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謝罪  作者: 岩尾葵
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最初に結論を言ってしまう語り口調は敦子の専売特許みたいなものだ。

 目の前を何人ものサラリーマンが通り過ぎる。一様に真っ黒のスーツを身に付けた彼らは毎日忙しそうに駅の階段を上り下りし、時には駅構内をゆっくり歩く他の人々にぶつかっても謝りもせずにずんずん進んで行ってしまう。

 五月下旬の駅のプラットフォーム。今日も変わらないそんなサラリーマンの歩行スピードを片目で目撃しつつ、私は昨日見た夢の話を敦子に話していた。暴かれた体の内側が床に触れる冷たさや、死の間際に感じた人生の虚しさなど、とりあえず覚えていたことから、要領も得ずにとめどなく語っていた。いざ語り始めると、話はどんどん具体的に思い出すことが出来、より描写が事細かになっていった。

敦子はそれを黙って聞いている。たまに頷きはするが、外見はあくまでも静かに優しく穏やかだった。私の語る夢の話を、まるでクラシック音楽でも聴くかのように優雅に受け止める。あまりにも自然だと、かえってその態度に不安を覚えてしまう、ということも私としてはなきにしもあらずだが、夢の話をまともに聞いてくれるのは今のところ彼女だけだ。今不安を口にして、万が一にも敦子を失ってしまったら、私は如何にして今後を過ごせばいいか分からない。

「そうかあ、体が地面に触れる夢、ねえ」

だがそんな私の疑念はすぐに彼女の相槌代わりの笑顔に打ち消される。あくまでゆったりとした声で、敦子は私の会話を簡潔にまとめて、そうねえ、と返す。

「確かに割と冷たいよね、家の床」

 本当に伝えたかったのはそこではないのだが敦子は遠い目をして独り言のように呟いた。彼女の視線の先には、向かい側のホームで電車を待つ人々がまばらに並んでいた。朝ほどではないが、夕方六時の駅にもそこそこ人がいるものだ、と思いながら私は話を続けた。

「うん、それで、死に際を経験して初めて自分の人生ってなんだったんだろう、って思ってさ。夢の中の話に経験って使うのもなんか変だけど。自分に誇れるものが何一つなかったな、って思ったら、何か寂しくなっちゃって」

 うん、と頷きはするが、相変わらず聞いているのか聞いていないのか分からない表情を、敦子は続けている。壁があるというほどではないが、私も彼女のこういうところは良く分からないな、などと思ってしまう。

 敦子と語り合うようになってまもなく一カ月が経とうとしていたが、彼女に関して私が知り得たことは、実は彼女と関わりない子たちと大差ないのではないかと思うほどしかない。敦子はあまり自分のことを語ろうとしなかった。どちらかと言うと、普段の会話も私が前日の晩に見た夢をほぼ一方的に話し、敦子がその解説をする形が多かったからだ。私が敦子と出会って今日までに知り得た情報と言えば、家が同じ方面(とはいえ、私と敦子の家が近いということではない。敦子の家は大学のある県内にあり、私の家は県外にあるので距離自体は大分離れている)ということと、学科では唯一私と同じ帰宅部である、ということだけだった。敦子がサークルに属さない理由は良く分からないが、私は人づきあいが苦手だと言う理由だけでサークルを回避したから、おそらく似たような理由だろうと勝手に憶測している。もしかしたら何か他の理由なのかもしれないが、私にはそれについて根掘り葉掘り聞こうと言う気はまるで起きなかった。別にそれについて尋ねたところで何を今更、という印象しか持たれそうになかったからだ。

 そのためなのか彼女との間にはある種何か越え難い線引きがあるような気がしてならなかったのだったが、私はそれをあえて無視しようと決め込んでいた。万が一、こうして私が話している間に彼女が何か思いもよらぬことに考えを巡らせているとしても、それは少しも不思議ではない。私も人の話を聞くときはそのような態度を取ることがしばしばある。私たちにはお互いに理解し合えない決定的なものが存在していることを何となく了解し、それが存在しているからこそお互いと付き合えるのだと、勝手に決め付けて勝手に納得していた。

「生きていた、意味ねえ」

 敦子の目はまだ線路越しのホームを見つめたままだった。私も釣られてそちらを見たまま、彼女の話に耳を傾ける。

「多分、人間に限らず、生き物が生きてる意味なんて、あるわけないよ」

 最初に結論を言ってしまう語り口調は敦子の専売特許みたいなものだ。これほどにまで簡潔かつ相手に配慮しない物言いをする人を、私は彼女以外に知らない。

「それはきっと、あらゆるものの存在に意味がないのと同じようなものだと思う。突き詰めて言うなら、宇宙の存在自体に意味を見いだせるか、って究極的な問題を引き合いに出さなくちゃならなくなるけど」

 そこで敦子は息を吸い直した。

「唯一存在に意味があるものを挙げるとするなら、それは道具かな。道具は目的がなければ作られないし、目的のない道具は作りだす価値すらないからね。でも逆説的な事に、道具に命は宿らないの。命あるものに意味がないのと同じように、意味を与えられた道具は、目的以外の全て――生きることそのものを許されていないんだよ」

 向かい側のホームには電車が滑り込んできていた。無機質にレールを踏み鳴らす音を立てながら、列車はきっかり決まった位置で停止した。キキッと甲高い音で、レールの鉄とタイヤ部分の鉄がこすれ合う。駅員のアナウンスとともに、ホームで列を作って待っていた人々が次々に電車に乗り込んでいく。

 私は呆然としながら敦子の話を聞いていた。

「さっきの話の芽衣ちゃんの夢が、もし私の身に降りかかったとしたら、私はそんな風に考えていろいろ諦めるかな。人間は生き物だから、目的なんてなくてもいいんじゃない? 目的を持ちながら生きてるなんて、そんなの本来命が宿らないはずの道具に生き物が限りなく近づいているだけってことになるでしょ。それでもし人生の終わりに悔いることがあっても、それはそれで人間らしい死の訪れ方だとも思うけどな」

 一息に言って、敦子はふう、とため息をついた。東から吹いてきた風がその長髪を揺らし、彼女の視界を一時的に奪った。風の吹いてきた方向を見ると、暮れなずむ夕日が長く伸びた線路を赤く輝かせていた。まだ春だと言うのに、どこか物寂しい空気が渦巻いているのを、私は感じとった。

「そんなもん、なのかなあ」

 それだけの言葉を絞りだすために、私は何度も息を吸ったり吐いたりした。高校時代に習った、ニーチェの思想に超人主義と言うものがあったのを思い出す。人が生きている目的などありはしない。だから人は生きている意味を自分なりに模索し、そのために生きることを選ぶのが一般的であるが、意味がないことそのものをありのままに受け入れることが出来る人間が理想として掲げられる、それを超人と呼ぶ。後に自分で調べてみて、ニーチェ自身の理想はどうやら超人とは程遠いところにあったようだと知ったが、この超人という発想はまさに今の敦子にこそふさわしい、と私は直感した。彼女の周りから発せられる雰囲気も、見た目から受ける印象も超人思想とは全く縁もゆかりもなさそうな清らかで尊いものであったが、なぜか今の敦子は何もかもを諦めてしまった虚、そんな言葉がぴったりだった。

 向かい側で止まっていた列車はまだ発進していなかった。どうやら特急列車の待ち合わせを行なっているらしい。そういえば、先ほどから敦子と夢についての語り合いをしてはいるものの、まだ何かいい忘れていたような気がして私はまた昨日の夢を回想していた。瑣末なことだったかもしれないが、言い忘れるとどことなくすっきりしない。数秒考え直して、ああそうか、と思いつく。

「そうだ。私の体を真っ二つにした犯人、あれはね」

 ちょうどやってきた急行列車の警笛音が、駅の端から端を駆け抜けた。ブオオオオ、と地を鳴らす強者の轟が、一瞬のうちに駅の音を全てかき消した。

「……だったの。それも何か変だよね。あの人、絶対にそんなことするような人じゃないのに」

敦子と至近距離で話していた私の声は、確かに彼女に届いた、と思った。だが敦子は大きな瞳を僅かにこちらに向けて、首を少し傾けた。

「ごめん、今何か言った?」

 やはり電車のせいで聞こえなかったのか。警笛音は短かったが、それでも私の夢の話を邪魔するのには十分な長さだった。敦子が聞き取れなかったとしても不思議ではない。私はもう一度、やや大きめの声で私を殺した犯人を告げた。しかし、それでも敦子は優しいほほ笑みを浮かべたまま「ごめん、よく聞こえない」と私に返した。

 何かがおかしかった。明らかに聞こえるように、どんなに大きな声でそれを言っても、敦子はそこだけ「聞こえない」と言う。薄い紅が塗られた唇は弧を描いたまま綺麗な形で「聞こえない」を繰り返す。あれ、聞こえない、ごめん、聞こえない、もう一回言ってくれない? ……その後、私が何度繰り返しても敦子は私の言葉を聞き取ってはくれなかった。無視されたわけではないが、ここまで通じないと何か変な勘繰りをしてしまうのは事実であって、私はそれ以上その話をするのを止めようとした。最後に笑いながら「もしかして、ふざけてる?」と冗談めかして言うと、敦子もそのままの笑顔のまま「ごめん、ごめん。つい悪乗りした。大分ふざけてたよ」とようやく答えてくれた。

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