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序章七話 『魔術』


 巨大熊の巣穴にて、どうにか魔力の回収を終えたジードは、これ以上は何も踏んでたまるかとばかりに、慎重に、慎重に足を動かしていく。


 やがて、どうにか巣穴を後にすると、急ぎ足で臭いの届かない場所まで避難し、大きく深呼吸。肺の中の空気を入れ替えていく。


「はぁ……二度とあんなところ行くもんか……」


 ジードは誰に言うでもなく悪態を吐くと、ふと自身の身体を一瞥する。すると、その汚れ具合に愕然としたのか、表情は見る見る内に曇っていく。


「そういや、あっちに川があったよな。そこで汚れを落とそう……」


 ジードは独りごちると、記憶を頼りに歩き出した。事実、ジードの身体や服は、泥や血、吐瀉物と様々な汚れにまみれていた。何をするにもまず、『汚れを落とすのが先決』だと思い至っても、何ら不思議ではない。


「確か……こっちだよな……」


 ぶつぶつと記憶に相談をしながら進んでいくジードだが、その足取りはまるで振るわない。

 巨大熊との鬼ごっこで身体を酷使したのが原因か、巣穴での惨劇を目の当たりにしたのが原因か、はたまた両方か。


 幼児の歩みとさほど変わらぬ歩調で歩き続け、ジードはようやく目的地へと辿り着いた。


「………。冷たいだろうなぁ……けど、こんな汚いままじゃいられないよな……」


 ジードは小川と自身身体を交互に見やり、僅かな間、思案を巡らせる。やがて意を決したようで、足元に魔封石と鞄を置くと、服を着たまま小川へ飛び込んだ。――と言っても、所詮は小川なので、そこまでの深さがあるわけではない。精々、腰下辺りまでと言った具合だ。


 ちなみに、この世界にも四季があり、季節は丁度春になったばかりである。つまり、夜中の川の水温は言うまでもなく低く、ジードは思わず短い呻き声を漏らしてしまう。


「――――っ! つ、冷てぇー……」


 それから程なく。

 川の水の冷たさにより、盛大に身体を強ばらせるジードだったが、やがて大きく息を吸い呼吸を止めると、川底に尻を叩き付ける勢いで座り込んだ。そのまま水中で、服や身体を手で擦るようにして汚れを落としていく。

 その後、仕上げとばかりに頭まで水に浸かると、髪を乱雑に掻き毟る。川下に汚れやら木っ端やらが流れていくが、お構いなしだ。


「うぅぅ――寒っ……」


 一通り汚れを落としたジードは、身を抱くようにしながらそそくさと陸へ上がっていき、上着を脱ぐと力一杯絞り始めた。すると間もなく、魔封石から脈動が届く。


「――」


「――っ。はいはい、ちょっと待ってくれよ」


 ジードは手にした服を木の枝の根元に掛けると、地面に転がる魔封石へ震える足で近付き、おもむろに手を伸ばす。その動きは酷く精彩を欠いており、全身ずぶ濡れと言うことも相俟って、誰の目に見ても寒々しい。

 そして、ジードが魔封石を手にした途端、ヴォルフより念話が送られる。


『貴様ぁ……一体いつまでもたもたとしているつもりだ。魔力はとっくに集まっているだろうがっ!』


「なんだよ、そんな怒るなよ……血やら何やらで、身体中ベトベトだったから川で洗ってたんだよ。まだ服だってちゃんと搾ってないんだ、少し待ってくれ」


 逸る気持ちを前面に押し出すヴォルフを宥めるように、ジードは現在の状況を説明していく。自身の吐瀉物が主たる原因であるのに、それを何やら(・・・)で濁してしまうのは、少年の小さな自尊心が所以だろう。


『ふんっ。そんなもの、炎の魔術を用いれば一瞬で済む話だ』


「だから俺には使えないって――――もしかして、教えてくれるのか……?」


 ヴォルフの言葉の意図を正しく捉えられたであろうジードは、灰色の双眸に爛々と希望を宿し、その声色には激しく熱を籠もらせる。


『ああ、魔力にも少し余裕があるからな。魔力を扱う訓練も兼ねて丁度良いだろうよ』


「――よしっ!!」


 ジードは握り拳を作り、頭の上に掲げている。どうやら興奮のあまり、今まで感じていた寒さなど、どこか遠くへ忘れ去ってしまった用である。


『一つ尋ねるが、今、貴様の周りに燃料となり得るものはあるか?』


 ヴォルフの言葉を受けて、ジードは辺りを見回すまでも無く答える。


「森の中だからな、木の(たぐい)ならどこにでもあるぞ! 手頃なのは小さめの木の枝かな」


『そうか。ではそれを一カ所に集めておけ。その間に魔術について話をしてやろう』


「わかった」


 ヴォルフは指示を受けたジードは早速、火種集めに取り掛かる。片手は魔封石でふさがっている為、必然的に片手での作業となる。しかしながら、先程とは比べ物にならないほど俊敏な動きをみせている。

 そんなジードの様子を知ってか知らずか、ヴォルフは一息おくと、魔術について話を始めた。


『昨日は魔法と魔術の違いについて、軽く話したな。詳しく教えてやる。例えばだ、この地には地属性の魔力が満ちている。ここで、火属性の魔法の行使しようとすれば、熟練した者であっても安々とは発動出来まい。仮に行使出来たとしても、威力は断然、魔術に劣る』


「魔術は威力が落ちないのか?」


『そうだ。魔法は大気から魔力を集める事が大前提だ。故に、相対する属性の行使には制限が掛かる。その点、魔術には魔力量という限界こそあるが、使用する属性の制限はない。戦闘時において、それがどれだけ有利に働くか。言うまでもないだろうよ』


「んー……魔術が魔法より有利だってのは、何となく理解出来たよ。――はいっ、集め終わったぞ?」


 そう言ったジードの視線の先には、大小様々な木の枝が山なりに積み上げられている。


『ああ、ご苦労。では、肝心の魔術の行使だが、まずは魔力を感じ取る事から始めるぞ。魔力が扱えなければ当然、魔術は使えないからな。ひとまずお前に魔力を流す、意識を魔封石に集中しろ』


「あ、あぁ。わかった、やってみる」


 ヴォルフの言に従い、ジードは掌をじっと見据える。恐らく意識を集中しているのだろう。


 すると間もなく。魔封石がうっすらと白い光を帯び始める。


「……お、おおお? なんだか手を包まれてるような感じがするぞ?」


「わかったか? それが魔力だ。次は魔封石を反対の手へと持ち替えてみろ。手に魔力が残留している筈だ。気を抜くと魔力が霧散し、大気に還ってしまう。くれぐれも気を付けろよ」


 これまたヴォルフの言う通りに、ジードは魔封石を右手から左手へと持ち替えた。すると右手には、魔力が纏わりつくように残留し、白い光を帯びていた。


「これが、魔力……」


 未知の体験にジードは思わず感嘆を洩らす。


「――っ!!」


 うっかり気を抜いてしまったのだろう。突如として光が消えそうな程、揺らぎ始めてしまったのだ。

 ジードは慌てて意識を集中し直すと、程なくして魔力は安定を取り戻す。どうやら霧散には至らなかったようで、少年は森の中で一人、安堵の息を漏らした。

 

『だから油断するなと言っただろうが……』


「わ、悪い」


『まぁ良い。次は意識を掌から指先へと移してみろ。出来るか?』


「あぁ、やってみる……」


 指先と言われ、ジードは一度拳を握ると、人差し指を突き出す形を取る。


「指先、指先、指先……!」


 ジードは念じるように呟く。すると次第に、掌全体を覆っていた魔力が人差し指の先へと集まっていく。


「出来てるとは思うんだけど、これ、凄く難しいな……」


 指先に魔力が集中した為か、光の強さは先程よりも強くなっていた。しかし、それに比例して魔力の揺らぎも増しているようで、ジードの表情は一層険しいものとなる。


『ああ、初めてにしては上出来だ。念話と言い、中々に筋が良いな』


 ヴォルフは珍しくジードを褒めると、一呼吸置いて話を続ける。


『さて、次が最後だ。頭の中に炎を思い浮かべろ。そのまま集めた枝に向け、集めた魔力を放て。そうだな……言葉で表すのなら放出。イメージとしては、抑え込んでいる魔力を指先から一点に押し出すと言ったところか』


「炎……? いきなりそんな事言われたって、自分家の釜戸ぐらいしか思い浮かばないぞ……」


『それで構わん。早くしろ』


 ヴォルフの説明を受け眉を顰めるジードだったが、了承と併せて急き立てられる事により、視線を先程集めた枝へと移した。


「ああ、わかったよ。――――炎を、思い浮かべる……指先から、魔力を放つ…………」


 先程までが上手く行き過ぎていたのか、ジードはヴォルフの指示通りに試みているようだが、指先の魔力に変化は見られない。

 

「…………」


 異様な集中に、ジードは無意識の内に呼吸を忘れているようだ。力み過ぎた腕は小刻みに震え、魔封石を持ったままの左手を添える事で、どうにか照準を定めているといった具合だ。


 それから数瞬――。

 

 ジードの指先に集められていた魔力は、前ぶれも無く、唐突に光を失った。かと言って、魔力がぶれて霧散したのでは無く、魔力そのものが突然その場から消失したように感じられた。


『――今だ、フレイムと唱えてみろっ!』


 絶妙なタイミングでヴォルフより下された指示に、ジードはまるで疑うことなく、人生で初となる魔術を唱える。


『――フレイム!!』


 刹那、先程から狙いを定めていた木の枝を中心に、ジードの身の丈を遥かに超える豪炎が立ち上がった。


「――っ!!」


 轟々と音を立てているその火炎は、夜の森を明るく照らし、更にはむせ返るような熱風まで放っている。その為、服など瞬く間に乾いてしまいそうである。

 そもそも、木の枝など、一瞬にして灰となるだけの凄まじい火力を誇っているのだ。これでは、何の為に燃料を集めさせたのか、まるでわからない。


「これが、魔術……」


 余りにも衝撃的な光景に、ジードは燃え盛る火炎を見つめたまま唖然とし、じっと立ち尽くしていた。すると、痺れを切らしたヴォルフより催促の念話が届く。


『何をしている。服を乾かすのだろう? 早くしろ』


「あ、ああ、そうだったな。これなら、服を着たまま近くにいれば、すぐに乾きそうだ」


 ヴォルフに促され、ジードは木の枝の根本より服を回収する。水気で重くなったそれを着込むと、乾かしがてら自身も暖を取るべく、火炎へと近付いていく。


「それにしても、途轍(とてつ)もない火力だな……」


 ジードは未だ燃え続ける火炎を見つめ、しみじみと呟いた。


『ふん。この程度まだまた序の口だ。ゆくゆくは貴様のド肝を抜くような魔術も教えてやろう。――だが、今回に至っては過分な術を唱えさせたのは事実だ。下位の術を教え、侮られては癪だからな。それよりも、魔力を扱う感覚は掴めたか?』


「あぁ、お陰でなんとなく感覚は掴めたよ。ただ――」


 ジードは先程の感覚を確かめるように、右手を開閉しながら言うと、そこで一度言葉を切った。


「頼むから、癪だとかそんな理由で、凶悪な魔術を教えるのは止めてくれ。もし、山火事にでもなったらどうするんだよ……」


『ふん、オレを誰だと思っている。貴様に言われんでも、その程度の事考えているわ!』


 ヴォルフはジードからの苦情を一蹴すると、一息置いて話を続けた。


『……いいか? これから貴様が行使する魔術は、先ほどの比では無い。心して掛かれよ?』


「ど、どんな魔術なんだ……?」


 ヴォルフの重い物言いに気圧され、ジードは喉を鳴らして唾を呑み込んだ。


『術の名はソウルスティール(・・・・・・・・)、対象の魂を抜き取り己の糧とする、禁術とも言われるものだ』


「ソウル、スティール……」


『本来この術は、殺した対象の魂を己の中に奪い取り、力を得ると言うものだ。奪う魂が強ければ強い程、得られる力も増すが、奪う側の魂よりも奪われた側の方が強ければ、身体ごと乗っ取られる危険性もある。故に禁術だ』


「そんな危険な魔術を俺に使えってのかよ!? ――まさかっ、俺の身体を乗っ取るつもりじゃないだろうな?」


 ジードは顔は途端に険しいものとなり、疑うような眼差しを魔封石へと向けている。

 対するヴォルフは、心底呆れたような口調で言い返す。


『貴様は本当に短絡的だな。考えるという事を知らんのか? 第一、乗っ取るつもりならば、わざわざ貴様に説明などする筈ないだろうが。仮にだ。仮に乗っ取ったとしても、オレには貴様ら人間の身体の強度などわからん。どうせすぐに壊れ、使い物にならなくなるのが目に見えている』


「た、確かに……」


 確かに、ヴォルフの言う事は尤もである。欺くつもりならば、説明する必要など無いからだ。それはジードにも充分に理解出来たようで、反論は出てこないようである。


『出来るならば協力関係にありたいと言ったのを忘れたか? オレは自分で口にした事を曲げるような真似は決してしない。我が一族の誇りに掛けてだ』


「……疑って悪かった、ごめん……」


『ふん、分かれば良い。元来、貴様とオレとでは、相容れる事のない存在だ。そう簡単に信用出来る筈もないだろうしな』


 ヴォルフは随分と後ろ向きな発言をするが、その口振りに皮肉や悲嘆はまるで感じられない。どうやら本心からそう思っていて、それを受け入れているようだ。


『……話を戻すが、今回貴様がソウルスティールを行使するに当たって、実害は欠片も無い。オレが抵抗しないから、事はすんなりと進む筈だ』


「ああ、わかったよ」


『それはそうと、服はまだ乾かないのか?』


 ヴォルフの言葉を受け、ジードは慌てて自身の服を触り確認していく。その表情から察するに、話に気を取られて忘れていたに違いない。

 程なくしてジードは、頬を指で掻きながら気まずそうに口を開いた。


「悪い……もう乾いてたわ……」


『まったく、貴様と言う奴は……まぁ良い。では始めるぞ』


 石の中にいる鬼は、本日何度目とも知れぬ溜め息を漏らすのだった。


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