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 夏が近いとはいえ19時過ぎの本相模川沿いは暗闇で覆われ、数百メートルおきに設置された電灯を道しるべに球場へ向かう。


「……流石に誰もいないか」


 球場内の照明は消えている。

 どうやら雫さん達は練習していないらしい。

 まぁ、女装した俺を見られたら確実にからかわれたと思うので、これ以上の精神的ダメージは無いと信じたい。

 他人からの奇異的な視線は感じたが、それはユニフォーム姿を珍しがっているだけ。

 有栖川に初めて訪れた際の廃棄物を見るような目ではないことは確かだが、女装が似合う男って正直喜べない。


「はぁ……」


 俺は梨乃とクリスに飲み物を奢った自動販売機の横のベンチに座り、漆の到着を待つ。


「相変わらず気持ちわりーです」


 と冷めた口調で暗闇から現れたのは制服に着替えた漆、俺をここに呼んだ張本人だ。


「着替える時間が無かったんだからしょうがないだろ」


 簡易トイレで着替えることも考えたが、メイク落としは持ってないしこの格好で店に入る勇気はない。


「清美はいないのか」

「清美には先に帰ってもらったです。……清美にやらしい気持ちでもあるですか」

「いや、お前と漆はセットってイメージだから」


 アクルの投球練習を見た以外で単独行動している姿は見なかったし。


「……別に良いじゃねーですか」


 言いながらエナメルバックをベンチの中心辺りに置くと、隙間を埋めるように俺の隣へ座る。

 身体が小さい分項の部分が見下ろす事ができ、女子独特の甘い香りが鼻を擽る。

 こいつも女、ということを再認識する。


「何ですか……ジロジロ見やがって」

「うるせ。それより、何から聞きたいんだ」


 腕を組み正面を向き、視界の左側で漆の様子を確認する。

 足を前へ後ろへブラブラ揺らし、両手でベンチの端をにつまみあさっての方向を見つめる漆の姿は、どこか神秘的な雰囲気を醸し出していた。


「入団……。なぜ断ったですか」


 ふいに口をした漆はこちらを見ない。

 聞いてくると予想はしていたが、無に等しい感情に緊張が走る。


「女子と男子、同じプロでも圧倒的に違うです。知名度、待遇……何が気に食わなかったですか」


 漆が言うとおり、性別以上に差が有る。

 指名され契約する男子とは異なり、女子は合同トライアウトを受験し合格する必要が有る。

 合格しても給料は男子の半分程度で、サラリーマンの平均年収より下だ。

 どんなに成績を上げても一億円プレーヤーが誕生することは無いし、余程の事が無い限りメディアに出ることは無い。


「野球が楽しく無くなった、それだけじゃ駄目か?」

「本当にそうですか?」


 言い逃れをさせない、そんな強い意志の籠もった声に開いた手のひらを握りしめる。

 楽しくなくなった、理不尽な扱いに自棄がさした。

 単純な理由で野球を侮辱し、記憶から消そうとした。

 本当にそれだけだった、あの頃の俺は。


「まぁ良いです。てめぇーの腰抜け具合は分かったです」


 刹那、漆は立ち上がりエナメルバックからグローブと硬球を出し俺の腕を引っ張る。


「……なにグズグズしているですか。さっさと行くです」

「あぁ」


 細い目の威圧に素直に従った俺は袋からグローブを取り出し左腕にはめる。

 何をするかなんて聞く必要はない。

 球場の入り口の方へ行き、電灯の光が届く最大の距離を適当に空ける。


「……いくです」

「こい」


 ワインドアップからの初球

 マウンドでの勇姿とほぼ変わらない右腕から繰り出した硬球は、胸元で構えていた俺のグローブを乾いた音を立て収まる。

 キャッチャーミットより薄いセカンド用のグローブで良い音が鳴る、素晴らしいボールだ。


「ナイスボール」

「……当然です」


 漆とは対照的なやまなりに返球すると、漆は体を横に向けて取り下ろしグローブをはめ変える。

 そして、左腕から放たれた硬球をキャッチした俺は頷き、漆のドヤ顔を眺める。


「そういや、いつからスイッチやっているんだ?」


 返球と同時に声を上げると漆はボールをグローブに入れたまま腕を下ろす。


「……中学の時です。まだ友人でもなんでも無かった清美に、無理矢理シニアチームに連れて行かされたです」


 案外遅いな。

 まぁ、プロ野球選手でも高校から始めた人もいるくらいだから、異例ではないが。


「そしたらいきなり勝負を申し込まれたです。清美は右投げですから右投げ用のものしか持っていなかったです……字は右に矯正されましたが、基本左利きです」


 右投げ、つまり左手にはめるグローブ。

 ポジション別に複数持パターンはあれど、利き手違いを常備している人はいないだろう。


「予備も右利き用しか無かったですから利き手を隠して勝負したです。……清美、プライド高いですから」

「それで、勝ったのか」


 俺は投げ返すと、漆はキャッチし視線を逸らして頷く。


「あの時は猿山の大将でしたからね。空気読みやがれ、て雰囲気否め無かったです」

「あいつ、荒れていたのか?」

「いえ、ワイルドさに目を付けた不良グループが一方的に仲間意識を持っていただけです。最近は決別したらしいです、誤解するなです」

「はいはい」


 まぁ、女子のカテゴリーでも体がデカい方だし、喧嘩強そうだしな。

 俺、初対面で身体持ち上げられたしな。


「それで、利き腕がバレてどうなったんだ?」


 共に生活していればいずれバレるし。


「……最初は怒ったです。でも、清美は認めてくれたです。漆と、初めて向かい合ってくれたです」


 漆の頬角が上がり、楽しさに満ちた表情で俺へ投げ込む。

 その姿を、俺は見逃さなかった。


「そうか」


 俺は深追いをせず、漆からのボールを黙って受け取る。

 始めた鑑みた漆の人間味に新鮮さを感じつつも、バッテリーの確かな信頼関係を改めて実感する。


「腰抜け野郎が何やろうが勝手です。ですが、漆は清美に恩返ししたいです……覚悟、持ちやがれです」

「分かったよ」


 俺は大きく振りかぶって全力投球。



……パンッ!!



 川の水音を打ち消す乾いた音が耳元を圧迫する。



「……やればできるじゃねーですか。でも女装はキモいです」

「うっせ。俺だって好きでやっているわけじゃない」

「勝負に負けたのはてめぇーです。せいぜい極めやがれです」


 最後に痛烈な毒舌を吐いた漆は、微笑みながら左腕で投げ返す。

 正直、女装さえしてなければもっと格好がついたのに、人生上手く行かないものだと真摯に受け止める。

 まぁ、漆の夢への道は継続すると考えれば俺の性別など、どうでも良いことだろう。

 



 過去との決別。

 誰もが抱く苦いものを解消するには努力しかない。

 どんなに願っても改変することは不可能。

 なら、今まで以上に頑張って上塗りするしか方法は無い。

 俺達の夏はまだ始まったばかりだ。


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