弟と父と母
景が氷のように冷たい言葉で父上を追い詰めている横で、俺は自分の拳が震えるのを必死に抑えていた。
景がどんな顔をして雫に話しかけていたか知っている。
あんなに余裕をなくした景を見るのは、子供の頃に雪合戦をして景を追い詰めた時以来かもしれない。
……あいつ、気づいてねえと思ってんのかよ。
かつて景が雫に剣を教えていた時や、二人で書物を読んでいた時の空気を思い出していた。
景はいつも俺の前では、雫殿は利用価値がある。なんて本心でもないことを言っていたが、その実、雫と話す時はどこか嬉しそうで、愛おしいものを愛でるような目をしていた。
理屈をこね回して父上を詰める姿は、一見すれば正義感に見える。だが野性の勘は、それが愛する女を奪われる男の悲鳴であることを、痛いほどに嗅ぎ取っていた。
そして父上の口から出た「乃美の子として育てる」なんて言葉を聞いた瞬間、俺の中の何かがぶち壊れた。
だけど今一番怒りたいのは景だ。
我慢しろ、俺。
そう思っていたら雫が倒れた。
倒れた時、兄上が対応してしまい、無力感で下を向く弟になんて声をかけたら良いのだろうか。
「景殿。」
急ぎ人を呼んできた婿殿が弟の名前を呼んだが、弟は部屋を出ていった。
今すぐにでも追いかけてやりたい。だけどその前に…
「……いい加減にしろ、親父!!」
俺の怒号が広間の空気を震わせた。父上が目を見開く。
「あんたは、雫の手をしっかり見たことがあるのか! 慣れねえ剣を必死に振って、豆だらけになって、皮が剥けても血を拭ってまた立ち上がった……あの手をよ!」
俺は一歩、父上へと踏み出す。
戦場で大軍を前にしても動じねえ親父だ。動じた姿すら見せてくれない。
「雫はなぁ、毛利家を繋ぐ『器』になるためにここに居るんじゃねえ! 来たいとも願ってないこんな乱世に来てしまって、未来へ帰るために、自分の足で立つために、血を流してまでここで踏ん張ってんだよ! 子供ができたから『天の授かりもの』みたいな顔してんじゃねぇよ。 冗談じゃねえ。あいつが積み上げてきた努力を、あんたの都合のいい駒に書き換えるんじゃねえよ!」
父上が「毛利家のため」と口を開こうとするのを、俺は鼻息一つでねじ伏せた。
「家がどうした! 安泰がどうした!父上が苦労してきたのは知っている。だけど今のあんたが一国を語るんじゃねえ。……俺は、雫のあの豆だらけの手を、心の底からスゲェと思ってんだ。それを汚すような真似は、例え親父であっても、この俺が許さねえ!」
「元春…。」
「父上、俺だって雫が産む子を生かすためには正しいやり方だと思う。だけどもう少し考えてやってくれよ…。あんたや景にはそれが出来るだろ。雫は争いのない世界から来て、断れない絶望の中、父上の子を孕んだんだ。母上(妙玖)ほど大切にしてくれとは言わない。だが、あんまりだろ、これは…。」
父上が母上が亡くなるまで側室をとらなかった。それぐらい母上を愛していたのを知っている。
俺はそんなあんたらを素敵だと思っていたんだよ。




