二章九話 『魔力の吸収』
調査隊一行を乗せる魔鳥車が荒野を進む事一時間ばかり。
颯爽と風を切る魔鳥車の屋根の上で、ジードはうんうんと唸っていた。
「……右斜め前方に六匹――あ、七匹か。これは魔狼、だよな……?」
「馬鹿、子鬼が混じってんだろーがよ」
現在ジードは修業の真っ最中。進行方向に背を向け、ジルヴェルトと背中合わせに座る彼は目を閉じたままで魔力の探知を行っていた。
視覚に頼らず、魔力から魔物の存在を感じ取り、その方向、数、更には種族を当てると言った修業で、隠れる側の次は探す側と言う訳である。
それはそうと、外界にも関わらずジードがこうも修業に打ち込めるのは、視界が開けている事や、まだ結界に近い為生息する魔物が比較的弱い等と言った事が理由の一つとしてある。だが何よりの理由は、ジルヴェルトが近付いてくる魔物を片っ端から砂の槍で貫いてしまうからである。
「げ、本当だ……」
「ったく、いい加減覚えろっつーの」
「いや、だってさ、言うほど違いなんか無くないか、これ……」
「けっ、仕方ねぇな。まぁ直接触れた方がわかりやすいのは確かだからな――」
そして今、うっすらと瞼を開けたジードの瞳に映るのは、赤茶色の体毛を持った狼に酷似した魔物が六匹。
その内一匹の背の上には、醜悪な顔付きをした子鬼が騎乗しており、その群青色の小柄な体躯には到底似つかわしくない、錆び付いた長剣を構えている。
「――――!」
かつて人様から奪い取ったであろう、刃こぼれの酷いそれを振り上げ、自らと周りを鼓舞するように哮る子鬼。
それに応じるように魔狼達は扇形の隊列を組み、魔鳥車を囲むように迫いかけてきていた。
しかしながら襲撃が叶う事はない。
何故なら、前触れも無く地面より突出した砂の槍に腹部を穿たれ、全員が同時にその動きをぴたりと止める事となったからだ。
「おし、こっちに持ってきてやっから試しに吸収してみろよ。そんなら鈍臭ぇおめぇでも、流石にわかるようになんだろ」
「えっ?」
思わず口をついたであろう弟子の先程の言い訳を、頗る機嫌の良い師匠はご丁寧にも拾い上げ、普段には有り得ない修業の手助けを決めたのである。
そうしてジードと同じ方向に向き直ったジルヴェルトの視線は、つい今し方自身が魔物を仕留めた位置に固定される。
枯れた地に聳える六本の円錐槍。砂蜥蜴の憑依者によって作り出されたその砂の槍の内には、ただ一つだけ二匹一対となっているものがあった。
およそ砂では到達し得ない強度を誇るその槍は、魔狼の持つ鉄の如き体毛を腹部ごと撃ち抜いてなお勢い衰えることなく、子鬼の薄汚い群青色の臀部を貫き通し、そのまま醜悪な頭部を破裂させていた。
紫紺色の血液を滴らせたその凶悪なまでの威力を誇る串刺しは、ジルヴェルトの意志のままにぐにゃりと形を変え、やがて砂の腕へとなり二匹を鷲掴みにする。
その後砂の腕は大きくしなると、その反動をもって手の内に収まるそれらを放り投げたのだ。
「――うぉわあっ!?」
弾丸のように迫る死骸を前に、ジードは思わず情けない声を漏らす。
そして間もなく、寸分の狂いもなく少年の前に着地したそれらは、鉄の装甲を持つ魔鳥車に叩きつけられた事で更に悲惨な状態となってしまう。
「うげ……」
勿論、魔鳥車側に一切の被害はなく、御者台に座る二人から声も上がらないほどに、着弾の衝撃は微々たるものだった。
強いて言うならば、飛び散った肉片や血飛沫で屋根が汚れ、ジードの精神が大きくと削られた事ぐらいのものである。
だがしかし、ジルヴェルトにそんな事は関係ない。むしろ、この状況は完全なる好意から生まれたものであり、彼からすれば文句を言われる謂われなどまるでないのだ。
故にジルヴェルトは、盛大に頬を引き攣らせ固まっているジードを不可解そうに睨み付けると、平然と催促を行う。
「どうしたおら、早くしろよ」
「え……?」
その言葉にきょとんとした顔で返すジード。その表情からして、こうなった理由も言われている意味も、まるで理解できていないのは明らかだ。
「すっとぼけてんじゃねぇよ、とっとと魔力を吸収しろっての」
「いや、あのさ……吸収って言ったって、魔石なんて持ってきてないぞ……?」
「はぁあ? 何言ってんだおめぇ? 魔石なんざ必要ねぇだろ」
「え? だって魔石がなきゃ、魔力は吸収出来ないんじゃないのかよ」
話の噛み合わない両名。
だがやがてジルヴェルトはその理由に合点がいったようで、見る見るうちに表情は歪んでいく。
「――あの野郎ぉ……あんだけ偉そうに講釈垂れておいて、てめぇは碌すっぽ説明もしてねぇってか……」
「なぁ、どういう意味なんだよそれ」
「ぁあ? 俺ら憑依者は魔力を吸収すんのに魔石は必要ねぇって事だ。ガンズの野郎から聞いてねぇんだろ?」
「――本当かよ!? そんなの聞いてないぞ!?」
衝撃の事実を告げられ憤慨する目の前の少年を尻目に、彼の脳裏を過るのは、自らに『上に立つ者の心構え』をしつこいくらいに説いて聞かせた、朱色の髪の大男の姿だ。
実際の所ガンズは、収集した魔力を換金し均等に分配すると言う理由から、ジードの性格を鑑みて敢えて伝えなかったのだが、ジルヴェルトにそれを知る由はない。
であれば、伝えるべき事を伝えていないのだから面白い筈がない。彼の基準で言えば、怒鳴り込み必死の案件である。
「けっ、やっぱりな」
しかしながら、今のジルヴェルトにはそんな事がどうでも良いと思える程の、一大イベントを控えていた。
そのお陰か、額に青筋を立てていたのは僅かな間のみ。次第に溜飲は下がっていき、まさかの舌打ちのみでその怒りは鎮火となった。
「…………。まぁ良い、仕方ねぇから教えてやんよ――――おいエレナァ! おめぇもちょっとこっちに来やがれ!」
「――あ、はーいっ!」
ジルヴェルトが張り上げた声に反応し、御者台から負けじと声を張るエレナ。
通常であれば、結構速度で移動中の魔鳥車の屋根によじ登るなど、危険極まりない行為なのだが、妖精の憑依者であり、魔力の羽を展開出来る彼女ならば造作もない事。
魔力羽を用いて宙に上がったエレナは屋根の上に顔を覗かせ、その惨状を目の当たりにすると――、
「どうしたの――――って、ちょっとこれ何よ!? 一体何をどうしたらこんな事になるのよ……」
口元を手で覆い、目と眉を限界まで狭めたエレナは非難の眼差しを二人に送る。
「いや、俺のせいじゃないし……」
「ぁあ? 何って魔力の吸収をすんだよ。良いからこっち来て座れ」
「はいはい、わかったわよ――」
ジルヴェルトの横柄な態度に、エレナは肩を竦ませ不満を述べつつも、なんだかんだで従うつもりのようで視線をきょろきょろと巡らせ始める。だが――、
「座るって、何処に座れば良いのよ……」
座るに当たって屋根の汚れていない安全地帯を探そうとしているのだが、残念ながら飛び散った血飛沫で満遍なく汚れているのだからどうしようもない。
「何処だって構いやしねぇよ。おら、何でも良いから早くしろって」
「構うわよ。だって服が汚れちゃうじゃない、もう……」
どうしても屋根に尻をつけるのは抵抗があるようで、エレナは座るのではなく、膝をかかえてしゃがみ込んだ。しかし、それでも頻りにローブの裾を気にしているその様に、見かねたジルヴェルトが堪らんとばかりに口を開く
「けっ。んなもんどうせ汚れんだから、いちいち気にしてんじゃねぇよ。洗えば良い話だろ、おい」
汚れたら洗えば良い――その意見はあながち間違いとは言い切れないが、誰だって好き好んで汚れようとは思わないだろう。
それになりより、エレナの女心はその考えを良しとしなかった。
「嫌よ。せっかくもらったばかりの服を汚したくないわ。それに、汚すのと汚れるのじゃ違うんだから!」
「へっ、あーそうかいそうかい。女ってのはホントめんどくせぇな。勝手にしろ」
ジルヴェルトの指摘に強い拒否を示すエレナ。その確固たる意志は彼女の持つ緋色の瞳にも強く滲んでおり、思わず不動を連想させる程だ。
事実、こうなった時のエレナは梃子でも動かない。彼女に修業を付けてきたジルヴェルトもそれはわかっているようで、それ以上は強く言わず、小馬鹿にしたように鼻を鳴らすだけだった。
「で、おめぇも魔力の吸収は魔石でやるって聞いてんのか?」
「ええ、そうね。倒した魔物に魔石を押し当てるように言われてるわ」
「良いか、それは普通の奴等の方法だ。俺等憑依者は、死んだ魔物から直接魔力を奪い取れる」
「えっ、そうなの!?」
ジード同様、驚きに目を丸くするエレナ。一つ違うのは、そこに怒りの感情が混じっていないところか。
「おう。まずは魔力を通してこいつ等を見てみろ」
言われた通り、瞳に魔力を宿す二人。ジードの瞳は灰色から濃金に、エレナの瞳は色こそ変わらないが薄く光を帯び始めた。
すると見えてくるのは、殻と言う外皮を失い留まる事の出来なくなった白い魔力――言わば野良魔力だ。
辛うじて体の周りを留まるように漂っているそれは、自然の摂理に従えば時間の経過と共に霧散し、やがて大気中の魔力へと還っていくものである。
「これに魔石を当てると、新しい器を求めて魔力が流れ込む訳だが、俺等が吸収するには少しやり方が違う。まぁ見てろ――」
ジルヴェルトはそう言うと座ったまま腕だけを伸ばし、魔狼へと手を翳す。砂色の魔力を纏ったその掌が漂う白い魔力に触れた途端、忽ちその色を塗り替えていく。
まず始めは、取り囲むように魔力を覆っていく。その様はまるで、逃げ道を塞いでいるようにも感じられる。そしてそこから内側へ――制圧するかのようにジルヴェルトの魔力が勢力を広げ、浸食し、野良魔力を掌握していく。
つまるところ魔力の吸収とは、魂ごと魔力を奪い取る『ソウルスティール』とは違い、上っ面部分の魔力だけを掌握し奪い取る行為なのだ。
やがて、全てが砂色の魔力に染められる。その間、時間にして僅か五秒ばかり。野良の魔力を己の魔力へと塗り替えたジルヴェルトは、伸ばしていた腕を戻すと同時に視線を二人へと戻す。
「わかったか? 魔力で魔力を覆うようにすんだろ、そっから無理矢理魔力を流し込んできゃあ、いずれてめぇのもんに出来る。今は見せる為に魔力に触れてたがよ、別にわざわざ触れる必要はねぇ。要は魔力さえくっついてりゃそれで構わねぇんだ」
ジルヴェルトはそう言って人差し指を立てると、説明の補足を兼ねて指先から魔力を一メートル程伸ばしてみせる。
そのすぐ傍らでは、魔力を失った魔狼の肉体が霧散していくが、もう既に用済みの為か目をくれる事もない。
「つまりよお、戦いながらでも魔力を吸収出来るようになりゃあ、対多数の戦いでも魔力切れの心配が無くなるって訳だ」
丁度言い終えた時、魔鳥車の遥か後方では、先程放たれた砂の槍の残る五本が魔力を吸収ししたようで、魔物の肉体が霧散するに合わせてそれらも形を崩していく。
「そっかあ……だからどれだけ魔力を使ってもけろっとしてたのね」
「そういや、前にやってた帰り道の時のあれ、ヤバかったもんな」
ジードの言うあれとはつまり、ガンズと共に神聖の魔力を求めに行った際の帰路で見せた、砂の津波の事だ。
あれだけ大規模な魔術となると、当然魔力の消費量も多い訳で、彼自身の魔力だけで賄うとなるとそう長くはもたないだろう。漏れ出るジードの魔力に呼び寄せられる大量の魔物がいたからこそ成し得た荒業なのである。
つまり、魔力を吸収出来る相手さえいれば、実質半永久的に戦う事が出来ると言う訳だ。勿論、通常であれば体力面と言う問題が出てくるが、事戦いに於いてその理屈は戦闘狂に通用しない。三日三晩戦いに明け暮れてなお、瞳をギラつかせている様は想像に容易い。
「んで? どっちから始めんだよ?」
「「――――」」
その問いかけに視線を交わらせるジードとエレナだったがしかし意外にも決着は一瞬だった。
「お先にどうぞ?」
「え、良いのか?」
「うん、こないだ譲って貰ったから。今度はあたしが譲る番」
「そっか、ありがとな!」
「んじゃやってみろ、おい」
前回のお礼と言う事で順番を譲って貰ったジードは右手に魔力を宿し意気揚々と手を伸ばす。興奮により気分が盛り上がっている為か、宿す魔力はジルヴェルトの時より遥かに多い。
「――っ」
そして、その指先が子鬼の周りを漂う野良魔力に触れようかという時、ジードは突然びくりと身体を震わせた。
『おい貴様ぁ……! ふざけるのも大概にしておけよ……?』
これまでに無いほどに低く唸り声を轟かせる鬼に、ジードの身体は凍り付いたのであった。