球のロジック【解決編】
学校のゴミ捨て場であたしは目当てのゴミ袋を探していた。アスマはそんなあたしを冷たい目を向けてくる。
「ミノ、ゴミ漁りをするほどお金に余裕がないんだね。言ってくれれば貸してあげるのに」
「ジャンプ買えるくらいの余裕はあるし、というかさっきお金持ってないって言ってたわよね?」
「あ、そういうばそうだね」
ほんとテキトーだなこの女は。アスマが金を持ち歩いているということは殆どない。こいつは財布もスマホも持ち歩かないのだ。
哀れんでくるアスマを無視し、ゴミ袋を探していると、ようやっとあのゴミ袋を見つけ出した。結ばれていた口を開くと、窓ガラスの破片が入っていた。柳原と野球部部長が片付けたものだ。
その破片の中から小さめのものを二つ取り上げた。
「アスマ、教室に戻るわよ」
「え、どうして?」
「あんたの推理が間違っていること、そして事件の真の事実に気付いたからよ。それを証明したいの」
「えー、別にいいじゃんそんなことしなくても」
「探偵役を担ったのならその推理に責任を持ちなさい。それが間違っていたとしてもね」
「誰の台詞なのそれは」
◇◆◇
再び二年B組の教室にやってきた。教卓の前に立ち、例の細かい罅は入って白くなった窓ガラスの破片を取り出す。
「これ――白い破片と呼称するわ――、あんたの推理では室田が踏んだことになってたわよね?」
「そうだね。けど別に青森さんでもいいよ。二人とも科学室にいたかもしれないし」
「そうね。あたしもそう思う。二人は一緒に科学室にいたのよ。だけど二人のどちらかが白い破片を踏んだというわけではないの」
「どういうこと?」
あまり興味なさげに訊いてくるアスマの若干の苛立ちを覚えつつ、先ほど収集した小さな破片――白い破片と同じくらいの大きさ――を取り出し、床に置いた。
「見てなさい」
あたしは床に置いた破片を踏んづけた。目一杯体重をかけ足をどかすと、踏む前と何も変わらない破片が現れた。
「青森の話では室田はあたしと似て小柄なのよ。体重とかもあたしと大差はないだろうし、むしろあたしの重いでしょうね。思いきり踏みにじれば別でしょうけど、いまみたいに体重をかけたくらいでは白い破片のような罅が入らないのよ」
「じゃあ青森さんが踏んだんじゃないの?」
「だったらアスマが踏んでみなさい。青森の体系や背丈はあんたとそっくりなのよ。だから体重も同じくらいでしょう」
アスマは破片を踏み、ぐっと体重をかけた。しばらくして足をどかすと、やはり破片は何も変わっていなかった。
「罅、入らないね。ミノはこうなることを知ってたの?」
「ええ。青森が小さな破片を踏んでるのを思い出したのよ。だけどそれは白い破片のようになっていなかった」
そもそもガラス破片を踏んだとしても、さっきのあたしたちのように全力で体重をかけるというようなことはまずない。
「白い破片? を踏んだのが二人じゃないなら、一体誰が踏んだの?」
「室田をおんぶした青森よ。実践するわよ」
「え?」
アスマがぽかんとした表情になる。
あたしは床に落ちている破片を拾い上げ、もう一つ持ってきていた破片と交換した。それからアスマの姿勢を無理やり低くさせ、あたしはその背中に脱力した身体を預けた。
「ぬぐっ」
いくら小柄なあたしの身体といえど、ろくに運動をしていない非力なアスマにとっては重いようだ。しかもあたしはこいつの肩に捕まるなどして、アスマの負荷を軽減していない。
「ほら、破片を踏みつつ歩きなさい」
アスマはゆっくりと腰を上げ、足を動かし、破片を踏んづけ、逆の足を出し、破片から足をどかして一歩を進んだ。
あたしはアスマから降り、破片を確認した。……ビンゴ!
大きな圧力が加わった破片は白い破片のように細かく多量の罅が入っていた。あたしたちの体重が増えたことと、おんぶが不慣れで一歩一歩に体重が乗っていたからだ。あたしがこれに気付いたのはイッテQに出ている女芸人たちが重そうだったからである。
「なるほどお。確かにおんぶすれば白い破片みたいになるようだけど、青森さんでも室田さんでもない完全なる第三者が踏んだって可能性もあるよね。背が高くて体格のいい男の人とかが踏んでもこうなるんじゃない?」
「そんな奴が科学室にいる必然性がないでしょ。顧問は出張でいないみたいだし」
「必然性で言ったら青森さんが室田さんをおんぶする必然性もないよ」
あたしはちっちっちと人差し指を振った。
「それがあるのよね。詳しくは現場に向かいながら説明するわね」
アスマはいい加減帰りたそうにしていたが、あたしは有無を言わせなかった。
◇◆◇
職員室で鍵を借り、科学室へと向かう。
「まず最初から話していくわね。青森と室田の二人は科学室にいた。鍵を借りたのはどっちでも構わないわ。顧問が出張中で部活出席日数に加算されないにも関わらず二人が部室にきていた理由は――もちろん単純に部活をしにきていたのかもしれないけれど――部屋から野球部の練習を見るためだった」
「ああ、なるほどー。室田さんは恥ずかしがり屋の変態さんだから遠くから何とかって人を眺めたかったんだね」
「柳原ね。もしかしたら遠くから堂々と柳原の姿をカメラで撮っていたのかもしれないわ。そんな室田に青森が付き合っていたのは単純に仲がいいからか、青森も柳原のファンだったからか。個人的には後者だと思う」
何の意識もしてなかったから、柳原と対面したときに反応するはずがない。それから青森が球を持ち去った動機も後者の可能性を高めている。
「そうして涎を垂らしながら柳原を撮影していた室田に悲劇が訪れた。柳原の打った球が科学室の窓を突き破ってしまったのよ」
アスマがポンと手を叩いた。
「ああ、そういうことか。窓辺に立っていた室田さんの頭に直撃して、昏倒しちゃったんだね」
「おそらくね。近くにいた青森は状況が飲み込めず悲鳴すら上げられなかった。そこへ外から柳原が声をかけてきた。このままでは彼がきてしまう。人がきてしまう。青森は焦った。球が室田に直撃したことが知られたら柳原が三ヶ月間の部活禁止になりかねない。そういう前例があるのを青森は知っていたのでしょう」
「いま部活が禁止になると地区大会に出られないんだね」
「野球部が甲子園に出場できれば活躍の場はあるでしょうけど、柳原抜きじゃ甲子園はまず無理。そこで青森がとった行動は、気絶した柳原をおんぶして隣の準備室に運び込むことだった。そのときに窓ガラスの破片を踏んだのよ」
割と酷い行いだが、室田が起きたとき柳原が部活禁止を言い渡されたことを知ったら、きっと室田は自分を責める。そうも考えたのかもしれない。
室田がいまだに帰っていないのもこのことが理由だ。柳原をじっくり観察できる穴場・科学室にはあたしが鍵をかけたから出入りできない。だったら室田は家にも帰らずに何をやっているのかって話になる。何度も言うがこの学校の戸締まりはしっかりしているので他の穴場の教室には入れない。上履きが残っていたので外へは出ていない。室田が帰りたくても帰れない状態にあるなら、それらに説明がつくのだ。
「でもさミノ。そうすると球はどうして消えてしまったの? 青森さんが持ち去ったんだろうけど、そんなことしても不自然なだけだよね?」
「持ち去らなきゃいけなかったのよ。球が室田の頭に直撃したとき、室田は軽く出血して、その血が球に付着してしまったんだと思う。青森はそのことに室田を準備室に運び込んだ後に気付き、慌てて拭き取ったはいいが血が伸びてしまったか、慌てて水道で洗ったはいいが本末転倒なことに気がついたかして、球を持ったまま部屋に鍵をかけて、室内に誰もいなかったことにしたのね。あたしたちみたいに、たかだか硬球一個が消えたことをここまで追及する人間がいないと思ったんでしょう」
「まあそうだろうね。あたしたちって付けるのは何となくやめてほしいけど。……その後、青森さんは何とかって人が上がってくるであろう階段を避け、別の階段に身を隠したんだね」
「そう。そして頃合いを見計らって現れる。気絶してる室田が覚醒したら意味がなくなるから、早いところあたしたちに去って欲しかった」
「ミノたちが帰った後に室田さんを起こすつもりだったんだね。だけどお母さんが交通事故にあってしまったから、それができなくなった」
青森が帰るのを一瞬だけ渋ったのはそれが理由だ。
「それで、ずっと思ってたんだけど室田さんは準備室のどこに隠されたの? ミノが準備室を覗いたときはいなかったんだよね?」
「一カ所だけあるわ」
科学室の前にやってきたあたしは準備室の鍵を開けて中に入った。その瞬間アスマが納得した声を上げた。
「ああ、なるほどね」
あたしは掃除用具入れのロッカー(それも大きめの)を開けた。ほうきやバケツとともに制服を着た小柄な少女が入っていた。
「はいビンゴ」
「ぱちぱちぱちぱち」
アスマがどうでもよさげに拍手した。無理やり付き合わせといて何だが腹立つ。
あたしはロッカーの中でぐったりしている室田に呼びかける。
「ねえあんた! いつまで寝てんのよ! 起きなさい!」
まったく反応しない。……ったく。
あたしは室田の肩を揺すった。
「おーい! 起きろ!」
室田の身体がぐでんと力なくこちらに倒れてきた。……まさか。
流石に嫌な予感を感じ、室田の首に手を当てた。思わず声が漏れる。
「……生ぬるい」
「うーん、あんまり面白くないかなあ」
「脈も、ないわ」
「いや、だから……え、ほんとなの?」
あたしの出す雰囲気が尋常じゃないことをKYの極みであるアスマも感じ取ったようで、しゃがみ込んで手首を握った。
「うわあ、ほんとだ。硬球が頭に当たったくらいで人って死ぬんだねぇ。もしかして球が当たったとき既に死んでたりしたのかな?」
「いえ、それだともう死後硬直が始まっててもおかしくないから、たぶん数十分前に死んだんだと思う。青森がすぐに救急車を呼んでれば助かったかも」
「ということは青森さんは何とかって人を助けようとした結果、友人を亡くし、彼を人殺しにしてしまったっていうこと?」
「そうなるわね。人殺しと言っても過失だけど……」
ただのお遊びのつもりがとんでもないことになったわね。予想できなかった展開に頭痛がしてくる。死体を見たのは初めてではないけれど、あんまり楽しいものではない。
「どうするの?」
やはりというか、アスマからはまったく動揺が感じられない。かくいうあたしも言うほど動揺しているわけではなく、直感通り面倒なことに巻き込まれたと思っていた。
「教員を呼んで、警察に連絡するしかないでしょ」
「そうなるとさ、私たちって第一発見者ということになって、事情聴取とか受けることになるよね?」
「まあ、そうでしょうね。推理したことを話すことになるわ」
アスマが立ち上がった。
「じゃあミノ。後はよろしくね」
「はあ?」
「私は帰るよ。事情聴取なんて受けてたら帰りが遅くなっちゃう。私早くイッテQを見たいから」
アスマはそれだけ言い残すととことこと帰っていった。巻き込んだのはあたしなのだし、流石に引きとめることはしなかったが、やはりというか、わかりきっていたことだけれど、ぶれないわねアスマは。
その後、あたしは警察から事情聴取を受けることになった。あたしの話を聞いた刑事たちは疑わしそうに青森に連絡を取り、彼女はそれを認めたようだった。その間、なぜかあたしが犯人扱いされたり、雨が降ってきて洗濯物を干していることを思い出して絶望し、夜八時に傘も渡されることも誰かに車で送ってもらうこともなく帰らされた。ずぶ濡れになった。あたしもアスマと一緒に帰っとけばよかったと心の底から思った。
青森の行為は別に犯罪ではなかったので特に処分は下されなかったが、自主的に学校を辞めた。柳原も完全無欠の事故であったため警察にひっ捕らえられたりはしなかったが、野球部を退部になった。
室田の死体はほっとけばそのうち発見されていたと思う。そうなっていても青森と柳原の運命は同じことだったろう。だとしたらあたしは何のためにこの謎を解いたのかという話だ。洗濯物が全滅して、ずぶ濡れで帰って翌日風邪ひいて……これじゃ自分が自分から不幸になっただけではないか……。最悪である。




