帰り道にて
トクリップの村入り口付近にある、乗合馬車停留所。
ガンズ達一行が到着した頃には、太陽は更に沈み込み、辺りは薄暗くなっていた。加えて上空には濃い雨雲が迫っており、いつ降り出してもおかしくない程だ。
「んだぁ、おい。随分と早ぇじゃねぇかよ。話は付けとくっつったろ? んな馬鹿みてぇに汗かいて、どうしたっつうんだ、あぁ?」
額に珠のような汗をこれでもかと浮かべ、肩で大きく息をする三人に、御者台に腰掛けたジルヴェルトは怪訝な視線を投げかける。
「お前が、信用、ならないから、だ……!」
「けっ。まぁーた始まったぜ!」
ガンズは今にも消え入りそうな声でそう言い、ジルヴェルトをじろりと睨み付ける。しかし、当の本人に気にした素振りは無く、ごろりと御者台に身体を預けると、そっぽを向いてしまう。
ジルヴェルトが我が物顔で寝転ぶ馬車のすぐ脇には、例の青年が俯きながら所在なさげに佇んでおり、一行の姿を捉えた途端、まるで地獄から生還したかのように顔を綻ばせたのだ。それを見れば、ガンズの予想は間違っていなかったと、誰もが皆頷くであろう。
「迷惑を掛けてしまったようで、すまなかった……まだ、出発の時間は、過ぎて無いだろうか……?」
これを受けたガンズは、すぐさま優先順位を切り替え、呼吸を整える事もせずに御者の青年へと話し掛ける。
「え、えぇ、まだ…………。ですが、もうすぐ出発しなくてはいけない時間ですので……あの、こちらの方の仰っているお連れ様とは、あなた方で合ってます、よね……?」
御者の青年はちらちらとジルヴェルトの様子を窺いながらも、期待と不安の入り混じった視線をガンズへ向ける。
「あぁ、そうだ。こいつに何か、無理強いをされたりはしていないか……?」
「あ、いえ……そこまでの程の事は……されていません。お連れの方がお見えになるまで、出発せずに待ってほしいとだけ仰られて……」
かなり控えめな言い方に差し替えられてはいるが、話の流れとしては間違っていないのだろう。
ただ、青年の妙に硬い態度から察するに、かなりの勢いで詰め寄られたであろう事は言うもまでも無い。
「そうか……迷惑をかけて、本当にすまなかった……」
「いえ、幸い他のお客様もまだ戻っておられませんし、まだ出発時刻も過ぎていませんので……」
彼はそう語るが、それは結果であって、仮にガンズ達が遅れて到着すれば、嫌でも待たされる羽目となったのだ。
「…………。そう言ってくれると助かる……ところで話は変わってしまうが、そのお客さんはどれぐらいで戻って来るかわかるかな? 時間が掛かるようならば、村の人達に挨拶をしておこうかと思っているんだが……」
「ええ、と……、どうでしょう……出発前には必ず戻ると仰っていたので、そろそろだとは思うのですが……」
「そうか……入れ違いにでもなって、俺が待たせることになれば元も子もないな……止めておくとするか」
ガンズは顎を撫でながら、誰に言うでもなく呟いた。
確かにガンズの言う通り、ジルヴェルトが迷惑を掛けないようにと慌てて来ておいて、自身が迷惑を掛けては世話ない。
ここは大人しく馬車で待っておくのが吉だろう。
一同は雑談を交えながら、直に戻るという客を待つことにするのだった。
それから幾ばくか――。
どうにか御者の青年も調子を取り戻し、取り留めのない会話を繰り広げていると、一同の元へ人影が近づいてくる。
それにいち早く気付いたのは青年だ。
「あ、どうやらお見えになったようですね」
「そうか、想ったより早かったな。村に入らなくて正解だ――――って、リーゼじゃないかっ!」
「――っ! んだとぉ……?」
青年の声に誘われて村の入り口へと視線を移したガンズは、待っていた客と言うのが見知った人物であったことに、驚きの声を上げた。
どうやら青年の言うお客様とは、開拓団副支部長であるリーゼだったようで。胸元まで伸びる白金髪を揺らし歩く彼女もまた、馬車の前に佇む人物が知人だと気付くと、にこやかに微笑み小さく手を振りながら馬車へと歩み寄る。
「……けっ。んであのくそ女が来んだよ、おい……」
一方、そのすぐ後ろでは、寝転がったまま動く気配の無かったジルヴェルトが、思わぬ人物の登場を知らせる声に、もそりと起き上がる。そして、自身の目で以て真偽を確認すると、忌々しそうに呟いた。
「あら、もう魔力の回収が終わったの? 随分と早かったのね。もしかして、待たせちゃったかしら……?」
しかしリーゼは、その発言こそ聞こえなくとも露骨に嫌悪感を放っているジルヴェルトへ、ちらりと視線を向けるだけ。それ以降は、見向きもする事も無くガンズへと話し掛けた。
さすが副支部長。いちいち相手にしない方が得策だという事を、存分に分かっているようである。
「あぁ、どうにかな。俺達も丁度今さっき帰ってきたところだ」
訳知り顔で近付くリーゼに、対するガンズも特段変わった様子もなく、至って普通に対応で返す。
実のところ二人は、今朝方にトクリップの被害状況、経緯、イーヴォ宅の保障などについての会話を交えていたのだ。
その事を知る由もないジードとエレナは、突然現れたガンズと美女の会話に、訳がわからないと言った風に目を丸くしている。
「ふぅん? てっきりこの村に今日も泊まりかと思ってたわ。――あっ、ごめんごめん。あなた達が噂のジード君とエレナちゃんねっ? あたしはリーゼ。開拓団で雑用係をしてるの。よろしくねっ?」
「あ、はい……」
「ど、どうも……」
リーゼは忘れてたと言わんばかりに、二人へずいっと近寄ると両手を顎の下で合わせ、片目だけを閉じて謝ってみせる。
側頭部の髪の毛が編み込まれている事により、露となっている白く華奢な首元、ぷっくりとした艶のある唇は見るからに柔らかそうで、大きく膨らんだ胸元は、自らの性を主張するようで。要するに、リーゼを司る全てが色気に溢れているのだ。
故に、いくら茶目っ気溢れる仕草をしていても、隠しきれない大人の女の色気に、二人は完全に気圧されていた。
「こーら、お前は副支部長だろう。そんな卑下した言い方をするもんじゃない。こいつらが勘違いしたらどうする」
「そおかしら? あながち間違ってはないと思うけど?」
自らを雑用係などと宣うリーゼに、ガンズは軽く忠告をするが、言われた本人は妖艶な笑みを浮かべるだけで懲りた様子は無い。
「…………。はぁ、否定しきれない自分が情けない……」
リーゼの受け持つ膨大な仕事量を、ある程度把握しているガンズは、苦笑を浮かべ追及を諦めた。
「そういや、ストルドフはどうしたんだ? 一緒じゃ無かったのか?」
自身のせいでは無いのだが、無性に居たたまれなくなってきたガンズだ。そこで話の流れを変えるべく、今朝方まで彼女と同行していた男の行方を尋ねた。
「ドフ? 彼なら先にやることが済んだから、一つ前の便で帰って貰ったわ。やらなければならない事が山積みだもの」
ところがどっこい、リーゼの何気ない発言によって、更に追い討ちを掛けられる事となってしまう。
「うっ……苦労を掛けてすまないな……」
セノア村までのゲタングの応援要請、突然変異したファングベア擬きの生態調査、ラルス森林への開拓者の定期的派遣、バルネ村で回収した指輪の持ち主の解析、コカトリスの一件でのトクリップへの出張と、ここ最近だけで偉い負担を強いてしまっているガンズは、段々と小さくなっていく。
「ふふっ、良いのよ。それが仕事だもの」
縮こまっていくガンズの態度を受けて、リーゼは軽く笑いを零すと、何ら問題ないと言った風に、首を左右に二回振る仕草を見せる。
「それにしても、良く同行を許したわね。凄く意外だわ」
リーゼは、御者台の上で苛立たしげに片膝を立て座り込むジルヴェルトへ視線を流すと、信じられないとばかりに呟いた。
先日の追跡の一件も、ストルドフから聞き及んでいる彼女だ。このおかしな組み合わせを見て、大方の事情を察したようである。
「あー、まぁ、色々あってな……不本意だが、ジルヴェルトがこいつらに修行を付けることになった……」
ついに来たか、と言わんばかりにガンズは遠い目をして、要点だけを伝える。その顔はどこか、諦めを含んだ言い知れぬ憂いを帯びていた。
「――えぇーーっ!? 嘘でしょうっ? 勤まる訳が無いじゃないっ!」
流石のリーゼもそこまでは予想出来ていなかったようで、柄にも無く大声を上げる。更にそれだけでは留まらず、驚愕のあまり眼球が零れ落ちそうなほどに目を見開いた。よほど困惑しているのか、余裕のあった表情は崩れ去り、若草色の瞳が大きく揺れている。
「おい……! いつまでくっちゃべってんだ、あぁ? とっとと出んぞ、早くしろ」
そこへ、リーゼが近付いてきてから静観を貫いていたジルヴェルトが、語気を強めて吐き捨てる。苛立ちを隠すことなく、荒々しい動作で御者台から飛び降りると、そのままずかずかと音を立て車内へ乗り込んでしまう。
あまりにも大袈裟に驚かれた事が、勘に障ったのだろうか。
「もうっ、もう少し優しく話せないのかしらね……」
場が白けた事で落ち着きを取り戻したリーゼは、馬車の中へ消えていくジルヴェルトの背を見やり、悩ましげに眉尻を下げると嘆息した。ジルヴェルトの姿が完全に見えなくなったところで二人に向き直ると、やや屈んで目線を合わせる。
「良ーい? あいつになにか酷いことされたら、すぐ私に言いなさい? 成敗してやるんだから。わかったかしら?」
「「――は、はいっ!」」
包容力のある穏やかな笑顔を浮かべるリーゼは、優しく言い聞かせるような柔らかい声色に似つかない物騒な言葉を乗せる。胸の前では拳が力強く握り締められており、それはもう、着けている指輪がギシギシと音を立てるほどである。
二人は、ジルヴェルトの時とはまた違った、得体の知れない恐ろしさを感じ取り、意図せずして声を合わせる事となる。
「はい、よろしいっ! それじゃあそろそろ、出発しましょうか」
リーゼは二人の返事を受けて満足げに頷くと、視線を御者の青年へと流す。
「お待たせしてごめんなさいね。もう、いつ出発してもらって構わないわよ?」
「はいっ! 了解致しましたっ!!」
すぐ傍で一連のやり取りを見ていた青年の返事もまた、一際畏まったものであった。
***
馬車での道中は、酷く殺伐とした雰囲気だった。
出発後すぐに雨が振り出し、ジルヴェルトは更にも増して不機嫌となる。
一貫して沈黙を貫く彼は、ヴォルフに負けずとも劣らない威圧感を放っており、いつ暴れ出してもおかしくない状態だった。
しかしリーゼは、ジルヴェルトに対し恐れを知らないのか、そのような状況でも歯牙にもかけず、情報収集と言う名のお喋りに精を出す。
そして何故だか、彼もまた、決して荒事を起こそうとはしなかった。
エレナと何ら抵抗無く殴り合いをしていたことから、何があろうと決して女性には手を上げない『フェミニスト』で無いのは確かだ。
どうしても気になったジードがそれとなく尋ねると、答えは意外なものであった。
『この指輪にはね、他領の憑依者の固有魔質が生きたまま保存されているのよ。水牢って言って、砂蜥蜴であるジルヴェルトには致命的な術よ。こんな性格でも自由に動けているのは、何か問題が起こった時でも、確実に動きを封じられる術を備えているからなの』
これはリーゼの談である。
『けっ。年増は口数が多くて参っちまうなぁ、おい』
いとも簡単に自身の事情を語られたジルヴェルトは、面白くなさそうに顔を歪めると、小馬鹿にするような口調でリーゼを煽って見せたのだ。
ちなみにリーゼは、ジルヴェルトよりも少し年下、まだ二十も半ばであり、決して年増と言われるような年齢では無い。
『…………。そうだ。丁度良いから、あなた達に指輪の効果を見せてあげるわ。こんな奴でも一遍死んでみれば、少しくらいはマシになるんじゃないかしら? うん、そうだわ。是非そうしましょうっ……!』
全てを凍り付かせるような冷たい笑みを浮かべたリーゼは、名案だとばかりに指輪に魔力を込め始め、それは正に一触即発。車内は一瞬にして騒然となる。
御者の青年はこれから起こり得るであろう修羅場を機敏に感じ取り、馬車を道端に止めると一目散に避難を始めた。
ジードとエレナは二人掛かりで、やっとのことジルヴェルトを車外へと連れ出すと、その隙にガンズがリーゼを必死に宥めだす。
一時はどうなるかと、帰還も危ぶまれた道中ではあるが、最終的にジルヴェルトが馬車の屋根に陣取り移動する事で、話はどうにか一段落を迎える事となった。
彼曰く『こんな女の面ぁ拝むくれぇなら、雨に打たれた方が百倍マシだ』との事だ。
残りの行程は、やけに広くなった車内に、場を取り繕うようなガンズの発言が虚しく響くばかりの、何とも寂しいもので。いつしか雨も止んだと言うのに、車内はそれ以上にどんよりとした空気のまま、遂にカリバの門をくぐり抜けてしまう。
こうして、一悶着も二悶着もあった、ジードとエレナの初めての冒険は、なんとも締まらない形で終わりを迎え、ガンズとの旅も残すところ解呪だけとなるのであった。




