二章五話 『魔鳥車』
ジルヴェルトが連行されたのち、ジードとエレナの二人はストルドフに連れられ、カリバの街最東部に位置する魔鳥舎を訪れていた。
ここに来るまでの間、一旦自宅へと戻り準備を整えた彼等の残る使命は、同所にてゲタングの調達である。
と言うのも、今回のように外界へ進出する際の足は、馬ではなくゲタングを用いると決まっているからだ。
彼等が健脚なのも勿論理由の一つだが、何よりも重要視されているのは有事の際の生存率の高さだ。魔物に襲われた時の自衛手段を彼等は持ち得ているのだから、それも当然だろう。
道中、ゲタングの轢く台車――通称、魔鳥車の話をストルドフより聞かされ、苦い記憶を呼び起こした二人は、渋い顔のまま過去の出来事を同人へ打ち明けた。
するとストルドフは、「そんなの誰だって具合悪くなりますよ。あの人の三半規管が異常なんです」と苦笑混じりに訴えた。
彼の言によれば、魔鳥車にも種類があるようで、以前ジード達が乗ったような貨物用の台車もあれば、乗用目的で造られた、馬車にも勝る乗り心地の台車もある。
そして現在、併設された牧場にてゲタングを絶賛選定中の三人。施設の人物より、好きな番を選んで、決まったら声を掛けるよう促された為、やたらと意気込むエレナに二人が粛々と続く形になっている。
同所はゲタングの飼育、調教、斡旋、及び繁殖を目的とした施設であり、常時四十組以上の番を管理している。
よって、エレナによる厳選は、まだまだ終わりそうもない。と思われたのだが――――、
「――っこの子達、こないだの子だわ!」
あれも可愛い、これも可愛いと、鼻息荒く騒ぎ立てていた彼女が一層声を張り上げたのは、都合十七組目の番に近付いた時の事だった。
草原に座り込み、互いの羽繕い真っ最中の二匹。するとエレナは、僅か数歩の距離を足早に歩み寄り、両手をすっと差し出した。
「「――」」
「ふふ、覚えていてくれたのね」
向こうも彼女を覚えていたのか、差し出された掌に顎を乗せるとおもむろに瞳を閉じていく。
やがて、暫しのスキンシップを終えたエレナはほっこり顔のまま二人の方へ振り返り、選別の終了を宣言する。
「決まり! この子達にするわ。ねぇ良いかしら?」
先程までの優柔不断具合が嘘のような即断振りである。
そもそも二人に断る理由など無いのだが、彼女の表情を見ては尚更、断れる筈もないだろう。
「ああ、うん。それは良いけど、よくわかったな。俺にはまるで見分けつかないぞ……」
「ええ、そうですね。よっぽど特徴的な柄でもあるならまだしも、見たところ他のゲタングとそう違いがあるようには見えませんからね……」
「何言ってるのよ。顔がみんな違うじゃない」
ちゃんと見なさいよと言わんばかりに、非難の眼差しを向けるエレナだが、二人は苦笑いを浮かべるだけ。
実際の所、ゲタング達は個体ごとの特徴が乏しい種族だ。外見だけで彼等を見分けられるのは、普段から接している職員と彼女くらいのものだろう。
そんな事を知らないエレナは係員の元まで向かうまでの間、やれここが違う、そこが違うとゲタング談義を繰り広げた。
そして、受付をする時の事。
「あの、この子達に決めました!」
「ありがとうございます――おや? 彼等が付いて来るなんて珍しいですね。普段はあまり人に興味を示さないんですよ?」
大人しそうな雰囲気の青年係員の説明に、へぇーと相槌をうちながら、満更でもない表情を浮かべるエレナ。彼女に付き従うように並ぶ男二人は、納得したように首を縦にと振っている。
「それはそうと、この子達に決めたきっかけは何ですか? 懐かれちゃったからですか?」
「前に仲良くなった子達だから、今回も一緒が良いなって思って」
「えっ……?」
予想外の返答だったのだろう。係員の青年はぽかんと口を開け固まってしまった。
恐らく彼からすれば、何気ない会話の一つに過ぎなかったのだ。それこそ、選定を終えた客へもれなく尋ねるような、言わば常套句のようなものだ。
そもそも、ゲタング達の選定方法は二つあり、その内の一つが、係員にお任せである。
兎に角早く荷物を届けたい、重量物を運びたい等と用途を伝えれば、それに適したゲタングを見繕ってくれるというシステムだ。
もう一つがエレナ達の選んだ方法で、自分で牧場、もしくは飼育舎へと赴き、好みの個体を選ぶというものだ。その際、脚輪に彫られた識別番号を確認し、係員に伝えるのが一般的である。今回のように直接連れてくるのは、よっぽどの事が無い限り有り得ない。
そして、自ら選定する事を選んだ客達でも、ピンと来た、一際速そうに見えた等と、不確かな理由で決めてくるのが殆どである。
係員の青年も、まさか彼女がゲタング達を見分けられるとは、露にも思っていなかっただろう。
「ち、ちなみにですが、いつ頃の話か覚えてます?」
「ええっと、カリバに来る時だったから――――ひと月と少し前くらいかしら」
「――あっ、その時は支部からの要請でセノアまで派遣して貰ってる筈です」
エレナの説明にストルドフが補足する。
そう、ガンズがセノア村にて信号弾を上げた際、ゲタングの手配を受け持ったのが他ならぬ彼なのだ。
「わかりました。少し確認してきますねっ――」
半信半疑なのか、青年はまさかと言った表情を浮かべたまま、台帳を取りに駆け出して行く。
「お待たせしました――」
そして、戻ってきた彼はゲタング達の脚を確認し、恐る恐る台帳を捲っていく――、
「ま、間違いありません。仰るとおりの個体です……」
震える声で告げられる事実。見事、脚輪に振られた識別番号と、台帳の斡旋記録は一致したのだ。
「ふふふ、でしょう?」
信じられないとばかりに、瞬きを繰り返す青年と、当たり前でしょと言わんばかりの誇らしげな笑顔を浮かべるエレナ。
「まさか、これほどの逸材が開拓者にいたなんて…………」
誰に言うでもなく呟かれたその言葉には、隠しきれない喜びに満ちていた。
***
それからと言うもの、青年のゲタング愛にスイッチが入ったのか、如何にゲタングが素晴らしいかを延々と語り続けた。
それに対し、ジードやストルドフは頬を引き攣らせ、連れない相槌を打つだけなのに比べ、エレナだけは尻込みする事なく堂々と語ってみせたのだ。
途中、気を良くした青年が、注文した魔鳥車よりも一つ上等なものを用意すると言う粋な計らいを見せるが、お陰で話を切り上げ難い状態になってしまう。
結局その語らいは、お説教が済んだジルヴェルトが到着し、青年を一睨みするまで続く事となる。
去り際、「良かったらここで働きませんか? あなたなら大歓迎です」と熱烈な勧誘を受けていたが、流石のエレナも少し困ったのか、曖昧な笑顔を浮かべるに留めていた。
そもそも、彼女とてやるべき事がある。その時が来るかどうかは今のところ未定だ。
こうして、魔鳥車の調達を終えた一行は、ストルドフを御者台に据え魔鳥舎を後にする。
何故彼が御者を勤めるかと言えば、一般人を外界まで引っ張る訳にはいかないからで。
いつ何時手綱を握る事になるかわからない為、開拓者は誰もが御者を勤められるよう訓練されているのだ。
「なんだよこれ、すっげぇな!!」
「本当ね! まるで浮いてるみたい……」
静かに走り出した魔鳥車の中、興奮した声を上げるのはやはりジードで。しかしそれも、今回ばかりは仕方ないだろう。
客室の外装はよくある幌付きではなく、全面板張りで要所要所が鉄板で補強されている。しかし、施された装飾や彩色故に、武骨さよりも上品さが目立つ。
内装には背もたれ付きの長椅子が対面で設けられ、窓が四方に設けられている。その内、前方部分の窓のみがスライド式となっており、悪天候時等に密閉空間を作れる構造だ。
更に、客室後方には氷属性の魔石を用いて使う鉄製の保冷庫が設置されており、どのような地帯に行こうとも約三日間はゲタングの給水に困らない親切設計だ。無論、自分達の飲む物も保冷出来る。
そして、何より驚くべきはその緩衝性だろう。
ジードが興奮を示したのもこの部分で、それこそ窓から景色を眺めていなければ、動いていることを忘れてしまいそうな程である。
その理由が、車輪にそれぞれ衝撃吸収機器が装備されており、それがなんと、風属性の魔石により圧縮された空気で賄われているからだ。悪路を行く魔鳥車だからこその装備だろう。
それに比べれば、以前彼等の乗った馬車など遥かに劣るのは間違いない。
「これなら、いつまででも乗ってられるな」
「そうね――あっ、そう言えば、調査ってどこに行くか聞いてる?」
「――やべっ! なぁ、ジルヴェルトさんっ」
「けっ、俺ぁ知らねぇよ」
やっちまったとばかりに顔を顰め、師匠を頼ってみるも、軽くあしらわれてしまう。
当のジルヴェルトは面白くないのか、はたまた疲れているのか定かではないが、腕を組み足を組み、俯いたまま顔を上げる事はない。
心なしか覇気も薄いところを見ると、もしかしたらリーゼのお仕置きが身体に堪えているのかも知れない。
「ちぇっ、わかったよ……ドフさんっ」
ジードは連れない対応に唇を尖らせながらも席を立ち、御者台に座るストルドフへと話し掛けた。
「ジード君、ごめんなさい! もうすぐ街を抜けられるので、話は後にしてもらっても良いですか?」
しかしどうやら、緊張した面持ちのまま手綱を捌く今の彼には、会話に割くだけの余裕など持ち合わせていないようだった。
「う、うん……」
丁重にお断りされてしまった為、いつものように不貞腐れる事も出来ず、ジードはやり場のない感情を溜め息と共に吐き出すと、力無く自席へと戻っていく。
しかし、ストルドフからすればそれどころではないのが本音だろう。もし話に気を取られ、うっかり人でも轢いてしまっては、今後魔鳥車が肩身の狭い思いをする羽目になる。
その為、街中では細心の注意を払う必要があるのだ。魔物への風当たりが強いこの国で、これだけのゲタングが活動出来ているのは、関係者の弛まぬ努力の賜物なのである。
「ほーら、仕方ないわよ。後でもう一度聞けば良いじゃない」
「ん、ああ……」
「それよりほら、せっかくなんだから、窓からの景色を楽しみましょう? ね?」
隣でしょんぼりと肩を落とすジードを見かねてか、励まし、今を楽しむ事を勧めるエレナ。
「こんな風に街を眺めてるとまるでお姫様になったみたい――って、あれは……」
そして自らも、車内からの景観を楽しもうと身体を窓の方へ捻ったその途端、彼女は怪訝そうに目を細めた。
「ん? どうした?」
「え、うん。ほら、前に話した押し売りの人がそこの路地に入って行った気がしたのよね……」
「――っ!」
その言葉にジードは慌てて窓へ張り付き、どこだどこだと、食い入るように外を眺め始める。
エレナの言う押し売りの人とは、ヴォルフと行動を共にしていた際に遭遇した、糸目の男である。
当初こそ警戒していたものの、まるで音沙汰の無い事から、ここ最近は随分と意識の隅に追いやられていた存在だ。
そして間もなく、魔鳥車はエレナの指差した路地を通過するが、それらしき人物は見当たらない。
「……それっぽいのなんていないぞ?」
「うん……一瞬だったから見間違えたのかも……」
「ちぇっ、なんだよそれ……」
おかしいなぁ、と腑に落ちない様子で呟くエレナと、つまらなそうに窓から離れるジード。その様子からして、ようやく件の人物を垣間見れる事に期待したのだろう。
それからと言うもの、頻りに外へ注意を払っていた彼女だったが、遂に例の男を見つける事は出来なかった。
そしてそのまま魔鳥車は滞りなく進み、やがて一行は城門を抜ける。
「お待たせしましたジード君。話ってなんだったんですか?」
どうにか難所を通り抜けたストルドフはほっと一息。外にさえ出てしまえばこちらのものだ。
「ああ、うん。調査の行き先の事なんだけど――――」
速度を上げ軽快に走り去る魔鳥車。その背中を、糸のように目を細めた男が見送っているなど二人には知る由もない。
「――ふむふむ。やはり鬼の王はお出掛けのようですねぇ――さて、それでは厄介者のいない内に私は私のすべき事を成しましょう。ささ、お仕事お仕事。ふふふふふ――」
男は薄ら笑いを張り付けたまま誰に言うでなく呟くと、軽やかに踵を返し、踊るような足取りで人混みへと溶けていった。