ロッカー内の脅迫文
あたしは腕を組んで、さてどうしたものか、という姿勢を取った。一週間昼食を奢ってくれるのだからこの話に乗らない手などないのだが、まあちょっとした体裁を気にしてのことだ。ご飯を奢れば何でもやってくれる女子、みたいな噂が広まったらたまったものでは……いや、案外いいかも。
「まあ、いいわ。怪文書を送りつけてきた奴を特定してあげる」
二人はほっと胸を撫で下ろした。
あたしは四大悲劇と川澄の名が書かれた紙を示し、
「それじゃあ、この怪文書を受け取ったときのことを詳しく教えなさい。聞いたところ、このできごとしか情報になりそうにないし」
「どうして?」
川澄が訊いてきた。
「これ以外の怪文書は下駄箱や机の中っていう、誰でも入れれる場所に届いてたのよね? なら考えても無駄。だけど休日の、それも演劇部の女子更衣室のロッカーなら、大分犯人を絞れそうじゃない」
「ミノは演劇部の中に犯人がいるって考えてるの?」
「別に。けどそれなら話が早く助かるわ。あ、一応訊いておくけど、犯人に心当たりは?」
「ないわ。自分じゃそういうのは、よくわからなくて……」
まあそうでしょうね。だけど、さっきアスマが言っていたように、犯人は川澄に結構な執着心を抱いている様子だ。それなのに本人に心当たりがないということは、一目惚れした男子による犯行……?
「現場も見たいし、その更衣室に案内して」
あたしは立ち上がり言った。それからアスマの方を見て、
「あんたはどうするの?」
「うーん……どの道、佐渡原先生がくるまでは暇だし、せっかくだから付いていくよ。殺人事件と違っていつでも帰れるしね」
アスマは月曜日はそこそこ機嫌がいい。なぜなら、前日にイッテQを見てるからだ。
◇◆◇
女子更衣室に向かう途中で演劇部の基本情報を聞いた。部員は女子が十三人。男子が三人。共学の学校なら殆どがそうだろうが基本的に演劇部は女子部員の方が多い。部室は部室棟にあるが、更衣室は外にあり、普段は科目棟の多目的室で練習をしているらしい。偶に体育館でもするらしいが移動が面倒そうだ。
本番が近いだけあり今日も練習は行われているのだが、あたしに依頼をするため二人は抜けてきたらしい。大浦が寺島からあたしのことを聞いたのは少し前だったらしい。あたしの性格が性格なので頼みづらかったみたいだ。しかし土曜日の件を受けて、なりふり構っていられないとあたしのところにきたというわけだ。最終手段のように扱われているのが若干イラッとしたが、まあいい。
二人が説明し終えたところで、アスマが口を開いた。
「事件を解決する名案を思いついちゃったんだけどさ」
「え、なになに?」
大浦が興味を抱く。
「警察に相談するってのはどう? 犯人もどうせ紙に付いた指紋とか拭き取ってないだろうし、簡単に解決できるんじゃない?」
「無駄だと思うわよ」
「もう、ミノったら。いくらご飯を奢ってほしいからって否定意見を言わないでよ」
「そんな理由で否定したんじゃないわよ! いい? 犯人は文中で川澄に直接危害を加えるようなことを言っていないのよ。新聞の切り抜きは手の込んだきもいファンレターともとれるし、土曜日に受け取ったものは四大悲劇と自分の名前が書かれた紙ってだけ。写真だってただの朝顔だし」
「えー、でも警察もちょこっと調べるくらいはするんじゃない? ほら、明月さんとか十束さんとか、知り合いの人に頼めばさ」
「あいつらが素直にあたしたちの頼みを聞くとは思えないんだけど」
「警察の知り合いがいるの?」
川澄が驚いたように訊いてきた。
「ええ。いることはいるわ。仲はよくないけど。……なに、頼んでほしいの?」
川澄は首をふるふると振り、
「いや、いいわ。警察沙汰になったら劇が中止になりかねないもの」
「そういえば、さっきも『どうしても劇を成功させたい』って言ってたけど、何か理由があるの?」
「次の劇が、綾子にとってこの学校の演劇部の最後の劇になるからよ」
「どうしてよ……って、そういや転校するとかって言ってたわね」
「そういうこと」
ちょっと前のホームルームで言っていた。クラスがお別れ会とかやろう、という雰囲気になってたわね。出る気はないし、そもそも呼ばれないだろうけれど。
「川澄は女優なのよね? 大浦もなの?」
大浦の容姿は可もなく不可もなくといったところだ。
「ううん。私は部長と一緒に脚本を作ってるよ」
「ふぅん」
世間話もそこそこに、あたしたちは演劇部が使用しているという更衣室へとたどり着いた。場所はこの間、堀田が殺されていた倉庫のずっと右側に位置するところだ。体育館に近い。
更衣室だけあって窓はなく、扉が一カ所あるだけだ。周囲には数種類の植木鉢が置かれている。
「十年くらい前までは男子バスケットボール部の更衣室だったんだけど、不祥事があって部が潰れちゃったらしいんだよね。そこを当時勢いのあった演劇部がゲットしたんだって」
「体育館で練習するときは便利だけど、基本的には多目的室で練習しているから偶にしか使ってないのよね。ちなみに、男子は部室で着替えてるわ」
二人が口々に補足してくれた。
「確かいまは部長がいるはず」
大浦が扉を開けた。鍵はかかっていなかったようで、すんなりと開いた。中にはジャージを着て眼鏡をかけた女子生徒――ジャージの色から三年生とわかる――がいた。彼女が尋ねてくる。
「ええと、君たちが探偵役の子?」
あたしはとりあえず自己紹介をしたが、アスマはしなかった。アスマは基本的に自分から自己紹介というものをしない。理由は「人の名前を憶える気がないし、自分の名前も憶えてもらわなくて結構だから」というあれな理由だ。
あたしたちはひとまず更衣室に入った。
中央には背もたれのないベンチが置かれており、左右の壁にねずみ色の金属製ロッカーが並んでいた。ざっと見たところ左右に十台ずつ、計二十台のロッカーがある。ちゃんと鍵も付いているが、名札やネームプレートなどはなかった。
「それで、川澄が使ってるってロッカーはどれ?」
本人に訊いたつもりだったが、部長が答えた。
「それだよ」
扉から見て右側の一番奥のロッカーだった。
「どこが誰のロッカーって決まってるわけじゃないから、本当はどのロッカーを使ってもいいんだけど、何となく定位置みたいなのができてて」
まあ、あるあるね。
「じゃあ、怪文書……いえ、脅迫文にランクアップさせましょうか。脅迫文を発見したときの詳しい話を聞きたいわ」
「わかった。土曜日の朝、部活があったから私は学校にきたわ。いつもはもっと早くに学校へいくのだけど、その日は寝坊をしてしまって、結構遅くなってしまったわ。けれど家が割と近いから時間には余裕があったと思う」
「冬華、私がいくと毎回のように更衣室の前で待機してるから、その日は意外だったね」
部長が補足を入れてきた。
「え、冬華っていつもそんな早くきてたの!?」
大浦が驚く。
「ええ。話を戻すわね。体育館で練習することが決まってたから、私は荷物を置いてジャージに着替えようとこの更衣室に入ったわ。そしてロッカーを開けたらあの脅迫文と朝顔の写真がセロテープで貼ってあったの。思わず声を上げたわ。その後すぐに部員の子がやってきて、このことが部に広まった。……それまでは、怪文書を受け取っていたことを黙っていたのよ。みんなに心配かけたくなくて」
「なるほど。一番最初にここにきたのは誰だったの?」
「あ、私よ」
部長が手を挙げた。
「それじゃあ、鍵は更衣室から出るときどうしておいたの? 更衣室を開けっ放しにしておくわけにはいかないし、鍵をかけて体育館に向かったら後の人が入れなくなるわよね」
「ええっと、まず中に入ったら鍵を閉めておいて、人がきたら鍵を開けて中へ入れる。外に出たら鍵を植木鉢の下に隠しておく。こんな感じだよ」
「杜撰ね」
「人通りが少ないから大丈夫。それで、最後にきた部員が更衣室の鍵を持ってきて、私がそれを預かる」
ロッカーに刺さっている鍵を数えれば自分の順番がわかるのね。
「その日、あんたの前に鍵を借りた奴はいたの?」
「いないよ。私にしか借りれないようになってるし」
「そんな決まりがあるのね」
「まあこの学校無駄にセキュリティが厳しいからね。他にも、休日は運動部以外の部活は八時半時をすぎないと鍵を借りられないって決まりもあるよ」
「何のための決まりなのかしらね、それ」
「八時半が鍵を管理してる先生の出勤時刻なんだって。無関係の部室に忍び込んで何かを盗もうとする輩を出さないためだとか」
ほんと、無駄にセキュリティはばっちりね。それなら校内のあちこちに監視カメラでも付ければいいのに。殺人事件も二回起きてるんだし。
「あんたも八時半すぎに鍵を借りたの?」
「うん、演劇部は運動部じゃないからね。集合時間は九時だけど、私は三十分前くらいにきてるかな」
真面目な部長みたいね。他に質問することは……。
「じゃあ、土曜日の前にこの更衣室を使ったとき、最後にここを出たのは誰だか憶えてる?」
「確か……水曜日だったね。私と冬華と綾子、それからここにはいない二人と同時に出たわ」
「その後、鍵を返すときはあんた一人で?」
「ううん。みんな付いてきてくれた。そうだったよね?」
部長が尋ねると大浦と川澄は頷いた。
「川澄がいたってことは、あらかじめロッカー内に脅迫文を貼っておくことができないってわけね」
部長が目を剥く。
「え、私たちを疑ってたの?」
「ええ。疑ってたわ。というかもう確信してる」
「犯人は演劇部にいるの?」
アスマの問いに首肯する。というかこいつならちょっと考えればわかるだろうに。
「普通に考えればわかるでしょう。ここに入れたのは女子演劇部員だけなんだもの」
「誰かが植木鉢に鍵を隠すところを見てきて、それで侵入したってことはない?」
川澄が神妙な面持ちで訊いてくる。身内が疑われるのは悲しいらしい。しかしあたしは彼女の疑問を即座に解消する。
「ない。鍵の隠し場所はそれで探れるとしても、川澄が使ってるロッカーまではわからないでしょ。ここのロッカーには名札がない。川澄は何となく定位置だから、って理由でそこのロッカーを使用しているだけなのよね。その定位置を知っているのは女子演劇部員だけ」
「で、でも、犯人が更衣室内を盗撮してて、それで知っているという可能性も……」
「それもない。ここの更衣室は偶に使う程度の場所なんでしょ。そんなところに盗撮カメラをしかける旨味は?」
川澄は諦めたように黙り込んだ。
一応、演劇部がこの更衣室を使う、という情報を知り得る人間がその日にピンポイントでカメラを仕掛ければ、あたしの問いに答えることができる。しかしその情報を知り得ることができるのは部の関係者……もっというと男子部員たどだ。結局身内を疑うことになる。
といっても、男子や部外者が犯人という可能性はかなり少ないのだが。
「そもそも、よ。演劇部員たちが続々と集まってくるっていうのに、男子や部に関係のない人間が更衣室に入れるわけないでしょ。見られたら一発アウトよ」
「それも、そうだね」
大浦が納得したように呟いた。
「部員が体育館にきた順番とか、知っときたい?」
部長が尋ねてきた。頷いておく。
「憶えてるの?」
「うん。部長として一応……」
「ふぅん。部員の中にいる可能性はちゃんと考えていたのね」
「まあ、ね。……ええっと、みんなで確認しあったから確かなはずだけど、まず私が最初にきて、ジャージに着替えてたら友達からLINEが着て返信してたら扉がノックされて大野って部員がやってきて、一緒に体育館へいって、次に綾子がきて、その後浪川って部員――」
「長くなりそうだから、もういいわ。体育館にやってきた順番はいくらでも偽装できるからさして重要じゃないし」
例えば、犯人が三番目にきていたとしても、脅迫文を貼って現場を去り、どこかで時間を潰して再び更衣室に戻って着替えれば順番は偽装できる。
「いまわかるのはこのくらいね。女子部員が十三人だから、川澄の自作自演じゃない限り、容疑者は十二人ってことになるわ。後は犯人がもう一度目立つアクションをしてくることに期待するしかないわね」
「え、もう終わりなの?」
川澄が不安そうに言った。
「手掛かりが少なすぎるのよ」
「それは、そう、だけれど……」
「なに? 怖いの?」
「え、ええ」
「大丈夫よ。犯人は次の劇を楽しみにしてるんだもの。少なくとも発表会の日までは問題ないわ」
そう言って、あたしとアスマは三人と別れた。後になっても、別に後悔はしていなかった。この状態で犯人の特定など不可能だったからだ。
その週の金曜日。演劇部の発表会があと二日まで迫った日だった。放課後、部室にいたあたしのスマホに大浦から電話がかかってきた。
『か、桂川さん……。冬華が、冬華が殺されちゃった……!』
まじか。




