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鼓星  作者: 吉川元景
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大内義隆と未来

雫殿の肩に額を預けたまま、儂は深い溜息をついた。その吐息は白く、部屋の冷気に溶けていく。

「……世の者は、義隆様を『尼子に敗れて戦を捨てた文弱の徒』と嘲笑う。だが、雫殿……儂が見てきたあのお方は、誰よりも強く、そして孤独な開拓者であった」

脳裏には、山口で過ごした人質時代の光景が、鮮やかな色彩や匂いを伴って蘇っていた。

「あのお方は仰った。『隆元、雪舟が描くこの墨一色の山水を見よ。色がなかろう。だが、見る者の心に平和があれば、そこには極彩色の四季が宿るのだ』とな。あのお方は、武力という暴力的な力ではなく、文化という、百年先まで枯れぬ『豊かさ』で国を統べようとされていたのだ」

机の上の描きかけの絵を、愛おしそうに見つめる。

あの時は本当に見るもの聞くもの全てが新しく、全てが愛おしいものに見えていた。

雫殿は何も言わずに、相槌の代わりに儂の服の上から背中を摩っていた。

「月山富田で敗れてなお、大内の領土はかつてないほどに広がり、潤っていた。それはあのお方が、戦わずして理を説き、異国との交易を拓き、知の力で世を動かしておられたからだ。……あのお方は、弱くなったのではない。戦うことよりも、もっと困難で尊い『平和な世の仕組み』を作ろうと、一人で戦っておられたのだ」

その言葉に抱きしめる雫の腕に、さらに力がこもる。

「……父上は、戦国のことわりを説く。家を守るためには、沈みゆく船から飛び降り、勝者に味方せねばならぬと。それは正しい。毛利を守るためには、それしか道はない。……だが、そうして守った『毛利の世』に、義隆様が愛したあの美しい彩りは残るのだろうか。……儂は、あのお方の理想を、この手で、泥に沈めようとしているのだ」

掠れた声は、最後には自分でも分かるほど悲鳴のような響きを帯びていた。


あれほど父上には雫殿には未来を聞くなと啖呵切っておいて喉元まで「未来では毛利家はどういう風に描かれている?」と出かかっている。

それがもう止められなかった。情けない。

「……雫殿。……儂はこれまで、お主のいた未来のことを、あえて聞かぬようにしてきた。……帰れるか分からない故郷を想うのは辛かろう。そして未来を聞いてしまえば二度とお主を未来に帰せなくなってしまうかもしれない。それが怖かった。」

腕に、少しだけ力がこもる。

「……だが、今夜だけは、許してくれ。……聞かせてもらえぬか。お主がいた、あの平和な未来の話を。……あのお方が、義隆様が作ろうとしていた、誰もが笑って筆を握れる世が……本当に、ずっと先にあるのだと、教えてほしいのだ。」

それは、戦国を生きる武将としての矜持を捨てた、一人の男としての、あまりに切実な「甘え」だった。

儂は本当に弱い。

父上のように謀が上手くも無ければ、春のように武に優れているわけでもない。そして景のように賢く未来を作ることもできない。

弱く、こうやって乱世に来てしまった幼い女子に残酷にも元々居た時代(せかい)の話を聞かせて欲しいと縋っている。

まるで怖い夢を見て母親に縋る幼子のようだ。

そんな儂を笑うことも叱ることもなくただそのまま受け入れるように雫殿は包み込むような柔らかい声を出した。

「……はい。……喜んで。……私のいた時代では、もう、家を守るために常に戦ったり誰かを常に裏切って殺す必要なんてないんです。

……そこではね、隆元様。……誰もが、立場関係なく好きな絵を描けるんです。隆元様が描く山口の風景も、きっとたくさんの人が『綺麗だね』って笑って見てくれる……そんな、優しい世界なんです。

好きな歌を歌い、お金と時間さえ許せば好きなところにだっていくらでも行けます。

好きなものを好きと言うことだって……確かに好きを笑う人はまだいるかもしれないですが、今みたいに好きを隠す必要もないです。

そんな夢みたいな時代が来ます。必ず。」

ああ……そうか。義隆殿が作りたかった未来は来るのだな。

でも願うのなら……義隆殿、一緒に貴方と見たかった。

「隆元。良いか、これから大内はもっと大きな家になる。毛利家と共にな。儂も位が高くなり、教養や文化を知る文化人であることを求められる。儂は明るくみなみなが笑って暮らせる世をここにつくる。共にそんな未来を描こう。」そんな義隆殿の声を思い出した。

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