序章十二話 『再会』
ところ変わって、ここはラルス森林の中ほど。
夜が明け、東の空より朝日が顔を見せ始めた頃。
『起きろ。おい……起きろ!!』
「ん、んうー……」
頭を垂れ、座り込んだまま寝ていたジードは、その身に宿す鬼からの念話によって深い眠りより目覚めさせされる。
「んん……ふぁああ――――痛っ!?」
夢うつつも束の間。ジードは伸びをしようとした途端、身体中に走る痛みにより望まぬ覚醒を果たす事となった。
すると間もなく、苛立ちにまみれた声色で念話が飛ぶ。
『やっと目覚めたのか。一体いつまで寝腐れば気が済むと言うのだ』
「え、ああ、悪い……」
『ふんっ、まあ良い……、早速だが、貴様は何があったか覚えているのか?』
「……何が、あったか? ――あ、そうだ! っ痛ってぇ……」
ヴォルフの発言を受け、大切な事を思い出したジードは慌てて起き上がろうとするが、どうやら痛みにより身体が言うことを聞かないようだ。
鬼化の反動は凄まじいようで、満足に身動きすら取れない程に痛みや倦怠感に見舞われているのが、言葉にせずとも伝わってくる。
それはさながら、油の切れたブリキ人形を思わせるほどの不自由っ振りだ。
「……ルドルフのおっちゃんが巨大熊に吹き飛ばされて……それで、それで……」
起き上がることを早々に諦めたジードは、座ったままで記憶を辿っていく。
『その先は?』
「わからない……そこまではちゃんと覚えてるんだ。でも、その先はぷっつり途切れてて……」
どうやらジードには、呪いに飲まれた以降の記憶はないようで――、
『そうか。では、そこから先の事は俺が教えてやろう。……あの紛い物に吹き飛ばされた男を見て激情した貴様は、狂化の呪いに飲まれ暴走を引き起こし、出来損ないの鬼と化し――「――そんなっ!」』
鬼より淡々と告げられていく驚愕の事実に、ジードは堪らず口を挟む。
『黙って最後まで聞け』
「あ、ああ……ごめん」
話を遮られた事で、不機嫌露にジードを窘めたヴォルフは、本人より素直な謝罪を頂戴した事で気分を持ち直したらしく、再び口を開き出した。
『先に言っておくが、奴に吹き飛ばされた男を含め死人は出ていない。安心しろ』
「ほっ、本当かっ……?」
予想だにしなかったであろうヴォルフの報告に、ジードは期待と不安の入り混じった声色で問い直す。窺うような口調なのは、にわかには信じ難い状況だったからだろうか。
『ああ、間違いない』
「そっ、か……良かった……」
ヴォルフの言葉を受け間もなく、大粒の涙がジードの両頬を伝う。
生きてて良かった、誰も殺していなくて良かったと言う安堵から来るものだろう。涙腺は崩壊し、留まるところを知らない。
嗚咽を堪えながらすすり泣くジードが落ち着くまで、ヴォルフが彼をせき立てる事はなかった。
それから暫く。
「……悪かった。もう大丈夫、話を続けてくれ」
一頻り泣いた後、瞼を腫らしたジードはバツが悪そうな顔で続きを促した。
『ああ。貴様が狂化の呪いに飲まれた後、鬼化するまでは少しの猶予があってな。故にオレは貴様の身体を使い、虫の息だったあの男に回復魔法を施し、避難させておいたのだ。もののついでに、目障りな獣も黙らせておこうかと思ったのだが、殊の外時間が足りんでな』
「……身体を使ったとか、聞きたい事はたくさんあるけど……でもまず、おっちゃんを助けてくれてありがとう。本当にありがとう」
『ふんっ、礼を言われる筋合いなどないわ。貴様に腐られては、オレの復讐に差し支えるからな。自分の為にしたまでの事よ』
ルドルフ生還の経緯を知り、感謝の気持ちを告げるジードに、ヴォルフは相変わらずの態度で返す。
ただ、やや早口に言い切ったのは、少々照れ臭さを感じていたからかも知れない。
「それでも、ありがとうだよ……」
『その話はもう良いわっ。――それよりもだ。話を戻すぞ。鬼と化した貴様は、無謀にも挑みかかってきた奴を一撃の元に葬ると、その後暫くは呪いの反動か呆然としていたな――』
「うえ……あの化け物を一撃かよ……」
『当たり前だ。出来損ないとは言え、鬼だぞ?』
ヴォルフは得意気に鼻を鳴らすと話を続ける。
『――やがてそこに、騒ぎを聞きつけた人間共が集まり始めた。そいつらと対立したのは言うまでもないだろうよ? 詳細は省くが、危うく一人を殺す寸前まで至ったところで、銀髪の女を目にした貴様は唐突に苦しみ始めた。堪らずその場から逃げ出した貴様は、この場にて症状が治まると併せて意識を失うと、今まで眠り惚けていた――という訳だ』
「ほんと、誰も手に掛けてなくて良かったって、改めて思うよ……って言うかその銀髪の女って、たぶん母さんなんだよな。流石に顔を合わせ辛いな……」
ジードはしみじみと呟くと、気が重そうに片頬を引き吊らせ、深い溜め息を一つ。
『ではどうする? 村へ戻らず、別で解呪の情報を探る事にするか? オレはどちらでも構わんぞ』
「…………。んー、やっぱり一度、村へ戻ろう。今帰らないと余計に帰り辛くなるだろうし、約束したのに帰らなかったんじゃ、後で何言われるかわかったもんじゃないしな……」
ヴォルフの問い掛けにジードはやや考え込んだのち、早過ぎる帰郷の意志を固めた。
その背景には、出立時に交わされた母との約束があり、仮に破ろうものなら、後で手痛い仕打ちが待ち受けている事が容易に想像付くからであろう。
「――よし。とりあえず、なんとか村まで戻らないとな」
ジードはそう言うとゆっくりと身体を動かし、傍らに転がっていた木の棒へと手を伸ばす。そして膝立ちの姿勢を取ると深く息を吸う。
そして先程の棒を杖代わりに、立ち上がろうと力を込め始めた。
「ぎ、ぎぎぃ……う゛おおお……!!」
偉い剣幕で歯を食いしばり野太い声を上げているが、その動きは酷く鈍重で。ぷるぷると震えるその四肢はまるで、生まれたての小鹿を連想させる。
「はあっ、はあっ、はあっ……」
やっとの思いで立ち上がったジードの額には多量の脂汗が滲み出ており、それを見れば鬼化が彼の身体にどれだけの負担を掛けていたかが、改めてよくわかる。
「行くか……」
それでもジードはどうにか歩き出した。
だがその辿々しい足取りでは、村への到着は一体いつになるのやら、と言うのが正直なところだ。
「――なぁヴォルフ。聞きそびれてたんだけどさ、俺の服ってどこいったんだ……?」
『ああ、貴様の服か。鬼化の際にでも破けたのだろうよ』
「げえ、なんだよそれ……」
移動を始めて間もなく。身体中に走る痛みを誤魔化すかのように、ヴォルフへと質問を投げた。恐らく、無言のままでは到底やっていられないのだろう。
そして彼の言葉通り、ジードは上裸に裸足という、不審極まりない出で立ちなのだ。
その身に刻まれた呪印は暴走時とは異なり、色こそ薄くなっているものの、禍々しさは拭い去れていない。
「――あっ、そういや鞄も無くなってるじゃん。それもその時に?」
『ああ、恐らくな』
「って事はやっぱり、どっちみち村まで探しに戻らなきゃいけなかったんだな、はは……」
俺の葛藤は何だったんだと言わんばかりに、乾いた笑いを漏らしたジードは、ゆっくり、ゆっくりと森の中を歩いていく。
***
それから暫く。
遅緩ながらも着々とセノア村へと近づいていたジードへ、警戒を促す念話が飛んだ。
『――む、前方より人間が近付いてきているな。このまま行けば遭遇する事になる。ここからは念話に切り替えろ』
「えっ、あ、了解!」
ジードは一度立ち止まるとヴォルフの指示に従い、すぐさま念話に切り替えると前方を注視する。
『誰が来てるとか、特徴とかはわかったりするのか?』
『いや、詳しい事まではわからぬ。だが、数は三人だ』
『そっか、ありがとう。でもまぁたぶん、村の誰かだろ』
特産物の無いラルス森林に踏み入る者など、近隣に住むセノア村の住人くらいのものである。
それを理解しているはジードは、さして焦った様子もなくそう告げると、迫り来る誰かへと近付くように歩き出した。
「――――」
そうこうしている内に、何やら呼び掛けるような声が聞こえ始め、うっすらと人影が見え始めてきたのだった。
それは、ジードがよく見知った顔ばかりで――、
「――っ。母さん、ガンズさん、おっちゃんも……! 」
人影の中に母の姿を見たジードは、思わず手を振り大声で叫ぶ。
「おーーーいっ!」
「――――っ。ジードォーーー!」
手を振る息子に気が付いたサラは、脇目も振らずにジードの元まで一息に駆け寄ると、勢い良く抱き締めた。
「い゛っ――!?」
愛情たっぷりの抱擁を受け、危うく叫びかけたジードだったが、どうにかギリギリの所で堪えきったようである。
「ジード……ジード……ジード……! 生きてて良かった……」
一方、ジードが苦しんでいる事など露程も気付いていないサラは、きつくきつく息子を抱き締める。
生きたまま再会出来た安堵からか、涙はとめどなく頬を伝い、やがてジードの肩を濡らしていく。
「母さん、心配かけてごめん……でもほら、二人とも見てるし一旦離れよう? なっ?」
優しくサラを押し返し、離れるように促すジードのその視線は、いつの間にか母の後ろまで来ていた二人の男に向けられていた。
痛みを悶えつつも、気恥ずかしそうな声色を出しているのは、その二人――ガンズ、ルドルフが揃って生暖かい笑みを浮かべているからだろう。
「そうね、ごめんなさい――って、あなたっ、その身体はどうしたの!?」
おほほ、と誤魔化すように笑いながらジードより離れたサラは、改めて目にした息子の異様な姿に驚愕の声を上げた。
どうやら先程は、感動のあまり気付いていなかったようだ。
「えっ、あぁ、これは……」
「「「……これは?」」」
ジードの返答に、三人の声がシンクロする。
他の二人も同じ事を聞きたかったようで、興味深そうにジードの顔を見つめている。恐らく、親子の再会に水を差すまいと、機を窺ってっていたのだろう。
『なぁ、ヴォルフ……どうしたらいい? 正直に話したほうが良いかな?』
『この状況では言い逃れも出来まい。自分の村の人間には話しても良いのではないか?』
『そっか、わかった。じゃあそうするよ』
「――えっと、実はさ。色々あって、鬼っていう魔物を取り込んだんだ……そんでこれは、その時に一緒に付いてきた呪い。でもこれは、一時的なものらし―――」
ジードが自身に刻まれた呪印に目をやりながら淡々と説明していく最中、サラは脳が理解する事を拒絶したのか、唐突にふらふらっと倒れ込んでしまう。
「――あっ! おいっ、大丈夫か?」
「――母さんっ!?」
無抵抗に崩れ落ちるサラをルドルフが咄嗟に抱えると、そっと木の根元に寄りかからせる。
「心配ない。気を失っただけのようだ」
サラの様子を確認したルドルフがそう言うと、残る二人はほっと息を吐き、やがてガンズが静かに口を開いた。
「サラには少しばかり酷な話だったな……まあ丁度良い、しばらく寝かせておこう。――ジード、とりあえずお前も座れ。立っているのもやっとなんだろう?」
「へへ、流石ガンズさん。お見通しか……」
ジードは乾いた笑いを浮かべると、ぎこちない仕草でその場に腰を下ろす。
「「「………………」」」
サラの失神により一時的に会話が生まれたものの、またすぐに沈黙が場を支配する事となった。
だが実のところ、その裏ではヴォルフとジードの念話が繰り広げられていた。
『この馬鹿者が! 物には言い方というものかあるだろうがっ! 母親まで失神させて、一体何を考えている!』
『俺だって、好きで失神させた訳じゃない! だいたい、ヴォルフに物の言い方をとやかく言われたくないね』
『貴様ぁ、随分と偉くなったものだな……?』
『だってそうだろっ? 復讐に協力するなんて言える筈ないじゃんか』
『阿呆が。そんなもの、人捜しとでも言っておけばいいだろうが。それとだ、貴様とオレは協力関係にあるという事も伝えておけよ』
『ちぇっ、わかったよ』
丁度その時、神妙な面持ちを携えたガンズが、沈黙を破らんと重い口を開いた。
「なぁ……さっきの話だが、何をどうしたら鬼を取り込むなんて話になったんだ? 呪いの事もそうだが、俺にはさっぱり経緯がわからない」
「ああ――それなんだけど、ガンズさんがくれた紅い石があったろ? その中に鬼が封じられてたんだよ」
「――なっ、なんだって……!?」
「そんでさ、その鬼とは協力関係を結んだんだ。人捜しをする事になったんだよね」
ジードはヴォルフの指示従い、都合の悪い部分はぼかして説明をしていく。ガンズに責任を感じさせない為か、彼の語り口は殊の外あっさりとしたものだ。
「……嘘じゃないんだよな? ……冗談で言ってる訳じゃないんだよな……?」
しかしそれでも、ガンズを愕然とさせるには充分過ぎたようで、深刻な顔をすると掌で額を押さえてしまう。
なお、ルドルフに至っては、未だ状況を飲み込めていないようである。
「うん。嘘でもないし、冗談でもないよ。村に戻ってきたのも、解呪に必要な神聖魔法の使い手の事を尋ねたくてだし」
「まさか、俺の預けたあの石に鬼が封印されていたなんてな……やはり、昨晩の現れた鬼も、お前なのか……?」
ガンズは悲嘆に満ちた表情で尋ねる。凛々しい眉をハの字に下げ、見るからに消沈している様子を見れば、それだけで酷い自責の念に駆られている事が窺える。
「うん……意識はなかったけど、昨日村に出た鬼は俺で間違いないよ……」
ここにきてジードは初めて表情に陰りをみせた。
いくら死傷者を出していないと言えど、村の中で鬼と化し、村人達を恐怖に陥れた事には変わりない。平然を装ってはいたものの、やはりその事実は彼の心に深く根付いているようだ。
「そうか、わかった。――ひとまずお前の言う事が真実だと仮定して、だ。石を預けた俺が言うのもなんだが、何故相談をしなかった。魔物を取り込むって事は、そのまま乗っ取られる可能性だってあったんだぞ……?」
「うん。それは教えてもらったよ。確かに俺も最初は困惑したし、疑ったりもした。だけど、喋ってる内にこいつは悪い奴じゃないって思えたんだ」
「――馬鹿たれっ! なんでお前はそう考えなしなんだ。実際に、お前は魔物化してたじゃないか。一体そいつのどこが悪い奴じゃないって言うんだ!」
「いや、それは呪いの影響で、ヴォルフの意思じゃ――『そう言う事を言ってるんじゃない。だいたい、俺の時はまるでただの石ころみたいに鳴りを潜めておいて、お前の手に渡った途端接触してくるなんて、おかしいにきまってるだろっ!』」
ガンズは怒り露にジードを叱りつける。
それは偏に、心配するが故にの行動であると、ジード自身も理解出来ているに違いない。
だがガンズの発言には、一つばかり事実と相違がある訳で――、
「…………。ガンズさん」
「なんだ?」
「俺もそれは初めに聞いたんだよ。なんでガンズさんには呼び掛けなかったんだ、ってさ。そしたらこいつは何度も呼び掛けたって言うんだ」
「いい加減な事を言うな。俺には呼び掛けられた覚えなど一切ない」
馬鹿な事を、と言わんばかりにガンズは鼻息荒く言い放つ。
「それがさ、あの紅い石の中にいると、魔力が濃くなる夜にしか呼び掛けられなかったらしいんだ。だから夜になる度呼び掛けたけど、いつも酔っぱらってて話にならないから、その内諦めたって……」
「…………」
「…………」
「――ぶふっ……」
盛大に墓穴を掘り、返す言葉も失ってしまったガンズの後ろで、ルドルフが堪えきれずに吹き出したのだった。




