0127 閾値を越えるは人もまた世界も
1/3 …… 魔法陣と裂け目と魔石鉱山の活用に関して大幅に加筆改稿
7/8 …… 2章の改稿・再構築完了
ちょっと覗き見をするのではなく、本格的な意味で【人世】に"長期滞在"を今後していくにあたり、俺には決断しなければならない問題が1つ存在していた。
本来、"裂け目"の近くに居を構えていなければならない迷宮領主の"遠出問題"である。
そもそも迷宮核とは『世界の罅』――"異界の裂け目"という通称の方が良く知られ使われているが【闇世】Wikiではこちらの名称で載っていることが多い――を通して、【人世】から【闇世】に流れ込む莫大な魔素や命素といった力を【闇世】の構成要素に転換する役割を負った装置である。
あくまでも、それが大元の迷宮核の存在意義であって、迷宮領主などというのは、この「転換」の際に生み出される巨大なエネルギーの"おこぼれ"を超常の力の源とすることができるに過ぎない。
この意味で、"裂け目"を守護する迷宮を構築することが、俺を含めた迷宮領主達の責務であるのが【闇世】の掟である。
もしこうした義務を破って迷宮領主が【人世】側に遠出する、つまり迷宮核が迷宮の【領域】から離れるほど、迷宮経済的な意味での魔素と命素の収入は急速に枯渇していく仕組みとなっている。
なお、"裂け目"を挟んで地道に検証を重ねてきた結果、この「迷宮核が迷宮の【領域】から離れるほど」というルールは、【人世】であろうが【闇世】であろうが変わらない、ということが明らかとなっていた。
両界における【領域】は別個に計算されており、迷宮経済も別個に魔素と命素が収入・消費されるのである。
「早い話が、オーマ様を一種の力の供給源とした一定の範囲内でしか、迷宮は本来の力を発揮できない、というわけですか」
「あと、正確に言うなら【闇世】側じゃ"裂け目"の位置も大事なんだがな」
【人世】側に関しては、話は非常にわかりやすい。
なにせ周囲360度全てが【人世】産の魔素と命素であるため、迷宮核がフル稼働である限りは、言うなれば俺自身が【闇世】用の魔素・命素を常時転換し供給する"パワースポット"と化して働くことができる。
俺を中心に約3~4kmの範囲にある【領域】に転換された魔素と命素が遍く行き渡って「収入」となり、その範囲で眷属達が維持のために「消費」する。
一方で【闇世】側では、"裂け目"から【人世】産の魔素・命素が流れ込んでくるが、当然のこととして"裂け目"から近い場所ほどその濃度は高く、離れた場所であればあるほどその濃度は薄い。
つまり、【闇世】側の迷宮経済に関しては、迷宮領主本人ではなく"裂け目"を中心とした同心円状の空間に【領域】を設定するのが最も"経済効率"が良い。ただし、それは転換器である迷宮核が――濃度の関係もあるが1~2km内にある場合だ。
実際に転換された魔素と命素が、青と白の仄光という形で「収入」に計上されたり、その内部にいる眷属達によって「消費」される範囲自体は、少なくとも『副伯』たるこの俺が【領域定義】技能MAXで半径約10~15kmの範囲ではあったが。
「ちょうど『最果ての島』がすっぽり収まりますな。やはり、御方様は選ばれし深き智慧と悟りの御方ということ……」
「本当によくできていますね。オーマ様の"推理"が正しいというのなら、つまり、それもまた迷宮領主の行動を制限して、誘導するための――邪神達、ええと『九大神』の思惑ということ、なのですよね?」
「【人世】で後先考えずに爆進していったら【闇世】側の本拠地があっという間に干上がるな? そして【闇世】側でだって、"裂け目"を無視して気ままに遠くまで旅をするのも簡単じゃあない。有効距離は【人世】よりも大分遠くまで届くという意味ではマシだが……」
「待ってくれ、主殿。結局、それでは迷宮領主は本拠地から遠くへは離れられない、ということではないのか? 【人体使い】や、奴と戦っていた【樹木使い】に【蟲使い】などは、そうではなかったと俺は記憶しているが」
【異星窟】の従徒となる以前にも、他の迷宮領主達を実際に見聞きどころか斬り合った経験のある【武芸指南役】ソルファイドが声を上げる。
だが、ソルファイドがまさに今指摘したことこそが、今回俺が方針を決めなければならない問題である。
俺は人差し指から順番に1本ずつ、計4本の指を従徒達全員に上げて見せた。
迷宮領主達は、がんじがらめに縛られているわけではない。
いくつか、この迷宮核を体内に有することによる移動制限を緩和する方策が、副伯への昇格時に爵位的な意味で解禁されたものを含めれば、今俺が把握できる限りでは計4種類存在している。
「第1には、偉大なる"先輩達"が『助言』してくれた【不活性化】だな。【人世】側でも、対"魔界"の最前線を独占する『末子国』による処置のことを【不活性化】と同じ語を使っているのは興味深いところだ」
『不活性化』とは、簡単に言えば、迷宮領主自身が意識を集中させ――俺の場合は迷宮核のいつものシステム通知音にその意志を伝えれば良いだろう――迷宮核を閉じることを祈念すれば、それだけで足る。
その瞬間、迷宮核は休眠状態に入り、魔素と命素の転換機能もまた、即座に停止することとなる。
当然の帰結として全ての魔素・命素の「収入」はゼロとなるため、準備無しでやれば迷宮経済は崩壊必至。
準備有りだったとしても、そもそも魔素と命素の供給が完全に止まる以上、魔石やら命石やらあるいはその迷宮の独自の法則による「予備電源」のようなものが無ければ、迷宮を捨てる行為にほぼ等しい。よほどの決意か、無知がもたらす破局的な愚かさを以ってしか、得ることのできない行動の"自由"のようなものと言える。
メリットは、決意さえすれば、一番手間もフットワークも軽いというところか。
そして少なくとも「持ち逃げ」として、即有罪とされずには済む。
――ただし「即」とはならないだけに過ぎず、この【不活性化】には結局後で有罪となりうる強烈な落とし穴が存在している。
「迷宮システムが受け取っている魔素と命素は、あくまでも"おこぼれ"だ。本来、迷宮核は【闇世】を維持するための存在――それを長期間、借りているだけに過ぎない迷宮領主が【不活性化】させることは、下手をすれば【闇世】全体への裏切り行為になりかねん」
そして裏切りか否かを判定する者は、当然だが「持ち逃げ」時と同じく、【黒き神】の最高司祭たる"界巫"なのである。
つまり、フェネスの上司だ。
「なるほど、確かにあの醜男に御方様の生殺与奪を与えるわけにはいきませんな」
「本当に単なる一時しのぎでしかないからな、【不活性化】は。そのまま"持ち逃げ"すりゃ当然討伐対象だし、この世界に来た当初の俺だとか、まだ迷宮自体が育っていない迷宮領主みたいな【闇世】Wikiを十分に読んでいない場合だと、それすらわからない。逆に言えば――わかっててやるってことは、本来は【闇世】に流すべき魔素と命素まで、自分の都合で塞いでしまうから罪が重くなる構図だ。採用できん」
そこで、第2の方策『転換能力の一時的な"移譲"』が出てくる。
【不活性化】に非常に近いが別物の処置として、あらゆる迷宮領主は自分自身の迷宮核の転換能力を、契約と誓約に基づいて、一時的に他の迷宮領主に移すことができるのである。
こうすると、移した側は、その契約で定められた条件内では【不活性化】と変わらない状態となり、自身の周囲の【領域】も枯渇対策が必須であることも変わらないが、しかし、移された側に関しては【人世】から吸入した魔素と命素の変換量がその分だけ増えるのである。
つまり【闇世】全体としては【人世】から取り込む魔素と命素の総量は維持されている。
この場合であれば、【闇世】への"裏切り"認定され、界巫から追討令が出るような可能性はまず無いと言って良い――【闇世】Wikiにもこう書かれているんだから、これがきっとオーソドックスなやり方だろう。
ただし。
――ある"裂け目"を通って、その"裂け目"を担当する迷宮核によって転換される魔素と命素の「おこぼれ」が迷宮領主の力の源ならば。
当然であるが、その迷宮核の処理能力が2倍になるということは――「おこぼれ」もまた2倍になるということだ。
「……なるほど、【人体使い】が【樹木使い】の借款がどうとか言っていたが、そういうことだったわけか。ややこしいことを考えるものだな、神も、人族も」
「いや、ソルファイドさん。竜人だって大概だと思いますけど……あの"狼憑き"が言ってた『集尾翼散会』、本当の本当に知らなかったんですね? あの"黄金狂い"どもを」
≪本当に、我が君の【武芸指南役】さんは、一体、どんな辺境に隠れ住んでいた竜人さんだったのでしょうね≫
――ルクとミシェールの知識より。
【西方諸族連合】とかいう、吸血種もいれば巨人も森人も丘の民も存在している地域には、なんと竜人も存在していた。
だが、他の種族と異なり国や集落を作ることなく――ソルファイドの出身である【ウヴルスの里】とすら異なり――『竜人傭兵団』として知られる、複数の「傭兵集団」としてバラバラに、別々に流浪し、それぞれの"結成目的"に沿った活動しているらしかった。
対『長女国』の【懲罰戦争】で出張ってくることもあれば、【西方諸族連合】同士の争いでも、頻繁に敵味方に分かれて血なまぐさく争いあっている、というのが【四兄弟国】での一般的な竜人観とのこと。
リュグルソゥム兄妹はリュグルソゥム兄妹で、ソルファイドもそんな感じの血なまぐさい性格だという先入観から警戒していたようであったが――それも大分、馴染んできた様子であるか。
話を第2の方策たる「転換能力の移譲」に移そう。
これは【不活性化】のデメリットが大きすぎるために、代わりに【闇世】に負担を与えない形で迷宮領主達に与えられた選択肢である。だが、実際のところ、【樹木使い】が【幻獣使い】に多大な"借り"を作ってしまったように、この「公認」された手法は現代の【闇世】においては、主に上級の迷宮領主から下級の迷宮領主に対する「借金」の構図そのものとなっているように見受けられる。
……例えば、ひょんなことから迷宮領主になってしまった新米の最序盤。勝手もわからないうちから、その出現を察知した他の多くの同業者から狙われる中で――どこからともなく実力者が"手助け"を申し出てくる。
いくばくかのまとまった魔素と命素を「貸してくれる」のだという。
新米としても、手っ取り早く生き延びるための戦力を整えるために、その心優しい「申し出」を受けることだろうよ。
――だが、時は流れて利子が膨らんだ後のこと。
それを"取り立て"られる期限が訪れた際に、手持ちの蓄えで支払えなければ、不利な契約条件で強制的な"移譲"をさせられるのである。
俺の元の世界でだって、19~20世紀、欧米列強がアジア各地の港湾都市で「租借100年」とかやっていたが、きっとそれよりもえげつない、奴隷のような「契約」が結ばれていたっておかしくはない。寿命数百年という迷宮領主の時間感覚なのだから。
そしてそうなれば、当然、自分自身の迷宮は破産である。
命を渡して迷宮核を奪われるか、身売りしてまるで奴隷のように従属爵と化して馬車馬のように働かされて使い潰されるかのどちらか、または両方だろう。
(リッケルめ。そんな瀬戸際にいたのか、あいつは……この俺と遭遇しなければ、それなりに勝算のある賭けだった、てことだろうかな)
――本当にたまたま、この『最果ての島』という、ある意味では【闇世】で最後の未踏地とでも言える場所で、片や「借金」をして戦力を整えざるを得なかったリッケルに互するまでに、この俺が【報いを揺藍する異星窟】を「ぬくぬく」と育て迷宮経済を整えて戦力を揃えることができたのは、まさに僥倖としか言いようが無いのだろう。そうだろう?
大体、界巫は迷宮核の出現と消滅を託宣されるのである。
ほとんどの迷宮領主達は、出現した瞬間に、どこぞの勢力に吸収されて傘下につけられるのがオチだろう。
そしてそれは俺も、ここで立ち振舞を過てば、遅かれ早かれそうなってしまう。
――俺自身の"探しもの"を探す時間が失われていくわけだ。
なんとしても、そのような無駄な時間は、避けなければならない。
「実際のところ、他へ"移譲"できるっていうんなら、従属爵を作ってそいつに留守の間に"移譲"しておいて管理を任せるのが一番だろうな。フェネスの野郎が、あんなにもあちこち飛び回っているのは、そうしているからなのかどうなのか。郷爵だか副伯だかが手下にいてもおかしくはない」
「裏切られないという前提があれば、きっと有効ですね。少なくとも"契約"で追い込んで破滅させて無理矢理従えた部下には、私だったら渡せません」
「まぁいずれにしろ、迷宮核を1つしか持っていない今の俺には縁の無い話ではあるがな――そして、リッケルの話が出たわけだが、あいつがやっていたのが"3つ目"の方法だ」
かつて最果ての島に襲来した【樹木使い】リッケルは、生身でやってきたわけではなかったのだ。
己の迷宮領主としての権能と、それを生み出した彼自身の"認識"によって引き起こされた【樹木使い】としての特異な超常により――彼は、本体を大陸の自分の本拠地で眠らせた状態でありながら、そのために特別に研究してきて進化させたのであろう特別な眷属の身体に、自身の意識を宿らせた。
そしてそれを己の分身体のように操ったのである。
この場合、当然本体に宿る迷宮核は"裂け目"の近傍に待機させたままでいられる。後は、分身体の性能次第で活躍の幅が決まることだろう。
「同じことが他の迷宮領主にもできない、とは考えるべきではない、ということですな? 御方様」
「リッケルだけが特殊だった、と油断するよりはずっとマシだ。それが俺の性分なんでな……」
――これもまた、今すぐにできる"解決策"ではない。
だが、先に上げた2つの方策と、そしてこの後で述べる4つ目の方策のどれと比べても、もっともデメリットが少ない"解決策"ではあったのだ。
問題点は1つだけ。
リッケルのような意識転移を本当の本気で実行するつもりならば、俺は、さらに「もう一段階」人間をやめなければならなくなるだろう。
「以上、3つとも今すぐにできることじゃない。そこで俺は、俺自身の"目的"と現在の諸条件にか鑑みて――当面は4つ目の方策を主軸に据えることにする」
第4の方策とは、迷宮領主に基本的な権能として――爵位権限による制約はあれど――与えられている『"裂け目"移動"』の能力である。
そもそも、"裂け目"から迷宮領主が離れてしまうために、せっかく【闇世】に流れ込んだ魔素・命素が迷宮核によって転換されないという事態が生じるのであるから、離れないようにすればいい。
どうしても迷宮領主本人が【人世】で奥地まで移動する必要があるのであれば、同様に"裂け目"ごと移動すればよい、という発想である。
「多分だが、いと高きに坐す神々サマが"誘導"しようとしているのも、本来はこれだろう。単身か少数精鋭でずかどかと【人世】に入り込んでいくんじゃなく――わずか数十センチ動かすにも莫大な俺自身の体内の魔素と命素と、あと体力を使う"裂け目"移動で、きっちり、拠点ごと【人世】へはじっくりと浸透、侵攻するのじゃなきゃ意味がない、てことなんだろうよ」
「なるほど、数メートル、数十メートル単位で移動させたいのであれば、相応の"経済力"をつけてからにしろ……という意図とも読み取れますね」
「しかし、主殿。まさにその【人世】での移動の遅さが、問題になっていたのではなかったか? 主殿の"目標"は、随分と遠くまで行かねばならないかもしれないが……それだと時間がかかるどころではないのではないか?」
ソルファイドの指摘、ごもっともである。
現状の手立てでは1日わずか数十センチしか移動できないのでは、なるほど、ヒュド吉が指し示した方角とそこに座しているであろう【泉の貴婦人】なる存在への接触はおろか、道中の『関所街ナーレフ』にだって、届くのに年単位となることは必至だろう。
だが――あるではないか。
諸神が意図したものとは違うかもしれないが、しかし、それでも"移動"には違いないバグのような挙動が。
そんな俺の考えていることを汲み取ったのだろう。
ル・ベリが、早速我が意を得たりとばかりソルファイドに勝ち誇る。
「赤頭よ、まさかお前、その無駄に熱苦しい"吐息"で焼き捨てた"狼憑き"とそもそもどうやって戦うことになったのか、忘れてしまったのか?」
「あれは不安定で乱発も乱用もできない、ということだったのではないのか? ――いや、そうか。成功したわけだな? ル・ベリよ」
果たして。
【騙し絵】家の"走狗"であり、リュグルソゥム兄妹を追ったばかりに俺の【人世】での最初の本格的な"糧"となった【幽玄教団】『ハンベルス鉱山支部』の墨法師及び見習い達は――その全身から剥がれ、酸で焼けただれた入れ墨入りの人皮の断片を丁寧に拾い集められ。
捕虜である、なぜか迷宮に来てからやたらと少年のように目をキラキラさせた2人の老墨法師からも、あれこれ"尋問"によって情報が引き出され。
"元"が付くとはいえ、魔導の探究に命を懸ける存在でもある『頭顱侯』家の一員にして、しかもその【皆哲】と称される"秘匿技術"的に、研究速度だとか検証精度だとかに多大なボーナスでも入っていそうなリュグルソゥム家の兄妹の手によって。
遂に人皮魔法陣の『魔法陣』としての"仕組み"が解析完了と相成ったのである。
既にその"利用"に関しては【イセンネッシャの画層捲り】を廉価的に実行することができていたが、これは人皮魔法陣を直接消耗してしまうものである。数が限られる上に、【騙し絵】式【空間】魔法を起動させるために【領域】の力を注ぎ込まねばならないことから摩耗してしまい、その"国産化"が急務となっていたところ――小醜鬼どもを活用した『応用実験』が完遂。
廉価版のそのまたさらに"粗悪品"である、とルクに評されるものの、しかし、しかし、それでも【騙し絵】家が【幽玄教団】の墨法師達に刻んでいる魔法陣を模したる、名付けて『ゴブ皮魔法陣』が完成に至ったのであった。
なお、ル・ベリと共に嫌というほど小醜鬼の身体構造を分析し尽くす羽目となったルクが、ゲロマズ以下の料理でも食わされたかのような青い顔をして曰く。
この生物達って魔法適性的に何故だかものすごく私達人族にすごく近い気がするっていうか近いんですけどオーマ様何か知ってますよねいや知らなくても知ってるんですよねいややっぱ私は知りたくないので何も言わないでください――とかなんとか。
「ふん、御方様に低次元な問いばかり食らわせる貴様の如き赤頭に褒められるほどのことでもない。御方様のために【人世】の技術とも力を合わせる……これは、なかなか、貴重で面白い経験だったがな」
≪ふふふ、ル・ベリさん魔法の飲み込み早かったですからね……もう、ルク兄様、しゃんとしてください。我が君の御前ですよ? いくら、兄様も別の意味で貴重な経験したからといって――別に人間が相手だろうが、人間もどきが相手だろうが、同じですよ≫
「いや、あのな、ミシェール。そうじゃなくてル・ベリさんの、うん、"手際"がちょっとさははは」
そこで、成果を称え合う従徒達の傍ら、我が迷宮で唯一、この俺に依存しない"転移能力"持ちである"名付き"のベータが、荷車いっぱいの詰められた『ゴブ皮魔法陣』を【虚空渡り】によって運んでくる。
ちょうど100枚、つまり100匹分であった。
それもル・ベリによって、当初は『属性適応』系の因子の解析に役立てるためとして量産を成功させていた小鬼術士としての適性を有した個体のものを、である。
地味に、グウィースが採取してきたらしい植物性の油分によってなめされ血なまぐささが軽減されるように加工されているところにル・ベリの俺への配慮とこだわりを感じるが。
なお、元々墨法師達の身体に描かれてた魔法陣を小醜鬼達の身体に刻み込むにあたり、ルク曰く「酷く複雑化して煩雑化して冗長化」させねばならなかったらしい。
人間の身体よりも小さく小柄な小醜鬼の体躯で「同じ効果」を発揮させるためには仕方のないことであるとも言えたが――さながら耳なし芳一の耳までお経を書いた版、とでも言うべき具合にびっしりとその全身に隙間なくフォントサイズを最小にでもして強引に詰め込むかのような勢いで、細かな図形やら呪文がこれでもかというほど書き込まれている、そんな100枚が用立てられたのであった。
要するに、ゴブ皮をその"肉体"から剥ぎ取る際には一欠片も無駄にできる皮膚は存在しない。文字通り、顔面の鼻や唇の周りから足の指先までの皮膚をも、損なうことなく刃で削ぎ落としていくのは、ル・ベリの手先の、いや、【触手】捌きの器用さとも言うべきか。
「……分析していてわかったんですけど、この魔法陣、そもそも人間の体に描くことを前提とした構成になっていたんです。それこそ、ある術式は心臓の直上に描くだとか、また別の象形図式は延髄の所に描くだとか――それをこの"人もどき"達の体皮上で再現するのが一番苦労した点ですかね。正直、イセンネッシャ家の連中がどうしてそんな無駄なことをしたのか、よくわからないんですけど、まぁ使えれば今はいいかなと。あと、それで、」
≪肝心の"座標指定"については、瞳や脳に対して、おそらくですけど【崩壊】属性によって焼き付ける形で指定されていました。簡単に言うと、術者自身の"記憶"に紐づいている――ということです。断片を寄せ集めたものでは意味がないですし、この「ゴブ皮」にも、その部分だけは転写できません。つまり、≫
「早い話が、この"人もどき"達が直接目で見て記憶した場所だけが、この『魔法陣』の【転移】術式の"座標"に指定できるということです。その条件さえクリアできれば、オーマ様の迷宮の"裂け目"を、ヘレンセル村からナーレフでも、それこそ王都ブロン=エーベルハイスにでも『上書き』させられます」
――現在の"裂け目"の位置から上書きさせる距離に応じた魔素と『ゴブ皮』の消費がかなり高くつくが、というのがルクとミシェールからの注意事項。
簡単な検証と、それに基づいた『止まり木』での検討の結果、リュグルソゥム家が出した結論が「冗長化」による増幅術式込みの力技での解決であった。
いかに小醜鬼が人間種に近い存在であっても、墨法師に対して3分割する形で分けていた【イセンネッシャの画層捲り(廉価版)】をゴブ皮で再現しようとした場合、廉価化に廉価化を重ねて"粗悪化"するという意味がここにあったというわけである。
極小フォントで執念深く書き込みまくった術式のほとんどはその粗悪性を打ち消すための増幅術式であるとのことであり、今後の改良は鋭意検討するとのことであるが……とりあえず使えるのならば文句は言うまい。
迷宮領主たるこの俺自身が【人世】である程度移動をしつつ――その近傍に"裂け目"そのものを持ってくることができるのである。"裂け目接ぎ木"を発動する際に、ゴブ皮によって代替することで。
たとえそれが上書きによる「一時的」なものであっても、【闇世】に向けた魔素と命素の転換器機能が果たされており、つまり第4の方策が実行されていると強弁することができるのであるから。
こうした当面の【人世】における遠出の自由を確保するだけではない。
接ぎ木と【画層捲り】と貼り直しを、ある程度自由に行えるようになったことで――理論上、【騙し絵】家に対して必殺となる「とある罠」を実行可能となったのである。
そして、その実現可能性について、必要な検証を行うべく、俺は【闇世】側にも『偽魔石鉱山』を製作するようエイリアン達に命じていた。
なお、その現場監督はモノである。
≪あはははは! ルクさんミシェールさん大好き、こんな素敵な罠さんを思いつくなんて、あははは≫
そして現時点では、ひとまず何度か"裂け目接ぎ木"と【画層捲り】を発動してしばらく維持できる程度のゴブ皮として、潰すことのできる余剰小鬼術士を全部潰して用立てたのが、この100枚というわけであった。
ル・ベリの計画では、今後、緊急時用の拡充としてさらに追加で60枚を急ぎ生産中であるとのこと。
なお、接ぎ木にせよ【画層捲り】にせよ、1回に要する『ゴブ皮』の量は軽く十数倍となっている。どうも冗長化のための増幅術式自体が距離による減衰を強く受けるようであり、上書きするかまたは繋ごうとする距離が遠いほど、起動のために必要なゴブ皮の量が増えてしまうことが避けられなかったらしい。
その意味では、完全解析はできても完全再現にはまだまだ課題がある、といった具合であるか。
ただし、この技術の活用に当たっては気をつけなければならない点がある。
まず、『人皮』の時にも考慮したことではあるが、それは"裂け目接ぎ木"は【人世】側での【領域】の完全なリセットを前提としている。
一時的なものであり、発動した以上は必ずそれが解けて元の位置に"裂け目"が戻る……という意味では最低でも2回は【領域】のリセットが起きることを考えると、本格的な拠点の構築後に軽々に使用できるものではない。最低でも【闇世】側の生産によって【人世】側での迷宮経済が成り立つ程度のバランスに調整する必要がある代物。
だからこそ『ハンベルス鉱山支部』への襲撃時には、【人世】側で構築していた"拠点"の【領域】は先んじて解除していた。
その他にも、臓漿経由で【闇世】側から持ち込んだ「魔石や命石」を届けさせるなど。だが、そもそもこの「魔石や命石」の消費自体を少しでも減らすべく、【人世】に回した走狗蟲達には"狩り"をさせて野生動物を狩らせ命素を補わせている。
あるいは【人世】では現状は"監視"や"情報収集"がメインとなることから、超覚腫や隠身蛇といった面々は技能【矮小化】を適用した省エネタイプに替えていく――などの工夫は今も行っているところであった。
次に、【画層捲り】が【騙し絵】式【空間】魔法である以上、【領域定義】と同時に使うことに転移事故のリスクがあることを見逃すことはできない。
現状の『魔石鉱山』に飛ばす程度の規模であれば、まだ大きな問題は起きていないが……逆に言えば、【人世】側の【領域】を今の規模に留め続けなければ、"ゴブ皮魔法陣による転移"が利用不可能であるということでもある。
このように、他の多くの迷宮領主と同様に、俺もまた迷宮から眷属を派遣して情報収集したり戦わせたりするというスタイルを取っている以上、"拠点"の構築とそれを成す迷宮法則の通った【領域】の確立は【人世】においても中長期的に重要であり、上述の【空間】魔法を利用する技術は相性が悪いのである。
「だが、短期的に言えば――この技術を使い倒すなら今だ、とも言えるがな」
少なくとも今はまだ、本格的な【人世】拠点を定めたり、それを完全に定着させるという意味で【領域】化させる段階ではない。
あくまでも俺の目的は【人世】と、そして"探しもの"についての情報収集であり、まず『ヘレンセル村』へ、次に『関所街ナーレフ』へ赴き、簡易的な拠点を形成しつつ可能ならば地元勢力と折り合いながら穏便に突破しながら。
『ゴブ皮』を数百枚でも使い切り、場合によっては【人攫い教団】から『人皮』を新たに"獲得"しつつ、迷宮の力で再現した【画層捲り】と"裂け目接ぎ木"による【転移】を駆使して【泉の貴婦人】の元へと辿り着くルートを構築していけばそれで十分。
そういう判断であった。
【騙し絵】家に対する"仕掛け"のコントロールを誤り、『長女国』全体と敵対するであるだとか、そういった事態になった際に速やかに【闇世】に撤収できるように、今の「規模感」を維持しておきたいという計算もあったが。
「問題は、もっと遠くに、もっと高頻度で各地を行き来しなければならなくなった時のことだ。この件が無くたって、俺はもうフェネスやロッシィちゃん、そしてテルミト伯達にもう大見得切った後だからな、【人世】での活動範囲は広く広くなっていくし、していかないといけないからな」
後先考えずに【人世】で一大【エイリアン】拠点を構築して、露見後に討伐の連合軍でも組まれて激しく争う道を選ぶ、ということは避けなければならない。
そもそも、そうなる以前に、もろもろのデメリットをその軽減策の検討を含めて飲み込んで、まず情報収集に務めてから、露見を可能な限り遅らせる形での"溶け込んだ"拠点構築を行うしかないのである。
そういう目論見も合わせて、俺は"第4"の方法たる『"裂け目"移動』の更なる効率化と洗練を検討・研究していく肚を決めている。
当面は、【領域】を本格的に形成しなくて良い今のタイミングだからこそ利用可能な、『ゴブ皮』による【転移】魔法に頼りつつ――時間を稼ぐのだ。少なくとも、俺にとっての「次」を大きく左右しうる情報を【泉の貴婦人】から得るまでは、それでゴリ押す。
さらに先の方向性を決めるのは、その後でも遅くは無いだろうと思われた。
「ええと、つまりオーマ様には、時間さえ稼げれば根本から解決する腹案がお有りだ、ということですね?」
「そういうことだ。大体【闇世】で活用するならともかく、【人世】で【転移】術式に今後も頼り切って多用しているようじゃ【騙し絵】家との戦いが激しくなった際に危険だろ。"転移事故"はあちらだって認識している。認識しているということは、やろうと思えば利用できるということなんだからな」
無論、【騙し絵】家を打倒すればその危険は無くなる。
その際に『ゴブ皮』による【転移】魔法の活用をさらに安全かつリーズナブルなものへと研究開発していく線もあるが――俺が考えている根本解決は、それとは、少々違うものであった。
「要は"裂け目"と、その周囲の【領域】がズレることが問題なんだろう? だったら――【領域】ごと"裂け目"を動かすことがもしできるとしたら、リセットなんて起きようがないよな?」
「おお、御方様――それは、つまり……!」
元々、"裂け目"を移動させられると知った時に抱いた、とある1つの大きな『腹案』が俺にはあったのだ。まだまだピースが必要であるが――その一つとしてならば、【騙し絵】式【空間】属性魔法は、『母船計画』と組み合わせることができる可能性が、ある。
そしてそれだけではない。
【人世】と【闇世】における――迷宮核を体内に融合した迷宮領主による"裂け目"からの遠出問題に対して、俺は複合的なアプローチを取る肚もまた決めていた。
アイディアの核となるのは、かつての強敵だった【樹木使い】リッケルが実行した「第3の方策」である。
もっと、明示的に示唆しよう。
最低でも【幽玄教団】と、そして【騙し絵】のイセンネッシャ家との争いが激しくなっていく。
加えて、【人世】で活動していく以上は、協力関係を結ぶことができる存在と同様に敵対することになる存在も現れ、増えていくことだろう。
――それらを迷宮の敵として打倒していき、そして得た『技能点』を、俺は俺自身の『半ルフェア』としての種族技能である【異形】に振っていくことにより、【エイリアン使い】の力による"第3の方策"を成す。
つまり俺は、「もう一段階」人間をやめる。
このようにして第4と第3を同時に進めるということこそが、俺が構想する"遠出問題"への根本解決策であった。
※本話は再構築に伴い、話順が入れ替わりました。上書きによる入れ替えしかできないため、過去にいただいた感想と話の内容が噛み合っていませんこと、ご了承下さい。





