02 黒猫を拾った夜
男たちは興醒めだと言わんばかりに舌打ちをすると、そのまま酒場へ戻っていった。
残されたのは雨に濡れビショビショで傷だらけの少女と黒猫。
リアナはそっと黒猫を抱き上げる。
黒猫の身体は驚くほど軽かった。骨張っていて、ほとんど体温がない。
「……っ」
胸が苦しくなる。
黒猫は抵抗しない。ただ金と青の瞳だけがじっとリアナを見つめていた。
警戒。諦め。そしてほんの少しの困惑。
リアナは濡れた前髪を払い、小さく笑った。
「……大丈夫」
そう言いながらも声には力がなかった。
今日は宿代が払えない。
お金ももう、ほとんど残っていない。
それでもこのまま放っておけなかった。
黒猫の濡れた毛並みを震える指でそっと撫でる。
「……今日はどこに泊まろうか」
ぽつりと溢れた声。
黒猫へ向けたはずなのに、まるで自分自身へ問いかけているみたいだった。
「……」
雨は深夜になっても止まなかった。
リアナと黒猫の身体はブルブルと震えていた。
これ以上ここにいては二人とも凍え死んでしまう。
リアナは重い足取りでギルドに向かった。
ギルドの扉を開けると、酒と暖炉のの匂いが流れてくる。
依頼帰りの冒険者たちはもうほとんど帰った後だった。
「……お?リアナか、どうした!?」
受付の奥で帳簿を見ていた一人の男が顔を上げた。
男の名はガルド。元Aランク冒険者で現在はギルドでギルドマスターをしている。
茶の混じった黒髪に無精髭。腕には冒険者時代に負ったであろう古傷がいくつも残っている。
初見なら盗賊と勘違いしそうな風貌の男だった。
ガルドはリアナの腕の中を見て眉を顰めた。
「なんだそのボロ猫」
「ウーッ」
黒猫が低く唸り、ガルドを威嚇する。
「うぉ、元気じゃねぇか。拾ったのか?」
リアナは小さく頷いた。
「その……怪我してて、放っておけなくて……」
ガルドは少し呆れた顔をする。
その視線がリアナの濡れた服とボロボロの身体へ移った。
「……また無茶したのか」
図星だった。
リアナは目を逸らす。
ガルドは深いため息をついて言う。
「ったく……今日は倉庫を使え。毛布くらいは貸してやる」
「……でも!」
「いいから」
ぶっきらぼうに鍵を投げる。
リアナは慌てて鍵を受け取った。
「あ、ありがとうございます……!」
「風邪引く前に行け」
そう言いながらガルドは片手をひらひら振り、受付の奥へ戻っていった。
ギルドの倉庫は狭くて薄暗かった。
木箱と古い樽がたくさん置いてある。
ずっと放置されていたのかほとんどが埃を被っていた。
でも、リアナにとっては雨風を凌げるだけで十分だった。
リアナは借りた毛布を床へ敷く。
それから黒猫をそっと下ろした。
「痛くない?」
黒猫へ問いかけるが返事はない。
当たり前だ。黒猫が人間の言葉を理解しているわけがないのだから。
でもリアナは普通に会話を続ける。
「えっと……ご飯、どうしよう」
鞄の中を探る。
出てきたのは硬くなった半分の黒パンだった。
本当は明日の朝まで残すつもりだった。リアナは少しだけ迷ってから黒パンを半分ちぎった。
「はい」
黒猫にちぎったパンを渡すが黒猫は動かない。
「猫ってパン食べるのかな……」
リアナのお腹が小さく鳴った。
空腹はとっくに限界を超えていた。
それでもリアナはちぎったパンを先に黒猫へ差し出す。
自分の分はほんの少しだけ後回しにした。
リアナの気持ちが伝わったのか分からないが、黒猫がパンを食べ始めた。
リアナはそれを見てようやく自分も少しだけ口にした。
パンを食べ終わった後リアナは毛布に包まり、黒猫を胸元へ抱いた。
さっきまで冷たさが嘘のように温かかった。
「……よかった。まだ、生き、てる」
眠たそうに呟く。
黒猫は目を細めた。まるでその考えが理解できないと言っているようだった。
リアナが眠った後、黒猫が動く。
黒猫は毛布から出て木箱の上からリアナを見下ろす。
「……」
さっきの出来事を思い出し思う。理解できないと。
弱い。脆い。怯えている。
ならば見捨てればいい。
人間たちはそうしていた。
自分の為なら他人を簡単に蹴みつける。
利用価値がなければ捨てる。
弱者など顧みない。
そんな醜い生き物だ。
人間が嫌いだ。
憎んでいる。
滅べばいいと何度も思った。
なのに、どうして……
この少女の隣はこんなにも静かで落ち着くのか。
こんなにも少女の手は温もりを感じるのか。
痩せた身体。小さな寝息。
その顔は安心した子供みたいだった。
黒猫は小さく息を吐き、再び猫らしく毛布の中へ潜り込んだ。
そして目を閉じる。
遥か昔。無くしたはずの温もり。
その記憶だけがまだ胸の奥に残っていた。




