0112 海にまつわる二つ世の因縁
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――以上がグウィースの「小さな大冒険」の顛末であった。
無事に戻ったことに最も安堵していたのは、表情からは読み取れないが、意外にもソルファイドである。ル・ベリの方は言わずもがなであったが――さすがに"兄"として思うところがあったのだろう。戻り次第、改めて、グウィースに「お話」をするべく、幼樹を連れてこの場を離れていた。
しかし、無茶と無謀をしたとはいえ、グウィースによってもたらされた情報は検討すべき価値のあるものばかりだった。
……とりあえず副脳蟲どもについては、監督不行き届きのお仕置きとして、水棲系エイリアン達の中でも最も荒々しい泳法をする剣歯鯆の牙の先にくくりつけて、いつ多頭竜蛇警報が来るかもわからぬ楽しい海中マラソンに送り出してやるとして――。
疑問が幾つかある。
まず、そもそもグウィースが遭遇した「魚の下半身をした人族らしき者達」は、何者であるか。
だが、これについては意外なところからその素性に関する情報がもたらされた。リュグルソゥム兄妹である。
『長女国』でも有数の"知識"を蓄えてきた一族の末裔たる二人の曰く、かつて【人世】の『次兄国』の沿岸に面する『ネレデ内海』に住まっていた【人魚】という種族である可能性が高いという。
「ただ単にその身体的特徴からだけではありません。"海獣"を使役していたこと、それから『泡の話法』を使っていたこと、そして何よりも――」
「"海憑き"、か」
海における旅先案内人として、英雄王アイケルの次男にして【白と黒の諸市連盟】の初代"統領"ライクツィオを助けたとも【海運譚】に記述される――亜人の一派こそが【人魚】と呼ばれる種族である。
ネレデ内海を舞台に航海技術と海運網とを発展させる『次兄国』と人魚達の関係は、よく知られたものであったのだ。200と数十年前のある時期までは。
なお「亜人」という存在についてであれば、その起源はリュグルソゥム家の知識でも不明とされていたが……この俺の迷宮領主としての権限である【闇世】Wikiにヒントが見つかっていた。
曰く、神世に【黄昏の帝国】を巡って諸神が争い、神々が相討ちによって帰天して、古代の超帝国もまた崩壊し――その後に竜主達が支配する【竜主国】が成立するまでの混乱の時代。
その時期は【百亜争鳴】と呼ばれている。
【闇世】Wikiでは、より広い観点から「亜人」と呼称される種族群の起源に関するヒントが伝承されていたのだが……今は話を人魚に戻そう。
彼らには、とある"性質"があったのだ。
「初代様達が生まれる前のことですが……当時の『次兄国』では、人魚達との友好の証として、数年ごとに【海との結婚】と呼ばれる人身御供の儀式を行っていたとされています。囚人どもを海中に、連中への供物とするわけですね」
膨れてきたお腹を抱えたミシェールが、ルクの隣に至近で寄り添っている。
来るように命じたのは俺だ。代胎嚢の力を信じないわけではないが、いかにリュグルソゥム家が"特殊"な経緯と理由を持つとはいえ――「人間」への初めての適用だ。経過観察をしないわけにはいかず、また、心配するルクに応える意味でも定期的にミシェールを外に出させており、それでこの場に彼女がいるわけである。
「しかし、原因は不明ですが、初代様達がお生まれになった時期の前後で、どうもそれが途絶えたらしいのです。伝えられるところによると、『次兄国』と人魚達の間で大きな戦が起きたとか。残っている記録では、ええと、眉唾ですが……海底火山が噴火したとか、それに連動して陸地でも火山噴火が起きて、どうも都市が一つ焼滅したとか」
「ええと、うん、確か『フォンピオー』という都市ですね。それでその戦の方なんですが、その時に人魚達が恐ろしい力を発揮した」
「それが『海憑き』ってわけか」
人魚達の、まるで歌うかのような独特の唱和は、海においては津波を呼び寄せ、そして人族に対しては激しい精神の幻弄という形での一種の"混酔"をもたらすという。それを浴びた者は――海に飛び込みたくなる衝動に駆られるのだとか。
前半はともかく、後半部分は、まるでどこかで聞いた話である。
さながら、俺がシースーアに迷い込む以前の元の世界で言えば「セイレーンの歌声」といったところか。半人半鳥で描写されることもある、ギリシア神話における海難をもたらす妖精か、あるいは怪物の一種であり――霧深い海原に現れて、その"歌声"は船頭を惑わして遭難させるという。
だが、この異世界では御伽噺ではなく、小醜鬼も、竜人も、そしてまたルクの【人世】知識から聞く限りにおいてだが森人だとか丘の民だとか、そして数多の氏族から成る戦亜すらも現実の存在である。
そういう実在の種族にして勢力たる「亜人」達の諸族がいるとして――そのうち水辺や海中での移動に長けるのが人魚という種族ならば、なるほど"海における案内人"という役割が、セイレーンや俺の元の世界で語られる『人魚』の伝承と収斂しても、おかしくはないのだろう。
だが、よもや"魔性の歌声"という現象や逸話、伝承、怪談の類までもが、実際の特性として"収斂"するとは。
「いやに"海憑き"に詳しいじゃないか。細かな記録が残っていたのか? お前達の、初代様兄妹がその件にがっつり関わった、とかそういうのが」
「あぁ、それはですね」
「ここ200年で消え果てたと思われた人魚ですが、その小さな集団は、今も時折『次兄国』で"捕獲"されるんですよ。そして、」
「金と権力があり、身元確かで秘密の守れる好事家に特別に"売り"に出される……まぁ、そういうわけです。リュグルソゥム家として買ったことはありませんが、情報としては上がってきていました。例えば【歪夢】家の"脳内童話本垂れ流し野郎"どもですとか――痛いミシェール、失敬、少々聞き苦しい言葉を吐きました」
話が横道ではあったが、興味が湧いたので聞いては見たが……呆れ半分驚き半分といったところ。
件の「好事家」達は、なんと人魚達の"海憑き"の唱和をわざと浴びて、混酔状態に落ちるということに興じているらしく。
ある種の"麻薬"扱いされているようで、数年に一度、今でも時たま捕獲された人魚が"市場"に流れた際には非常な高値がつくという話であった。
「なんとまぁ、業の深い趣味なことだか。まぁ逆に言えば【人世】では、その程度ぐらいしかもう姿を見せない存在。そして、知られず密かに【闇世】落ちしていた、というわけだな」
「主殿。となると、問題は……何者かが手引きしたのか、ということか?」
いくつもの疑問があったのだ。
その2つ目。
「逆、なのか? ルクとミシェールの話を聞いていると、俺はむしろ多頭竜蛇が"海憑き"の『歌』をその人魚達から学んだ――ような気がしているぞ」
最果ての島に栄えた旧ゴブリン11氏族を制圧し、掌握して【エイリアン迷宮】の一部として以降、多頭竜蛇がその姿を現して直接島全体を制圧するかのような"歌"は無論のこと、海中から遠雷のような"海鳴り"の咆哮を静かに響かせてくることもまた、既に途絶えて久しかったのである。
ル・ベリとソルファイドの議論では、それが小醜鬼どもの急速な知性低下の原因でもあるということであったが。
ともあれ【樹木使い】リッケルを撃退後、テルミト伯やフェネス上級伯などとやり取りをしながら【人世】に向けた活動を始める頃には、あの多頭の「竜」にして「海魔」たる存在は、もはや物を言わず波しぶきを立てて現れる襲来者と化していたのであった。
「だが、奴のあれは『竜言』ではあった、少なくともそれは違いない。俺にわかるのは、その程度だ、主殿」
"専門家"として竜人ソルファイドがそう言う。
だが、【人世】の人族と【闇世】の小醜鬼という違いはあれども――起きている現象もほとんど同じであれば、それぞれで語られる現象"名"が『海憑き』という単語であることまで、同じ。
となれば、これはもはや収斂ではなく同一現象と考えた方が話は早い。
「【樹木使い】リッケルが、海底に"根の道"なんぞ通して戦力を送ってくるとかいう戦術を取った理由の一端は、確実に多頭竜蛇の攻撃性と縄張り意識の強さにある。なにせ、揺らせば吹き飛ぶような『棺桶』に乗せられたソルファイドすら、襲撃したんだからな?」
「そんな"竜"の生き残りともあろう存在が、どうして、グウィース君が遭遇した人魚であるとか、彼らが使役していたという海獣達を襲撃していないのか、ということですね? 聞くだに、腹を空かせて飢えた魔獣としか思えませんが……」
「まだ、可能性の段階だがな。ファーストコンタクトだからな。たまたま、多頭竜蛇がたまたま絶対、あそこには訪れない日にシータ達が乗り込んだ、ということも無いとは言えない」
そう言いつつも、俺の中でその可能性はほとんど却下されていたが。
何故ならば、頭脳はともかく生命としての本質は紛れもなく多頭竜蛇の"分体"そのものであるヒュド吉が、嫌々言いながらも小醜鬼を喰らうこと。そして食い意地が張っているのか、好物であるらしい『鬼ウニ貝』は、その生息地までほとんど正確に覚えており、それでシータ達『遠泳班』はそこまで一発でたどり着くことができたこと。
そこに来て、それが人魚の特殊能力であるか、竜族の『竜言』によるものかの違いはあるにせよ――"海憑き"とどちらも「被害者」側から呼称される技が共有されている。
人魚が元は【人世】に住まう"亜人"であったことと合わせて考えると、両者が何らかの友好的な関係――ただし不均衡なもの――にある可能性は高いと俺は判断していた。
「だが、対等な関係ではない。多頭竜蛇の協力者だとか、同盟相手ならば、リッケルの船を沈める時に出てきていてもおかしくはない」
「主殿の"名付き"とその麾下の『遠泳班』と渡り合ったならば、そこにいた人魚どもの戦力は首1つは相手できるだろうな。協力していれば、【樹木使い】はそもそも上陸することができなかった可能性は、あるか」
「【人世】側の伝承からすると、少し違和感はありますがね。人魚が"海の旅先案内人"であることの意味は――彼らは『海魔』を狩る優れた狩人として、未だ発展期にあった『次兄国』の船を幾度もその襲撃から守ったとされたことも含みますから」
「どちらかというと多頭竜蛇が好き勝手に行動しつつ、人魚達やその使役している海獣達に手出しはしていない、というところか。何かに奉仕させているわけでもないし、むしろ"海憑き"を彼らから習得していることといい……ん? ちょっと待った」
いくつか情報が頭の中で繋がり、仮説という名の閃きが灯る感覚があった。
ヒュド吉はそもそも小醜鬼を不味いと言い、本体がそれを食っているはずもない、と最初から主張していたことを俺は思い出したのだ。
――ならば、なぜ多頭竜蛇は"海憑き"を引き起こして、小醜鬼をわざわざ「海に飛び込ませ」ているのだろうか。
「……生贄、ということですね? 我が君」
200年前の【人世】で、『次兄国』では"海との結婚"と称して、罪人達を処刑代わりに人魚達の供物と化していた。やがて両者の間で戦が始まり、その伝統が途絶えるや、人魚達は今度は積極的に"海憑き"の力を使って、船を迷わせ人間を沈めるようになった。
もし、それが人魚という種族の、何か種族的性質上どうしても必要な行為であるとするならば――【闇世】では、彼らはどうやってその「結婚相手」を確保しているのだろうか。
≪きゅぽぼぼごぼぼぉ! 確か! ヒュド吉は「わが民を守らねばならんのだぁ!」とか言ってたのだきゅぴぃぼごごぉ! 溺れるう! 横隔膜さんが痙攣してるう!≫
……などと生体構造上「横隔膜」なるものが存在するはずの無いニューロン塊の巨大膨張体が主張した気がしたので、お仕置きの執行時間を残り5分に切り上げてやることとする。
だが、ウーヌスの「思い出したこと」は重要だった。
人魚達に手出しをせず、己の私闘私戦に駆り出すこともせず。
それどころか、なるほど小醜鬼達を『竜言』によって魔法の力に覚醒させるという別の目的もあったにせよ、わざわざ"海憑き"の唱和を『竜言』によって真似てまでして「生贄」を彼らのために確保してやっているというのは――いっそ庇護ではあるまいか。
「ヒュド吉を呼べ」
≪そう言うと思って、アルファさん達に運ばせておきました!≫
流石は優等生にして真面目なるアンである。
よし、連帯褒美としてウーヌスへの刑の執行は終了してやるとしよう。
アンの宣言からほどなく、螺旋獣アルファと数体の戦線獣――【矮小化】によってサイズを"調整"した触肢茸を両肩に装備し、物理的な意味で腕を増やした、重量物運搬専門の個体達――が、「われを食べてもおいしくはないのだ! やめるのだ!」などとぎゃあぎゃあ喚く竜の生首を運び込み、さすがにギョっと目を見開き口を半開きにするルクと涼しい顔のミシェール、無表情に眼帯を向けるソルファイドらの眼前にどさりと転がしたのであった。
「お、おお迷宮領主! おぬしが呼んだのか、驚かさないでほしいのである! われはてっきり、とうとうこの世紀の珍味好きであるわれ自身が珍味にされてしまう日が来たかと――」
「あぁ、うん。戯言は良いんだ、ヒュド吉君。ちょっと聞きたいんだが……ソルファイド、こっち向かせろ。断面がうねうねしていて気色悪い」
ヒュド吉の生首の断面であるが――ソルファイドの『火竜骨の剣』によって焼き潰し切断された後が黒焦げになり、それがしばらくの間海中に沈んでいたことで、ぐずぐずにふやけた状態になっていたのであった。そして、さながら肉の畑に様々なよくわからない微生物や小生物が"根付いた"かのような体を為し、うねうねと邪悪なチンアナゴの群れが如く、再生しかけの神経だか肉片だかが、汗とも分泌液ともつかない、少なくとも血ではない何かをどろどろだらだらと垂れ流しながら、スライムの群生地にでもなったかのように蠢いていたのであった。
……そこに、なるほどある種の『混沌』性を感じもするが。
今は見苦しいので、ソルファイドに言って、さながら中華料理屋の大円卓のように、ぐるりとヒュド吉を「回転」させた。
うらめしそうな、媚びるような、あるいはどこか熱に浮かされたような――ただ、共通しているのはどこか底抜けの部分では能天気な竜の眼差しがぎょろりと俺を向いた。
「お前には"民"が居たんだってな?」
「うむ、うむ! そうなのだ、それこそが"竜主"としての偉大なる務め! 民を導き、まもることこそ、竜が竜たるあかしなのであーる」
「あぁ、うん。とても立派な心がけだ、それはお前の……他の頭達も、同意見なのか?」
「うむぅ、まぁそうであろうとわれは信ずるぞ。だって、そうであろう? 民をまもらず、ただのエサとして見てしまっては――それは、そんなのは、あの【ぎゃく食竜】の一派と、同じになってしまうではないか!」
【虐食竜】という語を聞いてソルファイドの眉がぴくりと動く。
だが、俺は目配せをして――眼帯越しにソルファイドは気付いた――俺に任せておけと伝えて、問いを続ける。
「だが、俺からすれば意外なことだ。ここにいる【人世】からやってきた"民"達からしてもな。竜とは、なぁ、生ある者を喰らう存在なんじゃないのか? 食物連鎖、弱肉強食の最上位なんじゃないのか?」
「うぅ、それを言われると痛いのである……だが、だからこそ、われはわれを律さねばならない! ……と、われの中のわれが言っているのである」
「――おい、なんだ、今しがた演説してくれた立派なお話は、お前自身の意見じゃなかったのか?」
「うぅむぅ! だ、だが誰かが覚えておかねばならぬのである。そうじゃないと、われ達はわれ達ではなくなってしまう。われ達がわれ達として、せめて魂は気だかくあるためには……なのである」
相変わらず、肝心な部分は情報を引き出せそうにない竜頭ではある。
根はおそらくは善良であり素直ではあるのかもしれない、が。
俺は「言った通りだろ?」と視線に込めてソルファイドに一瞥をくれ、難しい顔をしてミシェールと『止まり木』に潜っているらしいルクをちら見してから、本題に入った。
「ちなみにお前が護るべきその"民"ってのは、たとえば人魚とかいう名前の種族だったりは、しないよな?」
沈黙。
ヒュド吉が露骨に目を逸したのを、俺でなくとも、その場にいる全員がわかった。
「何でも、お前の"本体"の方と同じ『竜言』を使う"民"らしいな? いや、逆か。民達の"言葉"と文化を覚えて護るのもまた、立派な為政者の仕事だな?」
「知らんのである」
「小醜鬼の血のペーストをしばらくエサにするぞ?」
「ううむぅ……! 知らんと言ったら知らんし、そんな名前は聞いたこともないのである」
「うちの"幼児"が大金星を当てた。お前が食いたがっていた『鬼ウニ貝』の場所を確かに見つけて――そこで津波と海獣どもを使役する不思議な人魚達と出会ったらしい。今後の交渉次第だが、譲ってくれるかもしれないな?」
無言。
焦げたスライム状の首の断面をうねらせる奇怪生物にして、副脳蟲どものペットであるところの「竜首」の分際で――やや、ぶるぶると情けなく震えつつも、しかしその目の奥には決意の光が灯っており、俺から目を離すということはしないのであった。
食事で釣れず、この"目"であるならば、おそらくは威圧的にいっても効果は薄いだろう。
――だが、"本体"と十分に連携できていない、分体であるヒュド吉ですらこの反応であった、ということはそれはそれで情報である。いや、これまでのヒュド吉の残念さから考えれば、むしろ予想以上に情報が得られたとすら言える、かもしれない。
俺はアルファに目配せをし、顎でヒュド吉を連れ帰るように指示した。ついでにアンとアインスに、ヒュド吉にはいつも通りに海の幸を中心に餌付けしておけと指令を下したのであった。
「あの、オーマ様」
「なんだ、迷えるルク青年。まるで世にも珍しい竜の生首でも目にした雛鳥のような顔だな?」
「……いえ、ならいいです――あいた、なんでだよミシェール!? ……おほん。あの、【闇世】ではこれが普通なのですか?」
「俺が聞きたいぐらいだが? そして、どうしてそれを俺に聞くんだ、【人世】の若人」
「だって、」
「我が君は【闇世】生まれではありませんよね? そして、」
「【人世】生まれでも無い……と、僕とミシェールは睨んでいるところです。真に恐れながら」
なるほど、と俺は内心で考え込む風を装いながらリュグルソゥム兄妹を観察する。
彼らの主な復讐対象は【輝水晶王国】の最高位魔導貴族達と、正体不明の「鈍色仮面」であり、いかに【人世】の者であるとて【闇世】の存在への敵愾心は御伽噺や神話のそれ以上ではないのだろう。彼らの観察力ならば、早晩、気付かれる可能性はあると思ってはいた。
……元の世界で着ていたバイクスーツのままだしな。
ブーツ一つとっても、【人世】の辺境の村があの様子であれば、鋲を打つ作業一つだって技術系統が違うだろう程度のことは、文系の俺であっても察することができるところであった。
だが、その疑問に答えてやるのは今ではない。
「良い質問だ、とだけ言っておくかな。そして、その分析の結果、お前達がより隔意無く俺に仕えてくれるという判断に傾いてくれるならば、俺としても嬉しいところだ……さて、話を戻そうか」
いよいよ、疑問の最後の一つにして今回の件に関する本題である。
ヒュド吉の反応は、もはやほとんど黒だ。何か俺の知らない制約だか経緯だかしがらみだかがあって、明言できないのであればそれもまた含めてのこと。
――多頭竜蛇が人魚を庇護しているとして。
しかし、多頭竜蛇は迷宮領主ではないのである。
ならば【人世】の人魚達は、200年前におそらくその一派が【闇世】落ちする際に―― 一体全体、誰の迷宮の"裂け目"を通ってきたというのだろうか。
「主殿、それは心当たりがある、という顔だな?」
「……この人もこの人で、なんで見えてるんだよ……あぁ、まったくなんてところだここは」
ルクがわざと聞こえる声量でぶつぶつ文句を垂れているのを、あえて気付かない"優しさ"を示してやりながら、俺は口の端を歪めてソルファイドに目配せをする。
「安易かもしれない。俺が知らされていない、隠されているだけで、他にもいるのかもしれない。だが、今のところ俺の手持ちの情報で一番それらしい存在が、一人、いる」
わざわざ【闇世】Wikiに、つまり全ての迷宮領主に"晒される"形で。
『大罪人にして裏切り者』と"編集"された侯爵が一人いる。
「あつらえたようじゃないか? 【深海使い】だなんて、な。そいつが関わっているんなら、多頭竜蛇の行動も人魚達の存在も、どうしたって多かれ少なかれ、そいつの思惑と何がしかの形で絡み合っているはずだ」
あるいは別に【水辺使い】でも【海藻使い】でも【渦巻き使い】だって構わない。
ルクからもたらされた、元は【人世】にいたはずという情報が決め手となり――グウィースが発見した人魚という存在は、俺にとっては、多頭竜蛇が最低でも上位の迷宮領主と何らかの形で関わっている証拠となっていたのであった。
≪問題は、だ。それをフェネスの奴に聞くかどうかだ≫
声も不快ならば容貌も不快であるらしい【鉄使い】フェネスは、己のその不快さをむしろ高めて露悪的に使いこなして、相対する相手の本音や狙いとするところを引きずりだそうとする類の輩であると俺は警戒していた。
黒幕気取りであり――そして実際に、奴はある種の黒幕であると言えるだけの実力と影響力を持っているように見える。竜人ソルファイドと【樹木使い】リッケルを送り込んできた【人体使い】テルミト伯が、あの通りに警戒して丁重に応対していることの意味を、俺は軽く見てはいなかった。
そのような存在は得てして内外の情報に通じているもの。ならばこの【深海使い】とかいう迷宮領主に関しても、何も知らないはずがない。
ただ一方で、【樹木使い】リッケルについては、少なくとも戦っている中では【深海使い】の存在を意識していたようには感じ取れなかった。
あの時は、俺もその情報が無かったので違和感にも思わなかったが……そもそもリッケルが【深海使い】と多頭竜蛇の関係性に疑惑があることを知っていたとしたら、同じ戦略を取っていたのだろうか。
数ある異称の一つに"界巫の懐刀"たるを持つフェネスは、つまり情報を選んで渡したり渡さなかったりしている可能性が、高いのである。あるいはリッケルは、そうして操られたか。
……ならば、少なくとも安易に『大罪人の裏切り者』の情報を得たなどと嘯いて歓心を買おうとするのは、良い選択ではない。正直、もしどうしても情報を売るだけならば【宿主使い】ロズロッシィの方がまだマシであるとすら言えた。
≪しかし、御方様。我らがこの島を出るためには……本当に【深海使い】なる者が多頭竜蛇を使役しているとして、いずれ、衝突は避けられないことです≫
≪そうだ。それが、フェネスとロズロッシィというおっかないパトロンに見逃していてもらう条件の一つでもあるからな≫
≪きゅぴぃ。自分からお願いさんしちゃうと、どうしたって言いなりさんになっちゃうのだきゅぴぃ≫
≪なるべく自然に、遠回しな部分から反応を探るしかない。そのためには、奴はもっとゆっくりで良いと言ってはいたが――ルク達からの"献策"もあることだ、【人世】での行動を開始して、フェネスの"娘"との合流は少し早めてもいいのかもしれない。その時に、不自然なく奴と話す機会が訪れる≫
その時に、どこまで探ることができるのか、だろう。
どうにも、話は多頭竜蛇を排除すれば良い、というだけの話では無くなりつつあった。そしてフェネスがそのことを知った上で、俺にその条件を持ち出してきたのだとすれば……安易な旗色の確定は、まだ、できない。
何せ相手は、仮定ではあるが【深海使い】だ。
――最果ての島のさらにその先、【闇世】の超大陸の裏側にある超大海に、一体何があるのか、それがどこに通じているのか、いないのか、【闇世】Wikiを見る限り誰も知らないか意図的に隠されている秘密であろう事柄を知っている可能性がある一人でもあるのだから。
読んでいただき、ありがとうございます。
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