死してなお
「この魔力はなんなの……さっきとまるで違うじゃない……」
「俺でもわかる……これは確実にヤバいやつだ……」
絶命した筈のコカトリスを覆うように溢れ出る黒の魔力は、エレナ曰く鈍感であるジードまでもを震え上がらせる。
「一体何が起こっているんだ……」
魔物への変異、絶命後の黒の魔力と、ガンズは度重なる不測の事態に全く理解出来ず、今し方仕舞ったばかりの大剣を再び構えると、頭を抱えたくなる思いでコカトリスを警戒する。
『ふんっ。なるほどな。死怨の呪いか。如何にも下衆な、あの女らしい選択だ』
『――ヴォルフっ。何が起きているのかわかるのかっ?』
事の発端から経緯、首謀者まで、粗方を理解したヴォルフから、蔑んだ口調で念話が飛ぶ。その言葉は、今のジード達にとって一条の光に他ならない。
『あれは死怨の呪いと言って、死した直後に発動する。動く屍として再度戦わせる為の呪いだ。力は増幅し、痛覚と生存本能が削がれている。ガンズでは先程より手間取るだろうな』
しかしその言葉には、希望ではなく絶望が付帯されていた。
「ガンズさん……あれは死怨の呪いって言うのが発動してるらしい。さっきより強くなるってヴォルフが……」
ヴォルフの前途多難な物言いに、ジードは不安げに眉を下げながら伝えにくそうに口を開く。
「そうか、わかった。お前達は部屋の外へ下がっていてくれよな」
ガンズは手にした大剣の柄を音が鳴るほど強く握り締めると、緊張を存分に含んだ余裕の無い声色で二人に退避を促す。
ジードとエレナは素直に従うと後退りで部屋を離れる。扉は開け放たれているのだが、如何せん廊下が狭い為、前後にずれて並び立つ二人の位置からは、部屋の全容を目視することは困難となってしまった。
揺らめくように溢れていた黒い魔力は、次第に収まりを見せ始める。それに合わせるように、雄鶏の肩口から腹にかけての、骨が露わになるだけのばっくりと裂けた傷口は、時を巻き戻したかの如く塞がり始め、ほんの数秒後には完全に元通りとなりコカトリスは生命活動を再開する。
また時を同じくして、分断されていた蛇の頭部は、胴体に引き寄せられるかの如く黒い魔力に運ばれていき、寸分違わず切断面が重なり合って数瞬――何事も無かったかように息を吹き返した蛇は、首を持ち上げ辺りを見渡すと宿敵を視界に捉え、大きく口を開き牙を見せ付ける。
「――――――っ!!」
コカトリスの怨恨のこもった咆哮を皮切りに、再戦の火蓋は切られた。
コカトリスは全身を覆っている黒い魔力を両翼に移し、勢い良く両翼を振るう。
魔力により強化された翼から繰り出された突風は、床に転がる崩れた石壁の瓦礫や家具を巻き込み、ガンズの元へ雪崩のように押し寄せる。
「――くっ」
立っているのも困難な程の突風の中、次々と飛来するそれらを多少の被弾は覚悟で、大物だけは躱し、受け止め、辛うじて捌ききると、続くは蛇の連撃だ。
初戦より遥かに鋭く重い突撃が、休む事無く縦横無尽にガンズへと降り注ぐ。突撃、引き、突撃までの間隔が異様に短くなっている為、大剣で受けるだけが精一杯のようで、反撃の糸口などまるで見出せていないようだ。
「くっ……」
更に迫り来るコカトリスの本体。蛇の怒涛の連撃の間に、頭蓋を貫きそうな勢いで鋭い嘴を突き立てる。
それを一身に受けるガンズは、身の丈ほどの大剣をまるで短剣を使っているかの如く軽やかに動かし、凶悪な一撃を全て防ぎきっていた。
しかし相手は呪いにより強化された身、際限のない体力を前に防戦一方で、戦況を打破出来る筈もなく、
「――ぐはっ……」
暫く続いた攻防戦も終わりを告げる。
雄鶏の横から振り抜かれた翼撃を、迂闊にも大剣を身に沿わせ受け止めてしまったガンズは、水平に吹き飛ばされる。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
吹き飛ばされる中、咄嗟に大剣を床に突き立て勢いを殺したガンズは、壁に衝突こそしたものの致命傷には至らず。
そして吹き飛ばされた壁際には期せずして、先程投げ捨てられた『氷結のダガー』が転がっていた。
「ま、まだまだぁっ!」
起死回生の一手を見出したガンズはしゃがみこみ、床で泣いていたもう一つの愛剣を拾い上げると、そのまま勢い良く床に突き立てる。
瞬く間に床を氷が侵食していき、忽ちち戦闘の舞台は氷上へと姿を変えていく。
ガンズは大剣を杖に立ち上がると、上がりきった息を抑え平然を装い、薄ら笑いを浮かべると右手を突き出し手招きする。実にわかりやすい挑発だ。
「ほら、掛かってこいよ……」
「――――っ!」
言葉は通じなくとも、存分に意図は伝わったようである。いきり立ったコカトリスは怒りの雄叫びで窓を震わすと、ガンズに詰め寄ろうと勢い良く床を蹴った。
摩擦抵抗の極端に少ない氷の床を力強く蹴ればどうなるか――――答えは明白だろう。
二歩目にしてコカトリスは転倒し、尾の蛇を下敷きにしたまま惰性でガンズの元へ滑走を始める。
「うおぉぉぉっ!!」
正に思惑通り、待ってましたと言わんばかりに振り上げた大剣を、滑り来るコカトリス目掛けて豪快に振り下ろす。
頭蓋を砕かん勢いで繰り出された一撃は、咄嗟に身を捩ったコカトリスの嘴を根元から切り飛ばして尚勢い劣らず、続けて右翼中程から先を骨ごと切り落としてみせた。
既に大量出血を経た体からは、明らかに致命傷といえる切断面からすら血を滲ませる事もない。そして、悲鳴の一つも上げないコカトリスは本当に痛覚も残っていないのだろう。
「――――――――っ!!」
しかし、痛みはなくとも感覚が無くなるわけではなく、自身の体を一度ならず二度までも傷付けたガンズに対し、溢れんばかりの憤怒がこもった咆哮を浴びせると、尾の蛇がうまく身動きの取れない本体を押し退け飛び出してくる。
怒りで我を失っている蛇は、手当たり次第、見境なしに暴れまわり、ガンズに襲い掛かりながらも壁を、柱を次々に破壊していく。
「――おいおい……それは不味いだろ……」
蛇の怒り任せの攻撃を防ぐ最中、嫌な音を立てながら崩されていく壁、支えを失った事で今にも崩落しそうな天井を目の当たりにすると、ガンズは一瞬にして顔を青く染め、
「ジードっ! ダガーを使ってエレナちゃんを守れっ!!」
自身では決して間に合わない事を悟り、有ん限りの力で声を張り上げ、姿の見えぬジードへと指示を飛ばす。
間もなくして崩落が始まった天井に、頭部だけは死守せんと両腕を上げるガンズはそう時間もかからず瓦礫の山へと埋もれていき、それを誘発したコカトリスもまた同様に、瓦礫の底へと沈んでいくのだった。
***
時は僅かに遡り、ジードとエレナが廊下へ退避してからほんの暫くが経過した頃。
いつでも駆け付けられるようにと、耳を澄ませ、開かれたままの扉の間から時折見えてくる、ガンズとコカトリスの戦闘を注意深くを窺っていたジードに、ヴォルフからの念話が不意に届く。
『あの売女め……よもや、他の生物に魔物を憑依させる術まで得ていたとはな……』
『ちょ、ちょっと待ってくれっ。さっきの犬が憑依者だったって事なのか……?』
忌々しそうに告げられた、耳を疑いたくなる事実にジードの心中は穏やかではない。
『そうだ。どういうつもりかまでは分からぬが、あの女に呪いと合わせて押し付けられたのだろうよ。瞳に魔力を通して奴を見てみろ。中にちっぽけな魂が揺らいでいるのがわかる筈だ』
ヴォルフに促されたジードは、即座に瞳に魔力を宿す。魂すらも視認する事の出来る濃金の瞳でコカトリスを捉えると、僅かに眉を寄せ目を細める。
『本当だ……コカトリスの中であの犬はまだ生きているって事か……』
禍々しい巨大な黒の中に、今にも消えてしまいそうなほどの極小の白い光が、その輝きを強弱させて必死の抵抗を試みているように見える。
『そういうことだろうな。……おいジード、深く考えるなよ? 人と犬、どちらも救おう等とは、土台無理な話だ』
『わかってるよ……俺にはそんな力はない事くらい……』
ジードの心中を敏感に察したヴォルフは、予め釘を刺す。一方、ジードはジードで、それが無謀な願望である事は重々承知しているようだ。
『でも……』
承知した上で少年は、自らの体内に宿る最強の鬼に――不可能を可能にする圧倒的な力を持つ鬼に――理不尽を理不尽で以て征する鬼に――懇願する。
『でも、それでもっ! 目に見えものは、手の届きそうなものは助けたいんだよ! ヴォルフ頼むっ。力を貸してくれっ!』
『ふんっ、とんだお人好しだなお前は』
ヴォルフはジードの懇願を鼻で笑い、一蹴するかと思いきや、
『…………。まったく、本当に手の掛かる宿主だな。身体を貸せ』
何だかんだで甘いヴォルフは、素っ気ない物言いでジードの願いを受け入れる。
「――ありがとう」
ジードは念話ではなく口で感謝を告げ、瞳を閉じる。最大級の感謝を念ではなく、言葉にして伝えたかったからである。
後ろ隣に並ぶエレナは突撃のジードの奇行に怪訝な顔をするが、それを尋ねる前に大きな衝撃を伴い家が大きく揺れ、居間の方から異常なまでの倒壊音と、ガンズの張り上げた声に意識を奪われる。
「ジードっ! ダガーを使ってエレナちゃんを守れっ!!」
ガンズがそう言うが早いか、家中の壁全体に亀裂が走る。たちどころに天井は崩落を始め、即死級の重量物が二人の頭上に降り注ぐ。
ガンズの言葉の意味と現状を咄嗟に繋ぎ合わせたエレナは、頼みの綱となるジードに意識を向け直すとそこには、
「ふんっ、これくらい雑作もない」
「――ヴォルちゃんっ」
人の身を借りた鬼が、不敵な笑みを浮かべていた。
ジードと入れ替わったヴォルフは、崩れ落ちてくる天井にちらりと視線を向けると、慌てる様子もなく右手を開いて天井に掲げる。すると、崩落物は跡形もなく一瞬の内に消滅していく。
ずんぐりとした男の家は元の面影を残すことなく、その殆どが瓦礫と化し、安全と言える所はヴォルフを軸とした直径約一メートルだけだ。
見晴らしの良くなった辺りには、ガンズの姿もコカトリスの姿もなく、仲良く瓦礫の下敷きと言ったところだろうか。
離れた位置で見張りをしていたディルク、アルノー、エドガーは口をあんぐりと開け呆然と立ち尽くし、ずんぐりとした男に至っては、我が家を失った絶望に打ちひしがれている。
「ガ、ガンズさんっ!」
「案ずるな。ガンズも鳥も死んではいない」
下敷きとなってしまったであろうしたガンズを探しに、今にも飛び出しそうなエレナをヴォルフが制する。
「でもっ――」
「――――ぶはぁっ、がはっ、がはっ……」
納得のいかないエレナが、ヴォルフの制止に反論すべく声を上げるが、言い切る前に瓦礫の山を掻き分けてガンズが顔を出す。
「ガンズさん……」
「……だから言っただろうが。いいか? お前はそこで待っていろよ?」
早速自らの言ったとおりになったヴォルフは、安堵の息を吐くエレナに軽く溜め息を一つ。その場での待機を命じると、瓦礫を踏みしめガンズへと近寄っていく。
「――――――っ!!」
途中、コカトリスも後を追うように瓦礫を盛大に吹き飛ばし、その巨躯を再び露にするが、ヴォルフは一向に構う様子もなくガンズの前へ。
「お前もなかなかにしぶとい男だな」
「ジ――ヴォルフか……」
下半身は瓦礫に埋もれたままのガンズは、ヴォルフへの入れ替わりも肌で感じられないほどに満身創痍で、額には大量の血が伝っている。
これ以上の自力での脱出は、どうにも困難なようである。
「後はオレがやる。お前は下がっていろ」
瓦礫の上に立ち、ガンズを見下ろす形のヴォルフが、彼の動きを阻害しているであろう巨大な瓦礫を足で軽く小突くと、それは忽ち無に帰する事となる。
お陰でようやくの自由を拾ったガンズではあったが、残念ながら左足の膝から先が在らぬ方向へ向いているのを鬼はちらりと確認すると、
「まったく……手の掛かる奴らだ……『ヒール』」
溜息混じりに右手を差し出し、ガンズの頭上から回復を促す波動を浴びせる。
暴力的かつ優しさも内包した、なんとも矛盾した魔力の光が降り注ぎガンズの全身を包み込むと、その自信に溢れた言動に見合った効能を遺憾なく発揮し、瞬くまま間に完治を齎した。
「さ、流石だな……感謝する……」
「動くようになったのならば、とっとと行け。巻き添えを喰っても知らんぞ?」
そう言ってる間にもコカトリスは、新たに現れた標的ヴォルフを射程圏内に収め、ガンズ諸共噛み殺さんと尾の蛇が牙を見せる。
コカトリスに欠片でも理性が残って居たのならば、間違ってもこの鬼に敵意を示さないであろうに、死怨の呪いはそれを許さない。
呪われたコカトリスは目の前に現れる敵を、自らの存続を厭わず襲い掛かるしか選択肢は残されていないのだ。
「す、済まない……後は頼んだ……」
背後から猛烈な勢いで迫り来る蛇を確認もせず、いとも容易く裏拳を浴びせ弾丸のように吹き飛ばしたヴォルフに、ガンズは頬を引き攣らせながらおもむろな動作で立ち上がり、不安げな表情を浮かべるエレナの元へ。
ヴォルフは二人が安全な場所まで避難したのを確認すると、初めてコカトリスへと身体を向ける。
「己が力量も量れぬ愚かな者よ。実に哀れだが情けは掛けん。怨むのなら貴様の魂を弄んだ者を怨むがいい」
瓦礫の山へと舞台を変え、ヴォルフの蹂躙劇が始まろうとしていた。
ご覧いただきましてありがとうございます!
次回でコカトリスとの戦闘は終了となります。
ヴォルフさんが出てきたので、結果は言わずもがなですが……(^^;)




