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【短編】玉

思いつき短編二作目です。

 私がその音に気付いたのは、三日後までに提出しなければならないレポートを書き終えた、午前0時頃の事であった。煎った大豆を転がしているような、いや、そう、まるで年末の福引のガラガラと音を立てて玉を一つ弾き出す、あの機械を回しているかのような音だった。

『ガラガラガラガラ』

 遠く微かに聞こえてくる音は、やがて闇に飲まれて消えていった。


 私は此処一ヶ月程、このレポートに心血を注いでいた。次の三年次に上がると所属するゼミを選択する事になるのだが、そのゼミ生を選別するための謂わば試験であった。

 私は何としても榎本教授のゼミに入りたかった。考古学の権威と呼ばれる榎本教授の教えを乞う為に、寝食を惜しんでひたすらに勉強して、この大学の特待生の資格を得て入学した私にとって、己の生涯を定める試金石であったのだ。

 幼くして両親を亡くし、親類間を転々として生きてきた私にとって、この道で学を成す事が、志半ばで命を絶たれた父の無念を晴らす事に思えてならなかった。一分の迷いも無く父の恩師でもあった榎本教授の門を叩いたのには、そうした理由があった。




「よお、お前もか」

 翌日、徹夜明けらしい寝惚けた顔で購買部のコピー室に顔を出したのは、学友の高橋だった。私のような苦学生では無く、親元から通う高橋は如才のない男で、サークルだ旅行だと遊び回ってはいたが不思議と単位を落とす事も無く、彼も榎本教授のゼミを狙っている一人だった。理由はなんとも不謹慎ではあるが「日本中を旅出来るからな」というものではあったが、私がそれをとやかく言う理由も無いので、時折声を掛けてくる高橋を邪険にする事は無かった。

 寧ろ、不要になったパソコンを無償で貸してくれたり、代返の礼だと学食を奢ってくれたりと、恩恵を被っている事も多かった。

 彼もまたコピー機を使って、出来上がったレポートのプリントアウトを欠伸をかみ殺しながらしていたが、私が先に終わって「じゃあ」と声を掛けて行こうとしたら、「あ」と思い出したように顔を上げた。

「そう言えば、社会史の井上教授がお前の事を探していたぞ。早く行ったほうがいい」

 社会史のレポートは既に提出済みであるし、特段の用事があるとは思えなかったが、何かレポートに不備があったのかもしれないと思い至った私は高橋に礼を言って、社会史学教室のある西校舎へと急ぎ足で向かった。

 

 高橋が嘘を付く理由が思いつかなかったが、井上教授は今日は居られず、講義も休講になっていると説明を受けて、私は最初の目的の榎本教授の教授室を訪れた。

「ご苦労様。楽しみにしているよ」

 レポートを受け取った温厚な榎本教授の恵比寿顔を見て、私は少しはにかんだ笑顔で頭を下げた。私の顔を見ると父を思い出すと常々語ってくれている教授と、来年からは共に研究に汗を流す事が出来るのだと、私は期待を籠めて深々と頭を下げた。




 それから暫くの間、私はレポートのために代わってもらったバイトの穴埋めをせねばならず、大学で机に張り付いた後は、脱兎の如く勤め先のコンビニに走って深夜勤務をこなす日々が続いて、極度の寝不足からあの日聞いた音の事などすっかりと忘れていた。

 ところが、あれから一週間後、私の足元が音を立てて崩れていく出来事が起こった。

 提出したレポートが突き返されたのだ。学内の廊下で呆然としている私に、レポートを持ってきたゼミの助手は、苦笑いをして言った。

「随分と大胆な事をしたようだけど。教授は大層がっかりされていたよ。あの男の息子がこんな事をするとは、とね」

 助手が何を言っているのか、私には分からなかった。短い言葉を掛けて去って行く助手の背中が見えなくなっても、私はその場から動く事が出来なかった。


 その理由は直ぐに分かった。書き上げたレポートの途中部分がごっそりと脱落し、其処には私が書いた物では無い文章が丸ごと一章挿入されていたからだ。その書き出しの一行を読んだだけで、私にはその書き手が誰なのか分かった。

「何で、榎本教授の論文が丸ごと……」

 一字一句諳んじて言えるほど読み込んだ榎本教授が過去に発表した論文と同じ文章が、一字も違えずにまるで自分の発見であるかのように其処には記載されていた。

 そんな馬鹿な、と私は思った。レポートを打ち込んだパソコンを震える手で立ち上げて、保存されていたファイルを開くと、其処にあったのは今手元にある突き返されたレポートと同じ内容に書き換わっていた。

「そんな、そんな事は……」

 何が起こったのか、私には分からなかった。

 元々パソコンには縁の無い生活で、

「今は皆ノーパソだぞ。お前も一台ぐらい持ってないと。俺の余ってるのを貸してやるから」

 と高橋に言われて、設置から何から全てやって貰って初めて使い方を覚えたぐらいで、何をどうすればこんな事が起こるのか、全く見当が付かなかった。

 ただ、はっきりとしているのは、私はもう教授のゼミには入れないという事実だけだった。メールボックスに届いていた高橋からの『俺ゼミに受かったぞ!』という件名が、光を失った虚ろな私の瞳に映っていた。

『ガラガラガラガラ……カタン』

 また、あのザラザラと玉を転がすような音が何処からとも無く聞こえてきて、今度は最後に何かが転がり出て金属皿をコロコロと転がっている音がした。

 果たしてその玉の色が何色なのか、私は振り返って見る事は出来なかった。

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