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謝罪  作者: 岩尾葵
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ごめんなさい、ごめんなさい、敦子。

手紙の文末には、手紙を書いたと思われる日付と敦子の名前が書かれていた。

私は手紙を一気に三、四回読み返した。そしてようやく、あの旅行の日に敦子が何も言わずに消えた理由が分かった。

あの日、彼女はまだ私がこの手紙を見つけてなかったことを言葉の端々から悟ったのだ。悟っておいてあえて、そのことを口にしなかった。敦子は人に尋ねられたことはきっぱり返すが、自分のしたことを能動的に話すタイプではない。きっと、いつか私がこの手紙を見つけてくれると、最後まで信じていたのだろう。そして手紙を隠したことそのものを隠すには、あの日あの時でなくてはならなかった家出のタイミングの話も、全て隠す必要があった。それについて、彼女はただひたすらに謝る以外の方法がなかった。何も説明できない自分の癖に対して「ごめんね」と一言、謝罪の言葉を書き置きしておくしかなかったのだ。

一体、私は敦子の何を理解していたというのだろうか。手紙の文字が、私に静かに問いかけていた。

私は敦子に対して大きな誤解をしていた。それはあの旅行の日で終わったものではなかった。何も言わなかった敦子を訝しがって、学校まで休んで、疑心暗鬼になっていたのは、私が敦子のことを最後まで信じ切れなかった。ごめんなさい、と謝るのは、本当は私の方だった。敦子は最初から、私を疑ってなどいなかった。私よりもずっと優しく、ずっと純粋にこの関係を続けていた。それを私は一方的に疑った。あれだけ自分のことを全て話した彼女に尚も疑いをかけ、その後も何者も信じられず、優しさが怖いなどと、近い距離が怖いなどと、人を信用することさえも自分自身で否定し続けて。

二人の関係を信用できなかったのは、本当は私の方だったのだ。

瞳の奥から熱いものが込み上げてきた。それはいつものようにさらさらと、熱帯魚の餌のように私の頬を伝わっていて、相変わらず悲しさから出て来るものではなかった。だが今はもっと別の感情が、後悔や自責や虚しさをひっくるめた感情の全部が、心の器に入りきらなくなってポロポロこぼれ出しているかのようだった。飽和した感情はとめどなく溢れ、ひたすら私の顔を汚した。

ごめんなさい、ごめんなさい、敦子。敦子に縋っていたかったのは私の方だった。その癖最後まで信じてあげられなくてごめんなさい。辛くて苦しい中を、敦子が必死で生きようとしているのに、簡単に死にたいなんて言ってしまった。ごめんなさい。自分に甘えて、ごめんなさい。甘えてることに酔って、ごめんなさい。何度謝っても足りない。私のしたことは、決して許されることではない。

 何度も何度も、考えうる限りの罪を浮かべて、私は敦子に謝った。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいと、嗚咽を漏らして叫び続けた。泣いて涙が零れる度に、それを拭おうと懸命に腕を顔に押し当てた。心がつぶれてしまいそうだった。でもおそらく、それは敦子の望むことではない。敦子は手紙の最後に書いていた。自分のことで私に心配をかけたくないと。やはり最後まで、私のことを思ってくれていた。私が潰れてしまうのは、敦子にとっての不幸であり、私にとっての甘えなのだ。今まで散々甘えてきて、これからもそれに甘んじようなんて考えるのは、それこそ何の意味も持たない。それは誰も幸せになどしない。

 生きよう、と突然、私の脳裏に言葉が浮かんだ。泣いたままの私に、そうだ、私は生きなくてはならない、と肯定の声が聞こえた。敦子のためにも、自分のためにも、大学に戻って真っ当な生活を送ろう。声はどこからするのでもなかった。私の中の全てが、私を肯定してくれていた。数日前に解体した時計が、解体される前の姿の状態で、私の瞼の裏に現れた。全ての針が元通りになった、存在する意味のある時計。もう動くたびに言葉を掛けてきたりなどはしない。ただ純粋に、与えられた目的を忠実に再現し続ける、どこにでもある普通の時計だ。

 敦子、遠回りになったけど、私には一つ分かったことがあった。語りかけると、敦子は「何? 芽衣ちゃん」と優しく応えてくれるだろう。でももう私に、彼女の助言は必要ない。

私は決めた。敦子がいなくても、普通に学校に通って、普通に食べたり、眠ったり、遊んだりして、日常を過ごすのだと。彼女は人生に意味なんてない、と言ったけれども、やはり私には人生の意味が必要だと思う。その意味を見出すためにまず為さなければならないことが、元の生活に戻って、楽しく日常を過ごすこと。敦子のためにも、私自身のためにも、人生の意味とは違うけれども、それは必要だと思う。

 そしていつか、もっと私が成長して、今までのことを全部、謝罪のためでもなく、自責のためでもなく、懐かしく、ただ懐かしく語ることが出来るようになったら、その時は、敦子を迎えに行こう。どこにいるか今は見当もつかないけど、運が良ければきっと、どんな広いところからでも、探し出せると思う。

 私はベッドから立ち上がって力強くスリッパに足を突っ込んだ。病室の床と擦れる度にスリッパはパタパタと音を立てた。ナースコールはどこかな、と軽い足取りで部屋の中を探して回った。あれだけ肌身離さず持っていた大学ノートは、もうこの手の中にはない。これからは、どこかの箪笥の中で夢も見ないくらいぐっすりと眠ることになるだろう。

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