小さい頃から、私は悪夢ばかり見てきた。
気付いたときには辺りはもう真っ暗になっていた。部屋の窓から見る中庭の景色は、昼間と違ってずいぶんと青白い。空から降り注ぐ月光と必要以上に取りつけられた街頭に照らされて、アスファルトで塗り固められた地面は、部屋の中からでもその石の一つ一つがはっきり見えるほどの光を反射している。それを見て、まだ夜が続いていることを知る。部屋に佇んで見る中庭は、いやがおうにも自分が眠れない体になってしまったことを私に示す。
つい最近まで、夢を見ないのは幸せなことだと思っていた。眠れない夜が来る、その事実を知らなかった頃に、私は毎日悪夢を見ては「夢なんて見られなくなってしまえばいいのに」とよく思っていた。
小さい頃から、私は悪夢ばかり見てきた。
ある時には交通事故で身が切り刻まれる夢。またある時は悪質なストーカーにしつこく追い回されてコンクリート詰めにされる夢。四肢を捥がれたこともあるし、瞳を串刺しにされたこともある。体の中に手を突っ込まれて意識があるまま内臓をかき回され肺を握りつぶされた夢、業火に身を焼かれ続けて自分が燃えカスになるまで死ねなかった夢も見た。その多種多様性は、もちろん自分の体が踏みにじられる、というものだけにはとどまらない。強盗に脅されて自分が殺人の幇助をするものや、悪魔にそそのかされて自らが見知らぬ人を殺す内容のものもあった。
そうした夢は毎晩のように繰り返され、毎晩のように私に死の感覚や精神的な苦痛を強いてきた。何度も私を蝕む悪夢は日に日にリアリティを増していき、中学に上がる頃には大分現実味を帯びたシナリオまで用意されていた。実際には顔も知らない人間が突然自分の恋人役として現れる。実際には見たこともない人物が生き別れの弟だと名乗り出る。何より奇妙なのは、夢の中の私が、そうして現れる彼らを何の違和感もなく受け入れていることだった。私の立ち位置も、夢の登場人物の場合によっていくらでも変わった。だがそのどれもが、最後には破滅に向かい、私が死ぬか、相手が死ぬか、もっと汚い後味を残して終わるかのどれかしかなかった。
夢は所詮、夢。目が覚めてしまえば現実が目の前に立ちふさがるし、そうした中では夢のことなど覚え続けていることは出来ない、と多くの人々は言う。私も最初のうちは確かにそうだと思っていた。だから夢から目覚めることそのものに感謝をしていたし、夢が終わることを幸福とさえ思っていた。夜明けや朝に希望を見出すことも出来た。しかし古今東西、夢の存在を奇妙に思わない人はまずいない。夢を見ることは現実的に不可能な事を人々が経験する最も手軽な方法であり、その非現実性ゆえに夢は多くの人々を魅了してきた。また普段できない事象を経験することは、非現実を操り人々を楽しませる創作家たちにも大きな影響を与えた。夢にインスパイアされた彼らはあらゆる手段で夢を表現しようと試みてきた。ある者はその方法に音楽を用い、またある者は美術を用い、またある者は文学を用いてその独特の世界観を何とか再現できないものかと趣向を凝らし続けてきた。
私も、最初はそんな世界に五万といる夢に魅了された者たちの一人でしかなかった。日常的な睡眠の果てに見る非日常的な夢。幻惑させられた私はその夢の詳細と夢を見ている時の心情の変化を、この大学ノートに綴ることにした。悪夢ともなれば、尚更後味の悪い夢が脳裏に深く映像を焼き込んで、目覚めた後も尚様々な思いを去来させる。そうしたものを不定形に漂わせておくことが、私にはなぜか出来なかった。変なものに昔から興味があった、というのも一つの理由だろう、だがそれよりも単純に、夢そのものへの興味・関心の方が大きかったような気がする。なぜ夢の中ではああも変な事ばかり起きるのか、なぜ夢の中では知らない記憶を知っているつもりになるのか。その手掛かりに、このノートがいつか役に立つ日が来れば良いだろうと、最初はそんな気持ちで夢の詳細を記していた。
ところがいつからだっただろうか、毎日記す夢がいつしか日常と大差ないものに変化したのは。いや、日常が夢に近づいたわけではない。眠れないのだ。夢なのか現実なのか判断付かなくなった。夜になっても頭が冴えてしまって、布団の中でうずくまっていても手汗ばかりかいて一向に眠りに落ちることが出来ない。何度寝返りを打っても、体の節々がキリキリ痛むだけ。関節が軋む音、筋組織が伸びる音が、耳に伝わる脈のリズムと調和していつまで経っても鳴りやまない。布団を掛けていれば指と胴体の真ん中がじわりと汗ばんできて、それが余計に気になって眠ることが出来ない。
私はそれに気づいてから、以前自分が夢なんて見なければいいのに、と言っていたことを思い直した。あの時の自分は単に悪夢から逃れたいという意図であんなことを考えたのだろうが、今から思えば毎晩眠れずに、布団の中で自分の鼓動を何時間も聞き続けて過ごす方がよほど地獄だ。あの時の私にはそれが分からなかった。毎晩心身を刻まれる体験をするくらいなら、眠れない方がマシだと考えていた。
時計の秒針がベッドの片隅でカチカチと正確な速度で時を刻む。信じられないくらい一定のリズムでアナログな音を部屋に響かせるそれは、昔見た一つの夢を私に思い起こさせた。該当のページを見つけるために、箪笥にしまっておいたノートをパラパラめくる。秒針は未だ正確にリズムを刻んでいる。カッチカッチカッチ。見つけたページにはやはりしつこいくらいの量の文字が書きつけられている。この日に見た夢のせいもあって、筆圧も一文字当たりに割り当てられたスペースも他のページとは比べ物にならないくらい整っていた。時計は未だに正確なリズムを刻んでいる。カチカチカチ。夢の内容は、大学のレポートを打っている時に、パソコンが言うことをきかなかった、というものだ。この日の私はいつにもまして文章がすらすら出てきて、課題も大した文字数ではないからあっという間に終わるだろう、なんて考えていた。カタカタカタ、と思いつくままに文章を打ち込んでいく私。時計は未だに正確なリズムを刻んでいる。カチカチカチ。カタカタカタ。驚くべき速度で文字を打ち込む私。指が止まらない。思考が止まらない。腱鞘炎にでもなるのではないかと思うほどの文字の入力。だがその矢先、急に文字が入力しているものとは別のものに変化した。どこのキーを叩いても、その文字しか表示されない。時計は未だに正確なリズムを刻んでいる。カチカチカチ。私は不審に思いながらもまたキーを叩き始める、だがやはりどこを押してもその文字しか出ない。仕方がないので強制終了しようとした。それでもパソコンのディスプレイはひたすらその文字の入力を続けていた。点滅するカーソルは驚くべきスピードで自動的に文字を入力しながら戸惑う私をよそに右へと進んでいく。行数と紙の枚数が恐ろしいほどの規則的な速度で増加していく。時計は未だに正確なリズムを刻んでいる。カッカッカッカ。もう速度がわからない。一定のはずの機械のリズムはどんどん加速してその文字を吐きだしていく。部屋にあった時計までもがその文字の増殖速度と同じように加速してきたかのように思えてくる。死ね、という単語を、夢の中のパソコンはひたすら入力し続けていた。レポートが中断された部分を見てみると変わりようがよくわかる。だと考え死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死句読点が付かない。ただ同じ文字列を繰り返すパソコン。もう時計も正確なリズムではない。カカカカカカカカカカカカカカカカ。
「死ね」
ヒュっ、と思わずノートを時計に向かって力いっぱい投げ捨てた。ノートの角が時計の文字盤を透けて見せるガラス面に命中して、秒針はまた正確な動きを再開した。もうカッカッカ、ともカカカカ、とも死ね、とも言わなくなった。ほっと胸をなでおろし、投げてしまったノートを拾った。これがないとわたしは生きていけないのに。投げてしまってごめんなさい、と心の中で彼女に詫びた。




