0101 止まり木の小鳥は相食らう[視点:兄妹]
7/8 …… 2章の改稿・再構築完了
降伏の意思を認めるや、異形の魔獣達はその殺気の矛を収めた。それでも不測の行動は許さぬという"圧"はそのままであったが――ルクとミシェールは、まるで護送でもされるかのように、種々多彩な姿形をした黒き肉皮の魔獣達に森の奥まで連れられていく。
せめてもの抵抗として、ルクは観察を継続していた。
この異形の魔獣達のうち、最も数が多いのは例の湾曲した太く鋭い足爪の魔獣である。常に地上と樹上を行き来し、視界に必ず3、4体は映っており、そして視界外にも常に10体近い気配が感ぜられる。
そしてそれらに入り混じるようにして、あの凶蛇……を一回り小さくしたような蛇身をした魔獣が、その身を投げられた縄のように翻らせながら、樹上を這うように飛び移っていく姿が見える。
また、ミシェールに取り付いた"羽付き"の集団も時折木々の間を飛び抜けていくのが見えた。3体1組となり、まるで何かを嘲るようなギャアギャアという鳴き声を上げながら、飛び去っていく。
そして、それら"戦闘種"だけではないことが判明する。
この、遊ばれているかもしくは試されたとしか思えない戦闘の中では全く姿を現さなかった種として、前肢がまるで鍛冶場の職人が使う数々の道具を一つにしたかのような鋏脚を持つ、足爪よりももう一回りほど小さな、より"蟲"に近い肢体をした個体達が周囲を埋め尽くすようにわらわらと通り過ぎ、行き来しているのだ。
その"鋏"には砕かれた倒木やら、岩の礫やらが運ばれている。
"運び屋"達の背には、果てはあの"鎧獣"がおぶっていた、砕けた陶器の塚を思わせるような白い外殻を周囲に浮遊させる肉の蘭の花――【火】魔法の妨害者――に、『次兄国』のネレデ内海沿岸一帯に時折被害をもたらすとされる"海魔"の腕を思わせるような根の生えた触手そのものとしか思えない肉の塊、そしてミシェールが警告を出したであろう異様な感知能力を備えた『生地の代わりに大量の肉襞をぶら下げた骨組みのみの傘』のような肉塊などがおぶられており、運ばれるままに蠢きながら、森のどこかへと消えていく。
加えて、明らかに海洋に棲息するのに適したような鰭を生やした、これまた案の定であるがその頭部が他の者達と同系統であり――ただし牙のみ口内からイッカクを思わせるかのような二叉槍の如く突き出た魔獣達とも道中ですれ違う。
果たしてこの"種"はどれほどの亜種から形成されているのか。
ルクは開き直って呆れてくる思いであったが、無論、抵抗を諦めて連行されるに任せるにしても、情報収集と傾向対策を怠りはしない。
『止まり木』で可能な限り、それぞれの個体の分析と、もし戦うならばどのように攻略するかをミシェールと意見交換し、そして時には精神世界に偶像を"再現"して試行を行っていく。
――一体、そんなことに今更意味があるのか、と、首の付け根と鎖骨の間の天突から広がる痣に嫌でも意識が向かうが。
果たして出た結論は、個々の魔獣であればおおよそ対抗可能ではあろうものの――その恐るべき連携は元より、ある一つの生態系を相手取るかのような"組み合わせ"の暴威を前に、魔素切れになる可能性が高いというものであった。
いかに一族の結束と連携が強くとも、今やたった二人しか残っておらず、準備も十分にできない今の状況では、取れる対策に限界がありすぎる。
しかも、相手の手札をつぶさに観察して対策対抗し、あまつさえそれを学び取ることができるのはお前達の専売特許ではないぞ、とでも言いたげに、例の【撃なる風】を模倣してみせた空飛ぶ"肉の杖"の如き亜種が、その一ツ目で二人をじいっと監視し続けている。
リュグルソゥム家とて伊達に【皆哲】を号とするわけではなく、数多の魔導の知識を組み込んだ『詰み手』を駆使する者であるが――果たしてこの黒艶裂牙の魔獣達の"組合せ爆発"とどちらが凌駕するか。
手数に対する後出しとしっぺ返しを披露し合う見かけ上の膠着状態に陥るならば、それは壮絶な消耗戦に他ならず、ならば、先に力尽きるのはルクとミシェールであると言えた。
……それでも、それは今敵わぬというだけの話。
先を見据えて、情報の収集と分析、対策の検討をルクは『止まり木』で黙々と続けていく。
それこそが、自分が確かにリュグルソゥム家の一員であることの証明であるかのように。
やがて雪原を越え、足下の表雪のすぐ下に――土中に魔力を吸うような得体の知れない生物の腸のような気配を嫌というほど感じさせられて、もはや煮るなり焼くなり好きにしろというヤケクソの心地になっていくルクである。
そうして遂には、一層多くの"運び屋"達が出入りする、樹齢数百年はくだらないだろうという巨樹の「うろ」に2人はたどり着く。
銀色の水面のような不透明な靄が漂い、たゆたい――伝承にある通り――単なる氾濫などではなく、迷宮が完全に再活性化して遺憾なく活動をしていることを示す、絶望するような光景が広がっていた。
銀の水面が、まるで人間の表情のように戦慄くかのように震える――。
その際の周囲の魔力の気配に、ルクはふと頭の中でカチりと何かに気づきかけたような気がするが……現れたる"魔人"の一行と相対するや、その言動と表情と一挙手一投足の全てに己の感覚を集中させた。
「ようこそ、我が迷宮へ」
一分の隙も無い流麗かつ流暢なオルゼンシア語。
ルクは想定よりもさらに数段警戒の度合いを上げた。
「遥か神話の時代に【人世】から隠れた同胞の末裔、"魔人"と呼ばれる存在と見受けます。確認させていただきたいのですが、ここはまだ、【人世】なのでは?」
烏の濡れ羽の如き黒色の総髪に、意志の強さを備えつつも、それを隠そうとするかのように揶揄の色で装われた黒い双眸を細めて、"魔人"が右の眉と口の端の左を楽しそうに歪めて吊り上げる。
「聡明なる魔法使い君。学問に秀で、古今の知識に通じた君達でも魔人の真の力は知らないと見える。【人世】もまた迷宮にすることができるんだよ、俺達はな」
『止まり木』でルクは、仮に奇襲したとしたらどうなるかを検討する――黒髪の魔人の傍に立つ2体の"螺旋"という概念を肉塊で鍛造し練り上げた、破壊と暴威を効率化したとしか思えない魔獣の穿腕が刹那の間にルクとミシェールを挽肉に変えるだろう。
この"螺旋"の魔獣は、たとえ高等戦闘魔導師であろうとも、絶対に正面から相対するのを避けるべき存在である。見た目だけでも、その戦力が【アスラヒム皇国】の蝙獣に匹敵するのは明らかと映った。
仕掛けるには距離があまりに近すぎる上に――例の「魔法使いの魔法」を学習する"一ツ目"の肉杖が魔人の脇に移動して、まるで殲滅魔導師の長杖の如く控えていたのだ。
「ならば、今宵は500年振りの吉日ということですか? かつて失敗に終わった、魔王による【人世】侵攻の――その再興の日である、と?」
「いいや、魔法使い君。信じないかもしれないが、そんな大層なものではないさ」
両眉をハの字型に、大仰に表情を変えて大袈裟に肩をすくめて見せる姿に、ルクは芸座の役者の所作を想起する。
魔人の男は、革製の表をしたその全身のラインを包んだような黒い異装に身を纏っていた。一見して未知の素材であり――腹や肩、肘や膝などの人体の急所を覆う箇所が不自然でなく均一に盛り上がっていることが見て取れる。
おそらくは内部に何らかの防護素材が仕込まれているのであろうが――その見当がつかない。鉄板であると思うには、男の身振りと手振りが柔軟に見えたからだ。その掌を覆う指抜きの手袋に、足先を覆う黒いブーツすらも、硬さと柔軟さを兼ね備えた、少なくとも金属ではない加工品であるとルクは見て取る。
だが、金属が使われていないわけではない。
その異装の数カ所に、非常に細かな蛇腹が互い違いに織り込まれたような、連続した留め具が取り付けられるか縫い込まれている。"金属"をそのような極細のレベルで加工する技術を持った存在を、ルクは【人世】では1つしか――【スィルラーナ技装国】――思い当たらない。
「俺は手段は選ばないが、こちらには探し物を探しに来ただけ。たかだか副伯……下から数えて2番目の地位に過ぎない、迷宮領主だ。こちらから名乗ろう、俺こそは【エイリアン使い】オーマ、【報いを揺籃する異星窟】を統べる者」
「【皆哲】がリュグルソゥム家の……当主。ルク=フェルフ・リュグルソゥムです」
「同じくその"妻"、ミシェール=スォールム・リュグルソゥムです」
滅ぼされたりといえども、誇りを地にまで堕ちさせることはしない。
『長女国』の最上位貴族家としての礼をオーマと名乗った魔人に所作する。すると、魔人オーマもまた鷹揚に腕を広げて頷いて応えた。
――ミシェールが口走った単語に違和感を感じてその真意を問いただしたい衝動に駆られたが、今は目の前の力ある者との応酬に専念せねばならない。
「迷宮領主オーマ様。私達二人を試し、そしてここまで招いた理由について――私なりに考えてみました。お話しすることをお許しいただいても?」
面白い、とオーマが目を細める。
その様子がどことなく、リュグルソゥム家が各街に構えていた『私塾』で壇に立つ時の叔父や兄姉達の姿が重なったように見えたのは、果たして偶然であったか。
「副伯オーマ様の目的が侵攻ではなく、物か人をお探しであるならば、おそらくこの地やこの地を治める国のことすら詳しくお知りではない、と考えます。そのような状態で魔人たる御身を容易に晒すことはできず……しかも、オーマ様が統べられる眷属は、いささか威風堂々過ぎる姿形をされている」
「あっははは! 確かに、その通りだな。こいつらは確かにそうだ。ルク君、それはなんとも、とても常識的な反応だな?」
「……そしてオーマ様は非常に慎重に、不要な争いは避けられようとしている。ならば取るべき手は二つ。こちら側の"事情に通じた者"を引き込むか、またはよそ者が一人二人増えてもおかしくないようにするか、でしょう」
出来の良い門下生に頷く師範代の如く、魔人オーマがルクに続きを促す。いつの間にか"運び屋"達が運んできた、大理石かと見紛うほどに丹念に磨かれた石の台が運ばれてきており、彼はそれに腰掛けていた。
「この国における【魔石】の希少さや、この地を覆うこの"長き冬"についてオーマ様がどこまでご存知かは、わかりません。ですが、その故に【火】の魔石を選んで村の者に持ち帰らせた――これほどの魔獣達を統率なさっているからこそ、欲深い者をあえて誘き寄せる算段であったのでしょう?」
そして、追っ手を抱える自分達兄妹に目をつけた。
すなわち、魔人オーマが欲するのはこの地の情報である。それも単なる地理文化的な事柄のみならず、彼の立場が立場であるため――己が目的のための活動を遂行するに当たって、脅威となりうる存在の情報を強く欲しているのである。
故に魔法使いたる自分達兄妹に目をつけたのだ。
侵攻ではない、という言を頭から信じるわけでもなかったルクであるが、たとえばあの凶蛇と眼前の"螺旋"達に加え、犠牲を厭わず足爪の魔獣達によってたかられていたならば、様々な魔法の技を披露する間もなく狩られていたかもしれない。
この迷宮領主という【人世】の大敵たるを嘯く黒髪異装の男は、己の手札をあえて逐次投入することで、高等戦闘魔導師としての自分とミシェールの手札を晒させ、学び、情報としても技術としても吸収しようとしたのである。
つまり、それこそが今この場で生かされている理由である。
――ならば、その欲するものを与え、降ってでも今は生を選ぶべきなのであろう。ルクの中に怜悧たる思考が伸展する。
利用するつもりであるということは、利用されても文句は言えないということ。流石に、そこまでは想定外ではあったものの……この上は【闇世】落ちしてでも、生き延び、必ずや家族が、そしてリュグルソゥム一族が成してきたものを守らねばならない、そう心に秘めてルクは決意の眼差しを魔人に送る。
だが。
笑みを浮かべつつ、しかし、オーマの眼差しはどこか哀れむような、そして慈しむような――利用してやろうという者が、手に入った情報提供者に向けるものとは思えない、そんな憂いとささやかな苛立ちを含んだような、そんな眼差しなのであった。
まるで、父母か兄姉達が自分を案ずるのにも似た、そんな気配を感じてルクは狼狽した。
「自己評価が過ぎるな、ルク君。あるいは、お前にそこまで言わしめるだけの来歴や事情が、あるのだろうが」
一つ訂正しておく、とオーマが人差し指を立てる。
「俺の試しと遊びに自分から付き合って、むしろ首を突っ込んだのはお前達の方だろう? 本気で逃げようと思えば、逃げることはきっとできたはずだ。ご明察の通り、今の俺はまだ露見するわけにはいかなくてな――追っ手を上手くなすりつけるとかして、俺に露見のリスクを強く感じさせて撤退させる、という選択肢もお前達には、あったし可能だったはずだ」
「何を言って……?」
瞬間。ルクはミシェールの方を向こうとして、しかし首を動かせなかった。
これまで無視し続けてきたえも言われぬ違和感が、強烈な疑念となって、本能的にルクの行動を抑制した。『止まり木』に移ろうとすら思えなかったのは、彼にとっては初めての感覚であった。
「その様子からすると本当に仲良く一芝居を打ってる訳じゃあ無いんだなぁ。なぁ、ルク君。とりあえず一つ教えてくれ。【疾時ノ咒笛】とは、何なんだ? ――残り寿命2年半というのも、どういう意味か、どうか【人世】の事情に疎い俺に教えてはくれないだろうか」
その"語句"は禍々しい響きを湛えていた。
正式名称すらわからなかったルクとミシェールであったにも関わらず、それが正しいそれの名前であると確信させるような、息の根を掴まれたかのような感覚だった。
何のことでしょう? とも、どうしてそれを、とも。
この場でどのような言葉を返しても、魔人オーマの考えと、そしてルクが今しがた想像に至った、ミシェールがやらかした何かの確からしさを覆すことはできないのだろう。自身が戦闘に集中するために、水先案内役をこの世界で最も信頼できる、たった一人の大切な肉親に委ねたことが何をもたらしたのか、ルクはそれ以上考えたくなかった。
その故にミシェールが先ほどから『止まり木』に誘っている気配を一切無視して、押し黙ってしまっていた。
「自惚れるなよ、青年。なるほど、今は確かにもうお前達をここから帰してやるわけにはいかなくなった。だが、別にお前達でなくても良かったんだ――自分から、俺の秘密に望んで首を突っ込んできたのは、お前達だろうに」
魔人オーマが酷く苛立たしげに――決してその対象はルクとミシェールではなく見えるが――一瞬だけ宙に目をやる。
銀の水面が揺れ動き、新たな影が【人世】の現世に像を結ぶ。
姿を表したのは、ルクと同じほどの年恰好に見える、不快げな表情の銀髪の魔人の青年。そしてこの地で見かけることは珍しい、亜人種の一つである竜人であることが明白な眼帯赤髪の偉丈夫であった。
「俺がお前達を求めたんじゃあない。お前達が、この俺を、迷宮を、【闇世】の力を求めたんだろう。違うか? 俺の勘違いだったなら、もう二度と【人世】に帰してやるわけにはいかないぞ、ルク――そして、ミシェールよ」
――お前達は何を望んで此処まで来た?
***
白亜の濃霧が光陰を蝕み覆い尽くす暖かな混沌となってルクを押し包む。
屋敷はとうの昔に焼け落ちて久しい。その後、ミシェールと永い時間を過ごしてきた四阿もまた、今は崩れ落ちている。
精神体となり『止まり木』で"止まる"小鳥であるべきルクは――。
周囲のそこかしこから、耳元から、果ては頭の中からまるで雛が卵を内側から割ろうとするかのような、くすくすとした少女の笑みに苛まれていた。
「ミシェール! どこに、どこにいるんだ!」
『止まり木』に引きずり込まれた。
喉を絞るように、迷宮領主オーマに答えを返そうとしたその瞬間、まるで魂を鷲掴みにされて天高く連れ去られるように意識が遠のく感覚と共に――ルクは強制的に『止まり木』に意識を転移させられていた。
しかし、そのたった一人の主犯にして彼女以外にはあり得ない容疑者の姿は見えない。
ただ、ただ、くすくすと、聞いたこともないほど可愛らしい楽しげな笑い声が白い濃霧のあちこちでたらめの方向から鳴り響いてくるのみである。
「どういうつもりだ、ミシェール……よりにもよって【闇世】の魔人に、僕らの秘密を、僕らの呪いを話したのかッッ……!」
――クソ真面目で、肝心なところでおバカな可愛いルク兄様。
白く濁った暗中、精神空間において『書物』の形に擬される"知識"が一つルクの眼前に現れる。ばらばらと風も無いのに開かれたページに――数少ない500年前の【英雄譚】の写本の切れ端の一節が描き出される。
――迷宮を操る魔人達に、彼らの恐ろしき神は力をお与えになった。彼ら魔人は、己の望むままに世界を"視て"、そして"創り"たもうことができる、と。
「僕を……誘導したのか! あの男の領域まで、迷宮まで、腸の中にまで――ッッ!」
『止まり木』はリュグルソゥム一族がその精神を共有し、記憶の形成と幻覚作用、そして【精神】属性魔法などが組み合わさった作用によって成り立つ、共有された"夢"である。思い描くものが現れ、そしてそれは感覚までをも伴ったものとして、現世に遜色の無いものとして再現される。
立ち止まったルクは、容赦はしないとばかり、己の強烈なイメージを白い空間に叩きつける。
小さい頃から、兄様兄様と言って、どこへ行くにも後ろをついてきた無邪気な妹を、ミシェールの姿を空間に固定せんと、それまで彼女に対して抱いたことすら無かった、怒っていいのかもわからない激情を叩きつける。
果たして、霞がかる白と白の濃淡の中に、凝集されるようにミシェールの姿が描き出された。
彼女は微笑んでいた。
そして両の瞳から大粒の涙をとめどなく流し、頬を濡らしていた。
「みんな、みんな死んでしまったのです、ルク兄様」
ミシェールに駆け寄ろうとするルクの両足に何かが両腕でしがみつく。
それを見たルクを戦慄が突き抜ける。ルクの両足にしがみついたのは、長兄イリットと次兄アトリの形をした半透明の影であった。
「イリット兄様も、アトリ兄様も、オーデ兄様も。マージェ姉様も、スアラ姉様も、ラミエリ姉様も」
ミシェールが名を呟くたびに、次々と死者がその半透明の影を表してルクの四肢にしがみつく。いずれも、とても優しい、ルクとミシェールが末の弟妹として全てを甘えることができていた、幸せな時代の微笑みを浮かべたままの――虚像であった。
「父様も、母様も。叔母様も、叔父様も。シェイグ兄様も、ミディア姉様も、アルロイ姉様も、キーセット兄様も」
ミシェールの後ろに父と母の影が現れる。半透明の手をミシェールの肩にかけ、ミシェールがそれに触れようとして触れられずにすり抜け、そのまま自身の肩を掻き抱く。
ルクとミシェールを囲むように、叔父と叔母と従兄弟達が現れる。
「みんな、いなくなってしまったんです。いなくなって、しまったんですよ、ルク兄様」
崩れ落ちて両手を地につけるミシェール。
大粒の涙が白い空間の大地に跳ねた次の瞬間、14の影と28の瞳が陽炎のようにかき消える。しかしルクは動けない。陽炎に隠れて彼を戒める"鎖"が、ミシェールが生み出した拘束具が全身に巻き付いていることを悟ったからだ。
「だから、僕達が覚えていなくちゃならない。ただでさえ、ただでさえ、僕達にはもう『時間』が残されていないんだ。だから、できることをしなくちゃならない――どんなろくでもないことか知らないけれど、あんな魔人の戯れに付き合う時間なんて、僕達には……ッッ」
心をかき乱され、ミシェールの悲しみと怒りと憎悪とそして深い深い深い深い愛情が共有された精神空間から流れ込んできて、ルクもまた激しく慟哭していた。むせび泣いていた。身体をくの字に折り曲げながら、胃の中の全てを吐き出すように言葉を吐き出した。
同時に、イメージを叩きつけて鎖を引き千切ろうとするが――しかしミシェールもまた、慟哭しながら次々に鎖を再生させていく。縄を生み出し、鞭を生み出し、蜘蛛の糸を生み出し、紐を生み出し、投網を生み出し、ありとあらゆる拘束具を精神空間に具現化させてルクを絡め取ろうとしていた。
「みんないなくなってしまったのです、ルク兄様。だから、」
両手で顔を覆うミシェールが、覆ったまま顔を上げる。
開かれた指の間から充血した眼が、恐ろしい親愛の情を伴ってルクを見据えていた。
「だから、また作らないといけないのです」
凄まじい情念がルクの全身を舐めるように、嬲るように吹き抜ける。
精神空間であるからこそ、現世では絶対にありえぬ、壮絶なる情念の交錯と交感であった――それこそ、リュグルソゥム家の歴史で時折起きてきた「精神の癒合」という"事故"もまた、きっとこの通りであったかのように。
「知っていましたか? ルク兄様。迷宮は、思い描いた通りの"世界"を創る力を与えるそうです。だから、この"呪い"があろうとも、きっと私達はまた家族を生み出せます。生み出すことが、できるんです」
正気か、狂気か。少なくともその間にミシェールはあると言えた。
家族愛の強い妹であった。家族が傷つくのを誰よりも耐えられない、強くて、そして弱い妹であった。
そう思った瞬間、ルクの心に浮かんだのは諦めとやるせなさと、そして、どうしようもないほどのミシェールへの憐れみの情であった。
現世では十数年。『止まり木』の世界であれば、幾星霜に至るや。
これほどそばで、近くで、隣り合って、長い永い時間を共有してきたにも関わらず――自分は、彼女のことを何も知らなかったのだ、とルクは悟る。そして同じように、一人で抱え込んで、落ちこぼれたと思って勝手に壁を作って、家族と交わる機会を自分から遠ざけてきたのだと思い知る。
――その結実が、目の前の光景なのだろう。
「あの魔人が、」
「オーマ様とちゃんと呼んでください」
「ッッ……オーマ、様、が。この"呪い"をどうにかする力を持っている、だなんて限らないだろ? 何せ、下から2番目の序列だっていうんだからさ」
見開かれた三白眼。光を失ったかのような瞳。
深淵が自ら覗きに来たかのような、すぐ隣に居続けた、虚ろなる未知。
妹の姿形を象った、己が行動への後悔の象徴。
「愚かなルク兄様、愛しくて、憎くて、この世界で誰よりも大好きなルク兄様。簡単なことですよ」
耳から耳の間に朱を引いたかのように、裂けたような笑みを浮かべてミシェールが嗤う。
「オーマ様が私達の問題を"解決"してくださるならば、それで良しなのです。そして、もしもあの方にその力が足りず、解決してくださることができないのであれば、」
次の瞬間、ルクを戒めるありとあらゆる"縛る"概念を体現する事象と事物が消え失せる。
あまりに突然解放されたことで、体勢を崩しかけるルクの胸元にミシェールが「転移」して現れ、両腕を広げて抱きつくように飛び込んで、そのままルクを押し倒す。
垂らされた豪奢な髪の毛が、まるで覆いか帳のように、彼女の泣き笑う顔とルクの顔を周囲から隔絶させた。
「――奪えば良いのです」
それは甘い毒のような囁きであった。
そのままミシェールが顔を近づけてきて、ルクに唇を重ねる。
永遠とも思われるほど、リュグルソゥム家の最後の生き残りの兄妹は、きっとかつて彼らの始祖たる『最初の兄妹』がそうしたであろうと同じように、互いを抱きしめていた。
――無論、ルクとしてその提案を、全て承服したわけでも、納得したわけでもない。
しかし、己の半身であり、他に替えがたい大切な存在である妹への情に、兄は絆されてしまっていた。
そして、現世での自分を哀れむような魔人オーマの眼差しを思い出す。
どうしてか、その意が妙な所で通じたような気がして、「道具として利用しようとする、油断ならぬ狡猾の徒」という、ルクの中でのオーマへの第一印象が急速に崩れ散っていくのであった。
***
斯くして、『止まり木』にその情念と運命を交わらせる血族たるリュグルソゥム家最後の生き残りの兄妹は【報いを揺藍する異星窟】にその身を寄せることとなる。
あるいは、オーマの力と権能によって、その架せられた宿業をいくらか和らげることができるか。然もなくば、『禁域の森』に巣食う邪悪なる"時の笛の一族"として、数十年余りの後に【末子国】の聖者達と壮絶な殺し合いを演じた果てについに族滅することとなるか。
彼らはただ家族を愛し、家族のために生きて死ぬという、たったそれだけのための泥濘の如き思惑を腹の底に秘め。【エイリアン使い】の『杖』となって働くこととなるリュグルソゥム一族の物語が、今この時より、オーマの物語にその身を寄り添わせることとなる。
読んでいただき、ありがとうございます。
また、いつも誤字報告をいただき、ありがとうございます。
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