0110 認識の死角に闇の空(くう)あり
12/29 …… 空間属性と魔法学に関して、かなり大幅に加筆改稿しました。また、これに伴い本話の字数が増大したため、シーンの一部を0113話に付け替え。
7/8 …… 2章の改稿・再構築完了
"名付き"達の【遷亜】の他、俺の眷属達の現状把握において、もう一つ大きな大きな重要な進展があった。
それは『因子:空間属性適応』の解析完了であり――実のところ、この時点で俺はもうほとんど直感的・直観的にそれが【黒き神】と【白き御子】の"権能"であると、概念レベルでは認識してしまったのだが――これが『属性適応系』のエイリアン達には適応不可であるという事実が判明したことであった。
結論から言えば、副脳蟲どもの報告書の通り。
一ツ目雀も、属性砲撃茸も属性障壁茸も【空間】属性を会得することはできなかったのである。
これは正直なところ、俺にとって結構な想定外であった。
確かに『魔法学』の16属性論が現実の世界の構成要素に比べて「狭い」解釈であるとしても、俺の迷宮領主としての世界観たる【エイリアン使い】において、エイリアン達の役割と引き起こさせるべき現象を指向する「設計図」の"器"としては――意味を持つ分類法だと思ってはいたからだ。
実際、他に解析されていた16属性論由来の因子で言えば、【火】から【光】までの8属性については「砲撃」も「障壁」も「換装」もでき、さらに『属性結晶』すらも生み出すことができたのだから。
だが――【空間】属性については不可。
副脳蟲どもの【共鳴心域】を挟んでこの3系統の"名無し"達から事情を聞くに。
どうも彼らが、俺が求める意味での【空間】属性魔法を、要するに【騙し絵】家やベータが行っているような離れた地点間を「繋ぐ」転移門的な力を発揮するには、何かが足りないということなのであった。
この事実は重く受け止めなければならない。
【領域】能力と合わせて、【空間】魔法それ自体も扱うことができるようになっていれば【騙し絵】家に対抗するという意味で大きな武器となったのであるが。
≪16属性論では、前の8属性は世界の構成要素で言えばより基幹的なものとして『元素系』、後の8属性は、そこから構築された土台を動かしていく要素という意味で『非元素系』と分類されています≫
「するとこれは……御方様の眷属達は、全ての属性ではなく『元素系』しか扱えぬエイリアン達であった、ということか?」
『性能評価室』にて合流したル・ベリが訝しむように顎に手をやりながら、属性障壁茸の一つに触れた。【空間】属性因子を適用しようとして、拒絶反応を起こした一基である。
現時点ではまだ、本当にルクとミシェールの言う通り『非元素系』の全てがダメであり、つまり俺が『属性適応系』と思っていたエイリアン達は実は『元素適応系』と呼称すべきであるのか、はたまた【空間】属性だけが特別であるかは判別がつかないのである。
≪我が君。実はそれと同じ問題が、私達の扱う『魔法』においても存在しています。奇しくも『属性適応系』と私達も呼ぶ、ある種の魔法群なのですが――≫
ミシェール曰く。
【魔法の矢】などに代表されるある種の魔法群は、通常は『元素系』の属性でしか発動することができないのだという。『属性適応系』とまとめられるこのタイプの魔法は、他に【魔法の球】だとか【魔法剣】などがあるが――秘匿技術を除いて、つまり並みの魔導師達と頭顱侯家を隔てる一つの境界であるという。
そして、この「例外」に属する『非元素系』の事例として、【騙し絵】のイセンネッシャ家は【歪みの剣】や【歪みの盾】や【歪みの魔法矢】といった、いわば【空間】属性版の『属性適応系』の魔法を扱うことができる……とのことであった。
――だが、俺は既にこの世界の構成要素が16属性論よりも広いことを、迷宮領主としての超常への理解から知っていた。
【樹木使い】リッケルを『北の入江』で迎撃した緒戦、【黒穿】を通して魔法を理解した時の感覚を、俺は覚えていたのである。
斯くの如き、認識により独自の超常法則を構築する迷宮領主の視点から見れば――果たして俺が『因子』として解析した【空間】属性とは。
「原初【空間】属性」だったのか。それとも古代帝国時代の16属性論の【空間】属性だったのか。はたまた、迷宮の力を元ネタにした疑惑のある「イセンネッシャ式【空間】属性」だったのか。
これらのいずれであったのだろうか。
【空間】属性の"因子"としては、現に正しく【エイリアン使い】の世界観の中で機能していることに疑う余地は無い。
例えば『制齢嚢』というファンガル系統の第5世代は、確かに【空間】属性因子によって存在昇格することができると進化系統図に示されていた。そして【遷亜】という形でならば――【領域転移】が通りやすく届きやすくなる、という意味で正しくその現象改変的な効果を適用させることはできるときゅぴどもが証していた。
ただただ、単に「俺が期待した【空間】魔法」を、属性適応系のエイリアン達には実行できなかっただけであり――例えば彼らにさらに何か別の『因子』を組み合わせれば、俺の期待した能力を持ったエイリアンが今後現れる可能性は決して低くはない。
いいや。
【エイリアン使い】としてこの俺が「そう在れ」と望む限り、必ず現れる。
それが迷宮領主という存在なのであるから。
――あぁ、今、理解した。
"童の遊び心"と称した俺の眷属達の在り方を基点にして考えて、ふと気づいた。
「『属性適応系』は"魔法使い型"という役割を持って生まれた。俺にそう望まれて――ただし、それは俺の元の世界的な意味での"魔法使い"として、だったんだ」
何のことは無い。
【火】の魔法を扱うエイリアンも、【空間】の魔法を扱うエイリアンも、迷宮領主としてのこの俺の世界観によって求められる限り、必ず現れる。現れるが……ただただ、単に「【空間】属性を"砲撃"したり"換装"したり"障壁"を作る」ためには、一ツ目雀や属性砲撃茸や属性障壁茸達では、少々「器不足」であるに過ぎない。
ただ、それだけ。
きっと、迷宮領主ではなくそれ以前からの人生と意識の連続体たる「この俺」が無意識下に望んだ意味での"魔法使い型"と、【黒き神】が構築した迷宮システムの枠の中で他のシステム(特に位階・技能点システム等)と影響し合ったルールの下で生まれた『因子』という枠内における「魔法」という語が混線したのだ。
つまり、系統名や技能に「語」として現れた『魔法』という"語句"と、俺が俺の認識においてエイリアン達に求めた『魔法』という"意味"は、一致していない。
前者の「魔法」では、この世界において強力な主流を成す『魔法学』に影響された結果、『因子』の名称設定に16属性論の命名規則が混ざり込んだだけに過ぎない。すなわち、種族や職業や技能さえも決定しうる「認識の多数決」の作用は、ここに働いている。
しかし後者の「魔法」では、実際にエイリアン達が進化・胞化して新たな役割を担うという現象面において、ただただ単に、俺が望んだ超常はあるエイリアン系統に他の『因子』が組み込まれ「設計」される形で実現される、という"基本ルール"が何ら変わらずに保たれているのである。
事ここに至って、俺は迷宮領主達が「【人世】の『魔法学』」を見下している理由を理解した。
各々の迷宮法則そのものは、単なる【人世】の学説に過ぎぬ『魔法学』から自由であるにも関わらず――少なくとも語句の定義や認識の面では影響を受けざるを得ないのである。
≪まぁ、厳格な16属性論に縛られているようでいて……その実、都合の良い例外事例の格納先として「魔法類似」なんていう抜け道を作り出している頭顱侯家に言えた義理ではないんですが≫
≪それでも、我が君のその迷宮領主の力というのは――真に自由なのですね≫
「御方様のお力は、つまり自在なものということですな。自由にして自在なる、そんな、朗々たる大いなるお力、ということ」
難しいことではない。
広義の「魔法」は、正しく俺にとって元の世界でイメージした「何でもあり」な超常であり、現実を書き換えて自在を成す作用である。
対してシースーアにおける狭義の「魔法」は、特に【人世】の『魔法学』を指しており、その発祥が【闇世】分離以前の古代帝国の時代だったこともあり、広く【闇世】においても概念的には生き残り続けており――分類や命名という認識・定義行為の"入り口"において、その存在感をしぶとく発揮し続けている、というだけのことである。
「それがわかれば、少なくとも俺は俺自身の力に関して何か迷うとかいう必要なんて無いわけだが――」
「ルクとミシェールが言う『魔法学』は、大嘘、ということになるな、主殿」
「流石に貴様もここまで言われればわかる、というものか。だが、御方様が気にしておられるのは、そのような"大嘘"が何故現代まで生き残り、しかも隆盛しているのかということ……それも【人世】と【闇世】の両方において、というところか」
≪一応、これでも魔導の学徒なので……そんな風に"大嘘"と言われるとちょっと思うところはありますが、まぁ。だったら秘匿技術なんていう『裏道』を歩いているのが最上位の頭顱侯だっていう『長女国』の最大の矛盾は何なんだ、という話になってしまいますからね≫
諸神が1柱1属性であることを基本とする16属性論。
それを唱える『魔法学』が両界で隆盛していることを、少なくともその諸神達によって止められず放置されている――只人には知られぬはずの『位階・技能点システム』にすら影響を与えているレベルで。
このことに関する『長女国』や頭顱侯達の"利益"については、ここでは置いておこう。
今、俺が気になっているのは、諸神にとって『魔法学』が広く広く強固に人々に流布され信じられているという状況が、どんな"利益"をもたらすかについてであった。
「なるほど、それで――【空間】魔法に話が繋がってくる、というわけですな? 御方様」
我が意を得たりとばかりのル・ベリと、それを聞いて眼帯の奥で目を見開いた(当然比喩)ソルファイド。そして【眷属心話】越しに息を飲むのが伝わってくる、【人世】の魔法貴族の兄妹。
そう。
【騙し絵】のイセンネッシャ家を標的とする以上、あくまでも、今俺が解き明かそうとしているのは【空間】魔法の秘密について、であった。
この観点からは――1柱1属性論に基づけば、【黒き神】はあくまでも【闇】属性を司る神ということとなる。しかし、彼が実際には【空間】属性をもその権能としていることを知ることができるのは、迷宮領主の他には、色々な条件に恵まれた魔導の探求者といったごく一部の者達のみに限られる。
結果、「原初の【空間】属性」……"属性"という語を接尾することが妥当かは置いておいて、その本当の性質が、大多数の人々からは隠されることとなる。
――逆説的に言おう。
原初の【空間】属性の力には、【闇】という要素が入り混じっているのである。
***
では、この世界において【闇】とは何であるか。
その前提として、俺自身の【闇】という語句に対する"認識"から考えてみよう。
【闇】とは、無限の広がりである。
確かにその中に、例えば宇宙に関する学問的な意味では「ダークマター」だとか「ダークエネルギー」だとか「ダークエーテル」だとか、人々は目を凝らしてその"構成要素"を明らかにしようとしているが――無限に分類可能な【光】と違って、【闇】は暴けども暴けども、常に不気味な「外側」が現れ続ける。
【光】には、その限界まで細分化した先の「最小の単位」があるんじゃないかという漠然とした期待やイメージが持たれる一方で、【闇】はそうではない。そこから「一部分」わかったような要素を取り出しても、常に「外側」が、主観的には同じかそれ以上の存在感を放ち続けているのである――それが俺の認識。
「闇とはつまり"視覚と死角の広がり"だ。知によって定義づけられた領域の、必ずその外側に位置する、絶対に見えない何かを総称した、まぁ時代によって概念を変えながらも――それでも、必ずなんらかの形で在り続ける、そんなものを指す。まるで智の光が逆説的に、物事の全てを覆うことができない、と証すかのように、な」
これが、かつてシースーアを生み出し、そこからさらに新たに【闇世】を創世して切り離した【黒き神】の権能を考える、俺なりの認識である。
では、これに対して『魔法学』で言う【闇】属性とはどのような代物であるか。
『魔法学』の学説に曰く。
諸神の叡智の光が遍く照らしたはずの【人世】から、幽された"空間"を生み出したる、が【黒き神】の権能であると。その本質は「隠すこと、隠れること」であり、人という種が何がしかを"認識"するための感覚そのものを奪うこと、あるいは、そこから引き離すこと。
≪まぁ、何せ、例の"異界の裂け目"こそが【闇】の総本山にして根源。【黒き神】が作り上げた、それそのもの……というところから議論が始まりますからね≫
例えば範囲内の光を奪い去り、暗闇の領域に閉ざす【濡れ潰す曇黒】。
例えば範囲内の音を奪い去り、暗闇の領域に閉ざす【ガゥホーチィの耳無し術】。
その他、様々な"感覚"を奪い去る魔法が【闇】魔法には名を連ねており――常人には知覚できぬ【闇】の領域を超高速で突破してくる【虚空渡り】という吸血種達の駆使する技術の存在から、【転移】という現象そのものが【闇】属性として扱われていたのである。
「そしてそれを『画狂』が【空間】魔法であると証明した」
≪そういうことです。おそらくですが、【虚空渡り】の血生臭さと対比するという意味でも、≫
≪『画狂』に【騙し絵】に『廃絵の具』。"絵画"を想起させる言葉と表現で、それこそ『認識』の段階から、全くの別物であると――【魔導大学】にすら納得させることに成功したようです≫
以降、以前も聞いたようにイセンネッシャ家はかつて厄介になっていた【九相】家を告発しつつ、その誅滅に関わりつつ、さらにそれが原因で起きた『大粛清』という混乱の時代の中で急激に頭角を表しつつ――【空間】魔法による破壊と暗殺の嵐を巻き起こし、自らもまた『大粛清』の一部として凄まじい存在感を今に至るまで放つようになった。
≪それはそれは、猛威を振るったと聞きますよ。それこそ吸血種どもによる暗殺の嵐の時以上に、ね。強欲な【紋章】家がギュルトーマ家を嵌めて没落させて、その技を盗んで……転移阻害の魔法陣を埋め込んだ粗悪な【紋章石】とやらで、一体どれだけ儲けたか想像できますか? 奴らはその金で"継戦派"の領袖の地位を買ったようなものです≫
「なるほどな。さぞかし『長女国』、いや、『四兄弟国』中に悪名を轟かせたことだろうよ。だがな? 確かに実際の所、イセンネッシャ家の【空間】魔法が失われた古代帝国時代の【空間】魔法なのか、それとも迷宮由来の力の独自再現なのかはわからないが……超常が、本来的には発動者の"認識"で、それこそ自由自在に描かれるものだと言うのなら、だ。こうは考えられないか、ルク青年」
――この世界の強力な法則である「認識の多数決」は、種族も、職業さえも変容させる。
ならばどうして、たかだか「とある"分類"された魔法現象の発動機序」如きを、変容させないことがあろうか。
人々に「そうである」と認識されればされるほど、本当に「そうなる」可能性が高い、というのに。
≪――オーマ様。まさか、オーマ様が考える『【空間】魔法の正体』とは……≫
【騙し絵】などという小洒落た"号"の通り、彼らのそれは、まるで3Dグラデーションのように風景を変異させる。
それはSFチックな光に包まれて出現する、というのでもなければ、某ピンク色の哲学的扉のように、切り取られた空間がつなぎ合わされるとかいうものでもない。まるで早送りの環境動画か、サブリミナル的デジャヴのように、違和感を感じにくいということへのメタ的な違和感とともに、風景が急速にしかし徐々に滲み出すように変異して「出現」するという機序を辿る。
実際には刹那の間の転移だとリュグルソゥム兄妹は言うのだが。
思考と感覚が幻され弄ばれたかのような錯覚を伴っており、その故に、その性質を知らない者からすれば、まさしく「死角」から"人攫い"集団が現れて虚を突いたように感じて、初動が遅れてしまうのである。
こうした説明だけを見れば、とても迷宮由来の、それも【領域転移】を大元にした能力であるとは考えられまい。
だが――もしも、当初は、単なる【領域転移】から『銀膜』という"安全措置"を取っ払っただけのものだったとしたら。
そしてそれが、ミシェールが言ったところの「イメージ戦略」が成功した結果――本当にエッシャーの風景3Dグラデーションによって場面が切り替わる、とかいう【転移】魔法の発動機序になってしまったのだとしたら。
≪きゅぴぃ。嘘さんから出た紛うことなきさんって奴なのだきゅぴねぇ≫
このホログラム仮説めいた「認識変容」的な捉え方は、イセンネッシャが迷宮核を"持ち逃げ"したとしてそれが【闇世】のルールに従って崩壊したとしても――今なおイセンネッシャ家が【空間】魔法の力を維持している理由を説明できる。
簡単なことだ。
人々も、そしてイセンネッシャ家自身も――自分達は「そういう【空間】魔法を駆使できる」と、強固に強固に疑うことなく確信し、認識することができているから、その通りに現実が変容されるという「超常」が引き起こされているに過ぎない、ということなのである。
だが、それは決して火のない所に立った煙ではない。
迷宮領主ですら「命名規則」において、自由ではない。まして、迷宮領主ではない【人世】の一貴族家が、何の「元ネタ」も無しに独自の認識変容的な超常を使うことはあり得ない。
その"答え合わせ"こそが『人攫い教団』の墨法師達の身に起きた、フィラデルフィア的な意味での「エイリアンの中にいる」であり――【領域転移】ともベータの【虚空渡り】とも、この俺の『因子:空間属性適応』とも異なる、イセンネッシャ式【空間】魔法そのものを解き明かす重要な示唆なのである。
そして、俺の迷宮にはあるだろう?
"解析"することのできる良い「戦果」と、"解析"することのできる知識を持った「人材」達が。
***
現在、俺は"事を終えた"リュグルソゥム兄妹と合流。さらにル・ベリを伴って『研究室』に移動。
そこで「壁の中にいる」状態の骸達から切り取った"入れ墨"の破片を集め――再編することに成功していた。
【皆哲】のリュグルソゥム家をして、この「"人攫い教団"の入れ墨人皮」は入手困難品であったらしく、イプシロンやらソルファイドやらに焼き潰されなくて良かった、とルクがぼやいていた所以である。
「完璧です。『墨法師』達も、そして"廃絵の具"達も、まさかこのような形で人皮魔法陣が回収されたとは、まだ気づかないはず」
「特に『標師』を押さえられたのが大きいですね。もし、我が君がお望みでしたらば――ここから連中の支部を逆探知して、こちらの戦力を転移させることもできるかもしれません。我が君の仮説と、【領域】のお力ならば」
古参で熟練の労役蟲により磨き上げられた卓の一つに、数枚の継ぎ接ぎされた等身大の人間の"皮"が広げられている。さながら、元の世界では成金の小金持ちの描写としてよく出てくる、虎やら熊やらの絨毯のあれが――そのまま"人皮"になった代物と思えば良い。
リュグルソゥム兄妹は、試験管の中の溶液を見定める大学研究員のような眼差しでそれを手で触れて確かめ、何度も頷きながら俺にそう勧めるのであった。
『幽玄教団』の支部を一つ、奇襲で落とす。
そしてそこを迷宮化する――もしくはその"噂"を流して、【騙し絵】家の暗部部隊である『廃絵の具』を誘き寄せる、というのが二人からの献策。
捨て駒に過ぎない"人攫い教団"の信徒と異なり、情報を抜き出す価値の高い面々であることは想像に難くない。そして兄妹の標的は、『廃絵の具』を率いる「ツェリマ=トゥーツゥ・イセンネッシャ」という名前の女隊長であった。
リュグルソゥム一族を襲撃した者の一人にして、王都でルクの父と母、兄姉達を狙った人物である。
「あれだけの同時襲撃……【騙し絵】家が【盟約派】に全面的に協力するなど普通なら考えられなかったのですが、それが起きてしまった。その辺りの裏事情も含めて、引き摺り出してご覧にいれます」
「そして、どの家の誰がどこまでこのことに関与していたのかを吐かせる。あの『鈍色』の者の正体も…… 一族の仇を、私達は必ず殲滅します」
「報復を願う気持ちはわかるぞ、ルク殿にミシェール殿。そしてお前達に……"時間"が無い、ということもな。だが、それだけでは当然、御方様をいたずらにその【騙し絵】家との敵対に引きずり込むことになる。その価値があるだけの対価は示せるのか?」
「無論です。恐れながら、オーマ様が今欲しているのは――より安定した拠点の置き所。この『禁域』の森は、確かに神威が剥がれつつあり、オーマ様が目論まれた通りに外部から様々な者達が集まってきていますが、いずれ踏破されて直接"裂け目"の直前か、その先で迎え撃つことになるでしょう?」
ルクの指摘する通り、"人攫い教団"が忽然と消息を絶ったという噂は風のようにヘレンセル村へ。そして、ヘレンセル村の情報を流す者の口に乗って、関所街ナーレフまで流れているようだった。
神威【忘れな草の霧】とは、ルク曰く、「知られれば知られるほど綻ぶ」という性質があるが――彼の見るところ、既に破綻状態であるとのこと。
日に日に、雪道をかき分け、魔法の痕跡などを追いかけて森の深みに至る者の数が増えていたのだ。
こうした雑多な連中に対して、俺は『最果て島』出身の【闇世】生物を含めた「魔獣」達を解き放ったり、グウィースが生み出したものが元となった野生化した宿り木樹精を利用したり、そしてダメ押しで『監視班』のエイリアン達によって遅滞を試みてはいた。だが、その歩みは着実に進行し、俺が暫定的に"裂け目"を置く山の反対側にまで、調査の手は近づいていたのである。
「【遷亜】による迷宮経済の底上げで、一時的にだが巨大な余裕が生まれた。俺はこのまま、山奥まで調査隊を引き摺り込むだけ引きずり込んで――ヘレンセル村の内部にこの"裂け目"を移動させるつもりだったんだが? それよりも、もっと良い案があるなら聞こうじゃないか」
「私達の痕跡は、ほぼ確実に『廃絵の具』には伝わっているはずです。我が君のお力ならば、敗れることはありえませんが――しかし、例えそうであっても、情報を持ち帰らせずに撃退することは困難と愚考します」
「そして、どうせ情報を持ち帰られかねないことが避けられないならば、そこに遅滞を挟むべし。入れ墨坊主どもの拠点を一つ制圧し、そこに拠点を、"裂け目"を―― 一時的にで良いのでお移しください」
「なるほどな。つまり、飼い犬の反抗に見せかけて初動の判断を誤らせることができる、というわけだな?」
修復して再現した、墨法師とその弟子達の人皮魔法陣。
数枚しかないそれらを使い捨てにしてしまうことにはなるが――俺の【領域転移】と組み合わせることで、理論上、"異界の裂け目"を『一時的に』転移させることができると二人は喝破した。
それを利用することで、適当で好都合な"人攫い教団"の鉱山支部を攻め落とし、乗っ取ってしまえば良い。この際には、さらに墨法師達の人皮魔法陣を得ることができ――他の支部に通じる「座標」を彫り込まれた『標師』もまた確保できる可能性がある。
そうして監督役たる『廃絵の具』の注意を引きつつ、さらに人皮魔法陣を使い捨てて鉱山支部内全体で暴発させる――事前に大量の魔石を用意しておく――ことで、物理的にその場所を「鉱脈」と化して全ての証拠を埋蔵してしまう。
「これにより、鉱山支部を本物の『魔石鉱山』と化すことが可能です。オーマ様の狙いは、違和感なく"よそ者"として、ヘレンセル村へ紛れ込む程度にこの地に流民や食い詰め者達を集めて不安定化させること。ならば、この"裂け目"の周囲に配された【火の魔石】という線を、そのまま活かしましょう」
「"裂け目"そのものは撤収させても、十分な人皮魔法陣が集まれば、連中の【空間】魔法をそのまま利用して、この地と『魔石鉱山』を繋ぎ続けることができます。我が君に、リュグルソゥム家の力をお見せいたしましょう」
「なるほどな、読めたぞ。それで御方様と我々の用が済んだ後は、入れ墨の教団連中が暴走したことにして『廃絵の具』どもと騒動を起こしたことにして、我らはこの地を去ることもできる、ということだな!」
【騙し絵】家を罠にかけ、必要な情報を回収した後に"裂け目"を完全に移動させてしまえば、『禁域の森』に残るのは『魔石鉱山』に通じるイセンネッシャ式の【転移門】のみとなる。そもそもこの地の"裂け目"が【忘れな草の霧】という神威によって、一般からは隠されていたが、その正体は実は【騙し絵】家の策動であり内輪揉めであった――という形で、全て切り離してしまうこともできる。
万が一、こちらの動きが看破された際に早々に撤収する際にも役立つであろう「後始末」を含めた、リュグルソゥム兄妹が提示する"策"であった。
無論、そのまま村へ居座り浸透していくにしても、欲を持った者達が流入する"原因"を【騙し絵】家に押し付けているので、俺がそのことについて追求される可能性を潰す意味合いもある。
「丘の民でもないのに、モグラのようにせっせと穴掘りに使われる愚鈍な連中ですから。せいぜい……掘り当ててはならないものを掘り当ててしまった、ということにしてしまうのが良いですね」
もしもヒュド吉レーダーが指し示す「少女の痕跡」が『関所街ナーレフ』の向こう側などでなければ、あるいは【西方諸族連合】の領域へ先に赴く、という選択もあったかもしれない。
だが、遅かれ早かれ【騙し絵】家が俺の迷宮に興味を持って探りを入れてきていただろう。
それに、リュグルソゥム兄妹の事情を知った上で、彼らを叩き出さずに抱え入れたのは俺の判断である。それは、彼らの厄介事も含めて飲み込むという決断でもあったが――今後、『長女国』の各頭顱侯家との衝突が避け得ぬならば、いっそ飛び込むべし。
また、そもそも迷宮勢力と"戦う"などという使命を帯びた『末子国』という存在を知ることができたのは、まさに俺がリスクを覚悟で【人世】に踏み込んだ目的であった。
加えて【騙し絵】家という、単なる特殊な魔法使いの一族であるに留まらず、属性と世界の構成要素と諸神と、そして迷宮の力を巡る秘密の一端に迫る上で無視できない来歴を持つ可能性が高い存在に対して先手を打つことができる好機。
それをもたらしてくれたこの兄妹に、俺は報いなければならないのである。
「『長女国』の弱みを知っていくこと、握っていくこと、つけ込む隙を突いていくこと自体に俺としても異論は無い。どれだけ誤魔化そうとも、俺は迷宮領主であり――それと戦って今の秩序を勝ち得た『四兄弟国』がある限りは、根本では相容れないからな」
だが、と俺は続ける。リュグルソゥム兄妹の献策を受け入れつつも、彼らに枷はつけなければならない。導かれるままに、俺にとって望ましくないタイミングで、全面的な闘争に引きずり込まれるような事態は、避けなければならない。
「俺の指示無しで、勝手な行動をすることは許さない。身体で理解したと思うが、お前達一族の存続は、既に俺の【エイリアン迷宮】に依存しているのだからな。従徒としての服属は求めるし、破滅をいたずらに呼び込むことは、一蓮托生にお前達も滅ぶことを意味している。その上で、献策するがいいさ」
「兄様……はい、無論のこと、心得ております、我が君」
「その上で、だ」
人差し指を立ててルクとミシェール、そしてル・ベリの注目を促す。
そして俺は、口の端を歪めた表情を兄妹に見せてやり、睥睨をくれてやった。
「お前達の知識・見識・学識、そして考察能力の高さは俺が【人世】で活動していく際に、欠くことができないほど役立つものになるだろうと俺は理解しているし、予期している。だからお前達を、俺の【人世】での――『外務卿』に任じようじゃないか」
"従徒職"という形で『称号』扱いの技能点ボーナスが、リュグルソゥム兄妹に与えられるシステム通知音。リュグルソゥム家という一体の存在という意味では、ルクとミシェールは2人で1つであり――結果、2人同時に『従徒職:外務卿(異星窟)』となったのであった。
これは戯れでもなければ、憐れみでもないし、まして安易な懐柔などでもない。
『長女国』への復讐心こそ大きいものの、彼らには実際にそれを成し得る力はあるものと思われた。
ミシェールを【情報閲覧】するに――今は一時的に代胎嚢から抜け出しているため"促進"が止まっているようであったが、彼女の腹は見てわかるほどに大きくなっている。【卵生代胎】と【母胎保護】の効果により、この数日間で、数カ月分"成長"したのだ。
……呪詛により、3年弱にまで縮められた寿命でありながら、リュグルソゥム家としての力を発揮するためには20~30名は必要であるという。ならば、彼らは今後、1年のうちに10人は育まねばならない。
故に、彼らは俺とはもはや一蓮托生なのだ。
【人世】で俺の"探しもの"を探していくためには、いずれ必ず迷宮領主であることが露見した際に訪れる敵対勢力に打ち勝つ力の獲得が絶対に必要。そしてリュグルソゥム家もまた、俺の迷宮に依存する生命の一族となる以上、彼ら自身のために俺の勢力の維持に貢献しなければならない。
ならば、『長女国』絡みではない部分で、無茶をすることは少ないだろう。
【人世】での外交の全権に関する助言と献策を委ねるというのは、つまり、そういう意味である。
行動には責任が伴う。
言ったからには、それをなんとしてでも為すために実現してみせろ、という俺からの二人への課題である。その意図を理解したのであろう。ルクは緊張した面持ちで、ミシェールはぞっとするような婉然とした微笑みで、それぞれともに頭を垂れる。
「――心得ました。必ずや、私達の因縁すらをも、オーマ様のお役に立たせるよう改めて誓います」
そう傅く兄妹二人は、何度も見合わせ――『止まり木』で話し合っているようであり――再度、深々と頭を垂れ、連れ立って代胎嚢の方へ戻っていくのであった。
ミシェールを再びそこへ浸らせ、まず第一子を健康に産ませてから、今しがたの献策――『人攫い教団鉱山支部襲撃』計画の詳細を詰めさせるために。
読んでいただき、ありがとうございます。
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