雫の出産─乃美の方目線
吉田郡山城の一角、固く閉ざされた離れ。
湿り気を帯びた夜の空気の中に、獣の呻きのような、雫殿の掠れた悲鳴が響き渡っていた。
「……あ、あ、っ……はぁ、はぁ……っ!」
雫殿の意識は、すでに混濁の淵にある。
「もう少しです!」
そう叫んだ時、赤子が生まれた。
「男子です!」
赤子の泣き声と男子の誕生にその場にいた人々は歓喜の声を上げていた。
「雫殿。産まれました。元就公にそっくりな男子ですよ。」
声をかけた雫殿は少し安心した表情をしたが直ぐに
「……あ、あ、っ……」と声を上げた。
「雫殿…?」
「まだだ! まだ中に、もう一人おるぞ!」
産婆の叫び声に、背筋に氷が走るような感覚を感じた。
2人も…!
1人産んだ後の雫殿は息を切らし、明らか体の力が入り切ってなかった。
「雫殿!しっかり!」
その時、産室の中で、ひときわ高い、けれどどこか儚い産声が響いた。
二人目。雫殿に生き写しの、小さな、小さな姫君。
2人。そして片方が女子ということは…。女子の方はきっと…。
静まり返った産室で産婆の悲鳴が夜を裂いた。
「血が……っ! 血が止まりませぬ! 誰か、布を! もっと、もっと持ってまいれ!」
産室の床に、どくどくと不吉な赤が広がっていく。
産み終えたばかりの雫殿の顔からは、瞬く間に生気が失われ、唇は冬の雪のように白く染まった。
「雫殿! 目を開けてください!」
私の叫ぶ声は届いていないのかガタガタと歯が鳴るほどの激しい震えが彼女を襲っていた。
その時だった。
「――どきなさい。不浄などと、言わせてはおきません。」
冷たい静寂を破って現れたのは、誰にも知らされず、けれどすべてを悟った瞳をした隆元様の正室・尾崎局だった。
彼女は、狼狽える侍女たちを撥ね退け、血に染まった雫殿の枕元に迷わず跪く。
「尾崎様…!」
私たちの驚愕の声を背に、尾崎は雫殿の冷たくなった手を、自身の両手で包み込んだ。
「雫様、聞こえますか。……あなたは、やり遂げました。二人の宝を、この世に繋いだのです。」
尾崎様は、産婆が「不吉な、畜生腹の……」と忌み嫌うように置いた、自分に激似の姫君を愛おしそうに抱き上げた。
「産婆、よくお聞き。この姫は、私の子として産まれました。……そして乃美の方、その若君はあなたの子に。よいですね?」
尾崎の凛とした声に、元就の命を受けてその場にいた私も気圧されるように頷く。
「……雫様。あなたが命を懸けて産んだこの子は、私が、命を懸けて『毛利の姫』として守り抜きます。だから……戻ってきなさい! ここで、私たちと一緒に、あの方たちの行く末を見届けるのでしょう!」
尾崎の叫びに応えるように、産婆が必死に雫殿の腹を圧迫する。
どれほどの時間が経っただろうか。
暗闇の底で、雫の呼吸が、ほんのわずかに深くなった。
「……止まりました。血が、止まりました……!」
産婆の震える声に、尾崎様と顔を見合せて息を吐く。
雫様は、まだ眠りの中にいる。
けれど、その隣には、彼女の分身を抱き、固い決意を瞳に宿した尾崎局が、夜明けまでその手を離さず寄り添っていた。




