right to buttle ⅶ
〈蜃気楼〉を一度切り、少女は周囲を見渡していた。
そんな時。
「おい、嬢ちゃん。何処か飲める水の有る様なところを知らないか?」
唐突に後ろから声をかけられた。
振り向けば三十絡みの汚れた服を着た男性が直ぐ真後ろに立っている。
髪は布で巻かれているため色は判らないが、目の色は透き通るような緋色をしていた。
一般人か、でもなんで。
そう思いかけて少女は心の中で首を振る。
三十歳といえば異能者であればとうの昔にその異能を無くしているような年齢だ。それにここは未踏破区域。異能も無しに人間が生きていけるような環境ではない。
その上、その男からは僅かながら異能波が出ている。
つまりこれは〈蜃気楼〉による変装。
「……アンタ何者? 私、不審者に声かけられたらとりあえず銃で撃ちなさいって、幼年学校の先生に言われているのだけれど」
言って少女は数歩彼から遠ざかりその右足と左足の間にP.A-MAS-G1を向け銃爪に指をかける。
これを引けばこの男の生殖機能は全くもって失われるだろう。
そうすれば自分を襲ってくる意味の大半が消える。
「答えないなら離れて頂戴、人に頼み事するんなら、せめてその変装を解くのが礼儀よ?」
答えは無く、相手はふらふらとこちらへ近づいてくる。
だから少女は引き金を引いた。
けれど。
射出された銃弾はその男の姿を擦りぬけ地面に刺さる。
ならこれは、
───〈蜃気楼〉で写した、ただの幻像ッ!!
その事に気付くとほぼ同時に、パンと背後で乾いた音がした。
刹那、脇腹に走る衝撃。
───撃たれた。
そう気付くと同時にそこから灼熱の痛みが全身を巡る。
完全にはめられていたのだ。
ゆっくりと近付いて来る人影。
手に持つ得物は穂先が刃物のようになっている東洋風の槍。
確か薙刀とかいうのだっけ。
少女は相手を見ながら背後の木に凭れ掛かって傷口に手を当てた。
内臓とかに怪我は無いが、割と大きめの血管に弾が掠ったらしい。
手のひらにはべっとりと紅いヌルヌルがこびり付いている。
血管が千切れるのを知りつつ先端が変形した9㎜パラべラムを指先で摘まんで取り出す。気絶しそうな痛みが全身に走ったがこの際それを無視しして引きずり出し放り投げた。
逃げるにしてもこのまま動けば、体に残った弾丸が肉を引き裂くからだ。
ああけれど。
もうすぐ、傍に奴がいる。
なのにここから異能を全開にして走る事は出来ない。
痛みと失血の所為か演算がうまく出来ない。
今ここで異能を使おうとしたものなら暴発してしまうだろう。
───ロゼっ・・・
幻聴だろうか、居ないはずの少年の声が聞こえた気がした。
静かで、けれどまだ幼さの残る、若干高い声。
まだ会ったばかりというのに懐かしく感じられるのはなんでだろう。
ああ、そっか。
何時ぞやか、ドイツ地方との境にあるヴォージュ山脈のほうへ行った時に出会った、澄んだ蒼い瞳の少年。川に落ちて濡れ鼠になった彼を一日だけ家に泊めた。
服をあげたお礼にFN社のFNCで二キロ先にいた鹿を撃って焼肉にしてくれたんだか。
自分が狙撃手になろうと思ったきっかけのひと。
容姿、それに声までも似たその人はきっと彼が言っていた彼の弟なのだろう。
男は薙刀を振りかぶったままロゼリエの首元に手を伸ばす。獣とばかり戦っていた少女は、獣物のような男を叩き伏せる術を知らない。
首を掴まれて感じる浮遊感、途端目の前が暗くなる、気道閉塞による酸欠。
これじゃあ異能は起動できない。そのまま前に引き摺られ、そのまま後ろに叩きつけられそうになる。
後ろは大木、最悪背骨とか折れるかもしれない。
不意に浮遊感が消えた。
同時にガッキイという金属のぶつかりあう激しい音。
首元にかかっていた圧力が消失し、ロゼリエはペタリと落葉だらけの地面にへたりこんだ。
頭に血が回らないせいで暗い視界の中、見えたのは黒い髪の男と少年が互いの得物を打ち合わせている光景だった。
「……紫苑、なん…で………?」
───来てくれたんだ。あんなこと言ったのに。
頭の片端でそんな事を考えてそのままロゼリエの意識は闇に落ちた。