お仕置き
レミンが楽しそうに領外の空を飛び回り始めてから十分ほどが経過し、エレナはそろそろ痺れを切らしていた。
「ねぇーレミーンっ。もう行くよー?」
「えー。エレナも一緒に飛ぼーよー!」
普段以上に身体のキレが良いレミンは、様々な曲技飛行を披露してもまだ物足りないようで、一応下りてきたものの唇を尖らせながら相棒を誘う。
「今は駄目っ! いつ魔物が来るかわからないんだよ? ねっ、ガンズさんっ」
「――おっ? あ、あぁ、そうだな」
二人に領外の危険性をしつこくと聞かせたのはガンズだ。しかしこの辺りには、危険な魔物がそうそう出ない事を知っている為、レミンの繰り出す妙技に心の中で喝采を送っていたガンズは、突然同意を求められ内心焦っていた。
「ちぇーっ……わかったよーだ」
レミンは文句を言いながらも渋々エレナの肩に着陸する。
「あたしも飛びたいけど魔物に見つかったらいけないから我慢してるの。だからレミンもお願いっ。ねっ?」
「うーん……仕方ないから、我慢するよー。でも、人間はいないしお外は出てていーでしょー?」
レミンはぐいっとエレナ頬を寄せながらおねだりをする。エレナの返事は聞くまでもなく決まっている。
「うんっ! もちろんっ!」
「えへへー。久し振りにずーっと一緒だねー!」
「そっか、人目を気にしなくて良いんだよな……」
何とも微笑ましい女子二人の会話を聞いてきたジードはぽつりと呟き、自身の体内に宿る鬼に念話を送る。
『なぁヴォルフ! ヴォルフも久しぶりの結界外だ、もちろん出るだろっ?』
『あぁ、そうだな。久方振りに外の空気でも味わうとするか』
『よしきた! 少し待っててくれよなっ!』
異様に素直なヴォルフの返事にジードは思わず頬が緩むのを感じながら、迅速に媒介となる魔力体を作り出す。その様はもう手慣れたもので、あっと言う間に仮初めの身体が出来上がりだ。
ジードは手の平に出来上がったそれを満足気に眺めると、身体からヴォルフが抜け出てゆく感覚にそっと目を閉じる。
「…………。薄いとは思っていたが、まさかここまで薄いとはな」
ヴォルフは魔力体に意識を移した途端に眉根を寄せ、開口一番で文句を垂れるが、その表情はどことなく嬉しそうにも見える。
「薄いって魔力がか?」
「そうだ。お世辞にも魔力が濃いとは言い難いだろうな。しかしまぁ、そこの妖精の言う通り、中よりかは身体が軽いのは間違いないがな」
不満を口にするヴォルフではあるが、それなりに気分は良いのは間違いないようで、素直に表に出て来たのもこれが理由だろう。
「出たなっ、ちび鬼!」
「おい、寄るな。馬鹿が移ったらどうする」
「むっかー!! やっぱり退治してやるー!!」
姿を表したヴォルフに気付いたレミンが、嬉々として絡みに行くが足蹴にされて怒り出す。それはもう、随分と見慣れた光景となったものだ。
「ほーら、レミン。ちゃんとあたしのそばにいて? ねっ?」
空中でぷんすかしているレミンを困った笑顔のエレナが捕まえると、宥めるように自身の胸に抱き抱える。
「むぅぅ……やーいやーい、あたまでっかちー」
「なんだと……?」
「べーだ、ヴォルフなんかぜーんっぜん怖くないもんねー!」
決してヴォルフは、今の魔力体の造形に納得しているわけではない。
ヴォルフの熱望により、ジードは幾度にも渡り元の身体に近い魔力体を作成しては、運用を試している。しかし何故か、何度やってもうまくいかず、結果として今の媒介が一番自由が利くために甘受している状態なのである。
因って、最近はレミンの事をあしらうことが多くなっていた鬼も、今の発言は許容外だったようだ。
「…………。やはりこいつは黙らせておかねばならぬようだな……」
その魔力体でどうやったらそんな顔が出来るのかと言うほど恐ろしく顔を歪めたヴォルフは、溢れ出す魔力で髪を揺らめかせながらジードの肩を蹴った。
妖精にお仕置きをすべく、弾丸のように宙を切り肉薄する鬼の身体のキレは、以前とはまるで比べ物にならない。
激突まであと数瞬――――。危険を察知し、じたばたともがくレミンはいまだ腕の中。ヴォルフは狙いを眉間に定め、構えた指へと力を込めた。
「ほーらっ、喧嘩は駄目よ?」
「――なにっ!?」
直撃の寸前、脇から出て来たエレナの手に腕ごと弾かれたヴォルフは体制を崩し、その勢いのまま不覚にも彼女の腕の中。
なにも動きのキレが増しているは、ヴォルフだけではないのだ。むしろ適性濃度が低いエレナの方が、この場での恩恵は大きいと言える。
「ぐっ……またこれか……」
しかも今度は、まさかのレミンと纏めて抱き抱えられる事となってしまう。
「さっ、進みましょっ」
少女は鬼と妖精を抱えたまま、満面の笑みで男二人に出発を促すと軽快な足取りで歩き出す。
慌ててエレナを挟むように並んだジードとガンズは、喚く鬼と妖精を見ると揃って困ったような顔をするが、決して声を掛けるような事はしない。
「お、おい! 待てっ! 離せっ!」
「そーだよ! なんでレミンがちび鬼とくっつかなきゃいけな『もう……そんなこと言わないのっ』――ふぎゃあっ……!」
レミンとヴォルフが抵抗すればするほど、エレナの抱き締める力は強さを増していき、不本意ながら二体は頬を寄せ合う状態に陥ってしまう。
「おいっ、ジード! 早く助けろっ!」
ヴォルフは堪らず宿主へ助けを求める。
「わ、悪いヴォルフ……俺には無理だ……」
しかしジードは諦観しているような表情で、決して目は合わせず、あっさりと降参宣言をする。
「――貴様ぁ……協力関係はどうしたっ! 犬っころは必死に助けておいて、オレの事は放置とは一体どういう了見だっ!!」
「いや、だって……ヴォルフが自分から飛び込んで行ったんじゃんかよ……それに、取って食われる訳じゃないんだしさ……なっ……?」
声を荒げ非難するヴォルフに、眉尻を下げたジードが頻りに目で訴える。
つまりジードはこう言いたいのだろう。
「邪魔したら何をされるかわかったもんじゃない。殺される訳じゃないんだから我慢してくれ」と。
正に『触らぬにエレナに祟りなし』な訳だ。
当の本人は言葉の意味を知ってか知らずか、満足そうに何度も首を縦に振っている。
「そうね、これは言わばお仕置きなのよ。仲良く出来ない二人が悪いの。だから……甘んじて受け入れなさい? ね?」
こちらは尤もらしい事を述べているが、エレナの緩みきった顔を見れば、存分に私欲にまみれているのは明らかだ。
「――あっ!! そーだっ、レミンは戻れるんだったー! じゃあねーばいばーい!」
捕らわれている必要の無いことに気付いたレミンは、ヴォルフを残し一目散に体内へと避難する。
「あっ! もうっ……レミンったら……」
「おい、逃げるのか貴様っ!」
置いてけぼりを食らったヴォルフは吠える。しかし、返事が返ってくるはずもない。
「覚えておけよぉ……この、裏切り者共がぁっ!!」
捕らわれの鬼が怒りの咆哮を響き渡せる。
幸か不幸か、その怒号を聞きつけた近辺を彷徨いていた魔物達は、本能的に危険を察知し我先にと逃げ延びていく。
これにより一行が魔物に遭遇するのは、もう暫く先の事となるのだった。
***
結局ヴォルフがエレナの元から解放されたのは、拘束から実に三十分ほどが経過した頃だった。
理由は簡単、少し離れた草原地帯を人型の巨大な魔物『トロール』が徘徊していたからである。
一刻も早く腕の中から抜け出たい鬼は、いち早く魔物の接近を察知し、少女にその存在を知らせた。
ヴォルフの魔力の察知範囲はかなり広く、見通しの良い草原でもまるで姿が見えない時点で既に姿を捕捉していた。トロール自体の魔力量が多いと言うのもあるが、エレナには全く感知出来ないようであるにも関わらずだ。
それから暫く、始めは取り合わなかったエレナだったが徐々に強くなっていく魔力をようやく感じ取り、身を切る思いでヴォルフを手放すのだった。
「ジードっ! 身体強化だっ!」
「――えっ? お、おうっ!」
晴れて自由の身となったヴォルフは唐突に、魔力を用いた身体強化をするようジードへ促す。
当たり前のように要求されたジードは何も疑う事無く、鬼の魔力を纏い万事に備える。ヴォルフの濃金の瞳がギラリと光った事に気付かないまま……
ヴォルフは自らが魔物の接近を知らせたにも関わらず、トロールには一切目もくれずにジードだけを見据え一目散に詰め寄る。そして、
「このくそったれがぁっ!!」
ジードの腹部に手加減無しの強烈な飛び蹴りをぶち込んだ。
「――ぐはぁっ!!」
もし彼がただの人であれば、今ここに裏切り者の姿は残って居なかっただろう。
流石は鬼の力を宿す憑依者。その魔力で強化された肉体の強度は折り紙付きである。
「がはっ、ごふ、ごほっ……いってぇ…………。おい、ヴォルフっ!何すんだよ!」
それでもやはり痛みはあるようで、うずくまるジードが涙を滲ませながら抗議の声をあげているが。
丁度この時、騒ぎに気付いたトロールが雄叫びを上げ、ジード達を目掛けて鈍重な体で走り始めた。
しかし、いくらトロールが迫ってこようが、やはりヴォルフには関係無いようで、
「ふんっ、オレが感じた苦しみはこんなものでは無い。お前にも同じ分だけ味わせてやろうか……?」
定位置が使えない為、ヴォルフはガンズの肩の上に飛び乗り、なんら悪びれた素振りもなくジードを睨みつける。
「それは悪かったって……! でも、いきなり蹴っ飛ばさなくたって良いだろっ?」
「うるさいっ! 言葉だけで腹の虫が収まるかっ! 一度ならず二度までも……オレがどんな思いでいたかわかるか……? この薄情者がっ!!」
「うっ…………」
悲痛な声でそう言われてしまうと、ジードも流石に心が痛くなり、何も言い返せず口を噤んでしまう。
そうこうしている内にも、トロールは着実に迫ってきていた。近付くに連れて重い足音が辺りに響くようになり、遂にその巨躯の全容が明らかになる。
緑色の肌にゴブリンに負けず劣らずの醜悪な顔立ち、身の丈は三メートルは優に越え、樽のようなでっぷりとした体つきは仮に剣で斬りつけても、致命傷へと至らしめるのは困難を極めるだろう。
そしてその丸太よりも太い腕には、人よりも大きな棍棒が握られていた。
更には、トロールの遥か後方からゴブリンの群までもが姿を見せ始めていた。おおよそではあるが数にして二十匹ほど。その内半数以上が石槍のような武器を携えている。
ゴブリンの乱入に気付いたガンズが遂に口を開く。
彼もまた、触らぬ鬼に祟り無しを決め込んでいたが、流石に悠長な事を言っていられる状態では無くなってしまったからだ。
「あの、ほら…こんな時に悪いんだが、先に魔物をなんとかしたいんだ。その方がゆっくり話せるだろうし、話は後にしないか? なっ?」
ヴォルフの怒り心頭具合を間近でひしひしと感じているガンズは、間違っても油を注がないよう極力下手にお伺いを立てる。
「ふんっ、その必要はない。すぐに終わらせてやる」
「そ、そうか……わかった……」
すぐ終わるのなら、と仕方なく了承し待つ事にしたガンズは、ヴォルフを肩に乗せたまま思考を巡らせる。初陣の二人を連れて多体少での戦闘となると、簡単ではないからだ。
ゴブリンでも舐めて掛かれば数に圧倒されてしまうし、トロールの剛力も決して侮れない。
なんにせよ、厳しい戦闘になるのは否めないだろう。
「よくもオレの前にのこのこと現れたな。灰も遺さず燃やし尽くしてやろう……!」
「へっ……?」
ガンズは大きな勘違いをしていた。
ヴォルフが終わらせるのは話ではなく、魔物達の命の方だったのだ。
ヴォルフは見下したように瞳を細め、迫り来る魔物の群を見据える。
それから暫く、ゴブリンがトロールを追い抜こうと左右に割れ最も一塊となった瞬間、ヴォルフは細めていた瞳をかっと見開いた。
すると激しい地揺れが起こりトロール達の足元が突然崩れ始める。かと思えば、次いで地面から黒炎が噴き上がったのだ。
「「「――!!」」」
謎の事態に魔物達は悲鳴を上げるが、その声は轟々と立ち上がる黒の火柱に掻き消されていく。
魔物達を纏めて飲み込んだ火柱は、物凄い勢いで燃え盛り全てを焼き滅ぼすと、途端に火力を弱め一瞬にして消え失せる。
後に残ったのは焼け焦げた大地だけで、魔物達は宣言通り灰すら遺すことなく燃え尽きていた。
「や、やり過ぎだったんじゃないか……?」
「ふんっ、ゴブリンは見かけ次第即処分するとオレは決めている。あのような低俗な存在が、末端とは言え鬼族に席を置いているとは、許し難い事だからな……」
明らかに過剰威力だったのはきっと八つ当たりで、腹いせで火力を上げたに違いない。なによりも災難なのは巻き込まれたトロールなのだが。
「さて、話の続きだ。覚悟は出来てるだろうな? 宿主様よぉ……?」
世にも恐ろしい笑みを浮かべた鬼の瞳が少年を捉える。
どうやらゴブリンを焼き払った程度で怒りは収まらなかったようである。




