魔法薬師
昨晩、アメリアが帰った後すぐに、エレナがバルドゥルを追うように部屋に戻ってきた。
エレナはどうやら、ガンズを呼びに行こうにも場所がわからず、仕方なく宿屋の一階で戻ってくるのを待っていたのだが、当人はそれに気付かず慌てて二階へと上がってしまったようだ。
バルドゥルはガンズに明日の午前中までに状況把握後の報告を命じると、意気消沈しているジルヴェルトを引き連れて部屋を後にする。
その後、恐怖の笑顔を貼り付けたガンズの尋問、及びお説教が幕を開ける。
日付が変わろうかという頃、瞳を充血させたガンズが開拓者支部に向かったのを皮切りに、二人はやっとの事で寝床にありついたのたが、ガンズの夜がこれで終わらないのは言うまでもなかった。
***
そして翌朝、無慈悲にも朝の訪れを告げる太陽を、ジードは恨めしそうに睨み付ける。
壊れたままの窓からは、清々しい朝日がこれでもかと差し込み、ジードを夢の世界から引きずり出したからだ。
ちなみに、壊れた窓と壁に空いた二つの穴の修繕費については、開拓団で負担する事となった。
というのも、アメリアの所属する憲兵団に請求を回すと、せっかく不問となった話が蒸し返されかねないからである。
目蓋を擦り、ベッドの上でもぞもぞと布団の中に潜り、再び眠りに落ちようとするが、横から伸びてくる腕がそれを許さない。
「こら、起きろ。寝るんじゃない」
「まだ眠いよ。もう少し寝かせてくれ……」
「馬鹿言うな。俺なんて帰って来た時にはもう、うっすら明るくなってたんだぞ……」
ジードは眩しさに目を細めたまま、布団と二度寝という快楽を奪い去ったガンズを見やり、渇いた喉で抗議の声を上げる。
しかし、文句を言った側よりも、言われた側の方が血色も悪く、目の隈も酷い為、どちらが睡眠が必要かと言えば、間違いなくガンズの方だろう。
「後少しだけで良いから……」
「ったく……先にエレナを起こしてくるから少しだけだぞ」
結局は甘いガンズが呆れた顔で告げると、ジードは片手をかるく上げて返事をして、丸くなってしまう。
ガンズは軽く嘆息を零し自らの部屋を出ると、エレナが寝泊まりしている部屋の扉を軽く叩く。
「おはよう。起きてるかい?」
「起きてるわ。どうぞ入ってちょうだい」
ガンズは部屋の奥から声が返って来たのを確認すると、おもむろに扉を開ける。
ガンズの視界に入ってきたのは、部屋の奥で椅子に腰掛けたエレナの髪を、レミンが器用に結んでいる所だった。
「忙しい時にすまないな。早く朝食を食べたら出発したくてな」
「ううん、あたしは座ってるだけだから」
「はいっ、でーきたっ! うんっ、今日も完璧っ。エレナはいーっつも可愛いねぇ」
任務を遂行したレミンはエレナの周りをぐるりと一周すると、うんうんと頷きながら誉めちぎる。レミンの様子からするに、きっと二人の日常の一幕なのだろう。
「もうっ……」
しかし、エレナは人前で誉められたのが恥ずかしかったのか、顔を僅かに赤らめてしまう。
「あれー? そー言えばジードはー?」
自分の仕事を終えたレミンは、その時初めてガンズの横にジードが居ないことに気付く。
「あぁ、あいつはまだ寝てるよ。起こしても、なかなか起きなくてな……」
「しょうがないなー。レミンが起こして来てあげるよー」
次の任務を得たレミンはご機嫌に飛び上がると、開け放たれた窓の隙間から建物の外に出て行ってしまう。
ガンズは無性に嫌な予感が走り、念の為自室を覗きに行こうかとしたが、時すでに遅し。
「ぐへぇっ」
部屋の壁越し間抜けな悲鳴の後に、振動と共に鈍い音が響いてくる。恐らくベッドから落ちたのだろう。
「やられたみたいね……」
「そうみたいだな……」
ジードの災難に二人は苦笑いを浮かべあう。
「――あっ、そうだ! 相談があるの!」
「ん? どうしたんだい?」
エレナは唐突に何かを思い出したようで、一度両手を叩き合わせると、ガンズへ声高に話し掛ける。
「レミンがここのご飯を食べたいって、騒いで大変だったの。何か方法ないかしら?」
「んー……正直に頼めば、恐らく作ってくれるとは思うが……」
「――えっ!? 本当に?」
ガンズの予想外の返答に、エレナは思わず椅子から立ち上がってしまう。
「あぁ、カリバの住人は他の村よりも、魔物という存在に慣れているし、憑依者への理解もある。だからもっと気楽にしてて良いんだぞ」
「そっか……ここでは、あの目を向けられなくて済むのね」
目を閉じ、静かに浮かべたその笑顔は、少女とは思えない愁いを帯びていて、剰りにも儚げだった。普段は強がっているが、その裏でいったいどれだけの涙を飲んできたのだろうか。
憑依者という理由から、故郷の村で長い間冷遇されてきたエレナの心の傷は、簡単に癒えるものではない。
それでもガンズは、少しでも気持ちが軽くなるよう切に願い、エレナへ笑顔を送る。
「あぁそうだ。なんたって昨日会った開拓団の支部長と、憲兵団の近衛隊長も憑依者だしな」
丁度ガンズが言い終えた時に、部屋の扉が音を立てる。
二人が音の発生源である扉へと視線をやると、不機嫌そうに顔を歪ませたジードが、やたらと偉そうに腕を組んでいるレミンを肩に乗せ、寝癖もそのままに部屋に入ってきた。
「おっ、やっと起きたのか」
「そりゃ突然、腹に飛び乗って来られれば、誰だって起きるだろ……」
寝起きだからか、不機嫌だからか、ジードはやたらと低い声でガンズに返事を返す。
「ジード、ごめんね? もうっ、レミンは何をしているの……?」
「んー? ちび鬼の真似だよー? まったく、見てわからんのか!」
「「………………」」
顎を突き出し、やたらと程度の低いものまねを披露したレミンに、ジードとガンズは言葉を失う。
「……さぁ、朝食にしましょうっ! ほらっ、レミンはこっちにおいで? あなたの分もご飯頼んでみるわ」
「わーい! やったぁー!」
エレナは場を取り繕うように声を上げ、逃げるように部屋を出て行ってしまう。
二人は何とも言えない面持ちで後を追い、一階へと下る。
その間、幾度と無くヴォルフから怒りの念話が届いていたが、ジードは聞こえない振りに徹するのだった。
***
「今後の予定だが、まずは呪いの解呪をする。それが済んでから開拓者としての登録だな」
朝食を取っている最中、ガンズが二人に今後の方針を告げる。
今日の朝食は、一口大のパンの中身をくり抜いて、細かく刻んで炒めた野菜や肉を詰め込み
軽く油で揚げた、これまた目新しい料理が、蔓で出来た大きなバスケットにこれでもかと入っている。
宿屋の主人の好意によりレミンも無事食事にありつくことが出来、自分の頭よりも大きいそれを一つ丸々平らげた彼女は、満足したのかエレナの体内に戻っていった。
「よし、早く呪いを解いて開拓団支部に行こうぜ!」
ジードはパンを取って、一口で放り込むとガンズに進言する。
「そのことなんだが、少し問題があってな……解呪に必要な神聖属性の魔石が、市場で品薄状態らしいんだ」
ガンズは難しい顔で告げた後、同じくパンを一つ取り、そのまま口の中に投入する。
一方エレナは二人とは違い、手に取ったパンを自らの皿の上で小さく切り、少しずつ食べている。どうやら食事中とあって、今は二人の話を聞きに徹するつもりのようだ。
「えっ? もし、どこにも無かった場合はどうするんだ?」
「市場に出回るのを待つか、神聖属性の魔力を空の魔石に直接吸わせるかの二通りだな。」
「出回るのなんて待ってなんて居られるかよ。魔石に吸わせる方にしようぜ! どこに行けば良いんだ?」
念願の開拓団が目前とあってか、ジードは逸る気持ちを抑えられないようである。
「待て待て、そう簡単な話ではないんだ。魔力を回収しに行こうにも、そこは往復で早くても八日は掛かる。魔物も頻繁に現れるし、そこまでするなら待っていた方が早いかも知れない」
「なら、他にはないのか……?」
諦めきれないジードは食い下がる。
「ある事はあるんだが……幻獣種と呼ばれる魔物を討伐して、亡骸から直接魔力を回収するかだが、そもそも幻獣種なんて、会おうと思って会えるもんじゃない。あ……いや、うん。やっぱり、大人しく待つしかないと思うんだよな」
「ガンズさん、今なんか言おうとして止めただろっ?」
ジードはガンズに怪訝な目を向ける。
「そ、んな事ないぞ……? 兎に角だ、まずは魔法薬師のカミラさんの店に行ってみてからだな!」
「…………わかったよ」
あからさまに話を逸らすガンズの態度から、ジードはこれ以上の追及は無駄だと悟り、腑に落ちないながらも口を噤むのだった。
***
三人が食事を終えた後、揃って店主に感謝の意を伝え店を後にする。
一行が向かうのは開拓団支部を過ぎ、領主城を挟んだ街の北側、魔法や魔物の研究施設が多く建ち並ぶ地帯だ。
現在はガンズを先頭に、ジードとエレナは横並びで追う形で歩いていた。
「昨日も人が凄かったけど、今日はもっと凄いな……」
「ちょっと! 前見て歩かないと危ないわよ」
足を止めることはないが、興味深そうに道行く人々や店舗を見回しているジードに、エレナが釘を差す。
実際に危うい場面も何度か見受けられたのだが、幸いにも相手方が気付いて避けてくれていたので、何事も起こらず済んでいると言ったところだ。
「大丈夫だって! 用事が済んだら行ってみたい店を、予め目星を付けとくんだよ」
しかし、浮き足立っているジードには効果は見られないようだ。
「あの先にある、白い建物が開拓団カリバ支部だぞ」
「あれが……」
ガンズが指差した先には、灰色や赤茶色の建物が建ち並ぶ中に、堂々と佇む純白の建物が威光を放っていた。
「お城と同じで真っ白なのね」
「国営の施設は全て同じ石材で建造されているんだ。なんでも、魔法を吸収する自衛魔法が付与された石材らしいぞ」
ガンズが前を向いたまま答える。
「そんな魔法もあるんだ。空にはあのアメリアって人がいて、壁には自衛魔法で、正に難攻不落ね」
エレナはそう言って大分近くなった城を見上げる。
「でも、昨日みたいに糸は見えないのよね……。――あっ、もしかしたらっ……」
エレナは何か思い付いたようで、瞳に魔力を宿しもう一度空を見上げる。
「やっぱり……」
するとそこには、領主城の一番高い尖塔から外周壁にかけて、小鳥の一匹も抜けられない密度で糸が張り巡らされていた。
つまり出口も入り口も、城門一つのみと言う事だ。
「おーい、置いてくぞー」
エレナが空を見上げている間に、二人とは距離が随分離れてしまったようで、ジードが遠くから声を張り上げ呼びかける。
「――っ。ごめーん。今行くわー」
はっと前方を見直したエレナは、二人の元へ小走りに駆けていく。
「どうした? 目星い店でもあったのか?」
にやにやとした笑みを浮かべたジードが、追い付いたエレナに尋ねる。
「もうっ、そんなんじゃないわよっ」
言葉のブーメランが返ってきたエレナは、バツが悪そうに赤面し、つんとそっぽを向いてしまう。
からかいもそこそこに、観光気分で領主城の周りを半周しそこから暫く。一行は目的の店『ベハンドルグ』に辿り着く。
店先には景観を損ないかねない程、大小様々に、夥ただしい数の坪が積み上げられ、入り口と思しき扉はほぼ塞がれていた。
「なんだこれ……」
「凄い所ね……」
一目見て、まず入りたくないと思わせる外観に、二人の眉尻は下がり、気分は降下の一途を辿る。
「言っておくが、中はもっと凄いぞ。だが、腕は間違い無くこの街随一だ」
ガンズは苦笑いを浮かべながらそう告げると、壺の間を横歩きで進んでき、入り口の扉を押し開ける。
「「――うっ」」
その瞬間に飛び込んできた鼻を突く刺激臭に、二人は思わずくぐもった声を漏らす。
「きついのは最初だけだ。直に慣れて感じなくなるさ」
おもむろに振り返り、事も無げにそう告げたガンズは、薄暗い店内に吸い込まれていく。
二人は今すぐ引き返したい衝動に駆られるがそうもいかず、込み上げる吐き気を必死に堪え入店する。
窓の無い店内は、店の奥で巨大な釜を炙っている炎だけが光源となっているようで、本来暖色である筈の炎の灯りは、部屋を薄気味悪く演出していた。
そして、その巨大な釜は、巨体のガンズであっても膝を抱えれば、すっぽりと収まる程の容量を誇っている。
ガンズの後を歩きながら、二人は気味悪そうに店内を見渡す。
店外に置かれていた空の壺とは違い、店内の棚に所狭しと置かれている壺は、何かの液体が並々注がれていたり、草らしき物や、得体の知れない生き物の干物が入っている壺もあり、それぞれが異様な臭いを放っていた。
取り分け強烈なのは、音を立てて煮立っている釜の中身のようで、そこには、癖のある白髪を肩で切り揃えた老婆が、鋭く釣り上がった目で釜の中の紫紺色の液体を覗き込んでいた。
「なにか用かい?」
老婆は下を向いたまま、嗄れ声でぶっきらぼうに話し掛ける。
「久し振りだなカミラさん。俺だ、ガンズだ」
「なんだ、あんたかい。最近めっきり来なくなったから、てっきり死んだかと思ってたけど、生きてたんだねぇ。それで、どうしたんだい?」
カミラと呼ばれた老婆は珍客の来訪に、小鼻の脇に皺を寄せ、僅かに声の調子を上げ対応するが、視線は依然として釜に向いたままだ。
「最近は自分の仕事が忙しくて、なかなか此処まで来れなくてな。それに、死ぬような無茶はしないさ。今日は解呪を依頼したくて来たんだが……」
「すまないが、生憎と魔石を切らしててね。どうしたもんか、入荷はまだ未定だとさ」
カミラは釜の横に備え付けてあった身の丈ほどの混ぜ棒を手に取ると、おもむろに一定間隔でかき混ぜ始める。
「やっぱりそうか……しかし、未定となるといよいよ自分達で行くしかないか……」
「神聖の魔石は、労力の割に売り値が低いからねぇ。こんな時じゃないと、好んで行く奴はいないんじゃないかい? よぉし、そろそろだね……」
カミラが言い切ってからほんの暫く、釜で煮立つ液体は、絶好の瞬間を教えるかのように眩い光を放ち始める。薄暗かった店内を強烈な光が照らし出し、その全てが露わになる。
しかしそれも一瞬で、どんどんと光量を増していくそれはやがて、視界を白一色に染め上げる。
『ヒール』
何も見えない世界で、カミラの声だけが静かに響く。
次第に光が収まり、部屋の光源が元の炎だけの状態に戻るのに合わせ、視界も落ち着いてくる。
「相変わらず見事な、回復薬の精製率だな。全く目減りしてない」
ガンズは紫紺色から淡水色へと変わった釜の中身を見て感嘆を漏らす。
「ふん、これだけしか取り柄のない、ただの老いぼれ婆さ」
そう言って初めて顔を上げたカミラは、ガンズの後ろに立つエレナを見て、大きく口元を釣り上げる。
「おや、なんだい。丁度良いのが居るじゃないかい。お嬢ちゃん、あんた処女だろう?」
「「――っ!」」
「――なっ!?」
カミラの発言に場の空気が凍り付くのを、明確に感じたジードとガンズだった。




