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謝罪  作者: 岩尾葵
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気が付くと朝を迎えていた。

 気が付くと朝を迎えていた。寝ていたわけではない。一度ノートを投げつけた部屋の時計が、その後息を吹き返すように何回か「死ね」と告げてきてあまりにもうるさかったから、夜通しかけて鳴らないように分解してやったのだ。もちろんこの部屋にドライバーなどと言う高等な道具はどこにもないから、分解は全て素手で行った。まず部屋の壁に時計を叩きつけて、文字盤部分を保護するガラスを割り砕いた。次いであられもなくさらされる時計の針を根こそぎ引っこ抜いた、そしてそのプラスチック片をゴミ箱に捨てた。見事文字盤だけになった時計は、道具として使い物にならなくなった。時を刻むためだけに作られた時計はその用途を奪われて何とも無残な姿で冷たく私を見つめていた。それがまた気に入らなかったので、それからさらに時間をかけてじっくりと中身を解体してやった。手で触れる機械質の様々なパーツは奥に入り込んで取り出しにくいものなどもあったが、そこは壁や床に本体を叩きつけて割るなどの工夫で何とか乗り越えることが出来た。部品一つ一つバラバラに解体された時計は日が昇る頃には既に原型をとどめていなかった。これにはもう、存在する価値がない。ざまあみろ、と私はその壊れた時計に向かって言ってやった。

それから暫くして、正午を少し回っただろうと思われる時刻になった。部屋の時計は壊してしまったが、外で鳴る正午の鐘のおかげで現在の時刻がどのくらいなのかはわかった。食事が咽喉を通らない私のために用意された、昼食代わりの点滴を受けて例のノートを見返しながら過ごしていると、突然白い部屋の白い開き戸がすっと開いた。また敵でも来たか、などと一瞬身構えたが、すぐにそのシルエットを見て思い直す。その影は紛れもなく私の母のものだった。

「……芽衣ちゃん」

 なぜこんなところに、という疑問が最初に浮かんだ。しかしそんなことより、もっと重要な問題があった。

「何しに来たの」

 我ながら、久々の来客に対して失礼な発言だとは思う。だが今はあまり人には会いたくない気分だった。敦子との思い出に浸り、敦子との会話を振り返り、自分が彼女とどのように接していたのかを一刻も早く思い出さねばならないのだ。そうでないと私はまた眠れない夜を過ごすことになる。敦子と付き合っていた時見ていた悪夢が訪れるような夜よりも、もっと恐ろしい夜を、また過ごすことになってしまう。

「そんな言い方はないでしょう。久々に様子見に来たって言うのに」

 案の定母はそんな私の真意も知らずにやや拗ねた調子で返事をした。胸に突き刺さる言葉に、ごめん、と謝ってしまいそうになるのをぐっと堪える。母はそれも気にも留めず「それに」と付け加えて会話を続ける。

「何しにも何も。今日は芽衣ちゃんの誕生日でしょう」

「は?」

「だからね、今日はお母さん、芽衣ちゃんの顔を見に来て、お祝いをしてあげようと思ったんだ」

 何を笑えない冗談を言っているのか、と思った。

母からすれば、入院していても娘の誕生日を祝うことは当然なのかもしれない。だが私からすれば、その母の優しさこそが毒なのだ。他人から優しくされると言うことがどれほど怖いことか、母のような人には分からないのだろう。

優しさが怖い。誰に対しても平等に与えられる優しさなどないと信じ切っていた私は、誰かの優しさにいつも反発した態度を取ってしまう。

世の中はギブアンドテイクで出来ているというのは通説だったか、都市伝説だったか。とにかくその言葉を最初に聞いた時、私はひどく附に落ちたものだった。全ての物事は貸し借りの関係にあり、与えられたものは必ず返さなくてはならない。その話の延長上に対人関係も含まれている、ということだ。つまり相手から与えられた優しさや好意、善意などは自分も相手に喜ばれるような形で返さなくてはならない。それが世の中では常識として成り立っているのだと知って、そうなのかもしれない、と納得してしまった。

そこからはもう、他人の優しさがとても怖いものに感じられた。他人から与えられる、何でもない一言や気軽に振り撒かれる笑顔などに、全て自分も答えなくてはいけないような気がしてきた。もちろん家族とて例外ではない。特に母については入院に際して多大な迷惑をかけ、しかもことあるごとに過度の苛立ちをぶつけてしまった。口に出さないだけで、申し訳ない、とは確かに思っている。この部屋に来てからと言うもの、私の着替えや必要なものを持ってきてくれるのはいつも母だ。だから労いの言葉や母が来たことを喜ぶ返事が出来ればそれに越したことはないし、事実そうしておきたいと思う心もある。しかし、取ってしまう態度はいつもそれとは裏腹に冷たく、母を傷つけるようなものばかりだった。それでも母は優しかった。これだけ壊れている娘に対しても自分の出来ることは何かと考えしっかり世話をしてくれる。私の放つ刺のような一言一言にも、怒ることなく穏やかに受け止めて返事をする。結局は私がそれも申し訳なく感じて、自分をも不甲斐なく思い、さらに母に当たり散らす結果に終わることも多かったが。

今の私には母の優しさを受け止めるだけの強さがない。敦子の時もそうだった。優しくされるのが怖かった。私は与えられた優しさに見返りを与えられるほど出来た人間ではなかった。優しい人たちが自分に優しくする分、それに対して自分が与えられるものが何もない気がして、それを何とか否定する口実をずっと考えていた。何度も何度も考えて、それでも全く答えが出なかった。どう考えていっても結局私は、優しさすら毒に感じて自壊していく、弱虫な生き物でしかないのだと思い知らされるだけだった。

「止めてよ」

 私の中の弱虫がむくむくと動きだす。心を縫うように這っていくその感覚に、全身には悪寒が走り聞こえるはずのない足音までもが聞こえてくる気がした。虫は節足動物なのに、どうして足音が聞こえるんだろうね、と今すぐ敦子に問いただしたい。彼女ならきっと上手い答えを見つけられるだろう。

「止めてよ、そういうの、気持ち悪い」

 努めて冷たく、まるでヒトではないかのように、私は繰り返した。声が聞こえているはずなのに、母は少し黙っていた。なぜ怒ろうとしないのだろう。怒って私に幻滅して、もういい、好きにしろ、これからは自分で何もかもやっていけ、入院代も出さない、と一蹴してくれればどんなに楽になるのか分からないだろうか。優しさなんていらない。理不尽なくらい厳しく叱りつけて、もっと私を苦しめて欲しい。私を放っておいてほしい。そうすれば少しは自分で努力しようと言う気が起きるだろう。あるいはもう自分では何も出来ないと諦めて、誰も知らないどこかでひっそりと野垂れ死ぬかもしれない。だがいずれも自業自得の結果だから私はその運命をあっさりと受け入れる。縋るものがなければ、優しくする人がいなければ、その見返りのために苦しむことなどない。

 母は知らない間に手提げや見舞品などを置いて完全に居座る体勢を作っていた。

「駄目、今日はせっかくの誕生日なんだから」

 私の浴びせた冷たい言葉はまるで効果がなかった。

「って言っても、芽衣ちゃん食べ物食べられないって先生から聞いたし、許可なしには外出もできないから、誕生日でも何か特別な事なんて、あんまり出来そうにないと思うけど」

 それが分かっているならなぜ母はわざわざ見舞いになど来たのだろう。母がいたところで私の気が休まるなんてことはあり得ないし、寧ろ久々の人との接触に若干緊張感すら覚えるくらいだと言うのも予想が出来たはずなのに。

「じゃあ、何か欲しいものとかないかな。ちょっと高いものでもいいよ、特別! 今日は芽衣ちゃんのために奮発しちゃう」

体をくねらせんばかりに一人で盛り上がる母を尻目に、はあ、とため息をつく。欲しいものと言われても、元から物欲に乏しい私には咄嗟に思いつくものはない。第一、小学生ならともかく、満二十歳にもなって親から誕生日プレゼント、なんて痛々しいにもほどがある。そもそも過去の誕生日を振り返って人と一緒に祝ったこと自体が、数えるほどしかない。

「あ」

 そこまで考えて私は重要なことを思い出した。

「何? 欲しいもの、思いついた?」

 母が意気揚々と私の顔を覗きこむ。私は動じることなく、思い出したことを述べる。

「そういえば、去年の誕生日プレゼントって、まだ家のどこかにある?」

 敦子からもらった化粧品袋のことだ。ノートを見ながら思い出を振り返っていて気付いたが、彼女から貰ったものはあれが最初で最後だった。何でもいい、敦子のことを思い出せる品があるのならば、それをこの部屋に置いておきたかった。彼女が失踪した原因を知るためにノートを見てはいたが、彼女を思い出すことが出来るものは、この部屋にはいつも私の手元にある夢を綴った一冊のノートしかなかったからだ。

 母は一瞬去年の誕生日プレゼントが何のことなのか分かっていないようだったが、私が「敦子からもらった奴」というと、すぐに化粧品袋だと気が付いた。

「分かった、じゃあすぐに家に帰って持ってくるよ」

「いや、そんなに急がなくてもいい」

 単純に、急かすのは悪い、と思ったからだった。自宅からここまでは確か車で走って十五分はかかる。わざわざ今日中に私のところまで二往復してもらわなくても、一端家に帰って明日出直してきてくれればそれでよかった。しかし母は私の制止を意にも解さず、ベッドの周りに置いておいた手提げを肩にかけて早々に部屋を出ていく準備を整えた。

「駄目、誕生日なんだから思いっきり我が儘言いなさい」

 そう言い残してさっさと白い扉の向こうに消えて行ってしまった。その言葉に反論すら許されなかった私は、母がいなくなった後の部屋で「ごめん」と小さく呟いた。

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