二章六話 『操縦指南』
天候は変わらず晴れ。
雲一つない澄んだ空は何処までも青が広がり、絶好の修行日和――もとい、調査日和だろう。
しかし、朝の早い内に出立が決まったと言うのに、太陽は間もなく南中へ差し掛かろうとしていた。
カリバを出た一行は現在、外周壁沿いを半時計周りに北上し始めたところである。
外周壁をぐるりと一周囲むように道が整備されており、そこから八本の街道が放射状に広がっているのだ。
「すみません、先に説明しておくべきでしたね。今回我々が向かうのは北東に位置する山岳地帯です」
「北東の山岳地帯……」
ごくりと喉を鳴らし、期待に瞳を輝かせるジードにストルドフが言葉を続ける。
「ええ、ゲタングの脚ならば最短で突き進んで二日ほどですが、迂回や戦闘をしながら進むので三日から四日ほどですかね。」
「確か、結界柱の通れるルートを見極めながら進むんだっけ?」
「ええ、そうです。調査内容に関しては今話してくれた通り、まず、結界柱の搬送経路を選定しながら目的地まで向かいます。そして周辺に生息する魔物の種類や数を確認しつつ、指定された場所に結界柱が問題なく設置出来るかを見極める――と、ここまでが一連の流れですね」
「……でもさ、指定された場所って言うけど、そんなのどうやってわかるんだ? 外界なのに地図があったりするのか?」
「あー、それはですね、領主城から目印となる魔力が放出されているんですよ。僕等は専用の魔道具がなければ確認出来ませんが、君達なら見れるんじゃないですかね」
「へぇ……やってみる」
ストルドフの発言を受け、ジードは早速瞳に魔力を宿し、濃金色となったその双眸で窓の外を覗いてみる。
「――あっ、本当だ!」
すると遥か上空には、ストルドフの言った通り白く光る魔力が線上に延びていた。カリバより放たれるその道標の行き着く先はあまりにも遠く、目視で確認する事は叶わない。
ちなみに、現在地よりは確認出来ないが、魔力による道標は結界柱の設置予定箇所全て――計、八本に及ぶ光の筋がカリバより伸びている事になる。
「これを辿っていけば目的地なのか」
「そうですね。ですが、それを目印に進むのはあくまでも外界に出てからです。今日は結界近くの炭鉱町『メイニスフィル』まで進み、そこで宿を取る予定ですね」
「メイニスフィル?」
「ええ。ツォルヴェラ鉱山の麓に位置する、領内随一の炭鉱町で、随分と活気のあるところですよ。――そうだ、せっかくなんで操縦の練習してみます? 街道に入れば道なりに進むだけなんで、丁度良い経験になると思いますよ?」
「おおっ、やるやる!」
御者台に座るストルドフが、妙案を思い付いたかのように声を弾ませると、ジードがそれに飛び付いた。
するとそこへ、エレナも負けじと名乗りを上げるのだった。
「はいっ! あたしもやりたい!」
「ええ、勿論良いですよ。ただ、見ての通り狭いので三人は座れません。ですので、どちらが先か決めてください」
その言葉に、少年少女の視線は交差し、車内には暫しの沈黙が走る。
「「――」」
両者の間には火花が散り、順番を巡っての小競り合いが繰り広げられる――――かと思われたが、意外にも結末はあっさりしたものだった。
「……あー、エレナ。先に良いぞ」
「え、良いの?」
「お、おう。時間は充分あるだろうし、エレナが選んだゲタングなのに、それを差し置いて先にやるってのも気が引けるしな……」
尤もな理由を語って見せるジードだが、実のところエレナの眼圧に屈したに違いないのは見ればすぐにわかる。
そもそも、好奇心が行動指針の彼にそこまで気が回る訳がないのだ。
だがそれも、致し方ない事だろう。
可愛いもの、綺麗なものを原動力とした際の彼女は、名状し難い恐ろしさを秘めているからだ。
「ありがとう」
「決まりましたね。それではエレナさん、前へどうぞ」
「はいっ!」
そんな理由で譲られたとは露知らず、少女は花のような笑顔で礼を述べ、御者台へと続く扉を開けるとストルドフの隣へ。
「街道に入り次第交代しますので、見てて貰って良いですか?」
「ええ」
「ではまず簡単な説明から。彼等ゲタングは、馬と比べても非常に優秀な種族です。専用の狼煙を上げれば、無人のまま目的地まで辿り着いてしまうほどなんです。――では何故御者が必要かと言うと、彼等自体は何て事無くても、積み荷や台車が偉いことになってしまう事があるんですよね。酷い時には、片輪が外れたまま引き摺って来た事もあったとか」
「――そ、それは笑えないわね……」
ストルドフの説明に、エレナは走るゲタングの背に視線をやりながら頬を引き攣らせる。
自身等がカリバに向かう際、実際に荷車の車軸が折れているのだから、まさかと笑い飛ばす訳にもいかないだろう。
しかし恐るべきは、そのままでも走破してみせる彼等の脚力か。それこそ、直接蹴りを食らっている彼女が一番わかる筈だ。
「ええ、全くです。ですから、御者の役目としては悪路に車輪が取られないよう、注意するという事になります。ですが先程言った通り、基本的に彼等は賢いので、そこまでの技術は要しません。いつくかの指示と、二つの注意点を覚えれば充分な程です」
「注意点?」
「はい。まず一つ目が、手綱の握り方です。これはご自分の握りやすい持ち方で構わないのですが、掌や指には絶対に巻き付けない事。何かの拍子に強く手綱を牽かれたら、間違い無く千切れてしまいます」
「え、ええ……」
物騒な単語が飛び出したせいか、エレナの表情は険しいものとなる。
その説明をすると言うことは、実際に指を持って行かれた人物がいると言う事で。浮かれ気味の彼女には良い薬だろう。
「次に、手綱を弛ませて持たない事。手綱で軽く背を叩くのが『前進・加速』の指示の為、弛ませたまま走っていると、『加速』の指示と勘違いしてしまい、制御どころではなくなってしまいますからね。手綱は弛ませず、張りすぎず、適度な張り具合で握っていてください。以上の二つが注意点です。――ジード君もですよ? 良いですね?」
「うん。わかった!」
ストルドフは前を向いたまま後方のジードへと声を掛けるが、間髪に入れずに返事が飛んだ。彼は言われるまでもなく二人の話に聞き入り、一人相槌を打っていたのだ。
「呉々もよろしくお願いしますね? ――では次に指示の出し方を説明します。先程『前進・加速』の指示をつたえましたが、一度走り出せば、その後特に指示を出さなくとも真っ直ぐ道なりに進んで行きます。緩やかな曲がり道や、小さな段差であれば見守っているだけで構いません。抉れるようなへこみ、極端なうねり道などは車輪を傷めてしまうので、『減速』の指示を出します。こうやって――」
ストルドフはそう言うと、手綱を軽く後方へ軽くちょんちょんと引っ張った。それはもう、振動が伝わるかどうかと言った具合に優しくである。
するとゲタング達は返事こそしないものの、目に見えて失速していく。感覚的に一段階速度を落としたと言ったところだろうか。
「ここで気をつけなければいけないのが、手綱を引く強さです。強く引けば引くほど、ゲタング達は無理矢理に止まろうとします。参考までにやってみるので、しっかりと捕まってて下さいね?」
ストルドフの警告を受け、ジードとエレナは手すりや窓枠を掴み身構える。
「いきますよ――」
そんな二人の様子を目視で確認したストルドフは、先程とは打って変わって力一杯手綱を引っ張った。
「うお!?」
「きゃっ!」
途端、魔鳥車は慣性を無視しての急減速。身構えていた二人ですら、驚きの声を漏らす程の制動力をゲタング達は発揮したのだ。
「ぐあ――!?」
それとほぼ同時に、客室内には重く鈍い音が響き――、
「……ストルドフゥ、てめぇええ……!!」
「――す、すすすすっ、すみません! 聞こえてると思ってたんでつい……ごめんなさいっ!!」
どうやらうたた寝を決めこんでいたらしいジルヴェルトは、抵抗する間も無く内壁に叩き付けられ、唸り声を上げながらストルドフを非難する。
「てめぇ等が何をしようと勝手だがよぉ、人の眠りを妨げてんじゃねぇぞ、ああ!?」
「仰る通りです。すみません……」
「――けっ。俺ぁ暫く寝っから邪魔すんじゃねぇぞ。良いな、おい!」
いくらジルヴェルトと言えど、平謝りの相手にそれ以上強く迫る事しないのか、そう吐き捨てると再び腕と足を組み瞳を閉じてしまった。
或いは、水責めのお陰で本当に弱っているのかだが、どちらにせよ難を逃れたのは間違いない。
「お二人もすみませんでした。もう少し考えを巡らせるべきでした……」
「いや、俺も忘れてたし……」
「あたしも……」
ストルドフもストルドフで、自らが教示する立場になったことで浮かれていた部分もあった筈だ。
ジルヴェルトが打ち付けられたのは鉄板で補強された壁面だ。常人であれば即死でも可笑しくない衝撃に、首元を押さえ顔を顰めるだけに済んだのは、屈強な肉体を有する憑依者だからだろう。
これが他の団員であれば、調査中断は間違いない。
「「「…………」」」
ともあれ、場の空気は極端に沈んでしまった。
「「――――!」」
暫し、その場に立ち止まっていた一行だったが、そこへゲタングからの催促が飛んだ。
ふと三人が視線を上げれば、どうするんだとばかりの眼差しで見据える四の瞳がそこにあった。
「――そうですね、立ち止まっていても仕方ありませんね。ひとまず、進みましょうか」
思い掛けない激励によりどうにか調子を取り戻したストルドフは、手綱をぎゅっと握り直すとゲタング達の背を優しく叩き、出発を促した。
「「――!」」
するとゲタング達は一糸乱れぬ脚捌きで、一歩また一歩と速度を上げていく。
「えー、気を取り直して続きといきますね。『減速』は手綱を後ろへ短く数回に分けて引き、『停止』は先程のように一気に引くのではなく、『減速』の指示を複数回行い、充分に速度が下がってから手綱を後方へ引き続けます」
説明をしながら手綱の指示はその通りに。
すると今度は緩やかに減速していき、身体に負荷を感じさせない程自然に車輪は動きを止めた。勿論、ジルヴェルトからの苦情も飛ばない。
そして再び走り出す魔鳥車。
現在地としては三人の故郷であるバルネ、ニルズ、セノアへと続くスェーミ街道を通過し、暫く進んだ辺り。程なく、目当てのセミエラ街道へと差し掛かろうかと言うところだ。
「そして最後は、右左折と左右に寄れです。実はこれが少し紛らわしくて、曲がりたい方向、寄せたい方向とは逆に手綱を引くんですよ」
――と、丁度その時、前方の地面右寄りに小さな窪みがあるのをストルドフは発見した。
位置的にゲタング達が通る分には支障なさそうだが、魔鳥車の車幅は彼等よりも広い。左に寄らなければ車輪を取られてしまうだろう。
「――お、丁度良いのがあそこにありますね。実践してみますんで見ていて下さい。右側に窪みがあるので左に寄りますよ。手綱を逆方向に、この場合は右に軽く小刻みに引っ張ります」
ストルドフはそう口にしながら、ちょんちょんちょん、と三度手綱を張って『左に寄れ』の指示を出す。
するとゲタング達は即座に左側へと寄っていき、車輪は窪みに掛かることなくその横を通過した。
「逆方向に手綱を引く……」
復唱するようにエレナは呟くと両手を持ち上げ、見よう見まねで腕を右へ右へと引いている。
「さて、最後に『右左折』ですが、必ず充分に『減速』をしてから行うようにします。あまり勢い良く行うと、車体がひっくり返ってしまいますからね。そして肝心の合図ですが、先程のように小刻みに引くのではなく、一定の力で引き続けます。まあ、直にセミエラ街道が見えて来るので、そこでやってみせますね」
それから間もなく。
大きく右に逸れるセミエラ街道を眼前に捉えたストルドフは、手綱を用いゲタングに『減速』を促していく。
そして街道との交差路に差し掛かろうといった時、手綱を斜め左方向に引いてみせた。
「このように手綱を引くんですが、イメージとしては曲がりたい方向にゲタングの顔を向けさせる感じですかね。引っ張っている間はずっとその方向に進んで行くので、開けた場所であれば旋回も可能です。それと、曲がり始めたからといってすぐに引くのを止めたりせず、徐々に角度を手前へと戻していって、無事曲がり切る事が出来てから手綱を緩めていきます。――――よしっ、それでは交代しましょうか」
模範的な手綱捌きで曲がってみせたストルドフはそのまま魔鳥車を止め、エレナへと手綱を手渡す。
「――う、う~、緊張するわ……」
差し出されるままに手綱を受け取ったエレナだが、本人の主張通り偉く緊張しているようで、その表情は見るからに強張っている。
「大丈夫ですよ。彼等は賢いんで、優しく走ってくれますよ」
「「――――」」
「そ、それじゃあ、お願いね?」
ストルドフだけでなく、ゲタング達にまで励まされたエレナはぐっと唾を飲み込み深呼吸を一つ。
やがて、恐る恐るではあるが『前進』の指示を出した。
「「――!」」
「わぁ――――」
短い返答ののち、殊更ゆっくりと走り出した魔鳥車。
ひとまず目指すは炭鉱町メイニスフィル。瞳を輝かせたエレナが手綱を握り、一行はセミエラ街道を進んでいくのだった。