぐツテでもあった『西に下る欠け月』という存在が、その存在があっさりと砕け散った瞬間であった。
だが、当の青年オーマは涼しい顔をして、まるで道端で珍しい草花に遭遇した程度の興味しか示さなかったのだから、閉口するのも当然だろう。
『西に下る欠け月』には戻れないのは当然として、これから先、自分はどう身を振る舞うべきであろうか、そしてどこに向かって踏み出していくべきなのか、あるいは、そうなってしまうのかという新たな内心の葛藤と高揚にラシェットは揺れていた。
果たして、この異装に身をまとい異形の杖を構えた青年オーマに、そのことを見抜かれていたのかいなかったのか。
なんなんだよ、と数度、自分にだけ聞こえるように呟きながら、いっそヤケクソにも似た、いっそ無理矢理で清々しい気持ちで開き直るように、案内の続きを促すオーマを先導して行くのであった。
***
"新参者"に最初に説明すべき、最も大事な話は"野営地群"の"中心"についてである。
曲がりなりにも、有力者達の合意と表向きではあっても協調によって、ここでは一定の秩序が成立していたからだ。
関所街ナーレフからヘレンセル村に駆り出されてきた『西に下る欠け月』や、その商売敵である『霜露の薬売り』。被征服地である旧ワルセィレ地域の住民達への物資流通で大きな力を持っているマクハード商隊や、教父ナリッソ。
……そして、表立った動きは無いが、武装集団であり特に『関所街ナーレフ』から出たり入ったりする商隊を襲う反乱者集団『血と涙の団』。
「ふうん、そうか。思ったよりも"組織"の後ろ盾がある連中が入り込んできているんだな。で、その"組織"同士は互いに協調的である、と……それに『鉱脈』の話が広まるのが、若干、早いような気がするな」
などとラシェットの話を聞き流しながら、顎に手を当ててぶつぶつ呟いている"オーマ"と名乗った黒髪の青年。
一体どういう意味かラシェットにはよくわからない言動も多かったが――まるでその場にいない誰かと話しているようにも聞こえるが――少なくとも、この「絡みつくような杖」を構えた黒髪の青年は、事前に十分に入念な準備をしてここを訪れたのだ、ということは理解できていた。
案内されている側なのに、まるで"野営地群"のどこに何があるかを全て知っているかのように足取りに迷いが無かったのである。表情には自信と確信に満ちあふれており、まるでラシェットに教わるかのような態度でありながらも、その実、ただ単に何かを確認するような反応ばかりだったからだ。
開き直っていなければ、訝っているところである。
しかしこの時のラシェットは、どうにでもなれ、という気持ちが強かったため、そんな気持ちを放り出していたが。
――バイルがあっけなく伸された"噂"こそ、この短時間内に野営地群を駆け巡ったか。
オーマの"お供"である『ル・ベリ』と、フードを外さないため顔がわからないが『ソルファイド』という名の剣士が静かに周囲を威圧していることもあり、積極的に絡んでくるような"愚か者"はもういない。
禿頭のバイルは、『西に下る欠け月』の中でもその粗暴さで知られていたのだが。
叩きのめされる様子を遠巻きに視ていた者達からは、その後、あえて「秩序」を乱そうという輩は現れなかった。
……だというのに、そんな遠巻きの様子をつまらなさそうに、あるいは興味深そうに見返しつつ、ラシェットに確かめる体を取りながらも、オーマ一行の足取りは最初からこの"拠点"の中心地に向かっていた。
"即席酒場"や"即席礼拝所"などを含む区画であるが、そこが中心地とされているのは、最初に【人攫い教団】の信徒達が、そこに比較的丈夫な住居や倉庫などからなる設備群を設置していたからだ。
共同倉庫に共同寝所。相互利用のための簡易的な交易所に、寄り合いのための会合場所。診療所まで備わっているとなれば、そこは実質的には新しい"村"であり、下手をすると"街"の種ですらある。
「なるほどな、それでここまで急速に発展してるってわけか。『幽玄教団』も随分と資材を残していったってところか、綺麗に"再利用"されてるな。これだけよそから人が集まってきているだろうに、問題も少なく上手くいってるみたいだな?」
「猛獣、が襲撃してきやがるしな。柵のところまで来るのは滅多に無いけど……」
『鉱脈』の噂に惹かれて流れてきた者達は、基本的には自助自衛であるが――同じ欲望を抱く者同士が、安易な喧嘩や果たし合いを起こして他の者達にとっての目的の邪魔になることがないよう、最低限の秩序が敷かれたことは以下の理由による。
"外"か、はたまた元の拠点の『関所街ナーレフ』内であれば、『欠け月』と『薬売り』などは本来、顔を合わせればその場で刃傷沙汰の抗争が勃発するような宿敵に近い関係であった。
しかし、それでもこの大型野生獣達の襲撃では、それこそ"禁域"という言葉の本来の意味であるか、他所での遺恨の持ち込みも禁止されており、少なくとも堂々と喧嘩したり抗争し合うことについては控えられているのであった。
――少なくとも、見つかった『鉱脈』が広大であり、それぞれが自分自身の取り分を確保できているうちは、相手のものを分捕ろうとする必要性は少ないだろう。
むしろ、いざ大型野生獣の集団が攻め寄せてきた際には、生き残って稼ぎを持ち帰るために肩を並べて共に戦わなければならないのであるから。
「どうせ、お互いに囮だとか肉壁だとか思ってるだけだろうけどさ。それに……」
後ろ盾の無い"個人"レベルであれば、そうした稼ぎを持ち帰ろうとしている瞬間こそが最も危険なのであるから。
そういう作業に従事させられていたことや、事情は未だにわかっていないが、エリスのことを含めて、実際に"囮"とされたラシェットが怒りと消沈の相混ざる念で肩を落とす。
「それでも"裂け目"が『解禁』……まぁ実質黙認て奴か? されてるってのは、滅多に無い珍しい話なんだろ? 多少の犠牲が出たとしても、色々と調べたい奴らもいるんだろうなぁ」
正直なところ、ラシェットには"裂け目"がどういうものか、よくわかっていない。
魔獣が溢れる、溢れ出すとても恐ろしい場所であるとは、嫌というほど脅し半分に聞かされてきたものであるが――だが、きっとラシェットに限らず、この地でこのような稼業をしている者達の誰もが似たような認識なのではないか、とは思っていた。
そもそも、本来ならば"裂け目"が「破れ」た場合は【聖墓教】の"僧兵"達がやってきて、それこそ部外者は追い払われる……らしい。
だというのに、その【聖墓教】の村付きのナリッソとかいう名前の"教父"様が、この野営地群でわざわざ説教をしたり、荒くれ者どもと共に『柵』を作ったり、簡易酒場で腕っぷしの強い女団員達を口説いていたりしているのは語り草となっており――同時に、この地が、オーマの言う通り『禁を解かれた』のに近い状態になっている、という認識が広まっていたのである。
「俺は『鉱脈』には、連れてってもらえないからな」
「行きたいのか? 死ぬかもしれないだろ、そんな危ない場所」
「……金がいるんだ」
「なんだ、ここから離れた故郷で、母親が重病で苦しんでるのか? そいつはお気の毒だ、そしてお前は大層な【孝行息子】だなぁ」
「はぁぁあ!? なぁ、オーマさん!? あんた、本っ当に何なんだよ、俺そんなこと言ってない……言ってないよな……?」
「あははは。顔に全部書いてあるからなぁ」
一言でいえば、このオーマという青年は訳の分からない人物であった。
時折、まるで心の中を読み当てたかのようなことを言い出しつつ、しかし、まるで子供でも知っているような歴史のことや、この国の都市や村のことであるだとか、好きな食べ物を聞いてきたかと思えばまるで旅の詩人か苦悩する老人のように雲をつかむような物言いをする。
だが、答えるラシェットに対して、その"目線の高さ"だけは他の大人と異なり、変わらなかったということが印象的であった。ただ単に、知っていることをただで全部教えさせられたかのような、そんな利用されているという感じが一切無かったのだ。
――あっさりと叩きのめされてしまった、ラシェットにとっては支配と圧迫の象徴であった、禿頭のバイルという男。
下っ端同士競い合い、裏切り合うように仕向けられた、荒んだ日々が一瞬にして崩れ落ちてしまったのを感じていた。
もう『西に下る欠け月』には戻れない。
母のこともあるため、このままマクハードの元に駆け込もうとも思っていたところであったが――ふと、この不思議な青年に「連れて行ってくれ」と頼んでみたいという衝動に駆られた。
――そして、そんなラシェットの思いすらも見透かされていたかのように。
まるで最初からそこが目的地であったと言わんばかりに、オーマ一行が真っ直ぐ向かう目的地が見えてきた。
「ちょ、ちょっと待って、待てって、オーマさん! あそこは、まずいって!」
「なんでだ? どうした、そんなに慌てて焦って」
「あそこの連中はまずいって! 数日前に来たばかりなんだけど、胡散臭い連中だよ。だって――南の大陸帰りの"珍獣"売り、だなんて言ってるんだぜ? 素性が知れないのに――怪しいって、いくらオーマさんがすごい魔法使いでも」
「はははは! なんだ、それが"本音"だったのか、ラシェット。ははは、あいつらがっかりするだろうなぁ」
オーマ達が迷いない足取りで向かっているのは、何を隠そう、あの"珍獣売り"の二人組であるゼイモントとメルドットに割り当てられた"小屋"だったからだ。
中心部からはやや外れているのは、雪深いにも関わらず、その周囲に獣臭いにおいが微かに漏れ出ているからである――ラシェットが集めた情報によれば、何でも彼らは『次兄国』のさらに南方、『ネレデ内海』という海域を越えた先にある【砕けた大陸】から帰ってきたという商人であるという。
何でも、その"魔境"と言っていい土地から――訳の分からない"裂け目"のような場所に巻き込まれて、気づいたら積み荷ごと、ここヘレンセル村外れの森の奥に飛ばされていた、というあんまりにもあんまりな眉唾話であったのだ。
ただし、実際にこの地では見れない非常に珍しい野生獣や、魔獣の類の素材を売り歩いてここまで来た、というのはあのマクハードも眉を顰めながらも認めている事実。
牙と毛の長い巨獣達が引く「檻」の中に積まれた「珍しい生物」の数々を見て、あれよあれよという間に、当の"寄り合い"の一員に加える話が持ち上がっていた。
"簡易診療所"で彼らと直接話す機会があったのだが、それもミシュレンドの乱入によって有耶無耶になってしまった。それでも、"薬売り"のヴィアッドと共に助け舟を出してくれたのは事実。
そしてもうこれだけ時間が経っているため、きっとゼイモントとメルドットは簡易診療所からここまで戻ってきているに違いない。
確かに彼らは自分とエリスを……おそらくはその"珍獣狩り"の手管か何かで助けてくれたのかもしれないが、だが、逆にそれだけの実力がある「怪しい」連中と、そして露骨に「怪しい」実力を備えたオーマ一行とが遭遇して――厄介な事にでもこれ以上なったら、自分は、もうどうしていいかわからなくなる。
そんな焦燥に囚われての言葉であった。
しかしオーマは意に介さず、むしろラシェットを引きずるように小屋の中へ入っていく。
そして――。
「おお、お待ちしていましたぞ『旦那様』!」
「オーマ様! 我ら、"先触れ"としての任務、果たしてございます! ……おやおやぁ?」
「そこにいるのはラシェット少年じゃあないか! また会ったなぁ、はっはっはっは!」
「悪いね、私も邪魔させてもらってるよ。なんだい、想像以上に若い男じゃないか、あんたらの"旦那様"てのは」
拱手する2名と、そして何故かそこにいる"薬売り"ヴィアッドを見て、机上に置かれたカップなどからつい先程まで彼らが談笑していたであろう様子が目に浮かぶ。
だが、そんな余韻などどこへやら。中へ中へ、上座へ上座へ、とお供2名と合わせた4名が猛然と"旦那様"に促していくちょっとしたドタバタにもみくちゃにされながら、ラシェットはただ、ぽかんと口を開けていることしかできないのであった。
※本話は再構築に伴い、話順が入れ替わりました。上書きによる入れ替えしかできないため、過去にいただいた感想と話の内容が噛み合っていませんこと、ご了承下さい。
読んでいただき、ありがとうございます。
また、いつも誤字報告をいただき、ありがとうございます。
気に入っていただけましたらば、感想・ブクマ・いいね・勝手にランキングの投票や下の★評価などしていただけるとモチベーションに繋がります。
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また、次回もどうぞお楽しみください。





