あまりにもつたない決断
ドンッ!と強引に訓練場の扉を開ける音がして、そこに既にやって来ていたクラウドとバレリアは、驚いて扉の方を見遣り、珍しく怒りの形相のウインドウを見てさらに驚く。そして、その手は強引にレイの手首を握っている。
ウインドウはバレリアとクラウドの姿を認めると、一直線に向かってくる。バレリアとクラウド以外の姿はない。本来の予定よりも早い時刻の到着。訓練場を預かるバレリアとクラウドは指導者として早めに来ていたに過ぎない。
クラウドとバレリアは、ただ事ではない様子のウインドウとレイを見て、姿勢を正す。
「何がありましたか?」
落ち着いた声でバレリアはウインドウに尋ねる。ウインドウは興奮交じりだが、一つ溜息を吐き、気分を落ち着かせる。そして、
「・・・こいつが家出したいって言い出したんだ。そのことに」
言葉にして出したところで、ウインドウは、はたと気づく。そうだ、と。自分は一体なんでここまで来て何をバレリアとクラウドに相談しようとしたのか。
「っ!?ホントなのか?レイ!」
クラウドは肩を掴んでレイに詰め寄る。昨日、レイが何か悩んでいることは知っていたのに、と後悔する。そして、レイが何でそんなことを考えているのかを聞き出したいと思う。そして、許せないと思う。なんで幸せな環境にいるくせに、と言うわけじゃない。ただ、不器用ながらも親子になろうとしていたウインドウとレイが仲違いしてしまうのがいやなのだ。
しかし、バレリアはクラウドの肩を掴む。そして、振り返るクラウドに首を横に振り、クラウドをレイから離れさせる。そして、レイと目線を同じくし、穏やかな視線でレイと対峙する。
「何故そのようなことをしようと思ったのか、教えて貰えますか?」
その声は限りなく穏やかだ。怒ってもいない。戸惑ってもいない。ただ、問いかける声。
「・・・僕がウインドウさんの家にいることはご迷惑になる。そう思ったんです。」
ウインドウは、そのことに反論しようと口を開きかけたが・・・どう言えばいいのか分からなかった。「そんなことはない」と言えばいいのか?しかし、それはただの方便だ。レイが来てから、食事は一人分増え、ベッドは狭くなった。そんな差異に対して言っている言葉なら、それが確かにあることを分かっているだろうレイには、誤魔化しなど無意味なのだ。
バレリアは、ウインドウが考えていることを知ってか知らずか少し考え込む仕草を見せ、レイに対して返答をする。
「生物が生きていく限り、犠牲は付き物です。しかし、果実を食べる動物は、やがて死に絶えたとき、その死体は木の肥やしとなる。まあ・・・人生なんてものは要するに壮大な罪滅ぼしという見方もできるのですよ」
レイは、不思議そうな顔をしてバレリアを見る。
「・・・失礼。子供に対してそんなことを言っても仕方がないですね。私としても今一つ納得の行っていない理屈ですし、求めていることも違うでしょう」
そして再びバレリアは考え込む。
「とりあえず、二人の意見を聞きたい。レイの好きにやらすべきなのかな?」
バレリアは、ウインドウの言葉に密かに溜息を吐く。
「ぜっってーダメです!なあレイー、ウインドウさんと何かあったのか?」
クラウドは反対だ。難しいことをよく考えてはいないが、それでも純粋にレイとウインドウのことを思い、考えて出した意見だ。大体、常識で考えれば、年端もいかぬ子供が家を出たいと言うのを許容するわけには行かない。ましてや、記憶喪失という身の上だ。
「・・・よろしいのではないでしょうか?」
しかし、バレリアは言い放った。ウインドウとクラウドは、全く予想しなかった言葉に対して、当然のようにバレリアを見遣る。
「何言ってんだバレリア?」
「何を狼狽しているのです?私は自分の意見を言っているだけですよ?」
バレリアの感情は読み取れない。ただ穏やかに言い放つ。
「・・・なんでそんな風に考える?」
ウインドウは内心の動揺を隠しながら尋ねる。バレリアはウインドウよりも思慮深いと言ってもいい人物だ。だから実際ウインドウもバレリアを信頼している。バレリアだからこそ、理路整然とレイの考えていることを否定して、自分の味方をしてくれるんじゃないか、とウインドウは無意識下で期待していたのだ。だが、
「そうですねぇ・・・修行の為にも必要なことでもないかな、と思うのです。」
「何?」
「元々、彼の剣筋は異質。私も少し傾いているので分かるのですが、己の中にしかない道、というのは誰もいない中で磨かねば見失ってしまうこともあるのですよ。」
ウインドウは苛立った。その言葉に対して、どう答えればいいのか分からない。レイの剣筋は誰に言われるまでもなく、身に付いていたものだ。ウインドウ、クラウドを始め、この地での人間の剣筋はどうしてもある程度似通う。たまにバレリアのように独自の道を見つける人間もいるが、それでもどうしようもなく類似する点も存在する。しかし、レイの剣筋はバレリア以上に他との差異が大きい。バレリアもほぼ毎日、一人での修行時間を取る。
そして、レイの剣筋はさすがに未熟な面もあるが、もしかしたらそれを極めることによって、どこで、どうしてその剣技を身に付けたのか、つまり、記憶の一端くらいは明らかになるかもしれない、という算段を話し合ったこともある。
「それは訓練場だけの話だろう?わざわざ家まで出てく必要は・・・」
「記憶喪失であれば、やりたいと言い出したことはやらせてみるのも手だと思いますが?」
それもまた納得できる理屈だ。ウインドウは言葉に詰まるが、それでも言葉を続けようとする。
「レイ君。君はウインドウさんに不満があるわけではなく、単純に一人で生きていきたいと思った。そう解釈してよろしいんですね?」
「・・・はい」
バレリアはレイと向き合い、尋ねる。そして気付いた。記憶が無い筈なのに、その目には孤独が浮かび、一人で生きていくことの苦悩を知っているかのように頷いたのだ。
孤独と苦難とを天秤にかけ、それでも成し遂げたいことがあるのだろうか、とバレリアは思う。そして、それが分からない以上、一度、下したであろう結論を覆すことは出来ない、と確信したのと同時に諦めたように溜息を吐く。
「ここに顔を出す気は?」
「・・・ありません。」
「・・・そうですか。寂しくなりますね。」
「っ!?別れの挨拶なんてしてんじゃねえよ!!」
バレリアは怒鳴り声の主、ウインドウを見遣る。
「言ったでしょう。修行の為にも一人でいる時間は肝要。記憶が無いのなら彼の要望を出来る限り尊重するほうがいい。」
「っ!だったらこうしよう」
ウインドウはクラウドをいきなり引っ張って自分の前に立たせる。バレリアとレイはウインドウの思惑が分からず困惑する。
「要は、レイが出て行くことが本当にレイのためになるかどうかだ。」
「・・・・実はずれているんですが、ま、概ねそんなところが焦点と言っても過言ではありませんね」
ウインドウはレイが強くなる為のプロセスとして言い出していることだと認識してしまっているようだが、それはバレリアが半ば自分の意見として出しているに過ぎない。本当は何らかの理由があるのだろうとバレリアは見ている。
鈍いな、とバレリアは思うが、結局、根本的な原因は分かっていないのだから自分も似たようなものか、と口は挟まない。
「だったら、どっちが強くなる為の近道か、はっきりさせればいい。」
ふむ、とバレリアも大体ウインドウが言いたいことが分かりかけてきた。
「クラウドには今までどおり訓練場で修練を積ませ、レイには一人での修行に没頭させる。そしてその結果、勝った方がレイにとっての進むべき道、という事だ」
ある種の実験。どちらが効率のいい修行なのかを検証する為、二人にそれぞれ違う修行方法を試すと言っている。
理屈としては色々と通らない。一番の問題は、両者の実力が拮抗していないこと。仮にレイとクラウド、同じような成果を出したとしてもその修行以前に強いクラウドの勝利は揺るがない。明らかにウインドウがレイを引きとめようと思って言い出している。
しかし、そもそもレイの我侭ともいえる今回、これくらいがいい落しどころだろう、とも考えられる。それに、バレリアも今回のことに関して、レイに完全に賛同しているわけではなかった。ただ、レイが本当に望んでいることは実際にレイの言うとおりにしなければ見えて来ない。そういう意味でも、ウインドウの提案は実は最善の処置ではないか、とも考えられる。
「期限はどうしますか?」
「そうだな・・・三日、位が妥当かな」
「だそうです。レイ君。もし、三日後のクラウド君との再戦を受け入れてくれるのなら、私たちは君がしたいことを受け入れます。」
「・・・はい。分かりました。」
はっきりと、レイは返事をした。幼いながらも覚悟を決めた目。ウインドウは困惑し、バレリアは溜息を吐く。
「ただ・・・だからと言って、雨風も防げないような環境下に君を置いておく訳にも行きません。一時的に住む家は用意します。よろしいですね」
「・・・そんな、わざわざお手数をおかけするわけには」
「ご心配には及びません。警備小屋と言ってね、非常事態のときにしか使わないのですが短い間は余裕で暮らせるくらいの食糧の備蓄はありますし、寝室もあります。体が鈍らない様に訓練も出来ます。」
警備小屋。誰かが盗みを働いたり、喧嘩なんかを起こしたとき、それを閉じ込め、監視したりする言わば牢屋としての機能。不可解な事件が発生すると言った、見回りが必要となる場合に警備に当たる人間たちが集合する場所。
レイが来た時など、少なくはあるが使用されることはあるので、ある程度手入れもされている。
「それでよろしいですね?レイ君」
「はい。」
レイにとってもそれは願ってもいない条件だ。普段使われていないのなら自分がいるから何かが追いやられる、といったことはない。そして、レイは言おうと思う。
「バレリアさん、ウインドウさん、クラウドさん。一つお願いがあるんです」
「ん?何だ!?何でも言えよ!それでお前の気が済むんならこんなことしなくていいんだろ?」
ウインドウは意気揚々としてレイの言葉に食いついた。しかし、レイは首を振る。そうじゃない。レイの行動は、その目的を果たす為の行動だ。
「僕が、居ない者として。僕がここに来る前と同じように、暮らして欲しいんです。失礼な言い方になるかもしれませんが、クラウドさんにも、僕と戦うからって言って特別なこと、特に無茶なことは絶対しないで欲しいんです。」
レイの言葉に今ひとつ意図を計りかね、レイ以外の全員が首を傾げる。
「・・・要するに、君が居ない者として日々を過ごせ、と、そういうことですか?」
バレリアの言葉に、レイはどこか思い悩むようにして返事をしない。その反応で、自分の言ったことが間違いではないことが分かった。
そして、気付いた。レイは、自分の存在を消したいのだ、と。自分が世界をかき回したとでも思っているのだと。自分がいることで何かが起こるのなら、自分が居る前の状態に戻してしまえばいい、そんな結論に達しているのだ、と。そして、
「レイ君。ウインドウさんは、いい父親でしたか?」
ウインドウは激昂しかけた。まるで終わったかのような言い方だ。仮初めだったかもしれない、いい父親ではなかったのかもしれない。でも、まだ終わったと言うのは早すぎる。
しかし、バレリアは目で制す。分かっている。しかし、この質問は意味があるものなのだ、と。レイのことを知る為に必要な問いなのだ、と。ウインドウは、その反応で黙ることに決めた。なんだかんだで、バレリアのことを信用している。飄々としているが思慮深く、自分には分からないことでも心が届く、この男を。
「・・・はい。いい人です。恩を返したいと思うのですが、僕にはそれが出来ない。出来ない理由も出来てしまった。」
出来ない理由。ウインドウと接することを拒否した今の状況、つまり、その出来ない理由とやらが今回の原因。しかし、今はそんな追求などをするつもりはない。肝心なのは、レイがウインドウのことを慕っている、その事実だ。
「もしも君が家を出れば、ウインドウさんはいい父親ではなかったのだと、思う人も出てくるのでしょうね。」
そして、自分の行動がどのような影響を及ぼすか、というのを教えなければならない。
レイは、口を開きかけたが、悔しそうに黙った。
「覆水盆に返らず。先ほども言いましたが生命の一生などというのは所詮罪滅ぼし。しかし、ならば生まれたこと自体を罪とし、無かったことにしようというのは間違っていると私は思います。」
レイは言い返さない。そして、確信した。レイもまだ、やはり子供に過ぎぬのであろうと。
「それでは私がレイ君を送っていきますよ。・・・そう、ですねぇ。ウインドウさん、あなたは家に戻ってください。」
「はぁ!?何でだ。」
「先ほど言っていたでしょう。彼が来る前の日常に戻る、と。貴方はレイ君がきっかけとなってここに戻ってきた。レイ君の来る前の日常に戻るというのはそういうこと。」
ウインドウはまだ黙っている。ここへの愛着もある。だが、それ以上に、ここは思えばレイとの初めての思い出の場所だった。ここで引き下がったら、本当にレイのことを否定したかのように思えた。
「・・・初めて聞いた子供のわがままです。聞いてやりましょう。」
そして、バレリアはそのことも分かって、そして、これもレイとの思い出になるのだろう、と言う。ウインドウは、完全に納得はしていなかったが、
「・・・そういうことなら途中まで一緒に行く。かまわねえな」
「そうですか・・・クラウド君。私が戻ってくる前に来た子供たちに、軽く説明しておいてください。理由は言っても言わなくても結構ですから」
そうして、バレリアとウインドウは、レイを連れて出口へ向かう。
その時、レイは心底ほっとしたような表情をしていた。それは自分の願いが通ったことに対するものか、それともまた別の、束の間のものに対してだったのか。