Breaking Dawn ──Reach to Polaris ⅲ──十字架ノ軛ハ要ラナイ
「死ねッ!」
紅音はそう叫んで、手に持っていた得物を勢いよく、眼前の男に投げつける。
それは男の体に吸い込まれ、そしてカランと背後の廊下にはねて落ちた。
────〈蜃気楼〉か。
既にそのことを察していた少女は床を大きくけり、空中で一回転しつつ手刀をあらぬ方へと向ける。
その手の先の空間がぐにゃりと歪んで、男の姿が現れた。
「ッ!」
驚いたような顔の相手に内心呆れと侮蔑の念が沸き上がる。
まさか、同じ属性の異能者なのに、こちらが相手の位置を間違えるわけがあるか。
結局奴にとっては、自分以外の存在はせいぜい己の為の実験動物であり身を守らせるための兵器ぐらいにしか考えていないのだろう。
反吐がでる。
コイツの兄といい、奴といい。
確か、兄の方は紫苑が此の間始末したのだったか、本人に確認はしなかったが悪いことをしたなとは思う。
不知火は火群の汚点だ、だからそれを土塊に還すのは火群たる自分の役目だ。
顔を見遣りつつ、少女は手刀を解き、男の襟首をつかんで背負い投げの要領で地面に叩きつける。
肥満気味の躯体が廊下を打つ鈍い音が辺りに響いた。
「勿論、普通に死ねるなんて思っとらんよなぁ………?」
コレには、地獄に落ちて油の入った窯の中で生きたまま素揚げにされる方がマシだと思ってもらわないと此方の気が済まない。
情報を吐かせて、その上で始末してやる。
五年前からじわじわと身を焦がす怨嗟の念が、宿敵という薪を前に彼女の中で火柱を上げていた。
「言わないと言ったら?」
「金鑢でお前のその駄肉まみれの指から骨ごと四肢を削り落とするけれど?」
まずは爪から、爪の次は肉を、肉の次は骨。お前はどこまで耐えられるか、うちがテストしてやるよ。
そう口に出せば男は粘ついた嫌な笑みを顔に浮かべた。
感じたのは悪寒、まだ何かがあるとそこで初めて紅音は悟った。
「そんな暇があるのかねぇ…………まぁ、テメェの言う通り普通には死ねないな、俺も……………お前もだけれど!」
男の手に握られているのは何かのスイッチ。
それが押し込まれるのと、彼女が後ろへ飛び退くのはほぼ同時だった。
刹那響き渡るのは、大きな爆発音。
拡がる爆炎、その向こうに、蛹のようにベッドに括りつけられた少女の体が四散し、瓦礫に飲み込まれるのが爆風に飛ばされる少女の視界に一瞬垣間見えた。
手を伸ばしても届かなくて、そして気付けば紅音はそこに背を向けて走っていた。
芯柱が爆発で折れた為に天井には無数の罅が入り、広がって瓦礫が落ちていく。
走る先に見えたのは、この地下世界の外。
背後にはすでに瓦礫の津波ができていた。
このままでは飲み込まれると理性が判断して、紅音は義手の左手を後方へ向け爆発とともに切断放出。
病葉の如く吹き飛ばされて森の中へと掻き消える。
そして、森の中に潜む大樹に叩きつけられて転がった。
「───あ…う……」
──死ねないものなのね、簡単には。
全身に広がる激痛は生存の証だ。
立ち上がろうとしてバランスを崩し、少女は再び倒れる。
そうだった、自分は義手を身代わりにして生き残ったんだか。
見遣る方には瓦礫の山と化した嘗ての住処で、裏切り者の研究所で───そして妹の墓があった。
バラバラになって、結局埋葬してあげることすらできない。
それならせめて、あの時自分も────
そう思って一人彼女は首を横に振った。
ポケットに入れたままの遺髪。これだけでも、埋めてやらないと。
それに、自分が死んでしまったら、彼女の最期を知る人はを知る人はだれもいなくなってしまう。
だから、自分は生き残らないといかないのだ。
少なくとも、この寿命が尽きるまでは。
「最悪だよ」
そう呟いて、夜明けも近い森の中を一人少女は歩き始めた。
§
────リシア、おい………!
「………ッう」
誰かに呼ばれた気がして、気付けば自分は草叢の上に倒れていた。
視界はやたら明るく、指に力が入らない。
思い返せば、そうだった、自分は大毒竜の吐く霧、その真っただ中に突っ込んだんだったか。
つまりこの倦怠感は中毒症状によるもの。
「良かった、気付いたか」
フィルの声だ。そして首に何か薬剤を打たれる感触、おそらく解毒剤だろう。
思った通り暫くすれば、少しずつ痺れは引いていき、視界も元に戻ってきた。
ふらつくままに身を起こせば、背中を木に凭れかからせて倒れているフィルの姿があった。
「……悪ぃ、多分背骨でも折れたんだろうな、足が痺れて動かねぇんだ」
「ごめん」
「謝ることじゃないだろ、俺の失態だし」
それに今の医療技術なら脊椎の骨折ぐらいで後遺症が残ることもあまりない。
そして、今は自分に構っている暇はないだろう?
「………行ってこい。俺はまだ死なねぇから」
嘗ての軍学校時代の同期で大侵攻の後、今も生きているのは彼女と自分だけなのだ。
だから、置き去りにはしない。
たとえ彼女が自分を振り向いてくれることがないとしても、決して。
「わかってる。……もしアンタが死んだら私がアンタを地獄に送るから」
「お前も、死ぬなよ?」
「誰に言ってんのさ。死なないわよ」
泣き笑いのような笑みを浮かべて、彼女は青年を見遣る。
先程の攻撃で、既に罅の入りつくした大剣は砕けて地面に散らばっていた。
代わりに彼女は背中に佩いた黒い細剣を抜く。
アイツが残した形見を。
「行ってくる」
それだけ言って、彼女は飛んだ。既にフィルの視界に彼女の姿は何処にも無かったが、それでも最後に見せた晴れやかな笑みが脳裏の中に焼き付いていた。




