0107 焼け堕つ蝶はテセウスを夢見る
12/8 …… 『呪詛』に関する考察を加筆
7/8 …… 2章の改稿・再構築完了
【降臨暦2,693年 沃土の月(4月) 第7日】(78日目)
この世界に迷い込んで初めて、俺は『人間』を手に掛けた。
――小醜鬼? あれは"人型"ではあるが、それであっても『人間』そのものではない。また、【樹木使い】リッケルと彼の配下達とは、互いに命を賭けて闘争する対手だという暗黙の前提、もはや一種の紳士協定レベルとすら言えるある意味での信頼による敵対関係の中で、互いの存在をかけて殺し合ったわけだから、それはそれだ。
だから、そういう覚悟の無い『人間』を、直接、俺の命令によって殺害したのはこの世界では初めてのこととなる。
……どこか遠い場所で命令書だかに署名して、日常生活を送っているうちに、まるで小さな子供だか太った男だかがシュレディンガーの猫の箱から飛び出すかのように、誰かが、俺の起こした蝶の羽ばたきで俺の意識しないところで大量に死んでいく――などというのとは、訳が違う。
なにせ【共鳴心域】によって増幅・効率化された【眷属心話】を通して、その感覚は五感レベルで翻訳され、一種の純然たる情報として、全て俺にはフィードバックされているのだから。
走狗蟲が"足爪"によって肉を引き裂く感覚も。
戦線獣や螺旋獣達が豪腕によって骨を粉砕する感触も。
すべて情報という形ではあるが、明確に俺に生々しい実感として伝わってきていた。
俺は俺の意思と思惑によって、迷宮領主たる"経験"を、さらに深く積み重ねたのであった。
【基本情報】
名称:オーマ
種族:迷宮領主(人族[異人系]<侵種:ルフェアの血裔>)
職業:火葬槍術士
爵位:副伯
位階:33 ← UP!!!
【称号】
『客人』
『エイリアン使い』
『超越精神体』
『怜悧なる狂科学者助手』
【技能一覧】(総技能点118点)
位階が上昇して新たに得た技能点は【領域転移】に費やした。
それから一つ、確かめたいことがあり――【異形】にも俺は点を振っていた。煉因腫や加冠嚢による『遷亜』の力で、俺自身の迷宮領主能力とは別にエイリアン達を強化することができるようになり、各種の【眷属強化】系に振る優先度が下がったためである。
――そんな風に俺自身を強化するための"経験"点と化した、【人世】の"貧者"達に話を戻そう。
実際のところ。直に手を下さずとも、俺の意思によって誰かを破滅させた、という意味でならば、元の世界も含めれば、俺にとってそれは初めてではなかった。
――せんせは、正しいことをしたんだよ。せんせも、みんなも、傷つけられたんだから。
その男は週刊誌の記者だった。
"あの事件"を『現代のハーメルン』などと散々にいじくり回し、煽情的に炎上させ、俺自身はおろか家族や友人や単に道端ですれ違ったことのある顔見知り達すらをも、その根も葉もほじくり返し回した連中のうちの、どうしようもないゴシップ誌に勤めるブンヤだった。
だから、それから何年も経って俺の存在なんて世間から忘れられたその後で、俺は素性を偽り、「情報提供者」として誘い出して、そいつの情報源を聞き出して、そこから手繰り寄せるようにして――あの複合企業までたどり着いたのだ。
軽薄で、人情家で、思い込みが強くて、しかし情に厚い良い奴ではあった。
そして、良い踏み台だった。
そうなるとは、俺も知らなかったし、予測できなかった。だが、俺が踏み台にしたことで、蝶の羽ばたきは気流を巡らせて雷へと至り、ついには、彼の身を打って感電死させたのであった。
記者がいつのまにか「いなくなる」だなんて、たまに噂話のように語られる都市伝説みたいなものだ。そいつは消えてなくなった。
……だから、開き直るということもない。
――技能【強靭なる精神】に頼る必要もない。案ずるなよ、副脳蟲ども。記憶が混濁している、そういう自覚は、ある。
それでも、軽くまぶたを伏せて、黙祷のように俺はなにがしかを念じた。
俺が選んだ行動によってここで潰えた"人攫い教団"の面々のためでも、まして俺自身のためでもない。そういうものではなく――俺が目指すものを見つけるために為した全ての行為に伴う結果として、他ならぬ俺の身に相対する形で迫った、深淵でも化け物でもない、しかし甘んじるべき"何か"に対する責任を思って。
祈りを捧げるように、しかし、祈ったわけではない、何かを俺は祈念した。
「さすがに一人二人は生かしおいても良かったかな? どう思う、ルク、ミシェール」
火属性砲撃茸から採れた【火】の属性結晶に魔力を通すことで、即席の魔法の松明を灯す。橙色の光が鍾乳洞の青と白の仄光に入り交じりあい――『司令室』の円卓と椅子を照らし出した。
椅子に座る5人の従徒達と、常に数体、入れ替わりで俺の周囲に控える"名付き"達の影の形が壁に照らし出されている。
労役蟲達によって磨き上げられた広間の央を占める円卓に、隣り合って新たに席を占めるリュグルソゥム家の兄妹が顔を見合わせ――『止まり木』で意見をすり合わせたか――ミシェールが恭しく微笑んだ。
「我が君。所詮は"絵の具"どもの画材にもなりきれない、使い捨ての筆の朽ちた穂先みたいな連中です。いたらいたで……【精神】魔法の実験台にできるかな、とも思いましたが、」
「あの『小醜鬼』とかいう"亜人"どもをオーマ様は支配されていますから。だったら、実験動物の価値も無いので、処分して正解だとは思いますよ」
「まぁ、本音を言えば【人世】の"オゼニク人"達……魔人の言葉で言えば『神の似姿』達にも、俺の迷宮の技が通じるかを試すのもありかなとは思ったけどな」
例えば小蟲達。特に共覚小蟲。
例えばル・ベリの【魔眼】。
例えば超覚腫によって、文字通り、生物として、この超常が世界法則を凌駕する世界において、ただ存在しているだけで――必然的に、無意識的に有してしまう様々な"情報"の、その隅々までを見通す。
超覚腫だけは、やや特別で特殊な存在である。
あの「きゅぴきゅぴ会議」でうるさい、常に盛り上がっている副脳蟲どもの――要するに「モノ」案件である。モノか、彼が生み出した彼の部下たる量産型副脳蟲どものみが、俺への超覚腫を通した情報のフィルタリングを担当しているのであった。
ルクとミシェールが優雅に一礼し、俺の言葉に答えを返す。
「承知しました、そのようにお考えであれば、今後は侵入者も可能な限り"活用"する方向で献策させていただくようにします」
「我が君にいただいた大恩は、天の塔よりも高いものですゆえ」
既に報告を受けてはいたのだが――【情報閲覧】で確認したところ、ミシェールの『状態』の項目に「懐妊」という表示があった。心なしか、ルクが昨日よりは血色が戻っている気がするのも、お勤めから解放されてのことだろう。俺へのいささかの不服心も和らいで感じられるが、どうしてそれで忠誠心が上がるのかいまいちわからない。
……まぁ、彼らが今後も「一族」として存続していくつもりであるならば、その解放もあくまで"一時的"なものに過ぎないはずなんだが。などと思っていると、その辺りの疑問にソルファイドが切り込んだ。
「それで、ルクにミシェールよ。お前達は一体、あと何人、作るつもりなのだ?」
「今後、『戦術』レベルから『殲滅』レベルの魔法陣をリュグルソゥム家の力だけで維持して、オーマ様の役に立てることを考えますと……最低でも20、いや25人は必要ですかね。戦力という意味でも、それぐらいが当面の目標です」
「それも、我が君の……魔法型の"眷属"達の補助あってのもの。リュグルソゥム家だけの力で往年の力を取り戻すならば、3世代で50は保てるようにしなければなりませんが」
「それは――体が持たぬのではないのか?」
一瞬、無表情に眼帯顔で天を仰いだソルファイドに、ル・ベリが呆れたような声をかける。
「御方様の眷属の力を未だ理解していないと見えるな、赤頭め。代胎嚢殿の力は凄まじい、およそ野生動物を掛け合わせようと思う者には、秘術の類と思わせる能力だ、繁殖期すら早めてしまうのだからなあれは」
「そうだな、ル・ベリの言う通りだ。そして"3世代"ということだから……1世代で見れば8人か。多胎を考慮に入れなければ、あと7人だな?」
「はい、我が君。頑張りましょうね、ルク兄様」
「ははは……」
「グウィース?」
「お前にはまだ早い」
ソルファイドが「体が持たない」と言ったが、はて、それはどちらのことであろうか。
せっかく、義務から一時解放されたか心地でいたルクの目元がぴくぴくと引きつるように動くのを眺めつつ――俺は、【皆哲】の兄妹が加入してから数日間の"検証"結果を思い起こす。
第一に代胎嚢や煉因腫や、浸潤嚢などでエイリアン的な"解析"を重ねた中でわかってきたのは、この『継承技能』テーブルに居座っている【呪詛】は、身体機能に対する類ではないということであった。
……それは、具体的な概念として正確に認識することも定義することも難しい"現象"である。
単純に、寿命を奪うという意味でならば『時間』という『因子』が定義されてもおかしくはないようであったが――0.1%たりとも、何か新しいものが解析されることはなく。
しかし、『因子:呪詛』以外にも何かがあるという、非常にもやもやとした、とらえどころのない雲を掴むかのようなイメージばかりが、残尿感のように俺の中に残り続けていたのが【因子の解析】の結果であったのだ。
この俺の迷宮領主としての権能が、【闇世】が生み出される際に『九大神』によって"調整"された世界システムに由来するものであるならば――この「感覚」が意味するのは。
この『呪詛』として顕れている"現象"は、最低でも「この世界の法則」から、半歩程度は埒外に出た理外の原理によるものではないのか、ということ。
肉体ではなく、言うなれば精神だとか魂だとか。
もっと言えば存在――の根源か、はたまた"認識"そのものに食らいついたものであることが、なんとか、流れ込んできた断片的なイメージと概念からかろうじて直感できた程度である。
ちょうど、ルクとミシェールにこの『呪詛』を叩き込んだ張本人――強いて言うなら"鈍色"としか表現できない仮面をつけていた存在に対する、この「強いて言うなら」という部分に近いか。
どうしても、あと数歩だけ足りない感覚の中で俺の【エイリアン使い】としての力が、ぐるぐると迷歩させられているような心地なのであった。
……話を『呪詛』が引き起こす現象に移そう。
おそらくだが、首の周りを覆って神経や毛細血管に沿って、今も二人の首から下に拡がりつつ在る「痣」を、例えば焼き潰したところで意味は無いだろう。それは兆候に過ぎず、呪詛効果の"根"でしかない。
【魔法学】において、『呪詛』という現象の作用は【崩壊】属性と【混沌】属性によって説明されている。すると、それに対して対抗し整調することができるのは【均衡】属性であり、兄妹は【トモリスフィスの悪意避け】という名の【光】魔法に始まるいくつかの魔法を、既に散々試していた。
それこそ、ヘレンセル村にいる間には【氷】属性による――擬似的な"冷凍保存"すらも試みたようであったが、これが身体に対する呪詛ではない以上、"痣"が拡がっていく速度を遅らせることはできなかったようだ。
一方、魔法学の16属性論的な発想に縛られない迷宮領主としての俺も、現時点でできることは手を尽くした。
――紡腑茸によって生み出した「皮膚」を、ル・ベリに執刀させて二人に移植手術させてみたのである。リーデロット譲りの医療技術と、兄妹の【活性】属性魔法の知識により、手術は良好で術後は痕も無く健康そのもの……であったが、首周りの皮膚を丸ごと張り替えたにも関わらず、"痣"はその努力をまるで浅知恵とあざ笑うかのように、耳の奥にキィンと微かに響くような"笛の音"と共に、数十分と経たずに、じわりと浮かび上がってきたのであった。
そんな状態である以上は、おそらくテセウスの船的にコスト度外視で脳以外を「全身移植」したとしても――ダメであろう。そういう直感が働き、俺は随分と忸怩たる焦燥にとらわれた。
なお、余談であるが、この「テセウスの船」については実際に野生生物で"試して"みた。
使ったのは綿毛雀である。
結果は、単なる臓器をいくらか作る程度であれば紡腑茸と代胎嚢の【臓器保護】の技能を連携させればなんとかならないこともなかったが――"脳以外の全身"となると、そうもいかない、という見識が得られたこと。
系統技能【臓器保護】は、血管や神経系だとか筋肉や皮膚以外だとか、とにかく「臓器以外」には効かなかったのだ。
いっそ"剥き出し"の臓器である方がむしろ"保護"しやすかった、というのも妙な話だが。
そもそも、内臓を片っ端から作ることができても、それらを「包む」もろもろの器官までをも紡腑茸は編む力を持たない。あくまで、一定サイズ一定部分の部位を作り出すのみ。その状態で"脳以外の全身"を保存し維持するには、それこそ"脳が要る"という逆説が生じ、検証は生ゴミをいくらか生み出すだけに終わったのであった。
それでもまだ何かできないかと考えて、グウィースの「つ ぎ 木 !」という発言をヒントに、今度は微臓小蟲を併用する線を考えてみたが――どうも微臓小蟲は同一生物個体中に複数同居させられない、という性質が判明したのであった。
微臓小蟲による臓器機能の偽装は、寄生した生物の"脳"と神経系を通して、元々の機能とある程度同調しながら実行するものだったのである。となれば必然、複数が介入してくれば、それぞれが脳機能との繋がりを確保しようとして互いに混線してしまう。
加えて、模倣してある程度役割を果たしているとは言っても、元々が異物であり異生物であり侵入者である、という事実を消せるわけではない。生物によって"比率"は異なるが――体重の一定%を上回る量の"臓器"が微臓小蟲に置換された場合、彼らは一斉に模倣を「解除」して、その生物の体内から逃げ出してしまい、直後にその生物は絶命してしまうということも明らかになったのであった。
再び、話を兄妹の『呪詛』に戻そう。
相手が呪いであるならば―― 一応、今の俺の職業である【火葬槍術士】の技能に【焼傷消呪】というものがある。その名の通り、本当に『呪詛』を焼き潰すことができるならば、技能点十数点以上分の価値はあるかもしれない。
――だが、確証が持てない。既に【火】で焼き潰すのは試された後であり、そして『因子』として解析できなかった、魔法でも呪詛でもないそれらに類似した世界外の力がこびり着くように兄妹に絡みついており、ダメ元で試してみた【魔素操作】と【命素操作】でも徒労感が増すだけだったのだ。
迷宮領主として、探しものを探すために、優先すべき技能は他にいくつもあるのだ。既に覚悟を固めているリュグルソゥムの兄妹に対して、彼らもまた己の運命を納得しようとしている中にあって、俺には、これ以上してやれることがない。
寿命を伸ばしてやるだとか、呪詛をなんとかしてやるという形で【報い】ることができない、というのが俺の中での忸怩であった。
――かつて、助けられなかった子供達が、顔の上に白布をかけられるのをただ見ているしかできなかったように。
手の届かぬ範囲まで救おうとするだとか、じゃあ届かせるために骨延長手術でもして手を伸ばしてやろうだとか、そういった"無茶"が俺にはできるんだと思っていた時期もあった。だが、それだって、精神が世界と初めて向き合う中で、戸惑い、あちこちにぶつかって、挫折を経験してきたのだ。
その時の心と激情を、今でもありありと思い出すことはできるが。
無茶には"代償"が伴うことを俺は知ったのだ。
一時的な万能感が得られるようでいて、それは、要するに未来から何かを"前借り"するということに過ぎなかった。
だから、今の俺は冷徹と思われようとも、兄妹のために不確実な【火葬槍術士】の技能のために、5位階分もの技能点を割り振ってやることは、できない。俺もまた、自分が持てる力と、すべきこと・できることに対してまず最優先で何に振り向けるかを、既に覚悟して道を決めて固め、それに納得してしまっていたのだから。
"寄り道"でできることがあれば、それを最大限に試すつもりではあったが。
ルクとミシェールの兄妹と、これから二人の間に生まれてくる子孫達にとって、彼らが俺に仕えそして"復讐"と"復興"という2つの目標を果たすことができるように、整えてやれるべきを整えていくこと。それをもって、俺からのリュグルソゥム一族への【報い】とするしかないのだろう。
現に、ミシェールが懐妊した状態で代胎嚢に入りながら、臓漿によってそれが煉因腫と【共鳴】して連携したことにより――重度の近親交配による遺伝的劣性の強化を和らげることができると判明したのだ。
それは、そのまま俺の【エイリアン使い】の力が"オゼニク人"という【人世】の人種であるところのリュグルソゥムの兄妹に流れ込むことを意味しており――果たして、このまま彼らが"オゼニク人"であると「認識」し続けることが俺にできるのか、そして兄妹自身がそう認識できるのかは自信が持てないが。
――仮説が正しければ、これについては、俺だけの「認識」では決定されないはずである。ルクとミシェールは、まだ、きっと、自分達を生物学的にも遺伝的にも家系的にも文化的にも歴史的にも「オゼニク人」と規定しているだろう。それを自明としているだろう。
だが、今後、新しく二人の間から生まれてくる"子供"達は――果たして、自らをどのような存在として認識することになるのだろうか。【エイリアン使い】の力が流れ込み、世代を重ねていくに連れて。
それこそが俺の「仮説」の核である。
つまり「認識」の多数決が、技能と技能点にまつわる、この世界の法則に重要な影響を与えているのだ。
そもそも、今まで俺が遭遇してきた現象は、どれも認識する主体が俺自身であった。
大本を考えるならば、俺の眷属達はそもそもが俺の世界認識が表現された【エイリアン使い】から生まれ、その『因子』すらひっくるめて系統ごとの役割そのものに至るまで「俺にどう認識されるか」に強烈に依存しており――つまり、彼らのあり方は俺次第なのである。
故に最初はエイリアン種として確立しつつも、後から、俺が期待する役割が増える中で分化が起きて「ビースト」「ファンガル」「パラサイト」「シンビオンサー」「オリジン」などと次々に種が分化していった。
他の事例としては、ル・ベリの『異形特化』現象も挙げることができるだろう。
元々は純種の『ルフェアの血裔』であったものを、母の愛によって、"半ゴブリン"の身に封じ込められ続けたル・ベリであるが――【エイリアン使い】である俺の従徒となり、しかもその流れの中で【異形】を獲得する際に、もはや「再誕的」とすら言える強烈な"認識変化"が彼の中で起きたに相違ない。
そしてその時点で、その変化を"観測"したのはこの俺とル・ベリ自身であるはずであり――もしも【闇世】の迷宮領主に俺以外の別の【えいりあん使い】がいたならば話は別であったろうが、たった二人しかそれを観測し得ない者の"認識"が二人とも変化し、合致した以上、そこで「多数決」が働いてル・ベリは自らの種族を変化させた。
同様のことがグウィースにも言えるだろう。
この事例では"認識"の主体となるのは――俺とグウィースと、あと勘定に入れるとすれば【樹木使い】リッケルであるか。
このように、既存の種族とは異なる新種も、既存の種族から派生する種も、いずれも「認識の多数決」が影響しているのである。
それは、世界単位でのより大きな、民族や種族・文化が分化する仕組みが、この『位階・技能ルール』の中で"解釈"され、対応されているような仕組みにも俺の目には見えていた。
……だが。
俺の疑念は、ここからなのである。
単純な話だ。
例えば、ルクとミシェールが「数百種類」扱うことができるという【人世】の【魔法】。
例えば、ル・ベリが母から引き継いだ「医術」の技や、俺の眷属達との高度な水準での連携。
例えば、ソルファイドがかつて住んでいた隠れ里で、仲間達と共に鍛え上げた"魔獣狩り"の戦技の数々。
――例えば、俺の中にある、この世界に迷い込む以前の"元の世界"で習得した、してしまった、様々な知識や経験や訓練した技術など。
このどれもが、技能として"解釈"されきっていないのだ。
異世界【シースーア】では、ゲームシステム的な超常の力が猛威を振るっていながら、しかし、ゲームシステム的でないものが決して少なくない部分を占めている、と俺は直感する。
それは、技能によって強制的に植え付けられた"外付けの能力"とは異なる、生物がその生物自身の法則の中で訓練し、経験して学習し、パラメータや数値などが見えない中で自身の感覚を研ぎ澄ませ神経とニューロン配置を効率的に練磨していった、ごく当たり前の営みとして獲得した"身体知"とでも言うべきもの。
この『世界』は、非常に歪である。
神々が、もしも、全てを網羅するような「ゲームシステム的な世界」として造形し、表現するつもりであったならば――超一流を越えた超一流のプログラマー集団がゲームを作るかの如く、今俺が疑問に思った"身体知"すらも全てを「技能」化することなど容易いのではないだろうか。
それこそ【呼吸】であるとか【歩行】すらも位階上昇する技能にしてしまえば、よいのだから。まして、数百数千もある【魔法】がどうして技能化していないのか、釈然としない。
その一方で、リュグルソゥム兄妹の運命を決定づけてしまった『呪詛』みたいなものは、きっちりと技能という形で存在しており――まさに"外付け"されているかのような強烈な違和感が拭うことができないまま、ふつふつと俺の中で煮立っていた。
――神は人に試練を与える存在であるか。多神体制のくせに、そのような絶対の唯一神じみたことをする、という意味で【人世】の【八柱神】も【闇世】の【九大神】も、同じ穴の狢であるということか。
神は技能システムを利用して、定命の者の"生き方を誘導"し、運命を操っているということか。そしてそれに必要な範囲で"認識"による技能の発生や出現が起きている、と考えれば、このある種の不完全さの説明がつくのだろうか。
そこまで考えて、しかし、まだ何か足りていないと俺は感じてもいたが。
だが、せめて技能が"外付け"に履かされた下駄である、と明確に"認識"した上で、警戒心を保ちながら、有効に利用して活用していくしかないのだろう。今は、まだ。
いずれ、それに対峙すべき時は来る。
今の俺にはまだ触れさせないようにしている「モノ案件」について、識らねばならない時は、来るのだろう――例えば、まだ第2世代に過ぎない超覚腫の【世界感知・縦】と【世界感知・横】とかいうものが存在していることであるとか。
あるいは、どう考えても副脳蟲どもの特殊進化条件であるとしか思えない、技能【知天則】であるとか。
その時は、俺が俺の探しものを見つけようが見つけまいが、その始まりか終わりか、途中かどうかに関係なく訪れる類のものかもしれない。
だが、そんなものは俺がこの世界に迷い込んだ時から、ずっとそうだったはず。
俺はこの世界の超常の力に頼り、利用してはいるが――それでも、その力を信じてはいない。





