序章十一話 『探索』
一方その頃――。
ガンズは逃げ出した鬼を追い、闇に染まるラルス森林を歩いていた。
出来る事なら、あのような化け物には二度と会いたくもないのだろうが、立場上そうも言っていられない。彼の開拓者人生の中で、間違い無く一番の凶敵であったと言えるだろう。
「しかし、あれだけの魔物が結界に感知されない筈がない……いや、何かしらすり抜ける術を持っているのか? 何か、何か手掛かりがある筈だ。奴は何処から来て、何が目的なのか……それが少しでも分かれば……」
草木を掻き分けながら進むガンズは、深々と思慮を巡らせる。しかし、思った事がそのまま口に出ているのは、焦る気持ちの表れだろうか。
開拓者支部とて、決して人員に余裕を持っている訳ではない。その為、総力を上げての討伐とあらば、決定的な証拠が上げられなければ万全な協力は期待出来ないだろう。
だが実際の所、仮に総力持って打って出たとしても、太刀打ち出来るかどうかすら定かではないのだが。
やがて、暫くと進んだ頃――。
「こ、これは……?」
そこでガンズはようやく、巨大熊の猛進の爪痕が残る一本道へと差し掛かる。彼は鬼の逃げた方角をそのまま追い掛けて来てしまった為、村から続いているこの道に気付けなかったかのだ。
そして、この惨状を生み出した者が既に絶命しているなど、ガンズには知る由もない。故に、眉間の縦皺を更に深く刻み、これでもかと思案を巡らせていく。
「…………。あいつが通った痕跡にしては道幅が不自然だ。倒れされている木もまだ新しい。何より、この巨大な足跡は……」
ガンズは周囲の至る所に目を配り、状況を精査していく。
「大型の獣と見て間違いない、か……くそっ、次から次へと、この忙しい時に……一体何だって言うんだ」
足跡の持ち主について、あたりを付けたガンズは短い嘆息と併せて愚痴を漏らすと、足早に村へと続く一本道を戻っていくのだった――。
それから程なく。
それは丁度、直に村が見えてくるであろうと言った辺りまで、戻って来た時の事である。
それまで独奏状態だった虫の音を掻き消すように、辺りには野太いいびきが響き渡り始めたのだ。
「……? これは……」
ガンズが警戒した面持ちで音の発生源を辿っていくとそこには、不用心にも地面で寝転び、高らかにいびきをかいているルドルフの姿があったのだった。
「――お前かっ!」
思わず叫んでしまったガンズは、寝ているルドルフに駆け寄ると肩を掴んで引き起こした。
「おいっ、起きろっ! 起きるんだ!」
「ん……ああ、ジードか……?」
一切の手加減無しに揺さぶり起こされたルドルフは、顰めっ面のまま微睡んだ瞳でガンズを見つめる。
「おいおい、勘弁してくれ。俺だ、ガンズだよ」
「…………。お? おお、ガンズか。って事は、俺は生きてるのか……流石に死んだと思ったんだが、まさか生きてるとはな……」
「……? 何の話だ? いや、それよりもこんな所でなにやってたんだ。皆お前を捜してたんだぞ?」
何やらしみじみと語り始めたルドルフに、ガンズはやや非難を込めた声色で尋ねる。
「俺か? 俺は家畜舎にいたんだが、突然ドデカい熊の化け物に襲われてよ。逃げ回ってたんだが、建物の倒壊に巻き込まれ――って、あれっ!? 足がなんともない……お前が治してくれたのか?」
「ルドルフ……寝ぼけているのか?」
「はあ? 寝ぼけてなんかねえよ。信じられない位デカい熊の化け物に襲われたんだ。そこに何故だかジードが来てよお。『俺が倒す!』なんて息巻くもんだから、叱ったのまでは覚えてるんだけどよ」
「やはりまだ寝ぼけているじゃないか。夢と現実がごっちゃになっているぞ……それか、強く頭を打ったりしてないか……?」
ガンズは本気で心配した様子で顔を覗き込もうとする。しかしルドルフは不機嫌そうに手で払い除け、それを阻止すると声を荒げた。
「ふざけんな! 寝ぼけてなんかいねえし、頭も打ってねえ、筈だ。――兎に角っ! ジードに会わせてくれ。俺がこうして生きてるのも、あいつのお陰なんだろうからよ」
「……一つ尋ねるが、紅黒い肌をした人型の魔物を見た覚えはないか?」
「人型の魔物……? ないな。見てないぞ」
物は試しにと、ガンズは鬼についてルドルフに尋ねるが、やはり満足のいく返事は得られる筈も無く。
「そうか……」
僅かな沈黙を挟み、悩むこと幾ばくか。
ガンズは短く息を漏らすと、疲れの滲む表情で提案を口にした。
「なぁ、少し良いか……? 俺達は今、まるで話が噛み合っていない。一度、お互いの情報をすり合わせるべきだと思うんだ」
「ああ、そうだな。だが、俺は決して嘘はついてないからな?」
ルドルフが嘘を言っていない事は、その仕草や表情を見れば誰にでもわかるものだ。増してや、付き合いの長いガンズであれば尚更だろう。
ただそれでも、ガンズにはジードが帰って来ているとは、にわかには信じ難い事のようで――、
「それはわかってるさ、わかってはいるんだが、どうもな……」
どうにも腑に落ちない様子で、口ごもる始末である。
と言うのも、ジードの性格からして、仮に村へ戻って来ているとすれば、真っ先にガンズの元へ訪れるだろうと想像に容易いからだ。
ところが、昨晩にしても、鬼の襲撃後の点呼にしても、その姿はおろか目撃情報すらないときた。そう考えると、ガンズのこの歯切れの悪さも仕方がないのではと思える。
「――ひとまず、話は村に戻ってからにしよう。皆に無事を知らせなければならないし、お前の言う熊の化け物が、未だ村に潜んでいるかも知れない。となるとやはり、村が心配だ。さっ、立てるか?」
「おう、大丈夫だ」
表情を引き締め直したガンズがそう言って手を差し出すと、ルドルフはその手を取り一息に立ち上がった。
「よし、急ごう……!」
二人は村までの短い距離を、足早に進んでいくのだった。
***
それから程なく。
村からの灯りが届く距離まで戻ってきた辺りで、ルドルフは眉尻を下げると申し訳なさそうに呟いた。
「迷惑、掛けたみたいだな……」
「気にするな。お前が悪い訳じゃない」
真夜中にも関わらず、こうも煌々と光が灯っているのは、彼を探しているからに他ならないからだ。
そして、村はずれへと辿り着いた二人の目には、懸命に瓦礫の撤去作業に勤しむ村人達が映り込む。その姿を確認したガンズは、思わず安堵の息を漏らした。
「どうやら熊の化け物とやらは、襲ってきていないようだな」
仮に村が襲われていたとすれば、今も尚捜索を続けている筈が無いからだ。
安心故か、自ずと穏やか足取りに変わり、ゆっくりと村人達の元へ近付いていく二人。すると、その存在に気付いた者が声を上げ、村人達は一斉に押し寄せる。
中には、涙を浮かべる人物もいて――、
「親父ぃい! 無事で良かった……」
「おう。迷惑掛けちまって悪かったな……その、なんだ……ありがとよ」
零れ落ちんばかりの涙で瞳を潤ませ、飛び付くような勢いで駆けてきた息子に、ルドルフは後頭部を掻きながら照れ臭そうに笑う。
そして、一足遅れてやってきた村人達の方へと身体を向けた。
「心配かけてすまなかった、ありがとう……」
自らを捜索してくれていた面々に向け、深々と頭を下げる。
どっと歓声が沸き、村人達は二人を囲むように集まる。先程まで疲弊した様子が嘘のように、揃って安堵の表情を浮かべ、それぞれが思い思いの言葉を投げ掛けていく。
「ところで村長。大きな熊の死骸が近辺に転がっていたので、集会所のそばまで運んであります。後程ご確認下さい」
やがて、再会の喜びも一段落といったところで、背の低い気の弱そうな男がここぞとばかりに報告を始める。
「――死骸? そいつは既に死んでいたのか?」
「ええ、それが……死んでいたと言うか、頭と脚一本だけが残ってたもので……」
「と言う事は、やはり……」
「村長……?」
難しい顔をしたまま黙りこ込んでしまった村長に、男は不安気な面持ちでその顔を覗き込む。
「――あ、ああ。わかった、ありがとう。今から確認していくよ」
ガンズはそこで言葉を切ると咳払いを一つ。表情を村長としてのものへ変えると、この場にいる面々の顔を順に眺めていく。
「皆、ありがとう。只事ではない中、遅くまでご苦労だった。残る作業は明日に回し、ゆっくり休んでほしい。本当にありがとう」
ガンズは労いの言葉を送り、深く頭を下げる。すると、ある者は照れ臭そうに頬を掻き、ある者は満足気に鼻を鳴らし、ある者は瞳を潤ませ、各々の言葉を返すと集会所へ向け歩き出した。
「ルドルフ。悪いがお前には、死骸の確認に付き合って貰うぞ。話はその後にしよう」
「おう、構わないぜ。俺もそのつもりだった」
村人達の背中を見送り、今後の予定を話し合う二人の元へ新たな影が迫る。それは、悲鳴にも近い声色で――、
「ガンズさんっ! ジードが、ジードがっ……!!」
「――ど、どうしたっ!? ジードがどうしたんだ!?」
村人達と入れ替わるようにやって来たのは、ジードの母親サラだった。
普段は人一倍淑やかな彼女が銀髪を激しく揺らし、切迫感を露に近付いてきたとあって、自ずとガンズにも緊張が走る。
「鞄が、あの子の鞄がっ――」
「サラさん、一旦落ち着くんだ。な?」
焦り故か、まともに会話もこなせそうも無いサラをルドルフが宥める。
「――っ! ル、ルドルフさん。良かった、ご無事だったんですね。私ったら気付かずにごめんなさい。気が動転してしまったみたいで……」
サラはそこで始めてルドルフの存在に気付いたようで、元々大きな目を更に目を大きく見開いた。
「あぁ、気にしなくていい。誰にだってそう言うことはあるさ。それより、ジードがどうしたって?」
「はい……瓦礫の中で、ジードが持って行った鞄が見つかったんです」
ガンズの真横にいたにも関わらず、存在を認識されなかったルドルフだったが、意外にも平然とした様子でサラに続きを促す。
ようやく出てきたサラの発言に、お次はガンズがぎょっと目を剥き、唾を飛ばしながら早口に問い直した。
「なんだって!? それは間違いないのか?」
「はい、私が拵えたものなので間違い有りません……」
「「……」」
サラは伏し目がちに頷き、悲しき肯定を示した。
すると、男二人は無言のまま視線を混じわせること数瞬。頷き合うとサラへと視線を戻し、ガンズがおもむろに口を開く。
「そうか……実はルドルフも、少し前にジードに会ったらしいんだ」
「――ほっ、本当ですかっ? それならあの子は今どこにっ!」
「す、すまねえ……俺はてっきり、村の中にいるもんだと思っててよお……」
俯き加減だったのが一変。あまりにも期待に溢れたサラは食いつきように、今度はルドルフが地面を見ながら答える事となる。
「そ、そうですか……ガンズさんもご存知ないんですよね……?」
「ああ、すまない。……しかし、ジードは何故、顔を見せないのかが気になるな。きまりが悪くて出て来れないだけなのか。それとも、何か厄介事に巻き込まれているのか……」
「私っ、ジードを探してきます!!」
「駄目だ!」
ガンズはサラの言葉に被せるように、ぴしゃりと強く言い放った。
「そんなっ……」
「気持ちは痛いほどわかる」
「それならっ――」
縋るような声を上げ、今にも泣き出しそうなサラに対し、ガンズもまた悲痛な面持ちを隠さぬまま、首をゆっくりと横に振って不承知の意を示す。
「それでもだ、今からの捜索は許可出来ない。暗がりの中、闇雲に捜すだけでは効率も悪い。何より、先程の魔物の行方がわかっていないんだ。危険はもとより、行き違いや二次遭難などになってしまっては、見つかるものも見つからなくなってしまう……万全の準備を整え、明朝、日の出と共に捜索を開始する。それまで待ってくれ。頼む……」
「………。わかりました。よろしくお願いします……」
「すまないな、ありがとう」
僅かな沈黙ののち、サラは静かに了承の旨を口にすると、手を前で組み深く頭を下げた。その表情は、先程と比べると幾分か落ち着いているように見受けられる。
酷い焦燥感に駆られていた彼女が、ここまで躊躇なくガンズの提案を受け入れられたのは、
他ならぬ彼自身が一番悔しそうで、今すぐにでも探しに行きたいと言う気持ちが、ありありと浮かんでいたからだではないだろうか。
「さあ、ひとまず戻ろう。話し合うのはそれからだ」
「ああ」
「はい」
ガンズはそう言うと、一足先に集会所へと戻りだした。やや遅れて二人も、後ろに追従する形で歩き出す。
「待ってろよ、ジード。生きててくれよな……」
先頭を行くガンズは、やはり内心穏やかではないようで。小さく漏らした悲願は、誰に届く事もなく闇へと溶けていくのだった。




