pray to the starry sky―星二願イヲ
そこは真っ白な病院の個室。
心電計が刻むリズムと酸素ボンベが中身の酸素を吐き出す音、そしてかすかな息遣いだけが静寂の中に散って広がる。
ほとんど音の存在しないその小世界には、ベッドの上に横たわる少年とその隣に座る少女しかいない。
外から差し込むのは秋の涼やかで、けれど明るい陽光。
今はもう昼過ぎだ。
窓の外に目をやり、それから未だ昏々と眠る少年に目を遣った。
東洋系の顔立ちではあるが白色人種と見間違いそうに成る程白い肌に消炭の髪はよく映える。
瞼の縁を飾るのは髪と同じ色の長い睫毛。
首の周りから右の蟀谷へと続く傷痕を隠すためにか、後ろで括っていた長髪は、今は解かれているので、童顔の女顔と相まって性別を忘れそうになる。
そっと微笑んでロゼリエはベッドの上に投げ出された白い手を取り自分の胸元に引き寄せた。
刀を握ることに慣れたところどことに硬い胼胝のある手、何よりそれは確かに暖かだった。
───死にたくない、生きたい。
耳障りな喘鳴と共に、酷く苦し気な浅い息の下でそう告げた時、抱えた体はひどく冷たくて、だから居なくなってしまいそうで怖かった。
強い弱いは生死に関係しない。
今回の件でそう知ってしまったから。
千々に乱れた思考が静寂の中少女の脳裏に浮かんでは消える。
先ほど目を覚ましたエリナのこと。
帰らぬ人となったアンジェリナのこと。
その遺品整理をぼんやりとした表情で黙々と続けるレイのこと。
そして、自分のこと。
なぜあの男はわざわざ自分を狙ってきたのか。
三重因子保持者の生体が欲しいなら、紫苑で事足りる。
それが何故なのかは知らない、知らなければならない事かもしれないし、
知らないほうがいいことかもしれない。
少しの合間、ぼんやりしてそれからどれぐらいしたか。
「………っ……?」
傍らで眠る少年の酸素マスクで覆われた薄い唇から小さな声が漏れる。
うっすらと長い睫毛に縁取られた瞼が持ち上がった。
中から覗くのは黎明の空のような、蒼金石の、あるいは胆礬のような濃い青の色。
思わず覗き込んでしまった少女は慌てて顔を引っ込めた。
しばらく状況把握のためにか少年の視線が部屋を行き来して少女の方を見遣る。
紫苑は口元に取り付けられていたマスクを取ると、まだ完全に覚醒しているわけではないのか起き抜けのような声で訊いた。
「………ロゼリエ?……ああそっか。俺、戻ってこれたんだな」
「体調は、如何?痛かったり苦しかったりとかは……ない?」
「一応は、まぁ、流石メグ姉だな、体の中のほうは、もういつも通りに戻ってる。
……………治療費やばいことになってそうだけど。ロゼリエは?」
正直もう駄目かとは思っていた。
身を起こそうとすると腹部に走る鈍い痛み。ただ我慢できない程のものでは無い。
麻酔はもう割と抜けているらしく指先に伝わる感触も鮮明だ。
……ん?
見遣った先泣きそうな顔の少女は紫苑の手を取りその胸に押し付けるようにして抱えていた。
「今日は一応休み、けどもう治ったから。仕事したければどうぞ、だって。
ああでも………」
「……えっと、ロゼリエさん?……手、胸に当たってッ……」
「…ほんとに……よかった」
そう言って彼女はさらにその手を自身の胸に押し付ける。
こちらの言うことは全く耳に入っていないらしい。
これがマーガレットなら確信犯だろうが。
「あの………ロゼリエ?自分の手元、見て?」
「死んじゃうかと思ったんだよ、ほんとに」
なんか会話が全体的に通じていなかった。
そういうのに慣れていない少年は顔を赤くして目を背ける。
しばらくしてなにか話しかけられていたことにようやく気付いたロゼリエはちょこんと首をかしげて紫苑の方を見た。
……顔が赤い、気温が熱いのだろうか?
「………で、えっとさっきなんか言ってたよね、どうしたの?」
「お前の貧相な胸に俺の手が当たってる。いくらつつましやかだったとしても、俺がいくら良く女と間違えられるとしても、俺一応男だからな、べたべた触るわけにいかないだろ⁉︎」
あんまり慌てていたためか、一番言ってはいけないことを言ってしまった。
「ふぇ……?~~~~~~~~~~に、にゃっ……にゃぁぁっ!!」
顔を真っ赤にして少女は叫ぶ。
なんか慌てすぎて知能が猫ぐらいまで退化していた。
ロゼリエは慌てて己の胸を見下ろす。
未発達な双丘は彼女が発達途上の十二歳であるということを差し引いても十分小さい。
……まな板。つつましやか。
…ちょっと待て。
「・・・ね ぇ 紫 苑 ?……さっきさらっと言いやがったけど、まな板ってなんのこと?………せめてさ、洗濯板とかぐらいの評価の仕方なかったの?」
どうやら突起が皆無と言われたのが嫌だとか。
紫苑からすればまな板も洗濯板もAAAカップには変わりない、そもそもブラを着けてるかさえ疑問だし、両者に差異を感じないのだが、女の子の感性ではまた違うらしい。
割と感情がお高ぶりになられているらしく、無意識に異能を発動しているのか、なんか部屋全体が帯電している。
弱い殺気と危険を感じたので、紫苑がベッドから転がり降りようとしたところ、紫電が爆ぜて傍らに置かれていた心電計に直撃。
勢い余った少年はベッドから転がり落ちて点滴台を引き倒し、中身の薬液が床に散らばる。
きゃ~えっち~のノリでいろいろと危なかった。
仕掛けた方の少女も驚いて、それから自分のしたことに気づいてその顔が青ざめる。
いたた、と紫苑は床に座ったままベッドの縁に凭れかかった。
肩から床に落ちそこが多少痛む以外に怪我はないが、今のは危なかった。
「……あ。……ご、ごめんっ……だ、大丈夫だったッ‼︎?」
「一応は………ああびっくりした。…………大丈夫だったけど危うく感電死することだったから、次からは止めよ?………味方にこんな事で殺されたんじゃ、恥ずかしくて葬式できないって…………………うん。もうちょっと感情か異能を制御できるようにしよ………?」
少年が片手に持つのは先程まで自分の体にくっついていた心電計のコード。
先っぽの電極がなんか溶けている。
ぴー、と甲高い間抜けな音がしてモニタを見やれば、心拍を表示する部分が0になってそれから電源が落ちた。
壊れたらしい。
───感情だけでここまでの威力の異能を打てるあたりは天才的だが、自分でなければ一部を除いて死んでいたぞ、これ。
「ホントに大丈夫?……傷とか開いてないよね?……わひゃあっ!」
状態を確認しようと近づいた少女は多分、戦闘以外になるとすごいドジッ娘になるのだろう。
リノリウムの床に散らばった薬液にパンプスを滑らせて後ろにひっくり返る。
まあ戦闘中、極度の集中を強いられる狙撃手ではよくある話と聞くが。
頭を打ちつけそうだったので覆いかぶさるようにして下から手を入れて頭を支えてやれば、廊下でバタバタと慌ただしく人の走る音。
───確か心電計って、心拍のところが0になったら医者の方に緊急通知が届くのだったか。
嫌な予感がした。
ガラリ、と勢いよく扉が開いて飛びこんできたのはマーガレットである。
すごい焦ったような顔をしていた。
きっと心配して走ってきたのだろう、可哀想に。
彼女の淡海色の双眸が、幼女とその上に覆いかぶさる少年に向いてそのまま止まる。
「「「……あ」」」
数秒世界が停止した。
「……えっと。これは書類送検かな。……紫苑君、君が男の子っていうのをすかっり忘れていたよ。……えっと、治安院の異能犯罪局、性犯罪課に連絡しないと」
「待って待って待ってメグ姉っ!!!いくら個室でもこんな病み上がりの状態からそんなことするかよ!!っていうかそういうのきょうみないから!!!……まだはやいし」
病院送りになって目が覚めて、あっという間にブタ箱の中とか最悪すぎる。
慌てたように弁解すれば主治医のおねーさんは盛大に吹き出した。
「知ってる、揶揄っただけだよ童貞野郎。……とまあ、元気そうで何より。ああそうだ、ちょっと話が。………ロゼちゃん、悪いが一度,席を外してくれると助かる」
「………ん判った。またしばらくしたら来るから。じゃあね」
ぱたぱたと少女は廊下を走り去っていった。
あとに残るのはマーガレットと紫苑だけ。
倒れた点滴台とか黒煙を噴き上げる心電計とかを遠くへ退けてそれから彼女は、そそくさとベッドに戻り上体だけ起こして、その上に佇み髪を括っている少年の隣、先ほどまでロゼリエが座っていた椅子に座る。
「心配したんだぞ」
一言そう言ってマーガレットは自分より頭二つ分ぐらい背の低い少年の肩を掴んで抱きしめた。
首に残った傷がうなじに添わせた指に引っかかって、胸が痛んだ。
千切れかけていた頚動脈をどうにかするので精一杯で、そこは綺麗に治してやれなかったから。
「………いくら私が名医って言われる類の人間でも、死んだら助けられないんだからな。しかもまたアレを全部使い切りやがって。寿命縮むから、あくまでアレは万が一の保険だと前から言っているだろうが」
そう、一般の異能者でさえ平均寿命は五十歳を超えるか超えないか。
三重因子保持者では三十歳まで生きられれば幸せな方だ。
だから目の前の義弟は、もうその折り返し地点を過ぎてしまっている。
それを考えれば心が痛かった。
「ごめんて、でも最初からこんなことになるなんて俺も思ってなかったよ……で、何の話を…?」
「……ああ、そうそう、今日一日は飲み物はいいけど、絶食で安静にしてろ、消化器系とか縫い合わせたばかりだからな。まあでも、丸二日寝てたんだし、その調子なら明々後日ぐらいから狩猟場の見回りぐらいなら大丈夫だろうからってアリシアに報告しに行くけれど、それでいいか?」
「まあね。……他には?」
「これで全部。踏ん切りがついたみたいで安心した。………ああ、私は用があるからこれで失礼するよ」
最後にぽん、と少年の頭に手を置いてマーガレットは白衣の裾を翻して部屋を出る。
廊下に出て彼女は一つ長い溜息をついた。
そして自嘲の笑みを浮かべる。
「………結局言えないな、私も軟弱者だって訳だ。……まあ、何れ話すことになるんだろうけど」
戻った先の医務室、机に置かれたPCには打ち込みかけの診療録があった。
別に開かれたウィンドウには“協会”の研究部から送られてきた資料、毎年この時期に送られてくる信頼性も割と高めのものである。
そこにあるのは遺伝子から特殊演算機で逆算したこの支部の異能者の残り時間。
見慣れた少年の名前の隣には一桁の数字が打ち込まれていた。
現実から目を逸らすように彼女はラップトップを閉じて机に置かれた写真の一つを取る。
いつか二人で撮った写真。
確かこのとき彼はまだ十二歳だったか、半身を殺されて、一年経って、漸く笑みを作れるようになった頃、義眼を使ったリハビリがあらかた終わって眼帯を取れるようになった頃の。
あれからまだ四年しかたってない。
こんなの言える訳が無かった。
たとえ現状を説明することが義務だったとしても。
心を落ち着かせるようにそれを元の場所に戻して、彼女はふともういない親友に呟く。
「………なぁ、蒼依。………私はアイツに何がしてやれる?………どうしたらいいかもうわからないよ」
道に迷って家に帰れなくなった子供のような声だった。
♱ ♱
一週間後。
朝にいきなりロゼリエに夕方予定空けといて、と言われ紫苑は待ち合わせ場所で待っていた。
待ち合わせ時間のきっちり5分前にやって来た少女は待った〜?と聞いて来て返事も聞かずのその手を取る。
あの時と同じ陽だまりのように暖かな手だ。
「見せたいものがあるの!」
こっち。とロゼリエは紫苑を屋上へと手招きする。
太陽の光のように明るい金髪は夕日の緋を透かして、風になびく。
夕暮れの空、その中に瞬き始めるのは夜がもう近いことを告げる星々。
「ここから見る空、凄く奇麗だから。……まあ流石に狩猟場の廃ビルから見える夜空には少し劣るけどさ。……ほら、あそこ。下のほうに一つ赤い星があるでしょう?」
少女が指さす先、赤く染まる地平線のほんの僅か上に彼女が言う星があった。
「長老星だっけ?見つけられると長生きできるとかいうやつ」
「うん、この時間帯にしか見られないのよ、すぐ、沈んじゃう。ほらもう見えなくなっちゃった」
「確かにきれいだったね、因みにこれが見せたかった?」
「まぁ、待ちなさい。せっかちは嫌われるわよ?」
紫苑のほうを振り向いてロゼリエは屈託の無い笑みを浮かべる。
暮れていく空の中にその笑みは格別輝いて見えた。
見やる空。
その西側では太陽がこの日最後の日差しを空に投げて消えていく。
後に残るのは、淡橙と薄紅、淡紫に染まった空と東からそれを塗り潰し、溶かしていく濃藍に群青、薄蒼の群れ。
夕暮れの天蓋は時と共にその色合いを深め、水平線に近付くにつれて色が薄くなっていく。
その天然の、複雑な色合いをしたヴェールに元より織り込まれた銀雲母達が静かに瞬き始める。
内地では立ち並ぶビルと街道に並び立つ街灯の所為でそらが汚れて見えない筈の天の川もここならはっきりと見えた。
紫に暮れゆく空が夜闇に消えていくのを物思いに見入る少年に少女は再び笑いかける。
「ほら、綺麗でしょう?………あっ」
何かを見つけたのか少女は天球の一点を見つめて十字を切る。
その視線の先を追って紫苑もそっと手を合わせた。
二人の見る先にあるのは先のカノープスと同じぐらい、強く明るく輝く緋い星。
一等星───アルケナーだ。
もう居ない少女の髪と同じ、燃えるような緋の。
そして十数分が過ぎて。
気づけば星々は僅かにその位置を変えていた。
そう、地球は転るのだ。
個人の感傷など置き去りにして。
夕べがあり朝がある。
悪い事が有ろうと、良い事が有ろうとそれは変わらない、遥か古来から未来永劫まで。
狂ったこの世界を置き去りにして日々は過ぎていく。
けれど夜が来てもそれは決してただの暗闇などではない。
真っ暗な宇宙の中にも、そこには確かな星明りがあるのだから。
fin
まずは、ここまで読んでくださった読者の方々に無限大の感謝を!!!
さて、作者の蒼弐彩です。
まさか第一部まで今年で終わると思ってませんでした。
(WastelandHuntersが終わってもMOSAICは続きます)
とまあ、そういうのはさておいて内容です。
この話を読んであなたはどう思いました?
賛否両論あると思いますが、せっかくのコメント欄なのでお聞かせくださればうれしいです。
さて、この話ですがキャプションにもある通り昔(大体一年弱前)に書いていた
話のリメイク品なのです。
当時は全然読者さんとかも殆どいらっしゃらなくて、自分でも駄文書いてるな。と思ったのでそれを捨てて新しく書き直したという形です。
ただし、構想はかなり古くからありまして。
実は大本の骨格となる話は小学校6年からあったんですよね。
まさかの6年越し。
斎藤タミヤ先生のレビューにもありますがファンタジー要素も多い、といわれるのは
その時は異世界ファンタジーという設定だったから、その要素を多く引き継いでいる、とかそういったことが原因でしょう。
魔法の設定に限界を感じて科学技術に頼ったという形ですね。
(その時は主人公の名前が時雨でした、漢字を変えてこの話でも彼は存在しておりますが)
キャラクターの名前について。
ミドルネームとかそこらへんは彼らの持つ異能のタイプと宝石の色とを掛け合わせて考えております。
因みにアリシアの眼を虹彩異色ではなく虹彩異色と表現したのも言葉のミスとかではなく作者の気まぐれです。
余談ですが、生物学用語ではモザイクというのもキメラ(キマイラ)というのも多種の生物の遺伝子を掛け合わせて生み出した生物とのことで両者の差異は殆どないらしいです。
個人的に一回読んで底の底まで見えてしまうような作品よりも何回か読んで“ああ~ここはここの伏線だったのか~”とか“この作者、もしかしてここ書くときにこの神話とか意識していない?”とか考えられる作品が大好きなのでそういう要素を大量にぶっこんでみました。
なので、
もし時間があれば、初めからもう一度読んでくだされば気付けることがあるかもしれません。
最後に謝辞を。
読んで下さった方々へ神様の祝福が有りますように!!
創作者は読者がいなければ成り立ちません。
この文章を通して画面の向こうの貴方と一つの世界を共有できたことを喜び、そして蒼弐が大学で無事薬剤師国家試験に受かること(6年先ですね、まだ早い)
そして、
少年少女の行く先に、満天の星々の色鮮やかに咲く空がひろがっていること、どんな暗闇の中にも彼らがささやかな星明りのような希望を見いだせることを願い、ここで筆をおかせていただきます。
『リンドウの花』(蒼井エイル)を聞きながら
蒼弐彩




