傷心と嫌悪
「なあ、もう逃げないからいい加減離してくれないか?」
俺と如月は住宅街をとぼとぼと歩いて、早過ぎる下校をしていた。
先程からすれ違う人達がチラチラとこちらを見てくるのが気になる。
こんな時間に制服姿の高校生が歩いているのが変というのもあるだろうが、一番の理由は俺達の今のこの体勢だろう。
俺の左腕が彼女の両腕でがっしりと掴まれている。
なぜこんな体勢になっているのかというと、先程、俺が彼女から逃亡を試みたのが原因だ。
俺は彼女から奪われたカバンを返してもらった瞬間、走って逃げようとした。
けれど、予想外に彼女の足が速く、すぐに捕まってしまい、逃亡は呆気なく失敗。
そして、もう俺が逃げたりしないようにこうして腕を掴まれて、捕えられているというわけだ。
第三者からしたら今の俺達の状態は捕まえられているのではなく、腕を組んで仲良く歩いているように見えているのか、すれ違うおばさん達が暖かい目で見てくる。
人の目を引いてしまっても仕方がない体勢だった。
けれど、俺は極力目立ちたくない人間だ。
だから、先程から手を離してくれないかと彼女に頼んでいるのである。
「本当に逃げない?」
「ああ」
彼女は俺の腕を掴んだまま上目遣いで怪しむような目を向けて来た。
俺はその目を見てはっきりと肯定の言葉を言う。
「……分かったよ」
彼女は少しの間考えてから渋々といった感じではあるが、俺の腕を解放してくれた。
また逃げたとしたとしても彼女のあの足の速さでは、どうせ追いつかれてしまうのは目に見えたので逃げるのは潔く諦めた。
だが、あの足の速さは何なんだ?
走るフォームもなんかすごい綺麗だったし、何かスポーツでもしているのだろうか?
「なあ、さっき足速かったけど何かしてるのか?」
普通に気になったので聞いてみると、いきなり横に並んでいた彼女が無言になって立ち止まった。
俺が数歩分前に出る形になったので半身になって振り向くと、如月は驚いているのか、なんとも言えない目でこちらを見ている。
「……なに?どうかしたの?」
「いや、わたしに興味持ってくれてるんだと思ってびっくりした」
「なんだそれ」
確かに俺は人を避けているし、彼女と仲良くする気もないが、こんな変人にここまでしつこく関わってくる人間なんて珍しいというか、今までこんな人にあったことがないから多少の興味くらいは持つのが普通だろう。
如月が再び歩き出したので横並びになる。
「で、何かしてるのか?」
会話が途切れてしまったので、もう一度聞く。
「わたし中学の頃、陸上部だったの。全国大会にも行ったことあるし、トロフィーなんかも持ってるよ」
陸上部だったのか……。
しかも全国大会にも行くほどの実力者。
道理で足が速いわけだ。
「高校ではやってないのか?」
そう聞いた瞬間、彼女が僅かに嫌そうな表情をしたのが分かった。
「ちょっと色々あってね……。べつにプロになりたいとか思ってたわけじゃないから中学で辞めたの……」
彼女は俯いて少しだけ暗い顔になり、制服のスカートから伸びる自分の足を懐かしむように撫でた。
これは聞いたらまずいことだったか。
「……悪い。今のは忘れてくれ」
「……」
また彼女が無言になったので横を見ると、彼女は先程と同じようにこちらを驚いたような目で見ていた。
「今度はなに?」
「前から思ってたけどさ。健一くんって根は優しいよね」
「それはない」
「そんなことないと思うけど」
「百歩譲って俺の根が優しかったとしても表に出てる発言とか行動がクズならクズだろ」
周囲の人間が見るのはその人の外見とか言動であって、中身じゃない。
実際にしている言動がその人の印象を決める。
外に出しているのがクズのそれならそいつはクズのレッテルを周囲の人間から強制的に貼られる。
中身がどれだけ良くても関係ない。
そういうものだ。
「クズって……もしかして、健一くん、自分のことも嫌いなの?」
「大嫌いだ。顔も良くないし、頭も大していいわけじゃない。こんなの、好きな方がどうかしてる」
「へー、ちょっと意外」
「なにが?」
「だって、人が嫌いな人って自分のことは好きって人多くない?てっきり、健一くんもそうなのかと思ってた」
「勝手に人をナルシストにするな」
「いや〜、健一くんも自分のことをクズって言ってる自分に酔ってるだけのナルシストかもよ〜?」
きっと、彼女はただの他愛もない会話のひとつとして、こうして俺をおちょくりながら楽しそうに話してくれているのだろう。
けれど、俺はなぜか彼女の言った言葉について真剣に頭の中で考えていた。
人嫌いには自分が好きな人が多い。
偏見かもしれないけれど、それは事実な気がした。
人を嫌い、関係を築くことを避けてるような人間が人に好かれることなんてない。
だから、人嫌いな人間はほぼ間違いなく孤立する。
誰からも好かれず、誰からも必要とされない。
だから、せめて自分だけは自分を好きでいようとするのかもしれないと思った。
たとえ自分であろうと人は誰かに存在を肯定してもらえないと生きていけない。
それほどに弱く、脆く、拙い生き物。
それが人間だ。
俺はそのことを身をもって痛いほどよく知っている。
そんなことを考えながら、如月と他愛もない話をしているうちに俺の住んでいるマンションについた。
その時、ふとある疑問が湧いた。
「なあ、そういえば家こっちなの?」
「え、ううん、違うよ?わたしの家はあっち」
そう言って、彼女は今さっき歩いてきていた道の方を指さした。
つまり、彼女の家は真逆ということだ。
「健一くんの家にあがらせてもらおうかと思ってついてきたんだけど……」
「は?ダメに決まってるだろ」
「だって、こんな時間に家に帰ったりしたらお母さんに怒られちゃうもん!早退したのは健一くんのせいなんだから責任とってよ!」
「知るか。誰もついてきてくれなんて頼んでないだろ。自業自得なんだからさっさと自分の家か学校に帰れよ」
そう言って、早足でマンションの中に入っていくと、後ろから如月も早足でついてきた。
「へー、健一くんってこのマンションに住んでるんだ」
「ついてくるなよ」
「絶対に家にあげてもらうからね」
しつこい……。
俺の住んでいる部屋はこのマンションの五階にある。
いつもはエレベーターで五階まで上っているのだが、今回は如月を振り切るためにわざわざ階段を使った。
俺はそこまで運動神経がいいわけじゃないが、足の速さだけで言えば、むしろ速い部類に入る。
たとえ元陸上部でもそれは半年も前の話だ。
足に負担のかかる階段なら筋肉量の多い男である俺の方が分があるとふんだのだ。
予想通り、如月は全速力で階段を駆け上がった俺に僅かについて来ることが出来ず、俺は如月よりも僅かに早く部屋にたどり着くことが出来た。
俺が部屋に入り、鍵をかけたのとほぼ同時に部屋のドアノブを外からガチャガチャと引っ張られる。
まさにギリギリセーフだった。
「ちょっと、本当に開けてよー!」
ドア越しに如月の大声が聞こえる。
息を切らしながらも、これじゃあまるでストーカーじゃないかと思った。
警察を呼ぼうかという考えが一瞬頭をよぎったが、流石にそれはやめておこう。
しばらく放っておけば諦めて帰るだろうと思い、無視して玄関で座って見守ってみることにした。
ドア越しに騒いでいる如月の声を聞きながら、なんで如月はこんなに関わってこようとするのかという疑問がふと頭に浮かんだ。
これまでもその疑問は何度も浮かんだが、しっかり考えたことは一度もなかった。
彼女、如月に会ったのは数日前に病院へお見舞いに行った時。
その時に偶然、特に話したこともない同じクラスの生徒として出会った。
別にここまでなら特に珍しいことでもない。
よくある日常の一幕だ。
だが、問題はそのあとにどうして彼女が俺に関わってくるようになったのかというところだ。
彼女が俺に関わってくる理由が全く分からない。
どうして彼女はこんなに俺に関わってこようとする?
本人は仲良くなりたいからと言っているが、それはなぜだ?
なんで俺みたいな人間と仲良くなりたがっている?
こんな変人と仲良くなってなんの得がある?
いいや、得はなにもない。
俺のような人間と仲良くなっても周囲の人間からは変わり者だと馬鹿にされるだけで損ばかりだ。
だったら、損をするために関わっているのか?
そうだとしたら、高校生でよくあるくだらない罰ゲームだろうか?
好きでもない男子に告白するとかそんなタチの悪い罰ゲームなら校内でやっている奴らは何度か見かけたことがある。
俺が考え得る可能性で一番高いと思ったのはそれだった。
その結論にたどり着いたちょうどその時だった。
「うるせぇ!!!誰だ!?近所迷惑だろうが!!!」
ドア越しに如月の声とは違う野太い男の大声が聞こえてきた。
俺はその声の主を知っている。
声の主はおそらく俺の住んでいるこの部屋から2つ隣の部屋に住んでいるオッサンだ。
そのオッサンはこの辺では短気で有名な人で俺も何度か怒られたことがある人だった。
正直、苦手なタイプの人なのであまり関わりたくはない。
おそらく、ドアの前で騒いでいた如月にブチギレて部屋から出てきたのだろう。
「す、すいません!」
如月の誤っている声が聞こえたが、オッサンはそれでも機嫌が治まらないようで声を荒らげて扉の前で如月を叱り始めた。
俺は物音を立てたりしないようにそっとドアスコープに左目を当てて、外の様子を確認してみると、怒鳴り声を上げて叱っている薄毛のオッサンと頭を下げて縮こまり、今にも泣きそうな顔をしている如月の姿が湾曲して見えた。
しばらく、その様子をドア越しに見ていると如月の目からとうとう涙が流れていた。
オッサンはそれでも「泣いたら許してもらえると思ってるのか!」などと言って叱るのをやめるどころか、さらにヒートアップしている。
如月は流れる涙を手で拭いながらしゃっくりをしていた。
俺はその光景を見て見ぬふりをするか悩んだが、部屋の前で自業自得とはいえ、女の子がオッサンに泣かされていると思うと気分が悪くなったのでドアを開けて出ていくことにした。
オッサンの目が如月ではなく、部屋から出てきた俺の方を睨む。
確か、この人の苗字は佐藤だったか。
「佐藤さん、すいません。俺の知り合いなんです」
そう言って、出ていったのはよかったのだが、そこからが大変だった。
俺も如月と共にオッサンに物凄く怒られたのだ。
横では如月が泣いてるし、目の前では禿げたオッサンが怒鳴っているしで結局、最悪の気分になった。




