余命と歔欷
入院してから約二ヶ月半、わたしはようやくリハビリを始めた。
手術後にリハビリをしっかり始めていれば、今頃は歩けるようになっている頃らしいのだが、リハビリを全くしてこなかったわたしはまだ歩けるようにはなっていなかった。
病院側にこれ以上の迷惑はかけられないと思ったので、退院して、家から通院することに決めた。
家での松葉杖生活が始まったが、退院してからもわたしは学校に行くことだけは出来なかった。
お父さんとお母さんは何も言わなかったけれど、学校に行かないことに対して一つだけ問題があった。
高校受験だ。
わたしは現在中学三年生なので今年は高校受験が控えている。
受験の時期は三月が始まってすぐ。
今は十一月の頭。
受験本番まで五ヶ月もない。
三年生の後半の半年は受験勉強に当てられることが多いので、新しいことはそこまで習わないから問題ないとしても、わたしはほかの同級生に比べて勉強時間が圧倒的に足りていない。
べつに特別頭がいい学校に行きたいわけではないけれど、部活にばかり力を注いでいて、特に頭がいいわけではないわたしは通院以外は自室に引きこもって勉強漬けになっていた。
わたしは通院と勉強漬けの毎日を送り、退院してから約半月で松葉杖なしでも普通に歩けるようになった。
「ありがとうございました。失礼します」
一週間に一度あるカウンセリングが終わった。
カウンセラーの先生は今ではだいぶ安定しているので、そちらはそこまで心配していないらしいが、学校に行っていないことをまだ少しだけ心配しているらしい。
学校に行っていなくても、受験の為に勉強漬けの毎日を送っていることを伝えると、少しは安心したようで今では応援してくれている。
カウンセリングも今ではほとんどカウンセラーの先生とのおしゃべりになっていた。
今日も三秋さんに勉強教えてもらおうかな。
わたしは通院で病院に来た時には三秋さんの病室に寄ってお見舞いついでに勉強を見てもらっていた。
三秋さんは七十代で歳はそこそこ取られているけれど、元は教師。
中学生くらいの内容なら教えてもらうことが出来たので、手を貸してもらっていた。
四人部屋の病室に入り、三秋さんの寝ているベッドに行くと会ったことがない人がベッドの隣にある椅子に腰掛けていた。
病室に入ったわたしに気がついて目が合う。
「あらっ?」
そこにいたのはおばあさんで優しい笑顔を向けてくれた。
「あの、もしかして三秋さんの奥様ですか?」
「ええ……。もしかしておじいさんになにか用事?」
「はい、お見舞いに来たんですけど……」
おばあさんは少し驚いた顔をしていた。
「人違いじゃないのね。おじいさんにこんなに若いお嬢さんのお知り合いがいたとは知らなかったわ」
「わたし、この病院に先月まで入院していて、三秋さんには色々とお世話になったんです」
「まぁー、それで?わざわざお見舞いなんてありがとうね」
「いえいえ」
会話がひと段落着いたところで、ベッドに三秋さんがいなかったので、室内を少しだけ見渡したけれど、三秋さんの姿は見当たらなかった。
「三秋さんはどこかに行かれたんですか?」
「さあ、わたしも今来たところだから知らないのよ。また、病院内を散歩でもしてるんじゃないかしら」
わたしは少し考えた後、手に持っていた紙袋をおばあさんに差し出した。
「すいませんが、これ三秋さんに渡しておいてもらえませんか?」
三秋さんは散歩に出かけると他の患者さんと話したりして多分しばらく帰ってこない。
長くなりそうだったし、三秋さんとおばあさんの邪魔をするのも悪いので、今日は勉強を教えてもらうのは諦めようと思った。
「おじいさんに会わなくていいの?」
「これから用事もあるので、よろしく伝えておいてもらえませんか?」
用事が入っているという嘘をついて、話を円滑に進める。
「分かったわ」
「ありがとうございます」
おばあさんが紙袋を受け取ったので、病室を出ていこうとすると、
「あっ。あなた名前は?」
おばあさんに名前を聞かれて呼び止められた。
「如月 真冬です」
振り向いて答える。
「真冬ちゃんね。ちゃんとおじいさんに伝えておくわね」
「はい。お願いします」
その日、わたしはそれで家に帰った。
これがわたしと健一くんのおばあさんが初めて出会った瞬間だった。
この日から一週間後、三秋さんの癌の症状が急に悪化した。
*
わたしが三秋さんの癌の悪化を知ったのは、悪化した次の日だった。
カウンセリングを受けに来た時にカウンセラーの先生から教えられた。
病室が個室に移ったと聞かされたので、わたしはカウンセリングを放り出して三秋さんの病室に向かった。
「三秋さん、大丈夫ですか!?」
扉を勢いよく開けて、病室に飛び込んだ。
室内にはおばあさんがいて、前に会った時のようにベッドの横にある椅子に座っていた。
三秋さんはベッドに寝ていて、腕から点滴が伸びている。
なんだかぐったりとしていて車椅子で元気に移動していた三秋さんの姿は見る影もなかった。
「嬢ちゃん、元気になったなぁ」
慌てた様子で小走りで室内に入ってきたわたしを見て、三秋さんは笑った。
「大丈夫よ、真冬ちゃん。落ち着いて?」
わたしの様子を見て驚いたおばあさんがなだめてくれる。
わたしは一息ついて、話を切り出した。
「病気、悪化したんですよね?」
「まあ、したな」
「大丈夫なんですか?」
「そんなすぐに死ぬわけじゃないから大丈夫だ。少なくともキミが受験するまでは問題なく勉強を見れるから安心しなさい」
「勉強なんて今はどうでもいいです。本当に大丈夫なんですか?」
「心配症だなぁ」
三秋さんはベッドに寝たまま答えた。
三秋さんでは見栄を張っているようにしか見えないので、隣のおばあさんを見た。
おばあさんは少しうつむき加減で黙り込んでいたけれど、わたしが見ていることに気がついて口を開いた。
「……真冬ちゃん。おじいさん、実はあと余命一年らしいの……」
「ぜっ、全然大丈夫じゃないじゃないですか!?」
あまりのことで、その日一番大きな声が出た。
三秋さんはうるさいとでも言うように少しだけ耳に手を当てる。
「そう、騒ぐな。そんなに驚くようなことじゃない」
「驚くことですよ!なんでそんなに平然としてられるんですか!」
三秋さんの平然とした様子に何故かわたしは少しだけ怒っていた。
けれど、三秋さんはわたしのそんな言葉を受けても落ち着いていた。
「キミもわたしが手術が難しい癌だというのは知っていただろう。余命宣告をされる日が来ることくらい覚悟していた。無論、ばあさんもな」
おばあさんの方を見ると、おばあさんは真っ直ぐにわたしの方を見つめていた。
その目の奥に覚悟のようなものがあるのが見てすぐに分かった。
「だから、そう取り乱すな」
三秋さんはどこか優しさのこもった声で念を押すように言った。
「でも……でもぉ……」
言葉の代わりに涙が出た。
わたしからすれば恩人の三秋さんがあと一年で亡くなってしまう。
悲しくないわけがなかった。
「ありがとうね」
おばあさんが泣いているわたしの背中を優しく摩ってくれる。
「なんでキミが泣くんだ……」
三秋さんは辛いであろう体を起こしてわたしの頭をやさしく撫でてくれた。
二人になだめられながら、わたしはしばらく涙が止まらなかった。




