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ボールがどっかいった



 昇降口のある普通棟の一階の渡り廊下を通って科目棟へ入り、一番近い階段を通って四階へと向かう。このルートが一番早く目的地へいける。もう一つのルートは廊下の反対側にある階段を使わなければならないので遠い。


 急いだ甲斐があって三階の廊下を駆け上がる柳原に追いつくことができた。そのまま四階の廊下へ踊り出た柳原をあたしは階段の下から観察する。


 柳原は息を切らしながら廊下を見渡し首を捻っていた。おそらくあの窓がどの部屋なのかわからないのだろう。一部屋ずつ廊下側の窓から中を見ていけやと思う。……仕方ないか。


「三つ目の部屋よ」


 あたしは階段を上りつつ教えてやった。

 柳原はびっくりしたようで勢いよくこちらを振り向いた。


「君は?」

「野次馬よ。気にしないで」

「そ、そう……」


 柳原はあたしの言った通り三つ先の部屋の前に向かうと、窓から中を眺めた。最初からそうしろっての。

 あたしも彼の隣に並ぶと室内を覗いてみた。グラウンド側の窓の一枚が大部分を損失していた。四つの角に少し残っている程度だ。


「うわあ、盛大にやっちまった……」


 柳原が苦々しく呟いた。


「弁償とかしなきゃならないの?」

「弁償くらいで済めばいいんだけどな。うちの校長って部活に関してはやたら厳しいから、思重い処分が下されるかもしれない」


 柳原はため息とともに肩をすくめ、


「去年、打った球がたまたま他の生徒に当たってその生徒に怪我をさせてしまった先輩がいたんだけど……。そのときは三ヶ月の部活禁止だった」

「いまのタイミングでそれを喰らうと、地区大会には出場できないわね。まあ、見たところ人はいないようだし問題ないだろうけど」

「ああ、不幸中の幸いだ……。君は名前はなんていうんだ?」

「桂川よ」

「後輩、だよな。そのリボンの色二年生のだし」


 あたしは顔をしかめた。


「敬語使えっての? はーあ。これだから体育会系は器が小さくてかなわないわ」

「いや、器が小さいっていうか、たぶん体育会系は――自分で言うのもあれだけど――しっかりしてるだけだと思うぞ」

「先輩が怖いだけ、後輩に偉そうにしたいだけ、の間違いでしょ。極端なまでに上下関係に厳しい時点で器が小さいのよ。だいいち、ほんとに体育会系がしっかりしてたらPL学園の野球部はなくなってないわ」

「うっ……」


 やはり野球部だけあってこの例えは効いたらしい。

 まったく……。完全実力主義の『王我』を見習ってほしいものだ。


「と、とりあえず、中に入って詳しい様子を見たいんだけど、どうしたもんかな」


 話を逸らしてきた。

 見たところ窓は鍵がかかっている。窓に鍵がかかってて戸に鍵がかかってないなんてことがあるのだろうか。あたしは引き戸の一つを引いてみた。開かない。


「こっちも駄目だ」


 柳原がもう片方の引き戸を揺すっていた。


「この部屋は空き教室なのかな。それとも部室?」

「さあ? 教師を呼んでくれば?」

「い、いや。まだ怒られたくない。心の準備がまだだ」


 器が小さい上にへたれか。先代には遠く及ばないわね。

 教室が記されたプレートには『科学室』と記されている。


 隣の科学準備室の扉にも鍵がかかっていた。準備室に窓はないので、これで全部だ。この学校は戸締まりにはかなり気を使っており、夜間見回りの際に鍵の開いている部屋はきちんと施錠されるらしい。


「職員室にいって科学室の鍵を貸してくれ、って言うしかないわね」

「みたい、だな……。覚悟を決めるか」

「窓を割ったときに決めなさいよ。……安心しなさい。あたしも付いていってあげるから」


 だってあんたがへこへこする姿が見たくて追ってきたんだもの。

 と、面白くなってきたところで、何者かが声をかけていた。


「あのお、どうかしましたか?」


 振り向くと長い髪女子生徒がいた。セーラー服のリボンの色から同学年だとわかる。体系と背丈、髪型がアスマに似ていたから一瞬だけびっくりした。二カ所ある階段のうち、あたしたちとは反対側にある階段からきたようだ。


「ええと、君はこの部屋の関係者?」

「は、はい。私は写真部の青森あおもりはるっていいます。ここは写真部の部室なんです」

「科学室なのに写真部の部室なの?」


 何となく気になったので尋ねた。


「写真部ができたときは部室棟がいっぱいだったらしくて。ちょうどそのときに科学室を部室にしてた科学部が廃部になったからもらったらしい、です。……あの、野球部の柳原先輩がどうしてここに?」

「あっ、俺のこと知ってくれてるんだ。ありがとう。それがさ……」


 柳原は窓から室内を指差す。青森はゆっくりと中を覗くと、あっ、と声を漏らした。


「俺が打った球が窓を割っちゃったんだ。これから怒られるだろうから、早いとこ片付けを手伝いたいんだ。球も中に入っちゃったし」

「そ、そうなんですか。……そちらの方は?」

「野次馬よ。気にしないでいいわ」

「は、はあ」


 青森は持っていた鍵で引き戸を開けた。

 三人揃って写真部部室に入った。部屋をざっくりと見回してみる。水道付きのテーブルがいくつか並び、黒板の左側には準備室に通じていると思われる扉があった。片隅にある本棚にはアルバムらしきものが大量に詰まっている。まあ写真部なのだから当然か。


「あれ? おかしいな」


 柳原が首を傾げながら言った。


「どうしたの?」

「球がないんだ」

「知らない間に去勢されたってわけ? 怖いわね」

「違う! 硬球のことだ!」

「わかってるわよ」


 割れた窓。散らばる破片。その周囲に球は見あたらない。しゃがみ込んでテーブルの下を見るけれど、白い球体はどこにもなかった。


「変ね……」


 そんな感想が口からこぼれ出てしまった。

 青森も部屋の隅っこを探しているようだがどこにもないらしい。


「誰かが持ち去ったのでしょうか?」


 青森が誰にともなく呟く。


「そうなると、持ち去ったのはあんたってことになるけど?」

「ど、どうして?」

「考えればわかるでしょ。さっきまで扉には鍵がかかってたんだから、鍵を持ってたあんた以外に持ち出せない」

「あ、ああ、確かに。でも私じゃないよ。だって野球のボールなんて持ってても仕方ないし」


 それはそうだろう。有名選手のサインボールでもない限り、野球のボールなんて盗んだりしない。それも窓を突き破って飛んできたものを。


「どうなってるんだ? この部屋には入ってなかったのか?」


 部屋のあちこちを探しながら柳原が呻いた。


「それはないわよ。あたし見てたし」


 球は思い切り窓を破壊してこの部屋に消えていった。

 柳原は頭を掻き、


「ただでさえ窓を割ってしまって最悪な気分なのに、こんな不可思議な状況に出くわすなんて! どうなってるんだ!」


 わめく彼を無視して、黒板の左隣にある扉を開けた。やはり準備室に繋がっていたようだ。……とはいえ、大きめの掃除用具入れのロッカーが一台だけ鎮座しているだけで、球はなかった。まあ、壁を透けない限りここにあるわけないのだが。


 割れた窓のすぐそばを観察するがやはり球はない。


「……わっとと」


 青森が小さな破片を踏んづけたようで、慌てて足をどかしていた。

 あたしはそれを見てつい足元を見てしまった。右足の横に気になるものがあった。小さな窓ガラスの破片のなのだが、全体に細かい罅が入り白く染まってしまっている。床を見渡してみるも、他にここまでの罅の入った破片はない。


 ちょっと気になるわね……。

 廊下からかすかに複数人の足音が聞こえてきて、あたしは思考を停止させた。


「柳原。どうやらタイムアップみたいよ」

「え? どういう――」


 がらりと引き戸が開き、部長と思われる野球部員とコーチ、そして教頭が現れた。



 ◇◆◇



 柳原は教頭から厳しい追及を受けた。わざとだったんじゃないのか、とか言われていたが、もちろんそんなわけはない。あそこからピンポイントでこの部屋を狙えるわけがない。おそらくイチローでも無理だろう。


 教頭も当然そんなことはわかっていたようで、校長がいないから今日のところは練習に戻れとお達しが出た。校長に比べたら良心的だ。


 柳原は球が消えてしまったことを三人に伝えたが、三人は別に気にとめなかった。さらになくなった状況が不可解だと訴えるも三人は興味なさそうだった。普通の人間からしたら日常の謎なんてこのくらいの価値しかないのだろう。もっと派手なできごとなら話は別だろうが、硬球が一個消えたくらいで人間はさして動じはしない。


 その後、野球部部長と柳原が科学室のロッカーからちりとりと箒をを取り出し、手早く破片を回収してグラウンドに去っていった。柳原は球が消えたことに対し、最後まで疑問を抱いているようだった。


 科学室にはあたしと青森だけが残された。せっかくなので訊いておこう。もし仮に推理する場合、情報は多い方がいい。あたしはグラウンドで練習にいそしむ野球部を眺めながら口を開いた。


「ねえ、青森」

「は、はい。なに?」

「写真部ってあなた以外にいるの?」

「う、うん。もう一人同級生の室田むろた理恵りえって子がいるよ。あなたに似て小柄で可愛い子が」


 何よ。急に誉めてくれちゃって。気分いいじゃないの。


「今日はこないの?」

「そ、そうだね。帰ったみたい。今日、顧問の先生出張だから」


 部活出席日数に加算されないからか。


「あの子がきてれば、凄い興奮したと思うよ。理恵、柳原先輩の大ファンで、先輩の捨てたペットボトルをゴミ箱から回収するくらいだから」


 ストーカー予備軍じゃない。


「けど、恥ずかしがり屋だから面と向かっては会えないかも」


 純情なのか変態なのか。

 さて、どうしよう。消えた球のことをもっと追及しようかしら。

 突然、室内に聞いたことあるようなないような音楽が鳴り響いた。青森のスマホの着信音だったらしく、彼女はスマホを耳に当てた。


「もしもしお兄ちゃんどうしたの?」


 不躾ながら耳を済まして盗み聞いてみる。


『晴! 母さんが交通事故にあった! 意識不明でいま市民病院に搬送されたそうだ!』

「え、え!?」


 おいおい、とんでもないことになってるじゃない。


『すぐに帰ってこい! 一緒にいくぞ!』

「う、うん! わかった!」


 青森は真っ青になりながらテーブルに置いてあったバッグを手にした。

 彼女の母親には悪いが、好都合だ。


「鍵はあたしが職員室に届けておいてあげましょうか?」

「あ、うん! ありがとう!」


 青森が投げ渡してきた鍵をキャッチする。彼女はそのまま引き戸に向かうが、廊下に出る直前に足をとめた。


「どうしたの?」

「う、ううん。何でもない。戸締まりお願いね。えっと……野次馬さん」

「桂川よ」

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