fragile light ⅴ
結局もう少し離れた狩小屋に移動しそこで朝まで明かすことになった。
朝起きれば紛れも無い快晴で、これだから山の天気は変わりやすい。
昼過ぎまでにポイントF3まで周り何も無い、ということはF4にあるのだろうか。
これで見つからなかったら嫌だなと話しつつ歩いている中、不意に鳥の鳴き声が凪いだ。
『やっぱりね』
異能だけでエリナがそう言いゆっくりと伏せて物陰に隠れる、少しずつ進めば背の高い木々の中、隠すように寂れたコンクリート製の建物がある。
その前にいる黒い獣の影が遠視モードに切り替えたシェアサイトに映る。
その視界の中でソレはくるると一声啼いた。
“門番”と言われたそれは、獰猛な犬のような鳴き声を上げて後ろ足で立ち上がる。
その黒い胴体にぶら下がるのは三つの首───番犬と言われる見張り用の合成獣である。
『これじゃあ、奴が立ち去るまで足止めかな』
得物の投擲用ナイフを手鏡代わりにエリナが嫌そうに呟く。
何しろ周囲360度きっちり相手の視界である。
しかもこの距離じゃ接近もままならないし、頼みの綱のロゼリエのライフルも今は分解され、組み立てる所から始めなくてはならない。その音で絶対相手に気付かれるだろう。
紫苑の鉄鎖も範囲外である。
とそこで、いままで中空を見てじっとしていたアンジェリナが軽く嘆息した。
『オレがいくよ』
『えっ……ちょ』
───馬鹿、アンタ、アレ使う気か!?
リオンが言おうとした時には既に彼女の姿はどこにも見当たらない。
傍にあった木を一気に駆け登り奴の真上に落ちるように降りていく様をかろうじて紫苑が認識した途端、不意に白い閃光が一瞬だけ番犬の頭上に散る。
『ふぅ、終わった。これすっごい消耗する上に、式作るのもめんどくさいんだよね』
軽やかな声がその方向から聞こえる。
見遣れば、彼女の赤毛が陽炎に揺れていた。
辺りには門番の姿など何処にも無い。
何やらしたり顔のレイがその傍まで歩いていく。
『地面溶かしてたりとかしてませんよね』
『まさか、オレがそんなヘマする訳ないでしょ。お前じゃないんだし、ちゃんと番犬だけ消し飛ばしたよ、ああ疲れた』
糖分補給、糖分補給とか言いながら彼女は懐から取り出した氷砂糖をポリポリ頬張る。
その様があまりに自然すぎて、紫苑にはいろいろと恐ろしく思えた。
彼女は力ずくであの質量を消滅させたというのだ。
アインシュタインの有名な式にもあるように、質量mの物質を消滅させるにはその質量に光速の二乗倍のエネルギーが必要となる。
それを異能だけで賄ったというわけ。
驚いた様の彼に彼女は笑いかけ白髪の少年の肩に手を回す。
『一応、あの大きさぐらいならレイでもこれぐらいはできるよ。加速系ならこれぐらいは出来ないと一等星にはなれないし。
まぁコイツ計算苦手で、よく異能を暴発させるからやらせた事はないんだけどね。人工的にマグマ作るし。まあでも、もし暴走しても君なら止められるかなって相方にさせてもらったから仲良くしてやってね』
……いやいやいやいや、なして止めろって言うんよ。
思わず紫苑の口から素の方言が出かけたところで。
近場の木に登って双眼鏡で辺りを見ていたロゼリエが周囲に敵がいないのを確かめ終えてパンチラに気を付けスカートを押さえながら降りて来た。
但し、ガードは甘いようで、なんやら白っぽいヒラヒラがその狭間から見えてしまっている。
……レイ曰く薄青色ならしいが。
『取り敢えず、スパッツぐらいは履いとけよ、隠してるつもりが丸見えだぞ』
返答はまさかの7.62mmNATO弾だった。
「~~~~~~~~~~~ッ‼」
慌てて紫苑は後ろに下がる。
“昨日、あれだけ私の撃った弾避けてたんだからこれぐらい大丈夫よね”
という彼女の心の声が聞こえた気がしたが、こんなところで味方に殺される訳には行かないのだ。
鉛玉のフルコースはどうかご遠慮していただきたい。
とりあえず建物に沿って歩き、こっそり入れる場所がないか否か探していく。
しばらくして開かれている窓を見つけた。
どうやら続いているのは用具置き場のようだった。
見つけた、と先行していたエリナが口角を上げる。
『……不用心ね。そんなんだから泥棒に入られるんだよ』
言って彼女は周囲に警戒しつつ中に入っていく。
床にかがみこみ指で埃の有無を確認する彼女に他の面子が続く。
『にしても放置されてたとかいう割にきれいだな』
『……管理人みたいなのがいるのかしらね。まぁ、ただの人間だったら負けないでしょうけど』
第三次世界大戦とそれに続く合成獣の暴走によって、この辺りの地区は放棄され、人間は残らず都市の中心部に避難したと言われている。
合成獣に対して対抗する手段は、ただ一つ異能者だけなのだから。
とはいえ、合成獣製造工場が無人の工場とは考えられにくい───ただの工場ならともかく生命工場の完全無人化が期待できるほど、この国でAI技術は進んでいないからだ。
通路に続く扉を少し開けて状況を確認する。
まさか人はいない……そう思いたいところだ。
見れば、掃除用のロボットが一台通り過ぎていくところだった。
どうやら管理人なる存在はいないようである。
それが完全に見えなくなって、こっそりと廊下に出る。
監視カメラのほうは、ロゼリエが既に欺瞞を済ませていたからだ。
一番知りたいのは見取り図とあともう一つ。
制御室である。
こちらは構造から考えてすぐに見つかった。
錠は旧型の電子カード式だった。
扉を引きつつ何らかのカードをさっと通せばすぐに開く杜撰な造りの物である。
机の上に乱雑に重ねられているのは半ば燃えた何らかの資料。
シュレッダーには無理やり詰め込まれた紙の束。
そして何かの配電盤と電気の落とされた監視モニター。
今入って来たのとは別の戸があるのを確認して全員が中に入る。
「残念、既に放棄されてるっぽいね、ここは」
諦めたように半分だけシュレッドされたぐしゃぐしゃの紙束を放ってエリナが嘆息する。
そこにびっしりと並ぶのは《《漢字仮名交じりの文章》》──もうこっちの国では、密輸された異能に関する論文以外で見ないだろうと思っていた日本語である。
紫苑は一瞬だけそれに目をやり、それから面々の顔を見た。
既に手に入れるべき工場の見取り図は手に入れているのだ。
あとは、ただ帰るか、それとも今の内にここを破壊しておくか。
その時ひたひた、という湿った音が廊下からした。微かに聞こえて来たソレはわずかながら時間とともに大きくなる。
人の足音、ではない。もう少し湿ったようなナニカの足音。
同時に聞こえるはキイキイという耳障りな声。
───勿論これも人間の話し声のわけがない。
そこで気付いた。
放棄したというのなら、わざわざ人が歩く通路を合成獣に歩かせない道理などない。
その足音が今自分たちの入って来た扉の前で止まる。
次いでしたのは金属を腐らせるような生臭い匂いと、カルキのような刺激臭。
これじゃあ扉は保たない。
「───ッ‼」
慌てて奥のほうにあった別の戸を開け外に出る。
さらに匂いが濃くなった。
見れば玉虫色のゲル状生物が廊下を腐らせこちらに来るのが垣間見える。
───殺神隷種とも言われる合成獣の一種であり精神汚染を引き起こす物質を放つ邪神種と言われる危険度の極めて高いものだった。
「どうやら、もうバレているらしいし、ココを壊して帰る他無いみたいだね」
「いいのか?」
「一応そういう命令だよ」
もうバレているのだから音を出さないようにインカムの回線だけで会話する意味はない。
電池の無駄だと割り切って茶髪の少女は凄絶に笑った。
すでに制御室で発見した見取り図のほうは暗記してある。
なら後は倒すだけだ。
それに、有毒液状生物なら、加速系の異能も電操系の異能も役には立つまい。
例え水分を飛ばして倒したとしてもその熱で彼らの体に内包された毒までが蒸発するからだ。有効打なのは減速系の異能で凍らせること。
───コレを殺せるのは自分とあともう一人しかいない。
「他は任せるよッ‼新入りッ!先に行ってろ‼」
先ほどまでとは打って変わって雄々しい口調で
少女は、得物を後ろへ向かって投擲する。
近くの殺神隷種にそれが当たって醜い形の氷ができる。
当たらなかったものは酸で溶けて消滅した。
鉄製のそれが砂糖菓子のようにきえるとは。
なんとも分の悪い戦いである。
けれど───悪くない。
もともとこちらはそういう性分なのだ。
遠ざかる一行を見て彼女はキリリと口角を上げた