乃美の大方の子
隆景様と隆家様のきつい指摘に対して元就公はやっと口を開いた。
「雫殿は腹が目立ちだす頃より、しばらく体調不良として小姓から離れてもらう。
出産は我が屋敷で行い、産まれた子は乃美の方の子として育てる。
これは乃美の方と雫殿両方と話し合った上の決断である。」
実はこの会議の前に元就公からは説明があった。
会議の数日前、私は元就公に連れられ、奥御殿の静かな一室にいた。
そこには、凛とした空気を纏いながらも、どこか柔らかな陽だまりのような雰囲気を持つ女性――未来では乃美の大方と呼ばれる側室の方が座っていた。
「雫殿、よく聞いてくれ。……お前の腹の御子は、この乃美の子として育てることに決めた。」
元就公の声は、驚くほど静かだった。
あまりに唐突な言葉に、私は自分の耳を疑った。
「……乃美様の子に……? それは、私が母親ではない、ということでしょうか」
震える声で問い返すと、元就公は私の目を見据え、その節くれだった大きな掌を、私のまだ平らなお腹に添えた。
「この時代、身元も知れぬ女子が産んだ子は、どれほど私の血を引いていようと、家中で『異物』として疎まれ、常に命を狙われることになる。……私は、この子を殺したくない。毛利を継ぐ正統な血筋として、陽の当たる場所を歩ませたいのだ。」
元就公の瞳には、一国の主としての冷徹な計算と、ひとりの父親としての、狂おしいほどの執着が宿っていた。
「そのために、お前には『母』という名を捨ててもらう。乃美には既に話してある。彼女の家柄と徳があれば、誰も文句は言わぬ。……雫殿、お前にとっては、あまりに酷なことだとは分かっている。だが、これがこの子を守る、唯一の道なのだ。」
沈黙が流れる。
確かに母親の身分が大切というのは聞いたことある。
納得感もある。
でも未来へ戻る可能性を捨てたかもしれない行為で出来た子供を育てることはできない。
他人の子として生きてもらう。
それはどれだけそれが一番だと脳が理解していても心が理解できなかった。
隣に座る乃美の大方様が、そっと私の手に自分の手を重ねた。
その掌の温かさに、私は鼻の奥がツンと熱くなるのを感じる。
「雫殿。あなたの産む子は、私が命に代えても守り抜きます。表向きは私の子であっても、私はこの子が、あなたが命がけでこの世に送り出した宝であることを、片時も忘れぬと誓います。きっと嫌でしょう。命をかけて産む子に母親と名乗れないのはどれだけ辛いことか…。でもこの子が毛利家の未来を支える人物になるように大切に預からせてください。」
乃美様の慈愛に満ちた言葉。そして元就公の突き放すようでいて必死な「守護」の意志。
私はゆっくりと目を閉じ、深く息を吐いた。
……あぁ、そうか。私は、最初からそういう役割だったんだ。
未来から来た私には、この時代に繋がる家柄も名前もない。
けれど、このお腹の中には、確かに温かな鼓動が宿っている。
この子が生まれてよかったと思える未来を歩めるのなら、私の名前なんて、最初からいらなかったのかもしれない。
「……分かりました。……私は、影からこの子を支えます」
私の答えを聞き、元就公は安堵したように、けれどどこか苦しげに私を強く抱き寄せた。
秋の風が、部屋の隙間から冷たく吹き抜けていく。




