二章十二話 『鬼の炎』
ジード達一行は、黒雲の主『雷鷲』を追い払ったのち、暫しの休憩を取っていた。
――と言うのも、ジルヴェルトを始め、ストルドフやゲタング達もが感電による被害を受けており、すぐに動ける状況ではなかったからだ。
よって、休憩は取らざるを得なかったが正しい。
一番重傷である筈の戦闘狂が声を大にして追跡を訴えたのだが、移動の要であるゲタング達が座り込んでしまっているのだからどうする事も出来ない。
最悪、一人でも行きかねない様子のジルヴェルトをやっとの事でストルドフが宥め、渋々腰を下ろしている現状だ。
そして、皆が安心して身体を休められるようと、警護に名乗りを上げたのが新人開拓者の二人だ。
先の戦いにおいてまるで活躍の場も無く、むしろお荷物でしかなかった彼等。せめてここくらいは――と、魔鳥車よりやや離れた位置に陣取り、張り切って魔力探知を行っている次第である。
「それにしてもさ、さっきのあれ――雷鷲って言ったっけ? あんなの反則だろ……」
不満げに呟くジードの視線は魔鳥車の屋根に。信じられないとばかりに向けられた灰色の双眸は、雷撃により溶解した鉄製の屋根を映していた。
「ははは……まぁ雷鷲は危険指定種の一種ですからね。むしろ、被害がこれだけで済んだのであれば御の字ですよ。それに小鬼等と違って個体数圧倒的に少ないですから、そうそう遭遇する事もありませんよ」
そう苦笑まじりに答えるストルドフは、動きがぎこちないながらも若干回復したようで、今は室内から取り出した飲み水をゲタング達に与えている所だ。
「でも、あんなのがいるってわかった以上、俺もちゃんと遠距離用の戦法を考えないといけないよな……」
悩ましげに眉根を寄せると虚空を見据え、思いに耽るジード。
幼い頃よりガンズから剣術、格闘術と、近接戦闘は存分に習って来たジードだが、投擲術も弓術も齧った程度。遠距離に関してはほぼ素人も同然であった。
「…………」
憑依者となり、魔力を優位に使える立場となってからも、その圧倒的な力に翻弄され制御の修業を繰り返す日々。
鬼の魔力で行った事と言えば、身体強化ばかり。よくよく振り返ってみれば、セノア村でルドルフに発動を遮られて以来、一度たりとも魔術を唱えないままここまできていたのだった。
そんなジードは暫しの黙考を重ねたのち、目線をゆっくりと下ろす。その視線がやがて、離れた位置に転がっていた膝丈程度の石へと固定される。
そして少年はおもむろに右手へ魔力を巡らせ圧縮を始めると、指先でその石へと照準を合わせ、自身が生まれて初めて行使した術名を何気なしに呟いた。
『――フレイムッ』
刹那――、指先より放たれた鬼の魔力は、一瞬にして石まで到達し現象へと変わり、黒き豪炎を轟かせたのだ。
「――おわっ!? な、なんだよこれ!?」
「えっ――ちょっとジード!? 一体何したのよ!?」
自身の記憶とはまるで異なる、禍々しい黒き炎に驚きを隠せないジード。術者ですらそのような状態なのだ、エレナは尚更だろう。
「わ、わかんねえ……俺はただ、遠距離の攻撃をと思って『フレイム』を唱えただけなんだけど……」
身の丈を遥かに上回るその獄炎は、以前の『フレイム』と見た目だけでなく火力も段違いで、かなりの距離があると言うのに熱風を二人の元まで運んできていた。
「と、とりあえずあのままじゃ無駄に目立つから、ひとまず消しましょう? 『――ウォーターボールッ』」
魔物との不必要な遭遇を懸念したエレナは、轟々と立ち上がる黒炎の真上に球体状の水を出現させる。
しかしその途端、彼女の後方から苦情が飛ぶ。
「おい、んな気分の悪ぃ術、使うんじゃねぇよ。つうか、んな事しようが意味なんてねぇぞ」
魔鳥車の屋根に胡座を掻き、頬杖をついたまま文句を垂れるジルヴェルトの顔は、心底嫌そうに顔を顰めており、これでもかと言うほどに嫌悪感を露にしている。
しかしそれも致し方のない事だろう。彼女の作り出した水球は、以前ジルヴェルトを拘束した水の牢獄に酷似しており、いくら用途が違うとは言え、彼からすれば快くは思える筈もないからだ。
「もうっ――皆動けないんだし、今はそんな事言ってる場合じゃないでしょ? すぐに終わらせるから、ね?」
「けっ、勝手にしやがれ」
付き合ってられん、とばかりに横になってしまったジルヴェルト。エレナはそれを気にする事も無く、ゆっくりと水球を降下させていく。
球体を維持したまま静かに炎を飲み込んでいく巨大な水の塊。その重力をまるで無視した動きは魔法ならではだろう。
水球は少しずつ黒炎に触れ、やがてその全てを丸々と飲み込みんだが――、
「え、嘘……?」
信じられない、とばかりに頻りに瞬きを繰り返すエレナ。彼女の視線の先には、水球に包み込まれ酸素を奪われたにも関わらず、勢い衰える事無く燃え盛る黒炎がそこにあった。
するとどうなるか――答えは明白だろう。
直に熱せられる水は瞬く間に煮え上がり、見る見るうちに質量を減らしていく。そして最終的に残ったのものは、何事も無かったかのように揺らめく黒き炎だけであった。
「…………。こりゃあヴォルフに聞くしかないよな――」
非常識な事象を目の当たりにしたジードは誰に言うでなくそう呟くと、困惑から脱しきれていないエレナを余所に念話を始めるのだった。
『なぁヴォルフ――何かさ、炎の色が前見たと違うんだけど。エレナが水を掛けても消えないし……』
『ふん、何を今更。貴様が以前放ったのは寄せ集めの魔力で賄った炎。鬼の炎はそのような灯火とは訳が違う。一度放てば決して消えることなく、灰すら残さず対象を焼き尽くす獄炎。それが鬼の炎だ』
『は? な、なんだよそれ。そんなの聞いてないぞ?』
『なんだ、貴様等開拓者の間では鬼の炎は周知の事実では無いのか?』
『――へ?』
ヴォルフにそう問われ、ジードは振り返って後ろに意識を向ける。改めて確認してみれば、ジルヴェルトもストルドフも、特段驚いた様子など無かったのだ。
それはつまり、鬼の憑依者であるジードが黒炎を放つ事に違和感を感じていないと言うことで――、
『なにもオレだけではない。鬼族の操る炎は、全てが黒き炎――獄炎となる』
ヴォルフの固有魔質『滅却』は飽くまでも彼独自のものであり、通常の鬼族は『獄炎』が固有魔質なのである。
『ち、ちなみにこの炎の消し方は……?』
『対象の焼失。或いは、込めた魔力以上の濃度での魔力波を浴びせるか、だな』
『了解。ありがとうっ――』
ジードは早速とばかりに右腕に魔力を圧縮し、尚も激しく火の手を上げ続ける鬼の炎に向け手を翳す。
「――っ!!」
少年の掌より放たれた魔力波が黒炎を貫くと、呆気ないほど簡単に鎮火が完了した。それこそまるで、蝋燭の火に息を吹きかけるかの如き容易さである。
「よし……」
「よし――じゃないわよ。結局あの炎は何だったの?」
任務遂行に一人満足げな様子で首を振るジードに、非難の眼差しを送るエレナ。
一点を見据え黙り込んだジードの様子から念話中だと察し、大人しくしていた彼女からすれば、答えを呈示されないまま勝手に納得されたのでは堪ったものではない。
「――あ、ああ、なんか鬼の魔力を使って炎を出すと、黒い炎になるみたいだ」
「そう、なんだ……」
「ああ。んで、炎を消すには狙った物が燃え尽きるか、俺が直接魔力を飛ばせば良いみたいだな」
実際の所、今回標的とした石は既に原型を残していなかった。つまり、ジードがわざわざ魔力波を飛ばさなくとも、黒炎は直に消えていたと言う訳だ。
「そう……なんか凄く驚いてた筈なんだけど、ヴォルちゃんの力だって言われると自然と納得しちゃう自分が怖いわ……」
「ははは……」
鬼の炎により、溶かされ薄く伸び広がった石を見つめながら乾いた笑いを漏らすエレナ。それに釣られ、ジードまでもが空笑いを浮かべているとその時――、
「「――っ!?」」
二人は途端に表情を険しくし、辺り一帯を忙しなく見渡し始めたのだ。
「ちょっと待って……? なによこれ……」
「あちこちから一気に魔物が集まって来てんのか……!?」
どうやら二人の魔力探知に大量の魔物が捕捉されたようだが、その夥しいまでの数に動揺を隠せていない。
ごくりと喉を鳴らし、緊張に身体を堅くするジードとエレナ。すると二人の背後から唐突に声が響く。
「――ったく、おめぇが考え無しに魔力波なんて放つからだろーが。少しは考えろっての」
「――っ。……ごめん」
二人が慌てて振り返るとそこには、寝転んでいた筈のジルヴェルトの姿があった。
ポケットに手を突っ込み、さも面倒臭げに向けられたその視線は、『面倒ばっか起こしやがって』との思いを雄弁に伝えており、それを見たジードは申し訳無さそうに眉を下げる。
――そう、ジードはジルヴェルトに指摘され、魔物が集まってきている原因に気付いてしまったのだ。
せっかく魔力遮蔽のローブを着ていると言うのに、あろう事か魔力波を放ち、自身の居場所を周囲に知らしめては世話もない。
事実、濃密な魔力の気配に釣られ、既に至る所から魔物が集まって来ており、もはや戦闘は免れないだろう。
そして、そうこうしている内に、早くも魔物の群の第一陣が姿を覗かせる。
先行隊として現れたのは、空路を行くハルピュイアだ。その後方、陸地からは小鬼が続く。
更に他方向からも魔狼の群が迫っており、移動速度からしてこちらが第二陣となるだろう。
「けっ。まぁ、魔力の補給にゃ丁度良いか。――おい、おめぇらもちったぁ働けよな?」
「ああ、うん……!」
「勿論っ!」
迫るハルピュイアの大群を視界に捉え、横柄な態度で語るジルヴェルトだがやはり体調は万全ではないようで、時折気付かれない程度に顔を顰めている。
「んじゃ、あぶれたのはおめぇ等に任せっかんな」
ジルヴェルトはそう言うと、地面から二本の巨大な砂の腕を横並びに突出させ、ゆっくりと天に向け伸ばしていく。
「――ったくよぉ。てめぇら雑魚じゃ、クソの足しにもなんねぇっつーの……!」
そしてそのままハルピュイア達が近付いて来るのを待ち構え、射程内に入った途端に勢い良く合掌。
十数匹からいたハルピュイアは三匹だけを残し纏めて圧殺され、そのまま魔力の糧となり消えていく。
「「「――――ッ!!」」」
難を逃れた三匹は同胞をやられた怒りからか、耳を塞ぎたくなるような金切り声をあげ、一気に加速を試みる。
事前の取り決め通り、討ち漏らしはジードとエレナ二人の担当だ。
先程の雷鷲に比べれば、大きさも速度も威圧感も偉く見劣りするハルピュイア達。これを迎え撃つ二人の表情にも、いくらかではあるが余裕が見受けられる。
鋭い目つきで空を睨むエレナは、浅緑色の魔力を指先に圧縮していき――、
『――エアスラッシュッ!』
静かに、だが力強く術名を唱えると両の掌には小さな竜巻が生まれ、彼女はそれを掬い上げるかのような動作で勢い良く投げつけた。
術者の元を離れた小さな竜巻は、たちまち三日月型の刃へと形を変えハルピュイアを迎え撃つ。
人間相手であれば不可視となる風の刃も、魔物相手では飛ぶ斬撃としかなり得ない。――しかし、最高速で突撃を試みていたハルピュイア達には、自身へと迫る風の刃を避けきる事は叶わなかった。
先行していた一匹は胴を境に上下に分断され即死。そのすぐ後ろにいたもう一匹は慌てて身を翻したものの、片翼を根元から切り飛ばされ敢え無く地面へと墜落していく。
「――!!」
残すところは後一匹。お次はジードの番だ。
普段であれば腰の直剣を抜き取り、迎撃の構えを取るジードだが今回は違う。
右の掌に紅い魔力を圧縮していくと、いつぞやのガンズが使った魔法の術名を口にする。
『――ファイアボールッ!』
少年の掌に形成される圧縮された火球。しかしやはり、その色はジードの記憶とは異なり凶悪なまでの黒だ。
黒い火球に一瞥をくれたジードは半身になり大きく振りかぶると、禍々しさすら感じるそれをハルピュイア目掛け投げつける。
「食らえっ……! ――って、そんなぁ……」
ジードが投げた黒い火球は一直線にハルピュイア目掛けて進んでいくが、なにぶん前動作があからさま過ぎた――。
為す術なく散っていった同胞の敗因から存分に警戒をしていたハルピュイアは、火球がジードの手元を離れた途端に突撃の軌道を逸らしたのだ。
「くそっ、それなら……!」
無念にもハルピュイアの右側方を通り過ぎる黒い火球。ジードは仕方なしに腰に手を伸ばすと、迎撃すべく直剣を引き抜いた。
だがしかし、それも杞憂に終わる――。
「――ぅえっ!?」
無意味に終わったかと思われた『ファイアボール』だったが、ハルピュイアの横を通り過ぎて間もなく、限界まで圧縮されていた火炎が解放されたのだ。
基本的には着弾と同時に解放される火炎であるが、術者と一定の距離が離れた時点でも解放されるのが『ファイアボール』の特徴である。
勿論、込めた魔力量によって有効飛距離が変わるのだが、だからと言っていつまでも飛び続ける事はない。
術の特性を良く知らないままに放たれた『ファイアボール』。対象物への着弾なく解放された為爆炎は広範囲に及び、その黒き炎はハルピュイアを背中から飲み込み、それどころかその余波は熱として術者であるジードにまで届く程だ。
「熱っ――」
「きゃっ――」
「くっ――」
余りの熱風で三人が揃って顔を腕で覆ってしまい、再び視界を取り戻した時にはハルピュイア達の姿は影も形も残っていなかった。
「ははは……」
暫し時を忘れ、呆然と空を見つめるジード。
術の特性を知らなかったとは言え、あわや大惨事となり得ていたとあっては思うことがあるのだろう。
しかし今は戦闘中。
間もなく第二陣がやってくる状況で、呆けている暇などある筈もなく、
「おい、何考えてんだか知らねぇが、今は戦闘に集中しろ」
「ああ、うん。悪い――」
ジルヴェルトの忠告を受け、表情を引き締めるジード。彼の言う通り、既に魔狼の群は姿が遠目に見えるまでに接近しおり、三人は改めて魔鳥車を背に陣形を整える。
そして迫る二陣、三陣と続き、まだ見ぬ四陣、五陣の気配すら漂う同所。
果たして休憩は、いつになれば取れる事やら――。




