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My tender Pretendeer

作者: せきひらく

 鹿を飼っている。

 ずいぶんと前にカナダのノヴァ・スコシアで拾った。友人の動物学者に見せたところ、こんなおかしな生き物は見たことがないと言われたきりついぞ品種がわからずじまいだったので、別の友人の未来学者に見せてPretendeerだと判じてもらった。

 そもそもほんとうに鹿なのかどうかもわからないこの動物の魅力の源は、まずサイズにある。なにしろ立ち姿が両手にすっぽり収まってしまうほどのちび助なのだ。仔鹿のときに拾って以来、鹿の子模様が取れ角の生え揃ったいまとなってもその体躯は変わらない。外套のポケットに忍ばせて税関を抜けられたと言えば、だいたいの感触は伝わるだろう。

 年季ものの書斎机で放し飼いにしているが、書類を食い荒らすというようなこともなく、いたって穏やかな生き物である。というより、ふだんはほとんど動かないので、生きているのか死んでいるのか、見ているこちらが心配になってくるほどだ。撫でてやってもチラリと視線を返すだけで、Pretendeerが体を動かす機会と言えば、日に二回のご飯時と食後の運動、排泄時、そしてその名の由来となったある不思議な習性を現すときぐらいである。

 仕事中、視界の端でもそもそと動くものがあって目を向けると、大真面目に鹿にあらざる動きをしていることがある。はじめに気がついたのは未来学者に見せに行く前だから、まだ名前がなかったころだが、そのときは、ちびた赤青鉛筆を前肢で器用に掴んで野球のすぶりに勤しんでいた。もちろん四つ脚寸胴の鹿の身体にできる動きには限界があるわけで、重たい尻を後ろ脚でやっとこ支え、そのうえで上体を振り回すものだから、バランスは取れず、トンボ製のバットを一振りするたびに足下はぐらぐら、振り切ったバットは遠心力に引きずられ、蹄の間をすり抜けていきからんころん、一度振り抜ける度に苦労して色鉛筆を拾いバッターボックスに立ち直す姿は、愛らしくも滑稽ですらあり、目が合うと鉛筆を放ってなにごともなかったかのように定位置のボックスティッシュの陰に帰って行った。こういうことが、手を替え品を替え、ひと月に一度くらいの割合で続いた。サッカーをするふりのこともあれば、消しゴムを座席に見たててのドライブのふりのこともあった。バリエーションはとかくさまざまで、次になにがくるかは予想がつかない。ここまで説明したところで、友人の動物学者は匙を投げた。体が小さいだけならまだしも、きまぐれに人間のふりをする鹿なぞというあまりの荒唐無稽さに、手の込んだいたずらかなにかだと思ったらしい。

 動物学者と違って未来学者が偉かったのは、この「ふり」の意味を発見したことだ。まだPretendeerではないPretendeerをダッシュボードに載せて某大学まで車を走らせた雪の日、暖房の効かない貧乏研究室でこの小動物を前に一通りの説明を聞いた未来学者は、少々動顛しつつも、鹿の奇行はなにかわたしの行動にかかわりがあるのではないかと指摘した。つまり、飼い主であるわたしの真似をしているのではないか、というのである。とはいえ、わたしは運転はできてもふだん野球もサッカーもプレーしないし、TV中継も見ない。よしんば誰かに観戦に誘われたとしても、そこにPretendeerを連れていくことはない。だから、九官鳥のようにわたしの真似をしているという線は薄いだろうと答えると――ここが未来学者は鋭かった――ではその逆はどうなのだ、と問いかえしてきた。むろん、未来学者も非常識な獣を前にして、半ばならずやけのやんぱちだ。とりあえず思いついたことを、おそらくは考えもせずに言葉の並びをかえて投げ返してみただけなのかもしれない。しかし、ここでわたしの薄靄がかった脳裏にふと、一条の光がひらめいたのである。初めてのオフィス机に興味深々で、洋書の山谷を徘徊するこの小さな鹿を見下ろしながら、わたしはそれを思い出した。

 野球観戦には行っていた。ただし、鹿がバッターボックスに立ってから。サッカーの試合にも友人に連れて行かれたし、妻と久々のドライブにも出かけた。ただし、すべては鹿が「ふり」をしてからだ。

 まさかとは思ったが、思い当たる節があまりに多い。それを話した上で冗談半分に未来学者に命名を任せると、この不思議に愛くるしい生き物の名付け親に選ばれたことは満更でもなかったらしく、彼曰く「未来学的な」見地から、少々ウィットに富みすぎた品種名を下されたというわけだ。「ふり」をして事前に知らせる愛らしい鹿として、Pretendeer。

 こういうわけで、わたしは鹿を飼っている。PretendeerがPretendeerになってから、かれこれ二年以上経つ。しかし、ふだん日記など書かないわたしが、それこそPretendeerを拾ったときにすら日記をつけようという発想が欠片もなかったこのわたしが、いまここにそれを書き記しているのには理由がある。あれからPretendeerはさまざまな「ふり」をして目を楽しませてくれた。役に立つものもあったし、役に立たないものもあった。へべれけに酔っぱらったふりはなかなかに名演であったし、どこから見つけてきたのか、ミニカーを使っての撥ねられるふりはあまりの未完成さにかえって涙を誘うものがあった。加えて言うなら、クリスマスパーティに参加する姿をひとりで再現するのは少なからず無理があったと思う。とはいえ、重要な事は、その「ふり」のどれもが的中してきたということである。事前に心構えが持てたという点で役に立つことはあっても、それを予期し回避しえたことは一度もない。

 昨日から、Pretendeerが死んだふりをしている。「ふり」なのか、ほんとうに死んでいるのか定かではないし、わたしとしてはそのどちらも好ましくない。しかし、それを言ったらそもそもPretendeerが野球の「ふり」をしていたのかはわからない。彼のなかではほんとうに野球をしているつもりだったのかもしれない。Pretendeerが死んだふりをしているようだということ。重要なのは、もしかしたらこの後、こいつに餌をやってくれる人間が必要になるかもしれないということだ。それは、もしかしたら未来学者、きみかもしれないし、そうではないかもしれない。ともあれ、この日記、あるいは遺書か、がまだ誰だかわからないきみの手元に届いているということは、つまり――きみはもうすぐ、鹿を飼いはじめることになるのだろう。


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