特訓前日
色々と紆余曲折があって男装生活を送ることになったけれど、今では一人で着物も着られるようになったし、和服での立ち居振る舞いにも慣れて、違和感なく過ごせるようになってきた。
——うん、改めて思うけど、現代の洋服ってめちゃくちゃ楽だったんだな……。
何より、一番の苦難はトイレだ。
「ウォシュレットなんてあるわけないって分かってるけどさ、トイレットペーパーの代わりに木のお尻拭きって……」
この時代に紙が貴重なのは頭では理解している。頭では分かっているけれど、いざ現実になるとやっぱり木かぁ……と遠い目をしてしまう。
紙といえば、もう一つ大きな問題がある。未だに戦国時代の崩し字がほとんど読めないことだ。
一応日本語なはずなのに、なんでこんなミミズが這ったような文字なんだろう……。
でも、みんなが気を遣ってくれているのか、それともこの時代は文通が盛んなのか分からないけれど、元就様も五龍ちゃんも、そして元春様も頻繁に手紙をくれる。
私が読めないのを分かっているからか、少しだけ読みやすく崩しを緩くしてくれているみたいなんだけど……それでもやっぱり難しいものは難しい。
しかも、毎日忙しいはずの隆元様が時間を割いて文字の読み方を教えてくれるから、私も少しずつ読めるようにならなきゃ申し訳ないよな……。
こんな調子で、戦国時代の生活にはまだまだ慣れないことばかりだ。
だけど、周りに女だと疑われないようにするためだけじゃなく、ちゃんと一人の人間として、この毛利家で役に立てるようにならなくちゃいけない。
……いや、違う。役に立ちたいんだ。
だって、ずっと憧れていた方々のすぐ側でこうして動かせてもらえているんだから……!
思い切って、少し肌寒い外へと飛び出す。
身を刺すような朝の寒さが、逆に私の背中をシャキッと押して気合を入れてくれる気がした。
手紙によると、明日は元春様がこの屋敷に来るらしい。だから私は、思い切って稽古をつけてもらう約束をしたのだ。
文字の勉強だけじゃなく、見よう見まねで木刀の素振りも練習している。
だけど、今までそんな重いものを振り回したことのない私じゃ、刀の重さに身体ごと持っていかれてしまう。
うーん、どうすればもっとうまく振れるんだろう……。
「雫、精が出るな」
「隆元様! おはようございます!」
「おはよう。朝から素振りとは感心だな」
「はいっ!」
「よく頑張っているな。明日は元春が来るから、いつも以上に気合いが入っているように見えるぞ」
ふんわりと柔らかく笑う隆元様を見ていると、この人は本当に誰からも好かれる温かい人なんだなと改めて実感する。
「はい! 元春様に稽古をつけてもらおうと思って!」
「そうか。元春は武芸に秀でているからな、きっと良い稽古になるだろう。
……そうそう、明日は景も来る予定だから、合わせて紹介しようと思う」
「隆景様が……っ!」
思わず、背筋がピッと硬くなる。
「景はそんなに怖い男ではないから、安心してよいぞ?」
うっ、見事に心の動揺を読まれていた……!
「あ、あの……隆景様は、どのようなお方なのですか?」
「そうだな……思慮深く、賢く、そして何より頼りになる自慢の弟のひとりさ」
そう言って笑う隆元様の目は、年の離れた末弟のことを思い浮かべているのか、どこまでも優しく温かい色をしていた。




