ほとばしるアスマの推理
さて、これからどうしようかしら。足をゆっくりと自分の教室に向かわせつつ、あたしは思案していた。球が密室からなくなってしまった理由に関してだ。
取るに足らないしょうもないできごとだというのは承知している。けれど、目の前でそんなことが起こったのに無視したら、凄く負けた気分になる。要はいま、挑戦状を叩きつけられたような感覚なのだ。
科学室の鍵はあたしの手中にあるので、いつでも出入りすることができる。現場検証なんかは問題なく行える。けど、ただの直感なのだが、この謎を解くととても面倒なことに巻き込まれる気がしてならない。あたしは直感はよく当たるのだ。『王我』の団員の中でも評判だった。
……まあ、いい。やってやろう。ここで逃げたらやっぱり負けた気分になる。それはむかつくし、何より面白そうだ。
じゃあまずはあれについて考えていこうかな。
「あ、ミノ」
足元を見て集中していたから気がつかなかった。教室の引き戸からアスマが出てきたところだった。
「どうしたのよアスマ。帰ったんじゃないの?」
「宿題で使う教科書を教室に忘れちゃって。ミノは何とかって人がへこへこするの見れた?」
「柳原ね。あんまりへこへこしてなかったわね。今日は校長が出張でいないみたいだったから」
「へえそうなんだ」
興味なさそうな返事ね。
「けど、それより面白そうなことがあったわ。柳原が打った球が密室からなくなってしまったのよ」
「そんなに面白くはないと思うけど。別にいいじゃん、なくなっても。だいいち、それがどうしたの? その謎を解き明かそうって言うの?」
「ええ」
「ミノっていつから探偵になったわけ? 前の……何だっけ。何とかくんのときは断ろうとしてたのに」
アスマは呆れ混じりに言った。
「寺島ね。誰かに頼まれると断りたくなるってだけよ」
「嫌な性格だね」
「あんたには言われたくない。それに探偵になったわけじゃないわ。ただ売られた喧嘩は買う主義なのよ。誰だか知らないけど、あたしの前であんな不可思議な現象を起こすなんて、愚の極みよ」
「それって、ミノが勝手に喧嘩を売られたと思いこんでるだけなんじゃ……」
「うっさいわねえ。……そうだ。詳細な情報を教えるから、あんたも考えなさい」
アスマは露骨に嫌そうな顔を浮かべ、
「どうしてそうなるの?」
「好敵手がいた方が盛り上がるし」
「勝手に好敵手にしないでよ。大体、いくら詳細な情報を教えてくれるといっても、実際に現場を見てるミノと私じゃ勝負にならないよ」
「それもそうね……。じゃあ何もしなくていいから近くにいなさい」
「どうしてそうなるの?」
「考えてもみなさいよ。高校二年にもなってたった一人で探偵ごっこまがいのことをするなんて、いくらなんでも恥ずかしいし虚しいじゃない」
「自覚があるならやめればいいじゃん。そんなことに私を巻き込まないでよ。早くイッテQ見たいんだからさ」
「だから、あたしだって早くジャンプ買って読みたいわよ」
アスマは面倒くさそうに再びため息を吐く。
「そうすればいいじゃん。というかさっきはスルーしたけど、ミノってジャンプ買ってたんだね。お金がないのにそんなの買うからさらに貧乏になっていくんだよ」
あたしはアスマを睨みつける。
「貧乏の前に一人暮らしだからを付けろっての! それからジャンプは『そんなの』じゃない」
「あっそう」
「それによ! あたしは何も考えずにジャンプを買ってるんじゃないわ」
「というと?」
「まず二百六十円でジャンプを買う。それを二百円で同級生の貝塚という男子に売る。そして面白いことに、貝塚はあたしと同じように二百円でそのジャンプ栗原という男子に売っているのよ。あたしは栗原の宿題をやってあげることで、その報酬としてそのジャンプを受け取る。つまりあたしは実質六十円でジャンプを買っているということなのよ!」
アスマは珍獣でも見るかのような視線をあたしに向けてきた。
「そんなことするくらいなら立ち読みすればいいのに」
「手元に残しておきたいのよ。ということで、付き合いなさい」
「何が『ということ』なのかが全然わからないんだけど」
そう言いつつも、アスマは反抗を諦めたようだった。おそらく無理に帰ろうとするよりも付き合った方が楽だと判断したのだろう。
◇◆◇
あたしたちは無人の二年B組――アスマのクラス――にて向かい合って座った。あたしはとりあえず、アスマと離れてからの一連の流れを説明した。
その後、推理パートとなる。
「さて、それじゃあ状況をまとめていくわよ」
「どーぞ」
「まず柳原の打った球はあの部屋に入っていた。それは間違いないわよね?」
「そうだね。地面になかったし」
「にも関わらず、あたしたちが部屋にいくと球はどこにもなかった。球が独りでに動くわけがないから、誰かが持ち去ったと考えられるわね」
「持ち去ったんじゃなくて、部屋から外に投げ返したのかもしれないよ」
「それだったら野球部部長かコーチがそのことを言ってるはずよ」
「そっか」
「問題は誰が持ち去ったかね」
「部屋は密室で、部屋の鍵はその……何とかさんが持ってたんだよね?」
「アスマ。名前を忘れた奴のことを『何とか』と呼称するのはやめなさい。ややこしい」
「じゃあ他に何て呼べばいいのさ」
「写真部の女子、でいいでしょ」
「その子が持ってたんだよね? じゃあ彼女が犯人なんじゃないの?」
「青森ね。可能性は十分あるわ」
あたしたちと話しているとき、どことなく挙動不審だったし。最初は女子に人気のある柳原がいたからだと思ったが、あたしと二人きりになってもびくびくしているようだった。ただの人見知りには見えなかった。
「青森は鍵を持っていた。つまり職員室から借りてきたってことよね。あいつが犯人じゃないとすれば、青森が鍵を借りる前に誰かが科学室の鍵を持ち出して中に入っていた。そこに球が飛んできた。何者かはその球を回収して、あたしと柳原が科学室にくる前に逃げ、鍵を職員室に返し、それを今度は青森が借りた……」
「時間的にいけなくもないね」
「そうね……。それじゃあ確認にいきましょうか」
「どこに?」
「職員室に決まってるでしょ。青森以外に科学室の鍵を借りた奴がいないか訊くのよ」
「うへえ」
アスマが露骨に顔をしかめた。
◇◆◇
科学室の鍵を返しつつ、教師にその鍵を借りた人物について訊いた。借りたのは女子生徒一名だけだったらしい。その時間は憶えておらず、新任教師故にその生徒の名前もわからなかった。一応確認したところ、マスターキーを持っていった教員もいなかった。
あたしたちは再びアスマのクラスにて話し合う。
「さっきのミノの仮定は消えたってことだね。これは進歩ということでいいの?」
「ええ。仮説が一つ消えたわけだから大きな進歩よ。球があの部屋に突っ込んだとき第三者はいなかったのよ」
「第三者はいなかった、ってことは関係者はいたっていうの?」
「と、あたしは思ってる。おそらく青森ね」
「それって青森さんが犯人って言ってるようなものだよね。その人がいたっていう根拠はあるの?」
よくぞ聞いてくれた。
「正確に青森と断定することはできないわ。青森が彼女が鍵を持っていたから、彼女と仮定しているだけよ。けど、誰かがいたっていう根拠はちゃんとある」
あたしはポケットから例のものを取り出した。
「何それ? 窓ガラスの破片?」
「そうよ」
現場で見つけた、細かい大量の罅が入り白く染まった小さな破片である。
「他の破片はこんな風になってなかった。おそらく強い衝撃を受けたのが一瞬だけだったから、窓に細かい罅が入らなかったのね。だけどこの破片にだけ細かく罅が入っている。どうしてだと思う?」
「偶然とか」
「それを言ったらおしまいよね」
「冗談だよ。誰かが踏んづけたって言いたいんだね?」
「正解。あたしの見ていた限り柳原も青森もこれを拾った地点を歩いていなかった。だからあいつが踏んだっていうことはないし、もちろんあたしが踏んだものでもない。ここまではいい?」
「いいんじゃない」
あたしは眉をひそめた。
「あんた、何にも考えてないわよね」
「うん。考えないとわからないことは考えないようにしてるんだ、私。話聞いてて何か閃いたら言うよ」
楽そうな生き方ね。
「まあそういう理由で、あたしは青森が怪しいと睨んでるわけ。鍵を借りたのはあいつだけ。あたしたちがくる前に何者かが窓ガラスの破片を踏んだ痕跡がある。青森しか犯人――と呼ぶにはいささか事件がしょぼいけど――足り得ないわ。何で持ち去ったのか全然わからないけど」
「うーん……そうかなあ?」
「え、動機がわかるの?」
「ん、いや。動機じゃなくて、青森さんしか犯人がいないって部分に一言物申したいんだよね」
「他に可能性がある人がいるっていうの?」
あたしは憮然と言い返す。
アスマはいつも通りマイペースな口調で話していく。
「うん。もう一人の写真部の何とかって人」
だから何とかを使うなと。
「確か室田って言ってたわね。どうしてそいつが出てくるの?」
「だってさ、先生が憶えていたのは女子生徒一人が鍵を借りたってことでしょ? それなら別に青森さんじゃなくてもいいじゃん」
「だけど鍵を持ってたのは青森よ」
「室田さんから直接手渡しで鍵を受け取ったのなら説明がつくよ」
「あっ……」
どうしてそんな簡単なことに気がつかなかったのか。
「確かに室田が犯人なら動機もはっきりするわね。柳原のペットボトルを回収するストーカー予備軍ならば、柳原が打った球を欲しがるかもしれない」
部屋に入ってきた球が柳原の打った球だというのは、あいつが四階に向かって声を発したのでわかるだろう。
「室田さんは部屋に誰もいなかったことにするために鍵をかけた。密室になって不自然だけど、開けっ放しになっていたらなっていたで不自然だしね。この学校、戸締まりはきっちりしてるから。そして近くにいた青森さんに鍵を渡して去った。青森さんは友達の名誉のためにそのことを黙っていたんだね」
あたしはアスマの推理に猛烈なまでに説得力を感じてしまった。青森はあたしたちとは別の階段からきていた。それはつまり、普通棟からの最短ルートを避けたということだ。職員室で鍵を借りたのなら、この遠回りは意味がわからない。しかし柳原がこちらにくることを察知した室田が、柳原との接触を避けるために――室田は面と向かって柳原と会うのは恥ずかしいらしい――あの階段から帰ったのなら話はわかる。近くにいた青森は室田に無理やりあの階段ルートまで連れられていったのだ。
くっ! まさかまたアスマに先を越されるとは! 『王我』の元総長とあろうものがここまで墜ちたか。いや、まあアスマは魔境に巣くうモンスターのような奴だ。そんな怪物になら遅れを取ってもしょうがないだろう。
「いやあ、これで事件は解決だね」
アスマがぐっと伸びをした。とてもやりきったような清々しい表情である。
あたしはため息を吐いて、黒板の上にある壁掛け時計を見る。四時五十分。柳原が窓を割ってから一時間近く経っていた。何となく黒板の隣にある座席表に目を移す。あたしは唖然とした。
「アスマ。室田ってあんたのクラスメイトじゃない」
「え? あ、ほんとだ」
「しかもあんたの右の席じゃない」
「ほんとだ」
「何でまったく知らないのよ」
思いきり呆れてしまう。
「クラスメイトの名前なんていちいち憶えてないよ。だってさ、ほら、一年経ったらクラスが変わるじゃん。だから憶える必要なんてないかあ、ってね」
呆れを通り越して戦慄した。まあ、そうよね。こいつはそういう奴よね。
教室に留まる理由がなくなったので、あたしたちは帰ることした。ただ、昇降口で靴を履き替える前に確認しておきたいことがあった。
「何やってるのミノ?」
二年B組の下駄箱を凝視していくあたしに対し、アスマがきょとんと首を傾げながら訊いてきた。
「室田の下駄箱探してんの。出席番号はさっき確認しておいたから」
「何でそんなことを?」
「まだ学校にいたらここで待ってようと思って。アスマの推理が合ってるのか問いただしたいのよ……おっ、見つけた」
あたしは室田の下駄箱の扉を開けた。上履きはなかった。つまりまだ学校にいるわけだ。
「じゃ、私は帰るからね。早くイッテQ見たいから。今日のは――というか昨日のは――女芸人たちがまた色々やるみたいで楽しみなんだよね」
「あっそ」
イッテQに出てる女芸人たちの姿を思い浮かべる。……どこか引っかかることがあった。消えた硬球。細かく罅の入った窓ガラスの破片。残された上履き。女芸人……。ああ!
わかった。思い出した。どうして気づかなかったのよ。こんなことに! アスマの推理は間違っている。
あたしは上履きから靴を替えることもなく、昇降口から出ようとしているアスマの手を取った。
「ちょっ、ミノなに!?」
手を引っ張りながら校舎裏へと向かう。
「ゴミ捨て場いくわよ!」
「はあ?」