0097 霧中を晴らすは氾濫の気配[視点:兄妹]
7/8 …… 2章の改稿・再構築完了
時刻は未明。
【皆哲】のリュグルソゥム家の生き残りである兄妹ルクとミシェールは、ヘレンセル村の中央部に住む老夫の家の離れを使わせてもらう形で、隠れ潜むように身を寄せていた。老夫はいわゆる"村長派"――エスルテーリ指差爵が従士セルバルカに協力する一人であり、子供らが独立して『関所街』へ行ってしまったため、離れがもう何年も無人であったのだ。
どうしてこんな辺鄙な場所まで飛ばされてきたか。
兄妹は自分達が辿ってきた"道"に幾度目かの思いを馳せる。
【皆哲】家の侯都グルトリオス=レリアの侯邸に隠されていた【転移】術式の魔法陣。
【空間】魔法のようで【空間】魔法と言い切れない、そんな未知の術式によって二人が飛ばされたのは『長女国』の南西端。丘陵地から続く山脈地帯を挟んで、西には"吸血種"達の【生命の紅き皇国】、南には『四兄弟国』が一角たる【白と黒の諸市連盟】――通称『次兄国』――に至る、いくつもの山中の街道を束ねる『関所街ナーレフ』という街の、衛星村の一つがヘレンセル村であった。
族滅の憂き目に遭ってから、現世では既に4週間近い時が過ぎていたか。
たった二人だけで、誰もいない伽藍堂と化した『止まり木』での"もう一つの屋敷"で過ごした時間は、さらにその十数倍近い。
だが、二人はその時間の大半を、崩れ行く"もう一つの屋敷"を必死で補修することに費やさねばならなかった。200年の歴史が詰まったリュグルソゥム家の共有精神の世界に蓄えられた知識は、それを維持する者無くしては、白い濃霧のような深淵の向こう側に"散逸"してしまうのである。
一族の歴史。『長女国』の歴史。【人世】の歴史。
人物史。学術史。技術史。芸能史。風土史。文化史。宗教史。
生物学。魔法学。統治学。錬金学。医学。音楽。
リュグルソゥム家の家人が自らの足と目で作り上げてきた情報網、などなど。
その中から――たった二人で"維持"できる分の知識を、さながら現世で火災に遭った書庫から貴重な蔵書を救い出すかのような、そんな作業に追われ続けた日々であった。
そうして復刻させた"知識"の中に、20年前に征服された【森と泉】という共同体のことも、その中心部に建てられた『関所街ナーレフ』のことも残されており……ならば、寂れた辺境の村の田舎貴族の田舎従士如き、口八丁で信じ込ませることはおろか、その片手間どころか「気分転換」で口説き落とし、言い含め包めて丸め込むことなど、リュグルソゥム家の血族にとっては造作にすらならない。
文字通り、相手からすれば"呼吸をする間に"信用させられてしまうのである。
なにせ、リュグルソゥム家が積み上げてきた【輝水晶王国】における人物や各家の知識の集積は並大抵のものではない。エスルテーリ指差爵の来歴はおろか、その上役たるロンドール掌守伯家、そして何より、今のルクとミシェールにとっては怨敵の一つである"第4位"頭顱侯【紋章】のディエスト家のことすら知っている。
この数十年で彼らが何をしてきたのか。どのような政治的経済的な動きを見せたのか。
何に注力してきたのか、どのような分野に影響力を持っており、そのパイプ役や管理役はどのような人物が務めているのか……といった情報の数々が、劣化せず、また"伝言ゲーム"による誤解を経ず、しかも、不慮の死による"情報の抱え落ち"とすら無縁であるのがリュグルソゥム家の真の強みである。
加えて『止まり木』の精神世界において、己の表情の一つから身振り手振り、会話における間と抑揚の取り方を事前に十分に"予習"し、嫌というほどリハーサルすることが可能。それだけではなく本番の会話の最中であっても、わずかでも想定外が生じれば即『止まり木』に潜って綿密な軌道修正すら臨機応変。
この手管は、たとえ相手が頭顱侯家の者であっても容易に対抗できるものではなく、武威だけではなくその才覚においてもリュグルソゥム家を「早熟にして晩成」たらしめていた一因であった。
つまり、ヘレンセル村の"村長"の如き、どこにでもいるような「指差爵の取り巻き」など、相手にもならない。ルクとミシェールは最初の2日で、すっかり、何処かの掌守伯家の落胤を祖とする王国東部地域出身の魔法使いにして、【四元素】家の侯都に座する『ゲーシュメイ魔導大学』への入門"候補生"である若き「生物学者」の見習いであると、自分達を信じ込ませていたのであった。
だが、今回ばかりはその「設定」が裏目に出てしまった。
「この数日間で、随分ときな臭いことになってしまったもんだ」
『止まり木』の白い濃霧をかき分けた先に、小さな四阿が立っている。
精神世界に"再現"された穏やかな風と穏やかな蒼天が、向かい合って座るルクとミシェールを柔らかく包んでいる。
「もう少しだけの間、留まっていたかったですね、ルク兄様」
「どう見てもあれは【魔石】の類だ。自然の物が産出するなんてあり得ない……どころか【火】属性が最初から仕込まれているだって? いっそ本当にゲーシュメイ魔導大学に持ち込んでやろうか、学者どもが卒倒するぞ?」
「エスルテーリの"指爵"はどういうわけか『荒廃』の線を考えているみたいですね。確かに、この地域はちょっと色々とおかしいですけれど」
「……【森と泉】か。王国の反対側、それもディエスト家に征服されたばかりの辺境の情報なんて後回しもいいところだったけれど、これは"荒廃"と言うにはちょっと規模が大きすぎる。広さ的な意味でも期間的な意味でも」
「そして"属性"的な意味でも、ですね」
「『冬が長い』のは良い。でも"季節外れ"だってことを無理矢理忘れれば――『冬』としてはどこもおかしくは、ないんだ、この現象は。だからこそ【冬嵐】家の仕業、とは考えにくい」
【輝水晶王国】の頭顱侯家の一つに、【冬嵐】のデューエラン家がある。
元々は第一位頭顱侯【四元素】のサウラディ家の掌守伯から力をつけて自立して頭顱侯に至った一族であり――三兄の仇でもある。彼らはその"号"の通りに【氷】属性に長けているが、少なくともリュグルソゥム家の知るところ、ある地域に天候レベルで「冬」をもたらすには一族と麾下の魔法使いの全てが数ヶ月に及ぶ大魔法を完成させねばならない、というのがルクとミシェールの見立て。
そんなことをしていたのであればリュグルソゥム家への"襲撃"に参加する余裕など無いはずである。そして、そもそも彼らがもたらすのは魔法的な【氷】の属性による暴威であり、嵐であり、影響であり――回転する球体であるこの世界において、水の循環と日射量の関係によってもたらされる天候そのものを操るような類のものではない。
それは水面の波紋と、海中における津波の波動ほども性格が異なるものであり、故に二人はこの"現象"を引き起こした者が【冬嵐】家ではない、というところまではエスルテーリ指差爵が考えたのだろうと読み取っていた。
「荒廃の発生を『"指差して"報せる』のが"指爵"の役目」
「そしてそれを『"眼で視て測る"』のが"瞳爵"の役目……だというのに、この決めつけはちょっと気になる。だが、そうか、ロンドール掌守伯家か――指差爵に対する専横が少し過ぎる、かな?」
ヘレンセル村を覆い始めた不穏な空気の根源はどこにあるのか。または、どこから訪れたものであるかについて、二人は議論を進めていく。今、現世の方では二人の肉体は――マクハードという男が率いる行商隊を中心とした"調査隊"に同行させられる羽目となっていた。
村長より、森の異変に対する「専門家」として調査隊に協力してはくれないかと頼み込まれ、何の因果か『禁域』の森なんぞに踏み込んでいたのである。
そして、木こりやら村長の部下やら、亡国の風習に熱心な者やら、この日までに森を訪れた者達が遭遇したものや、収集したものなどについて取りまとめた情報を元に、雪道を踏み越え踏み越えて"沼"までたどり着き。
その沼底の泥濘の中にいくつもの【魔石】が紅く輝いているのを発見し、肝を潰して、改めて『止まり木』に戻ってきたわけであった。
「彼らが"荒廃"であることにしたいのは、何故なのでしょうか、ルク兄様」
「逆だよ、ミシェール。もう一つの可能性を否定したいんだ」
「……迷宮」
「『末子国』の"禁域"がある以上、いつの時代か知らないけれど、ここには迷宮があった。そして封鎖され、不活性化され、トドメに"名前を食われ"た――はずだ。でも、それが再活性化したなんてことになったら、どうなる?」
「【忘れな草の霧】の秘蹟が解かれるか、解ける。そして【末子国】の『武僧』の兵団が2つ3つは乗り込んできますね」
「それが都合が悪い、ということだろう。何となくはわかるさ、あのラズルトて木こりも、このマクハードとかいう商人も……多分、亡国を蘇らせようとしている側だろうな。よくある話さ」
ヘレンセル村における人々の大まかな行動や言動などを、つぶさに観察していて、村長セルバルカが亡国の風習を飴と鞭で抑え込もうと躍起であることはすぐにわかった。だが、20年経った今もなお指差爵の部下がそのようなことをしなければならないこと自体が、この地での【紋章】家とその名代として統治するロンドール掌守伯家に対する草の根の抵抗が続いていることの証左だ。
そして、当のロンドール家では老当主が病に伏せ、代わりに"野心家"の次期当主が執政として辣腕を振るっているという。『関所街ナーレフ』では、随分と苛烈な弾圧が行われていると聞くが――そのような中で迷宮の再活性化なんぞが明るみになれば、どうなるか。
英雄王アイケルの死後、末娘アルシーレは、その【神聖譚】において"迷宮"の向こう側の「魔人」達と激しい戦いを続けたと伝わる。その"功績"は『四兄弟国』を貫く【盟約】の一節に、対魔王・魔人・迷宮・魔獣の氾濫に対する『末子国』の優位と優先として謳われている。
早い話、迷宮の再活性化が確認などされようものならば、ロンドール家はおろか【紋章】家とて、この地の実質的な施政を『末子国』に譲ることになりかねない。
だが――これが単なる"荒廃"の現れの一つと言えるならば、その対処こそは、英雄王の長女ミューゼの【浄化譚】を受け継ぐ『長女国』の専管。それもまた【盟約】に謳われていることであったのだ。
「素直に『晶脈石』を配置しに来るつもりなら、指爵本人がさっさと来ていてないとおかしい頃合いだ。それをせず、僕らのような"流れ者"を使ってお茶を濁し、時間稼ぎをしているあたり……ろくでもないことを企んでいると思って行動した方がいい。その糸を引いているのは、掌守伯家か、それとも【紋章】家か」
「巻き込まれたくはありませんね、ルク兄様」
その生涯を"荒廃"の浄化に捧げた国母ミューゼの意志を受け継ぐ【輝水晶王国】では、"異界の裂け目"から流れ出る瘴気――魔法学的には「属性バランスの不均衡化とそれによる様々な悪影響」として理解される現象――への対処が統治の根幹である。
『指差爵』が第一に"荒廃"の兆候を発見し、"指を指して"報せる。
『測瞳爵』が"荒廃"の具体をつぶさに観察し、"眼で視て"その影響を計測する。
『掌守伯』が乗り込み、事態を"掌握し一帯を鎮守"して、魔導の為政をもたらして統治する。
『頭顱侯』が、これらの「指・瞳・掌」を統御し、王国内レベルで属性の不均衡を"均す"。
……というのが「魔導貴族」の序列と役割分担である。
だが、ある地域における"荒廃"の情報を第一義的に吸い上げ、統合して対処と統治の方針を決める前線指揮官たる掌守伯家は、その気になれば頭顱侯への報告を遅らせたり、留めることもできなくはない。
――リュグルソゥム家自身もまた、長く掌守伯であった時代にそうした手管によって、力を蓄えたのであるから、ルクとミシェールには【紋章】家の筆頭家老であるはずのロンドール家が絵図を描いている様が想像できていた。
もっとも、肝心のその「ろくでもないこと」の詳細までは、情報が不足していたが。
「巻き込まれるわけにはいかないよ。そんなことに……時間を費やせない」
"時間"という単語をつぶやいたルク自身と、そしてそれを聞いたミシェールが共に顔を曇らせる。
知らず、無意識に互いの――今は衣服で隠された鎖骨の間の『天突』に意識が向く。向いてしまう。冷え冷えとした《驫?》色の気配と、赤黒い呪詛の気配が意識に蘇りそうになって――。
「この村はもう後にするべきだね。それで、やっぱり僕としては『シャンドル=グーム』へ行くのが良いと思うんだ、あえてね」
自分だけでなくミシェールをも覆っているであろう、底の知れない底無しの不安を吹き飛ばすようにルクが強引な明るい声を上げた。
「最終的には、そこに行くしか……『次兄国』も、経由するだけなら大丈夫かもしれませんね、ルク兄様」
兄のそんな気遣いに、弱々しく笑みを浮かべつつ、胸に軽く手を当ててミシェールが応える。
――少なくとも今、その話題を話し合うべきではない。
なんとなれば、二人は目を逸らしているとも言えた。
「で、まぁ話はこの訳の分からない【火】の【魔石】とかいう、本当に訳の分からない代物に戻ってくるわけだ……まぁ、ここから先は現世に戻ってから、言うだけ言ってやるとしようか」
"その話題"は、全精神を使って立ち向かい、二人並んで手を携えて対峙するのでもなければ――あまりにも、若い二人にとっては荷が重いものであったのだ。
だから、ルクとミシェールは『止まり木』の世界の時間で1年以上もの時間をかけて一族の知識を必死に整理することに当てた。
だから、ルクとミシェールは今こうして、やや不本意ではありつつも「ろくでもないことに巻き込まれない」ようにするためと己らに言い訳をして、セルバルカの頼みを引き受けて『禁域』の森まで調査に同行したのであった。
家族を滅ぼされ、たった二人だけになってしまった兄妹。
しかし、更なる"悲劇"がまるで手枷足枷のようにまとわりついてきて、もう逃れることができなくなってしまったのだということに、未だ若い二人は、向き合うことができずにいたのである。
***
ヘレンセル村出身の行商人マクハードは「迷宮の再活性化」などというとんでもない可能性を示唆した"専門家"に対し、露骨に嫌な顔をして舌打ちをしてしまった。
『末子国』の聖職者による【忘れな草の霧】の秘蹟自体は想定内のものである。彼はヘレンセル村の出身であり、かつてこの地域が【森と泉】と呼ばれていた時代をよく知る一人である。既に脂の乗った年齢に差し掛かる中年ではあったが――一辺倒過ぎる『血涙団』の若者達とも、風習を隠し守ろうとするあまり閉鎖的になり過ぎる老人達とも異なり、「魔法使いども」の治世下、村を離れて『次兄国』で行商人として身を立てることに成功した男であった。
『四兄弟国』を"富ませること"を【盟約】によって定められている『次兄国』でも、『長女国』と同様に各所に『禁域』が存在はしていたが――利を得るためには、物理的な意味でも法的な意味でも経済的な意味でも「裏口」を作り出してしまうのが『次兄国』の商人である。
【草小鳥の方位磁針】という魔道具は【忘れな草の霧】の秘蹟の中にあって、その悪影響を和らげる力を持つ。数年前に、因縁のあった商人を商戦で素寒貧に落としてやった際に、カタとして"譲り受け"た貴重品であったが……意外な場面で意外な縁が繋がるのもまた商いの妙。そのため、単に『禁域』に入り込んで調査をするだけならば、実はマクハードと彼の部下達だけでも十分であり、村長セルバルカが要らぬお節介で寄越した「専門家」など完全に邪魔者であった。
なるほど、この年若い魔法使いの男女は【火】と【風】の魔法によって冷気を遠ざけたり、周囲を感知して未然に猛獣の気配を察知したりと、居たら居たで非常に助かりはしたが――さりとて、居なかったとしても致命的なまでに困っていたというわけではなかったのだ。
(たとえ"訳あり"でも、どこの紐付きかわかったもんじゃない。そんな連中に見せてやれるような――信心じゃあないんでな)
無理と無茶を重ね、予定をいくつも組み替えて、大急ぎでヘレンセル村へ戻ったのには理由があったのだ。せっかく――【春ノ司】様の恩寵が現れたかもしれないと、来るべき時がついに来たと勇んで村へ戻ったというのに。
既に先に「信心を示した」村の顔馴染み達から話を聞いて、次は自分の番だと、20年分の"ご利益への感謝"を捧げよう……という気分に浸っていた最中のことである。
それが「燃える蝶々」様の恩寵だとすっかり信じていたマクハードにとっては、この「魔法使いの王国」の典型的な魔法使いである顔のよく似た男女が示唆した"とんでもない可能性"は、心情的にも――そして彼の今後の様々な予定という意味においても、全くもって迷惑なものなのであった。
「いや、だが、魔法使いさんよ。"再活性"したってことは何か、大氾濫でも起きるっていうのか?」
「言っちゃなんだが『緑漣牙虎』程度だったら、俺達でも対処はできるぞ。あの『大斑蜘蛛』だって、この村の連中にはキツ過ぎるだろうが、北東の方じゃ昔から『山の泉』の方に住んでいたんだからな」
マクハードの言に、一番古い付き合いである禿頭の荒事担当の男が続ける。
この恐ろしいほど察しの良い魔法使いの二人組を侮るわけではないが――それが『四兄弟国』に生きる者としての常識的な反応である、とマクハードは己を客観視する。恐るべき魔人とその眷属たる魔獣達の眷属である迷宮が活性化する、とは、つまりそういう意味なのである。
だが、だとしても、そうであるなら本来起きているべき大氾濫の兆候が見られない。
『痺れ大斑蜘蛛』こそ、本来はこちら側の森林地帯には居らず――【深き泉】の周辺を生息領域とする大型生物であり、そんなものがここまでやってきている辺りに【冬ノ司】様の怒りの深さがわかろうというものであったが、しかし、それでも単なる大型生物に過ぎず魔獣ではないのである。
魔法使いの二人組も、魔獣の気配を感じ取ってはいない様子である。
「何も大氾濫だけが、迷宮の再活性化を示す指標じゃないですよ、マクハードさん」
「普通なら、あり得ない物質や資源が産出されるのも同じことです。だって、」
「普通じゃあり得ない動物や植物が"魔獣"と呼ばれて現れるのに。どうして、」
「「普通じゃあり得ない鉱物や液体や現象が現れない、だなんて言えるんです?」」
まるで一個の生物のように自然に言葉を繋げ、気味悪さと手練の専門家たる神秘性のギリギリを突いたような物言いをする魔法使いの男女。村長から紹介された際は、一目で兄妹だろうと当たりをつけたマクハードであったが――今はそれ以上の存在に思えて仕方が無い。
「いや、まぁ理屈はわかるがな……」
「そりゃあ俺らは偉い学者様先生とは違って田舎もんだが、この国の仕組み、ミューゼ様の【浄化譚】くらいはちゃんと知ってる。あれだろ、この地は【氷】属性が暴走していて、反動で【火】属性がこんな変な形で出てきてしまった……とか、そんなんだろ? 普通にそういう説明もできるんじゃないのか?」
「もちろん、その線を否定はしません。詳細は"瞳爵"が『測量』しなければ、わからないでしょうが……」
「マクハードさん、私達が心配しているのは、このまま"水源"まで遡った時にほぼ確実に"異界の裂け目"に当たってしまうことですよ。この現象が、」
「"荒廃"であれ、"再活性化"であれ、そこに近づき過ぎるのはより悪い方だった時に取り返しのつかないことになりますから。たとえそこに『鉱脈』がありそうなのだとしても……せめて"指爵"の手の者が来るまで、待てないのでしょうか?」
既に【火】の魔石が沼から、あるいは沼の"水源"から流れ出していることは相当程度に確からしかった。ヘレンセル村だけを救うのであれば、確かにこの二人組の言う通り、沼からわずかに採れる程度の【火】の魔石でも足りるかもしれない。
……だが、近隣一帯の村々がどこも同じような苦境にあえいでいることを知る『商人としての』マクハードとしては、この機会を看過する考えも無いのである。彼らを助けることができる、と同時に、この魔法使い二人にここまで稀な物体であると言わしめる【魔石】に、重要な商機を見出していた。
――そして。
『血涙団』を陰に陽に助ける"親父"としてのマクハードとしては、いっそ、この完全に同じタイミングで呼吸するどころか心臓の音まで同じタイミングでなっているんじゃないかと思える二人組の魔法使いが言うように、迷宮の"再活性化"ということにされても一向に構わないのである。
ただ、本来は、その「一向に構わない」の対象は"再活性化"などではなく"荒廃"という腹積もりであったのだが。想定よりも「魔法使いどもの王国」の受け止めが深刻となりうることの影響について、マクハードは難しい顔をして考え込む。
(村長の話しぶりからすると、魔法使いのお貴族様達には"荒廃"の方が都合が良いらしい。だが……本格的に手を出して調査すると、この"双子"が言うみたいなやぶ蛇の可能性があるから、直接手は出さずに時間を稼いでる――だが、『聖墳墓教』の連中も"若造ども"も力で黙らせるわけではなく「調べた」って形は取り繕いたい、と? だから、この"訳あり"だって互いの顔に等分に書いてあるみたいな流れの魔法使いを俺に押し付けた? ははぁ、なるほど。大体、立ち位置が読めてきたぞ)
長き冬の災厄が覆う、旧【森と泉】の地に、【火】に関わる不可思議な現象が発生した――『長女国』風に言えば「【火】の属性不均衡が発生した」――という、そんな"荒廃"発生の事実を魔導貴族達は欲しているのだ。
そしてそこに、どんな立ち位置であるか百も承知であるはずの自分という存在を呼び込んで、その事実を確認させ、視認させようというのだ。
(そんなことしなくても、"風"が――「きつつき」様に運ばれて、とっくに村々には伝わってるんだがな? 当然、手のかかる"若造ども"の耳にも、な。まぁ、ロンドール家は百も承知ってところだろうが)
意図は明白である。この地の歴史と因縁を知らない魔法使いの二人組はわかっていないかもしれないが……ロンドール掌守伯家はよくよく【森と泉】を研究しているとマクハードは知っていた。
【冬ノ司】が怒り狂い、【春ノ司】が恵みを与えたかのように見えてしまうこの状況下。
わざと泳がされている、血気ばかりはやる『血涙団』に対して、駄目押しとして、彼らの世話役たる自分を通して――さらに情報が早く伝わるようにさせたいのであろう。そうして彼らが後先考えずにヘレンセル村に乗り込んできてしまえば、それはまるで埃が自ら塵取りに掃き取られるために一箇所に集まるようなもの。
(それだけは、避けなきゃならないよなぁ。だが、迷宮の再活性化なんて受け止められるのは想定外っちゃ想定外か。んー、だが待てよ? それはそれで、案外良いことを聞いたのかもしれない……となると、生贄が別に必要か。だが、ふむ。『鉱脈』ねぇ)
魔法使いの二人組が使った表現を脳裏で吟味し、マクハードは内心で狡猾な笑みを浮かべる。
一方、思考とは裏腹に現実の方では、残念そうだが聞き分けのよさそうな商人であれば誰もができる曖昧な表情を作るのであった。個人としての目的を先送りにされたのは残念の極みであったが、しかし、いずれこの村を去る厄介な邪魔者に情報を与えるつもりも無し。
マクハードは、ひとまずの調査を完了し、一旦は村へと戻って村長に報告することとしたのであった。
なお――。
そこで撤収した彼らにはもはや知られぬことであったが、もう少しだけ森の奥まで進んでいれば、そこは【エイリアン使い】オーマが仕掛けた"罠"の領域であり、多数の『牙虎』や『大斑蜘蛛』をけしかけられて重傷者が出て、幾名かは捕らえられていたかもしれない。もしそうなっていれば、ルクも、ミシェールも、マクハードも、それぞれがそれぞれの「誤解」にこの時点で気づくか、もしくは単に命を落としただろう。
――幾人もの運命が、この些細な瞬間に微妙に変化したことを知らずに、彼らはそのまま来た道を引き換えしてヘレンセル村まで戻った。
それからさらに数日間。
魔法使いの兄妹が、村を離れようと出立の準備を開始して再び息を潜め、事態の推移を見守る中。
マクハードは、村長の子飼いの部下でありながら、『関所街』の"執政"にも、そして『血涙団』にすらも見境なく誼を通じようとしている野心家を利用する。自身の名前が出ないように、『血涙団』のシンパである村の者を通じて、その野心家に「とある重要な言伝」を『関所街』まで届けるように依頼したのであった。
――そして、数日経っても野心家が戻らないことを、セルバルカを始め、ルクとミシェールが訝り始めた頃合い。
怪しげなフードを目深く被り、全身の肌という肌を隠した、暗い空気をまとった集団が現れる。
今なお『長女国』の全土でリュグルソゥム家の生き残りを探しているであろう、追っ手の影を警戒していた二人にとって、その【幽玄教団】という名の集団――またの名を"人攫い教団"――の出現は、全くもって、完全に想定外の事態であった。
読んでいただき、ありがとうございます。
また、いつも誤字報告をいただき、ありがとうございます。
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できる限り、毎日更新を頑張っていきます。
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また、次回もどうぞお楽しみください。
 





