アルゼルフの本
「うわ!?」
「きゃ!」
一行が踏み出した世界には一面の海が広がっていた。
「そうか…そういえばバトウの世界に足を踏み入れた時もこんなことがあったな…気が緩みすぎていた」
「そうだったのか…と、今はそんなことはどうでもいいな。レイ!リーリア!お前ら大丈夫か!?」
「っ!ええ何とか」
「おぉ!お兄ちゃん、すごいよ!なんかこの水しょっぱい」
「…大丈夫そうだな」
レイも何とかバランスを取っていたしリーリアは無邪気に水と戯れていた。適応能力で言えば一番高いかも知れない。
「なるほど。海がない世界からやってきて大丈夫かと心配していたが問題なさそうだな。よし、泳ぐぞ」
「…お前、結構根性論で突っ走るよな」
グレイスの言葉にバトウは少し考えたがそれもやむなしか?と考えていた時だった。
「ん?どうしたんだいあんたら!」
近くを通りがかった船に四人は拾われ、なんとか事なきを得たのだった。
「ありがとうございます。助かりました」
「何いいってことよ。困った時はお互い様だ」
あははは!と豪快に笑った船の主であるシード。この船はどうやらこの世界の海の安全を守るためにパトロールしている海軍の船、ということらしい。
「海の安全ってのはなんだ?戦でもするのか?」
「はは、物騒だな…まあ、正直、鮫退治くらいしかやるようなこともねえんだがな。ま、世界のむこうから客人がくるたあ思わなかったが」
平和そうに船を駆け回る船員たちを、バトウはそうか、と穏やかな笑顔で見ていた。
「…この世界には、魔法が存在するのですね」
グレイスはその様子を逆に険しい目で見ていた。作業する船員たちは海に手を掲げ流れを変え、風を吹かし、世界を揺らす。極めて初歩的な、他愛もない営みの一部でしかないが、グレイス以外の仲間たちは物珍しそうに見ている。
「ん?何だ?そっちの魔法がない世界なんてあるのか?よく分からねえんだが」
「…そう、ですね」
短く答える。目を閉じ、何かを考え込むように。また、何を思っているのかを悟られないように。
「それでお前さんたち、何をしにここへ?」
「この世界の主と会いたいのです。世界をまたぐ大いなる現象に立ち向かうために」
グレイスは明朗に述べた。
「なるほど。それならエトワールに会うといいだろう」
「エトワール、とは」
「この世界におわします強大な魔力を秘めた姫だ。瞬く間に嵐を消し去り恵みの雨を降らせ太陽を阻む雲を吹き飛ばすことが出来るという。まあみだりにその力に頼ることはないがな」
「しかし、そのような存在に私たちがそう簡単に会うことは出来ますか?」
「あんたたちが何を考えているのかはわからんが今こうしてここにいるということは世界にとって尋常なことではないんだろう。なら、それこそ使命を果たすべき時であるのかもしれん。あんたらは悪い奴らじゃあなさそうだしなんなら俺も掛け合う」
ありがとうございます、と礼を述べ、せっかくだからと海を眺めた。
「アルゼルフの本の話、か」
船員たちと離れ、人目につかないところで話がしたい、とバトウが申し出て切り出した。
「とは言っても、私としても語れることはそう多くはないし語るべくもないのだが」
そう言いながらグレイスは手をかざす。すると、先程まで存在していなかった本が姿を現した。
そしてゆっくりとそのページをめくる。書かれていたのは不思議な紋様としか言いようがない、しかし、どこか自らに訴えかけてくるようなそんな文字の羅列。そして手をかざす人の姿が描かれた絵だった。
「アルゼルフ…ってのは何なんだ?」
「さてね。それは私も知らない」
「おい!」
「えっと…グレイスさんの言うことは本当だと思います。私も、ただこれが『アルゼルフの本』だってことが、こう、頭の中に入ってきたというか…」
リーリアは思い出す。世界そのものを本の形に閉じ込めた王の力の源であるということ、アルゼルフの本、という名であること。そのことが発現と同時に自動的に、頭に入ってきた。そういうシステムのひとつ、であると。
「それじゃあそれによって何ができるかというと…」
「あっちのせかいとこっちの世界を結ぶことができる、んですよね?」
「!?」
リーリアは本を手に取り、手をかざす。すると、風が吹いた。まるで、箱庭の時のように、ふわりと不規則に、自由自在であるということを見せるように。
「…とは言ってもその力は極めて限定的になるが」
ひどく疲れた様子のリーリアは、ゆっくりとその本を閉じ、同時に風が止んだ。
「とはいっても俺はそんなものどうにも出来なんだが…」
「バトウの場合は恐らく魔法というものとは関係ない世界観が既に構築され発現を妨げているのだと思う。まあ知らなくてもどうということはないと思うが」
「じゃあリーリアは?」
「ふむ…それは恐らくハルバー…彼の干渉によるものだろうね」
「と、いうことは…彼はリーリアの王の力の発現を助けた、ということですか?」
「…どうかな。彼は彼で本気で戦っていたということは間違いないのだけれど」
心王ハルバー。突如現れた彼の目的はいまだ見えていない。どうやら自分たちの旅を阻むのが目的、らしいが。それにしては色々と無駄が多いようにも思う。
「しかしレイ君。君は…彼のことを恨んではいないのか?」
妹を弄び、利用し、戦わせた、明確な敵。その相手に向ける感情にしては穏やかすぎるような気がした。
「…そうですね。リーリアの心を知ることはできた、とは言っても確かに許せることではないはずなんですが、何故か、彼を憎むことはできないんです」
何故かはわからない。けれど、レイはハルバーのことを
「それはただのまやかしかも知れない。それでも、君は彼のことを」
こくり、とレイは頷く。そのことについて迷いが無い様子に、グレイスは溜息を吐いた。
心を操る暗示は、心を操られるかもしれないという意識で容易く霧散する、ということを知っている。だから、これはレイの紛れもない本心である。と、分かった。
「ま、悪い奴じゃあない、とは俺も思うしな」
自分たちと戦った姿を思い出しながら言う。こうして出会わなければ仲良く酒でも飲めたものかな、とそんな歯噛みすらした。不思議な男だった。
「バトウ…彼は敵なのだぞ。そんなことでは」
しかし、とグレイスは食ってかかる。そんなことでは戦えないではないかと。そう訴えた。
「甘いのはお前のほうさグレイス」
だが、鋼の王は切り捨てた。
「どういう意味だ」
「感情で敵味方を計るなってことだ。悪い奴だから敵だとか友だったから今も味方だとかそんな簡単に別れちゃいないのさ。レイは迷うかもしれない。けれど、その剣を鈍らせることはないだろう。だが、お前はどうだ?グレイス。もし…」
あえて続けず言葉を切った。しかし、グレイスにとってその先の言葉は常に心の中にあった。
言葉を失う。それは、紛れもないグレイスの隙だった。
「だから、その時は迷うな」
それは、バトウが友に向けた精一杯の言葉だった。
「最後に…君に語っておかなければならない。レイ君。君がアルゼルフの本を発現できない理由はおそらくバトウとは違う」
グレイスは告げる。
「君は、きっと記憶がなくなる前に光の王として覚醒した。だから、なぜ君が光の王であるのか、という決意、覚悟といった根源的な記憶がごっそりと抜けてしまっているんだ」
それは王としての大きな傷だ。だからこそ、それはひどく作為的であるのだろう、とそう語る。
そして恐らくその犯人は…
「それでも君は…」
「俺は知りたい。それが、俺の戦いだと、そう思うんです」
すべての心の行方を。




