0115 ハンベルス鉱山支部攻略戦(1)
12/30 …… 【空間】魔法と"裂け目"に関する描写について加筆修正
7/8 …… 2章の改稿・再構築完了
ヘレンセル村に現れて新たな拠点を立ち上げ、そこから俺の迷宮に侵入を試みた【人攫い教団】の信徒達からは、最終的に8枚もの「人皮 魔法陣」を得ることができた。これらは、ジェミニとヤヌスと成った"墨法師"や、その弟子たる見習い達から回収したものである。
誘引と迎撃、そして殲滅戦の後に、おもむろにミシェールがルクを代胎嚢に連れ帰って行く――何故か代胎嚢が彼女と高度な連携を発揮して青年を物理的に捕らえた気がしたが。
そんなルクの引き摺り込まれる間際、いや、今際の眷属心話による指示に従い、副脳蟲達が「準備」を進めていく。
魔石を砕いて粉末とし、魔力を込めた水で溶いたものを用意して、さらにそれを臓漿と混合させたものを用意。ちょうど白線を校庭に引いていくかの如く、【闇世】と【人世】の両方の"裂け目"の周囲を囲むようにして――"魔法陣"を描くというものであった。
この【闇世】の迷宮領主の権能と【人世】の『魔導学』の知識の間の子たる魔法陣の目的は2つ。人皮魔法陣が、その回収時にズタズタに寸断されてしまった回路を、俺の【魔素操作】を通すことで半ば無理矢理に"繋ぎ直す"こと、そしてそれだけでなく、その術式自体を延伸させ、拡張させるというものであった。
リュグルソゥム兄妹曰く。
迷宮領主が行使する【魔素操作】は、『長女国』の魔法使いの目線から見れば、ただ単に「属性なし」の魔力を垂れ流し空回りさせているとしか思えなかった、とのこと。
しかし『諸神によって定められた"属性"を通してこそ、魔法は発動される』という先入観から離れて、仔細に魔力の流れを観察するや――そこに、一定の法則性と規則性が感じ取れたとのこと。
≪例えば、雪の結晶や、川の流れのよどみのようなものです。一つ一つは微妙に違っています、が、≫
≪私達に"雪の結晶"だ、と。"川のよどみ"だ、と。そう認識される概念自体は、確かにある。その概念の中では、結晶ごとの氷の粒の伸び方だとか、よどみの1つ1つの微妙な渦の高さの違いなどというのは、誤差でしかない≫
「なるほど、別の喩えをすれば、人間ごとに血管の伸び方や網目の張り方は異なる。そして樹木ごとにだって、枝だとか根だとかの伸ばし方は、確かに個体ごとには異なっているな?」
よりマクロな視点で見れば、生物には血管というものが存在して、植物には根を先端とした維管束が存在するという意味での――「秩序」があるのである。
……リュグルソゥム兄妹は、そういう捉え方に落ち着いたようだった。
そもそも「魔法学」では必ずしも解明・解釈しきれていない"魔法類似現象"もまた様々に存在している。例えば『神威』や『呪詛』、学説によっては『武技』なども含まれるが――むしろこうした魔法学外の力を駆使するに至った存在が頭顱侯の地位を得ている、という実情は、なるほどリュグルソゥム家の言う通り「矛盾」とも思える。
だが、リュグルソゥム家もまた元頭顱侯であり、何より彼らの有り様とは、実践と実戦の中で鍛造された「生きた魔法字引」そのもの……そんな彼らをして、迷宮領主の基本能力であるところの【魔素操作】は、もはや『魔法学』とその他の魔法類似現象の違いを、単なる「個々人の血管の張り方の違い」レベルに相対化しかねないほどまでに衝撃的だったようだが。
「だがな、そうだとすると幾つかの疑問が生じるんだ。【人世】側の常識からはそう見える、というのはいいんだが。はっきり言って【闇世】側の常識だと、こんなものだけではないんだがな」
例えば【命素操作】。
これが、魔法学的な視点からはどのように解釈されるか、非常に気になるところであった。
≪――機能面では【活性】属性と【均衡】属性の間の子、ただし非常に高度で根源レベルの"間の子"に見えます、ね。うーん、ちょっとこれは"【アケロスの健脚】問題"を強く連想するかなぁ≫
曰く、【アケロスの健脚】という走力の強化魔法が存在する。
古帝国時代から魔法学における慣習たる『創始冠名ノ制』により、創始者の名前を冠するタイプの魔法であるが、その習得の容易さと発動の簡易さから、広く魔導兵達に利用される【活性】属性の自己強化術式である。
――しかし、この技に非常に近いことを、魔法の才を持たぬ武芸者達も使用することができる、ということが知られているらしい。
≪『縮地』だとか『瞬歩』だとか『いさり足』だとか、言い方はままありますが。魔法の才が無い者が、それを発動する時に限って【活性】属性に非常に近い、しかし細かい部分では確実に違っている魔力類似の力の流れが観測されたようなのです≫
なるほど、と俺は頷いて我が迷宮の【武芸指南役】に「やってみろ」との意で目線を送る。
ソルファイドは片足と竜尾をそれぞれ、とんとんと軽く地面に当てた後――体内で命素を瞬間的に急速に高めそれを発散するかのように、ちょうど『3点直躍』を応用する形で、瞬時に数メートルを高速踏み込みしてみせたのであった。
その観測データが副脳蟲達によって伝達されたのか、はぁ、とルクのため息が眷属心話を通して伝わってくる。
≪それをその「命素」とやらでオーマ様は感知してるわけですよね? 僕達にはやっぱり【アケロスの健脚】ぽく見えるわけですけど……まぁ、要するに、魔法学を離れて逆の視点から考えると【アケロスの健脚】って本当に魔法なのか? という根本命題が生じるわけです≫
「ひいては【活性】属性自体が"魔法"なのか? という命題になるわけだな、それが」
≪にも関わらず、オーマ様の能力の……因子、ですか。その権能では「命素」とやらと【活性】属性は別物、と。しかもそれはそれで「魔法学」に沿って「属性に適応」するとか解釈されてるんですよね? 意味がわかりません、なんですか、いくらオーマ様のお力とはいえちょっと変態的すぎる解釈の逆転的な継ぎ接ぎ現象……ちょ、ま、ミシェールやめ≫
アンがそっと眷属心話の情報に「フィルタリング」を掛けた気配がしたので、きっと仲睦まじいお仕置きでも始まったのだろう。ミシェールはどうも、ルクの俺への言動と礼儀や態度に厳しい嫌いがあるが、俺としてはその方がむしろ――距離を置いた付き合い方に見えるのだが、まぁいいだろう。
斯くの如く、【人世】の魔導の大家の嗣子をして、俺の従徒になってなお【命素】に関しては、その認識と解釈に未だ難がある。
だから『命石』などという代物への驚愕の深さは言うまでもない。副脳蟲達による効率的な計算に裏打ちされた俺の「鍛錬」と合わせて、筋肉の超回復と運動神経の再配置と小脳における運動回路の効率化を『命石』によって強引に高速化させる様を見せつけるに、現世でも『止まり木』に近いことができるのか、と、戻ってきたルク青年が呟くが……伊達に魔導の大家ではないか。
少なくとも「この知見」を、ルクとミシェールは自らの"目的"に当てはめて、それまでの自身の世界観を拡張する柔軟性を見せた。
≪"とっても偉大なるオーマ様"にいただいた知見から――【聖戦】のラムゥダーイン家の秘技術【生命】魔法を解明するヒントが得られた、と思っています≫
≪誰しも「内なる魔素」とともに「内なる命素」が当然にあるならば、ラムゥダーインの狂戦士どもは、何らかの方法でそれを"認識"できているのかもしれませんね。我が君≫
「500年前の【英雄王戦記】の時期に、少なくともお前達の祖先は確実に、この魔素と命素という概念と遭遇していたはずなんだがな」
――そんな会話をしている間に、【人世】側の"裂け目"への「魔素の回路」の延伸が完了する。
準備ができたことを関係者一同が確認し合い、作戦は次のフェイズに移る。
アンとイェーデン、そしてその麾下の"名無し"副脳蟲達による『8きゅぴ掌位』が、万が一に備えて【闇世】側へと引っ込んでいく。
俺の周囲では、あらかじめ発動していた【領域転移】により呼び寄せを開始していた"名付き"達が、数分の時間をかけてゆっくりと銀色の靄に包まれながらその姿を現し始めていた。
その中で、臓漿越しの発動であるが……【空間】属性によって【遷亜】したアルファなどが、やはりより早く転移してきていることが見て取れる。
「さて、我が迷宮の精鋭どもよ。表の顔は勤勉な鉱山労働者達である、信心深いヤクザ者達に"お届け物"の時間だ。準備はいいな?」
予定時刻通りにル・ベリ、そしてギリギリになってようやく解放されたらしいルクが、それぞれ違う意味で険しい表情で現れる。だが、もちろん"お届け物"とは、単に"名付き"と従徒達だけを指すのではない。
百人規模の拠点を1つ攻め落とすのである。それも【転移】魔法による鉱山開発の理想解とでも言えるような"飛び地"状の構造と強く推定されている『鉱山支部』の制圧にはそれなりの戦力が必要だが――まさに、その必要十分な準備が完了したところであった。
場所は【闇世】側の"裂け目"たる銀色の水面。
――の、さらに頭上数十メートルの位置を掘り抜いて整形し整地して作った「飛び込み台」。
そこに、いくつもいくつも、渋滞のように並んでいたのである。
巨大な臓漿の塊達が。
ただの臓漿ではない。その表面は、『拡腔』『噴霧』『分胚』で【遷亜】した亜種である、名付けて『捏練労役蟲』が吐き出した大量の【凝固液】と臓漿と『エイリアン建材』の混合物である薄く固く弾力性のある"半生体膜"に覆われており、1つ1つは象が入るかというほどのサイズにまで膨らませたる「肉風船」なのである。
当然、その中にも大量の臓漿が、そしてさらにそれに包まれるようにして、内側にはいろいろなものが、これでもかというレベルで詰め込まれている。
さながら邪悪で肉々しい"花火"か"照か玉"と言ったところか。
ただし、この"花火"は上空へ打ち上げられるのではない。
「本当に滅茶苦茶な発想しますね……」
打ち上げるのではない。
『飛び込み台』から、むしろ逆に打ち落とすのだ。
『魔法学』への先入観を取り去ったリュグルソゥム家の知見と学識により、ルクとミシェールに考案させた、墨法師達の人皮を延伸させ拡張させて構築した"魔法陣"。
それは結果的には、"裂け目"をそのまま『ハンベルス鉱山支部』に向けて【転移】させるものであったが――無論、無策でそうする、というものではない。
まず【人世】側から、俺と従徒と名付き達が"裂け目"に入るのと同時に【転移】魔法陣を起動させる――それとさらに同時に。
名付けて『臓漿照か玉』、あるいは『恐慌爆弾』とでも呼ぶべきこのおぞましく半固体の臓物風船どもを、【闇世】側の飛び込み台から、一気一斉に"裂け目"に目掛けて自由落下させるのである。
「常人には決して思いつくことのできぬ御方様の知よ。存外、【人世】の魔法使いというのもその程度ということか」
「初見だから驚愕しただけです、ル・ベリさん。前提を取り去れば、僕達だってね、まぁいろいろできますから……うん」
あの後、さらに様々に条件を変えて継続していた"裂け目移動"実験では、新たに、通過時の「運動エネルギー」つまり慣性については、"銀色の靄"の中でも維持されることが新たに確認できていた。
――つまり、数十メートル分の重力加速をこの照か玉は維持したまま、【闇世】から"銀色の靄"を経て、新たに『ハンベルス鉱山支部』に出現した【人世】側の"裂け目"から射出されることと、なる。
それが何を引き起こすかは、この後すぐのお楽しみであった。
俺は三ツ目となり一回り長くなった――このために付きっきりで第4世代に進化させた――『三ツ首雀』カッパーを左手に、『黒穿』を右手に握って【魔素操作】による【転移】術式の"裂け目"への延伸を最終段階まで完了させていく。
カッパーはその"三ツ首"による物理的な意味での【並列思考】により、いわば3倍の効率でこの延伸作業と【魔素操作】の補助と、リュグルソゥム兄妹からの魔法学的な回路形成における「助言」を処理していき――。
「オーマ様、そろそろ程よいかと」
ルクの進言に頷き、俺は指揮杖の如くカッパーを掲げる。
そして、周囲に居並ぶ名付きと従徒達をまとめてこの俺自身の"付属物"と認識しながら、【人世】へ続く"異界の裂け目"へと触れる。と同時に、両界のそれぞれの"裂け目"を囲ませた魔石粉による魔法陣――人皮魔法陣と接続されている――に対して、「世界を渡る」という意思を明確に諳んじる。
「さぁ、征こうか」
そして超常が発動する。
迷宮領主にとって、最も基本的な特権の一つである"裂け目"との繋がりのその中に――【魔素操作】によって導かれた【魔素】が魔石粉の魔法陣を通り、意思ごと包み、そしてそれが、人皮魔法陣に刻み込まれた【騙し絵】家式の【空間】魔法の術式の回路と接続。
まるで銀色の水墨画のような茫漠とした世界に、全身が遊離するように包み込まれたことを感じながら、俺はその"力"を発動させたのであった。
***
『ハンベルス鉱山支部』の採掘場は、大まかに7つの"飛び地"から成る。
そしてこれらを【転移】魔法によって中継する、いわば物流の集積地点が存在する。【土】属性の地脈整備士や整地魔道士達によって、地盤の硬い箇所を、既存の空洞を利用するような形で掘り抜かれ整えられた「集積地」である
また、そこには【水】属性の流水技術士や治水魔道士達によって、魔法陣や魔石、そして【紋章】家謹製の【紋章石】などを組み合わせて構築された半恒常的な「排水」のための魔導の機構もまた備わっていた。
剥き出しの岩肌には、集積場全体を明るく照らすためのランタンが所狭しとずらり並べられている。また、内部では香草が焚かれており――その"煙"の流れる方向で、坑道内の気流の乱れをいち早く察知することができるようになっているのである。
その他にも、支部長ゼイモントの執務室にあったのもの同じものである金糸雀など、数種類の「鉱毒」を察知する鳥獣が広間の四方にまとまって檻籠の中に配置されていた。
こと気流の問題に関しては、【風】属性の職業魔導師や技術者を雇うという考え方も無いではなかったが、そこは敵の多い"人攫い教団"故の制約が存在する。加えて"廃絵の具"が技術と採掘組織の秘密の漏洩を嫌い、およそ人間以外で済ませられるのであればそうする、という規則が設けられていた――信徒達による「採掘」と「拉致工作」以外については、だが。
「集積場」の中央には、管理役を兼ねる『標師』の監視小屋を備えた、物資を検分するための手工房が建っているが、信徒達の労働や物流の日程の監督もまたこの小屋の役割。
そこを中心として、同心円状に9箇所の「荷降ろし場」が鉱物車とそれらの車線路によって結ばれており、このうち7つがそれぞれの"飛び地"の採掘場と【転移】魔法によって繋がっているのである。
日々、運ばれてきた鉱物その他はこの監視小屋を兼ねる手工房において仕分けられ、"廃絵の具"によって管理され支部長ですら場所を知らされていない「全体集積場」へと【転移】するための「荷降ろし場」が1つ。
最後の1つは、売り物にもならないクズ鉱石や採掘の過程で発生したゴミや土砂などを始末する「廃棄場」――これもまた支部長レベルでは"座標"を知らされていない――に通じていた。
この日の『ハンベルス鉱山支部』の採掘の成績は非常に良好であった。
一ヶ月ばかり、各"飛び地"の坑道では、ここ数年の主力であった鉄鉱石が枯渇する兆しを見せていたが……鉱物の質に応じた報奨の導入によって信徒達の労働意欲が改善。新たな坑道が発見されたという幸運と相まって、昨年を上回る稼ぎを生み出していたのである。
そんなハンベルス鉱山支部の活況を見て取ったのか、"廃絵の具"が命じたのであろう、ここしばらくは他支部からも余剰の労働力が送り込まれてきており、この時、支部全体では300名にも登る労働信徒達が働いている。
また、これに加えて、潤沢な富によって良質な食事と装備を与えられ、養われているのが「実働」を担う武装信徒達である。主に"廃絵の具"からの指令に従って敵対組織や要人や、時に後ろ盾の無い商人などをいつでも「攫う」ために働く存在が、1組20名、5組で合計100名が『ハンベルス鉱山支部』に駐留している。
彼らは地表部に近い「地下訓練場」で鍛錬と心身の陶冶を深めており、専任の『墨法師』達と共に集団生活を送っているのである。
こうした信徒達は、『墨法師』も含めて、全教団的に日中夜の「三交代制」を採用していた。
世の人々が寝静まる時間でも、鉱山の内側では全体の3分の1は「夜番」の者達が働いているということであり、いずれの『鉱山支部』もちょっとした不夜城となっていたが――。
それは、ちょうど「昼番」の者達が「夜番」の者達と入れ替わった時分のことであった。
休憩に入る「昼番」の者達は共同寝所へ、そしてこれから労働という名の修行と勤行を積むべき「夜番」と『送り師』によって送還された、まさに、そんな時の出来事であった。
「集積場」に居た『標師』が感じたのは、つい先程「昼番」と「夜番」の交代のために、相方である『送り師』と『迎え師』が発動させ終えたばかりの"送り"と"迎え"に関する【転移】魔法術式発動の感触であった。
彼は一瞬、追加の人員がこれから臨時で送られるのか? と考えたのである。
そして『標師』としての役割を果たそうと、立ち上がった腰を再び地に据え、己自身が標とならんとする。だが、【転移】魔法を分け合う相方である他の『墨法師』二人は、つい先程一仕事を終えたばかりだのにまだ何をしているのだ、と訝るような目を向けてくるのであった。
明らかな認識の違いがそこにある、と気付いて違和感を覚える「集積場」の『標師』であった、が。
彼がそのことを周囲へ警告することは無かった。
次の瞬間。
まるで"廃絵の具"達が共同詠唱により、【騙し絵】本家にのみ許された本当の意味での大規模【転移】術式が発動したかのような、莫大な魔力の流れが渦巻く。
それは突如として台風か、はたまた海原の大渦潮か、そうでなければ地震による坑道の崩落に似た「世界が捻れる」ような感覚。
特に、『墨法師』として【転移】魔法の分割された工程をそれぞれ"入れ墨"として身体に印された彼らにとっては――爆発のように渦巻く完全な【転移】魔法が流れ暴れる度に、不協和音の如く、自身に刻まれた不完全な魔法陣が両腕や背中や両足をねじ切らんばかりに"共鳴"するのを感じて恐慌状態に陥ったのである。
たちまちのうちに"銀色の靄"が集積場一帯を包み込む。
長く生き延びてきた『人攫い教団』の信徒であれば、坑道の崩落に遭遇して救助を待つまでの間、一時的な生き埋め状態になった経験を一度や二度経験した者も少なくない。
それは『墨法師』である彼らもまた同じであり――当初は、この濃霧の如き"銀色の靄"は落盤の際に巻き上げられた「粉塵」の類だと誤解されたのも無理なからぬことであった。
しかし、『弾け飛んだ』のが【空間】属性の魔力だけではないと彼らはすぐに知ることとなる。
『渦巻いた』のが、単なる正体不明の膨大な魔法だけではないと彼らはすぐに知ることとなる。
辺りを『埋め尽くした』のが、ただの異様な気配だけではないと彼らはすぐに知ることと、なった。
銀色の濃霧の中から。
まるで天地を逆さまにした崖から豪然たる勢いで転がり駆け上って来たかのような、圧迫感という概念を押し固めて膨張させたとしか思えないぶよぶよとその内部を満ち満たせた全身の生皮という生皮を剥いだ獣を内臓ごと潰し混ぜ合わせたかのような。
ゾッとするほど噎せ返るような、胃の中身のような吐瀉物と噴き出す鮮血がぐしゃぐしゃに溶け合ったような強烈な吐き気を催す"匂い"をばらまきながら、その水風船のようにびちゃびちゃと濡れ爛れ垂れた膨大な肉塊が集積場の中央から吐き出され、猛然と射出され、叩きつけられる勢いのままに天井に激突。
剥き出しの自然岩の凹凸によってその"膜"のような外皮が激しく切り裂かれ――しかし衝突があまりにも激しすぎて、まるで子供が戯れに泥団子を壁に投げつけてそれが飛び散り広がったのと全く同じように血の"団子"とも言うべき巨大な破裂が天井中にぶちまけられ、その粘着くドロドロとした血と肉と臓物の合いの子のような"内容物"をおぞましい水音と共に貼り付けさせる。
――しかし、その"内容物"はそれだけではまったく勢いを殺されるということは無かった。
それほどまでに、ギチギチに、ミチミチに、圧迫され圧縮されるかのように"詰め"込まれていたのである。水風船を叩きつけて破裂させたのと全く同じことが、呆然と天井を仰いだ『墨法師』達の眼前で起きて、そして降り注ぐ。
血と溶けた肉塊に混じり、砕け弾けた臓漿のくす玉が、そのさらけ出された内側に抱え込んでいた大量の血漿に混じっていた"それ"を、ジュウジュウと激しく焼き焦がす恐ろしい火災音を立てる"それ"を、どろりと粘度の高い緑色の液体たる"強酸"を惨劇のシャワーのように天井から大粒の雨あられとなってぶちまけ降り注がせたのである。
悲鳴。絶叫。混迷と恐慌と混沌の三重奏。
それが『墨法師』達の3つの喉から絞り出されるや命からがらたる九重奏と化す。
いっそ、叫喚に狂える身を悶えさせ転がってしまったために――地面に、監視小屋に、手工房にのしかかり押し潰しまとわりつくようにどろりぐぬちゃりと降り注いだ"緑色"の強酸を全身に巻いてしまい、3人とも瞬く間に"入れ墨"ごと皮膚を焼け爛れさせてしまう。
そんな絶望的な喘ぎの中で、さらに4つ、8つと、さながら気球の如く巨大な『血肉塊の水風船』が次々に射出され、少しずつ角度を変えながら集積場のあちこちに冒涜的な"飛び散り跡"をぶちまけ描いていく。
ある肉塊は天井まで届かず、空中で失速して地面に叩きつけられて臓物と血漿と恐るべき緑色の"酸"の混合物を広範囲にばらまき。
またある肉塊は、低すぎる角度で銀色の靄の中から射出されたために、さながら小屋を襲う砲弾のように手工房の半開きの扉に激突しつつ爆裂して、シェイクされ捏練された五臓六腑の"ジュース"の如きを吐き出して土石流の如く建物の中を押し流し埋めこびり付き覆い粘着く。
あるいは「夜番」の信徒達が、既にそれぞれの採掘場へ送られた後であったことから、その瞬間の犠牲者自体はさほど数が多くは無かったか。
「集積場」に残っていた『墨法師』と、作業員であったわずかな労働信徒十数名が瞬く間に臓漿の文字通りの"爆発"に巻き込まれ呑み込まれ、その中に爆酸蝸の『殻』によって包み込まれていた【強酸】――その因子で【遷亜】されたエイリアン達の"体液"をも交えた高純度の"水増し"品――が含まれていたことで瞬時に全身を炙るように爛れさせ、ショック死したのであった。
しかし、それでも『臓漿照か玉』の射出は終わらない。
まるで計算され尽くしたかのように"強酸入り"が打ち止めとなり、次に射出されたのは――【魔石】の粉末入りの臓物爆弾であったのだ。
癇癪を起こした稚児が球を投げるかのような酷い乱雑さであった、制圧を目的として射出されていた"強酸入り"とは異なり、こちらは正確に円を描くように6つが角度まで厳密に計算された角度で"銀色の靄"から射出されていく。
既に大量にぶちまけられて、体育館を2つか3つは繋げた広さがあろうかという「集積場」中を埋め尽くすに飽き足らず、相互にじわじわと紙に垂らしたインクのように、あるいは森に散らばった粘菌達が一箇所に寄り集まってより大きな塊になろうとするかのように、地面に、壁に、天井に、臓漿達は延伸し運動し伸張し、互いが互いを求めて互いに繋がろうとする。
そんな臓漿達の上からぶちまけられる"魔石入り"の恐慌爆弾達が、内部にこれでもかと蓄えていた【魔石】の粉末達を半円の放射状に吹き付けるように地面に飛び散らせる。
斯くして、集積場の中央に【転移】して現れた"裂け目"を同心円状に取り囲むように、【魔石】の粉末による6枚の歪な"花弁"が出来上がる。
オーマとアルファ以下の名付き達と従徒らが"銀色の靄"から姿を現したのは、まさにその中からであった。
そしてこの出現の瞬間。
オーマとリュグルソゥム兄妹もまた、全て計算され尽くしたタイミングによって、それぞれの魔法の発動を完了させている。
その座標を『ハンベルス鉱山』に書き換えられた【人世】側の"裂け目"から、恐慌爆弾によってぶちまけられ描かれた花びら状の【魔石】粉末が描き出した臓物まみれの魔法陣を通し。
その前弾によって『集積場』全体を覆い埋め尽くしていた臓漿という臓漿が【領域戦】の機序によってこの地を「一時領域」に書き換えており、オーマは迷宮領主技能の発動によって、この一帯を一気呵成に真の【領域】と成す。
外部からの襲撃、それもこのような形での襲撃は、『人攫い教団』にとっても彼らを監督する"廃絵の具"にとっても、全く想像することもなかったものであったろう。
『集積場』の【領域】化と同時に、さらに追加で2枚の"人皮魔法陣"を焼き切らせる価値あり、としてリュグルソゥム兄妹が完成させた詠唱とは――"強制転移"であった。
ただし、喚び出す側の、である。
次の瞬間、支部長ゼイモントに副支部長メルドット以下、ハンベルス鉱山支部の各"飛び地"に散っていたはずの『墨法師』という『墨法師』達に巨大な【空間】魔法の強制力が叩きつけられる。
元来、彼らの入れ墨に刻まれていたはずのない「座標」に――これまた元来、そこがその座標ではなかったはずの、出現せる【人世】側の"裂け目"の周囲へ。阿鼻叫喚が五覚をあらゆる手段ですり潰すための恐怖の領域と化した、迷宮領主【エイリアン使い】に掌握された【領域】へ。
その身が歪められ、光も景色さえもが銀色の底無しの濃淡に吸い込まれるようにして『集積場』へ転移。
一様に何が起きたのか全く訳のわからない困惑した顔を浮かべ――次の瞬間、ある者は恐慌に、またある者は驚愕に、またある者は【強酸】の中に放り出されてそれにまみれる激痛に喉を潰し、瞬く間に『ハンベルス鉱山支部』中に轟くかのような絶叫の"重奏"が、襲撃の開幕の報せとなって響き渡ったのであった。





