怖がっている正室より貴方へ
障子に差し込む光が、灰色から白へと変わる頃。
私の腕の中で、雫様の指先が昨日よりも力強く、私の衣を微かに掴んだ。
昨夜までの、触れれば壊れそうな「硝子の重み」ではない。微かではあるけれど、内側から血が巡り始めた「生きている肉」の感触。
……ようやく、この世に踏みとどまりましたね。
まず、彼女の喉を観察した。
「……雫様。……これが分かりますか?」
私は、人肌に温めた白湯を、筆に浸して彼女の唇に触れさせた。
雫様は、震えるまぶたをゆっくりと持ち上げた。その瞳には、まだ深い霧がかかっているけれど、私の声に反応して、喉が「ごくり」と、頼りなく、けれど確かに出産後初めて動いた。
「……ん、……ぁ……」
その一音に、私は胸を撫で下ろした。飲み込める。ならば、命は繋がる。
昼下がり、私は乃美の方と協力して、雫様の寝具をすべて替えた。
大量の寝汗。これは、身体が戦いを終え、溜まった毒素を出そうとしている証拠。
今の雫殿は、極度の貧血で起き上がることも、声を出すこともできない。無理をさせれば心臓が止まってしまう。
私は、彼女の枕元で、雫様が最も恐れているであろう「怖い顔」をあえて崩さずにいた。
「……雫様。まだ喋ってはなりません。あなたがすべきは、この重湯を一口でも多く胃に流し込むこと。……いいですね?」
雫様は、怯えたような、けれど縋るような瞳で私を見つめていた。
彼女の中では、私はまだ「秘密を握る怖い正室」のままなのだろう。私が、彼女の震えを止めるために一晩中抱きしめていたことも、彼女の汚れた身体を自ら拭き清めたことも、彼女は何も知らない。
……それでいいのです。あなたが私を恐れていようとも、生き抜いてさえくれれば。
彼女に与えていた重湯の残りを持って部屋を出ようとした時、彼女が私の裾を掴んだ。
「いかがなさいましたか?」
靄のかかったままの目は私を捉えているようだ。
何か言いたそうに口をぱくぱくと動かす。
声はまだ出ない。
「無理をすると後にこたえます。また戻ってきます故、今はお休みを。」
血の気が戻っていない頬を撫でると彼女は安心したように目を閉じた。




