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謝罪  作者: 岩尾葵
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朝目が覚めて、真っ先に死にたいと思った。

昇る朝日に気が付いて、真っ先に死にたいと言う言葉が頭に浮かんだ。

理由は特にない。世の中のあらゆるものに対してとにかく申し訳なくて、起きたばかりだと言うのに胸が痞えて苦しかった。全身がバラバラになったかのように五体の関節が軋む。首が重い。体に頭が付いていることに酷く違和感がある。咽喉が渇き、口内に粘液が張り巡らされている不快感に飲みこまれる。背中から湧きあがるのはコンクリートでも流しこまれたのかと言うほどの硬直。ああ、そのまま火でも付けたら、いい具合に燃えてしまうんじゃないか。朝の陽射しも眩しい。涼しげな色を見せる空とは対照的な粘着質の熱が、カーテン越しにどろりと侵入してくる。光なんて眩しいだけだ。熱に晒された肌が、私の肌が、じわりじわりと光に浸食される。悲しくもないのに自然と涙が出てきた。瞼と眼球の隙間から現れる塩辛いそれは、つっと頬に垂れ、顎に垂れ、やがて色素も厚さも薄い首の皮膚を濡らす。もう片方の瞳の奥からもぼろぼろとはしたない液が流れゆく。気持ち悪い。女々しい自分が、何もできない自分が、ここから動けない自分がすごく、気持ち悪い。脳の片隅で恐ろしく冷静な自分がこちらを見て冷たく言い放つ。私はそれを聞いて再度思う。ああ、もういっそ死にたい。

やるせない気分のままベッドから上体を起こした。視界が真っ白の掛け布団から、同じく白いフローリングへと移る。気だるい気分は今日も健在か、などと気を抜いたら、また涙がごそっと零れ落ちた。もう自分では留めようがないほどに溢れてくるそれは妙にサラサラしていて熱帯魚に与える小さな餌のようだった。溢れだすものを飲みこもうと思っても留めることができない。自分の気色悪さにだんだん腹が立ってくるが、その腹立たしさすら、今はひたすらに悲しい。とりあえず、涙を拭きとるためにテーブル脇にあったティッシュ箱に手を伸ばす。そのまま二、三枚を引き抜いて、ぐしゃぐしゃに汚れた顔に押し付ける。

こうした朝を迎えるのは、もう何度目か知らない。部屋に漂うエタノールの香りと、ベッドに付着した自分の体臭を嗅ぎながら目覚める朝には、新しい希望など存在しない。私は生きているのではなく、ここでただ存在しているだけものになってしまった。何か苦しいことがあったわけでもないのに、自分が自分でいることを保てなくなってしまった。今はもう、夢を見ることさえ満足にない。夜が来るのが恐ろしく、朝を迎えるのも恐ろしい。明日を生きるのが、怖い。

夜中の間に乱れてしまった着衣を軽く整えて、脈を落ち着けるために深く息を吸い込んだ。気を抜くとまた涙が出そうだったから、めいっぱい自分に「大丈夫」と言い聞かせる。そうだ、大丈夫だ、私にはあのノートがある。ベッドの脇に置かれた棚に手を伸ばす。薄茶色の引き出しをゆっくり引きよせてその中に左手を入れると、つるりとした感覚があった。表面がプラスチックでコーティングされたB5サイズのノート。よく使うから引き出しに仕舞っても一番上に置いてある、探せばすぐに見つかる、ごく普通のどこにでもある大学ノート。最近は本当にこれがないと落ち着かない。最近の私はこれがないと生きていけない。

引っ張りだしたノートの表紙には何も書かれていない。中表紙にも裏表紙にも何も書かれてはいない。書かれているのは、罫線がいくつも引いてある、ノートの中身部分だけだ。だがきっとそこに記入されている文字量は、どこの誰が使っている大学ノートより多いだろう。三十一行の罫線を完全に無視した形でびっしりと書き込まれた文字列。一文字当たりおそらく五平方ミリメートルほどしか使っていないそれが、まるで呪いか何かのように横へ横へと連なっている。支離滅裂な文章と見間違えてもおかしくはない、目を動かしているのも億劫なくらい細かい字。これが私の思い出であり、記録であり、ほぼ全てだ。ここには一年前の私と彼女の姿がありのまま書かれている。読めば即座に当時のことを思い出すことが出来る。私と彼女、どちらが先にお互いを求めたのか、それはもう今となっては定かではない。しかし、訳も分からず自壊した私に対して、彼女は実に生真面目で朗らかで優しい人だった。彼女と接している時だけは、他の何ものにも代えがたい幸福感が味わえた。そして私はその関係がずっと続くと思っていた。いや、ずっとではないかもしれない、大学を卒業したら、もう会えないかもしれないと言う危惧はあった。しかし、まさかそれがたった半年の関係になってしまうなんて、彼女と一緒にいた当時は全く予想していなかった。彼女は大学一年の前期に私と出会い、夏休みまで行動を共にし、最後には何の連絡も寄こさず私の前から、姿を消した。

私は並んだ文字の羅列に目を通す。そこには、自分の頭蓋骨を切り開いて脳を取り出し、小学校の水道で洗う夢の光景が淡々と書かれている……

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