【Side:騎士団長】 かつての友、今の少年
訓練場の隅で、エーヴァルト・シュナイダーは腕を組んでいた。
異世界から召喚された者たち——「勇者候補」と呼ばれる少年少女が、木剣を振るっている。
汗を流し、息を切らし、それでも立ち上がる。
若い。脆い。だが、折れてはいない。
シュナイダーの視線は、自然と一人の少年に向いていた。
黒瀬ユウ。
《記録》という、誰もが「ハズレ」と呼ぶスキルを持つ少年。
聖印も薄く、期待されていない。
王も、教会も、彼を「戦力」とは見ていない。
——だからこそ、気になる。
シュナイダーは、長年の経験で知っている。
派手なスキルを持つ者が、必ずしも生き残るわけではない。
戦場で最後まで立っているのは、華やかな力を持つ者ではなく——状況を見て、考えて、動ける者だ。
黒瀬ユウは、その素養がある。
まだ荒削りだが、確かに——ある。
◆
昼の休憩。
シュナイダーは訓練場の端に立ち、召喚者たちを眺めていた。
神崎という少年が、仲間を集めて何かを話している。
《聖剣》のスキルを持つ、クラスの中心人物。
リーダーとしての器はある。だが、視野が狭い。自分の周囲しか見えていない。
その輪から外れた場所で、黒瀬ユウが壁に背を預けていた。
眼鏡をかけた少女——相沢しおり——と、何か話している。
二人とも、クラスの中心にはいない。
だが、孤立しているわけでもない。静かに、自分たちの場所を作っている。
——あいつに、似ている。
シュナイダーは、胸の奥で何かが疼くのを感じた。
二十年前。
まだ自分が一介の騎士だった頃、同じ部隊に一人の男がいた。
ライナス・ヴェルト。
剣の才能は平凡だった。魔法も使えなかった。
だが、戦場で誰よりも冷静だった。
敵の動きを読み、仲間の位置を把握し、最善の判断を下す。
「英雄」にはなれない男だったが、「生き残る」ことに関しては誰よりも優れていた。
——そして、俺は、あいつを救えなかった。
◆
記憶が、蘇る。
あの日。
魔族の奇襲。混乱する戦場。
ライナスは、逃げ遅れた民間人を守るために殿を買って出た。
「お前は先に行け、エーヴァルト」
ライナスは笑っていた。
いつもと同じ、静かな笑顔だった。
「俺は大丈夫だ。……お前こそ、死ぬなよ」
その言葉が、最後になった。
援軍が到着したとき、ライナスの姿はどこにもなかった。
遺体すら見つからなかった。
ただ、彼が持っていた剣と——妻から贈られたという、小さなペンダントだけが残されていた。
信じられなかった。ライナスはいつも生にしがみつき、例え敵を倒せなくとも、味方を救えなかったとしても、それでも――
シュナイダーは、そのペンダントを預かった。
ライナスの妻に返すつもりだった。
だが、妻は——ライナスの死を聞いた半年後、病で亡くなった。
ペンダントは、行き場を失った。
シュナイダーは、それを二十年間、肌身離さず持ち続けていた。
◆
午後の訓練。
シュナイダーは、素振りの手本を見せた。
足を開き、肩を落とし、剣を上げる。
呼吸を整え、一気に振り下ろす。
風が鳴る。木剣が空気を切る音が、訓練場に響いた。
「これが基本だ。まずはこの形を覚えろ」
召喚者たちが、順番に素振りを始めた。
神崎はさすがに形になっている。体の使い方を知っている。
風間は力任せだが、勢いがある。
篠原は運動神経が良く、すぐにコツを掴んでいる。
そして——黒瀬ユウの番が来た。
シュナイダーは、何気なく見ていた。
期待はしていなかった。《記録》というスキルは、戦闘向きではない。
せいぜい、形だけ真似できれば上出来だろう——
——その考えが、一振りで覆された。
黒瀬ユウが、剣を振り下ろした。
風が、鳴った。
シュナイダーは、目を見開いた。
——今の、何だ。
腕の角度。肩から腕への力の流れ。剣先が描く軌道。
それが、一瞬だけ——完璧だった。
素人の動きではない。長年の鍛錬を経た者の動き。
いや、それ以上だ。俺の動きを、そのまま「再現」したような——
二振り目。
今度は、普通だった。
形は似ているが、力の流れが乱れている。素人の振り方に戻っている。
——一振り目だけ、だと?
シュナイダーは、黒瀬ユウを見つめた。
少年は、自分の腕を見て、首を傾げている。
何が起きたのか、本人もわかっていないようだ。
「黒瀬」
声をかけた。
少年が、ビクッと肩を震わせた。
「もう一度、振ってみろ」
少年は頷いて、構えた。
振り下ろす。
——さっきほどではない。
だが、それでも——何かが違う。
他の者とは、明らかに違う「何か」がある。
シュナイダーは、考え込むように眉を寄せた。
「……悪くない。続けろ」
それだけ言って、次の者の指導に移った。
だが、頭の中では——別のことを考えていた。
◆
夜。
シュナイダーは、自室で窓の外を見ていた。
月が出ている。
冷たい光が、石造りの城壁を照らしている。
——《記録》。
——対象の動作を記録する。
そのスキルの説明を、思い出していた。
記録するだけ。再現できるとは書いていない。
だが、今日の訓練で見たものは——
——あいつは、俺の動きを「再現」した。
一瞬だけ。定着しない、不安定な再現。
だが、確かに——俺の素振りを、そのままなぞった。
それが《記録》の真価なのか。
それとも、まだ覚醒していない、別の力なのか。
どちらにしても——あの少年には、隠された何かがある。
シュナイダーは、胸元に手を当てた。
そこには、二十年間肌身離さず持ち続けてきたペンダントがある。
ライナス・ヴェルトの形見。
そして、彼の妻の——遺品。
——あいつに、似ている。
黒瀬ユウの姿が、脳裏に浮かんだ。
目立たない。期待されていない。
だが、冷静で、観察力があり、状況を見て動ける。
そして——周囲から一歩引いた場所にいながら、孤立していない。
ライナスも、そうだった。
英雄にはなれない男だったが、生き残ることに関しては誰よりも優れていた。
——そして、俺は救えなかった。
あの日、もっと早く戻っていれば。
あの日、俺が殿を引き受けていれば。
何度、そう思ったかわからない。
二十年経っても、後悔は消えない。
ライナスの笑顔が、まだ目に焼き付いている。
「お前は先に行け、エーヴァルト」
あの声が、まだ耳に残っている。
◆
翌日。
訓練が終わった後、シュナイダーは黒瀬ユウを呼び止めた。
「少しいいか」
少年が、緊張した顔で近づいてくる。
昨日、聖印のことで話したばかりだ。また何かあるのかと、警戒しているのだろう。
シュナイダーは、訓練場の隅——人目につかない場所に少年を連れて行った。
「……何か、ありましたか」
黒瀬ユウが、恐る恐る聞いた。
「いや、大したことではない」
シュナイダーは、そう言って——胸元からペンダントを取り出した。
小さな金属の塊。
古びた鎖に繋がれた、シンプルな意匠。
だが、そこには——二十年分の重みがある。
「これを、お前に預ける」
「……え?」
黒瀬ユウが、目を丸くした。
当然の反応だ。見ず知らずの騎士団長から、いきなりペンダントを渡されて、理解できるはずがない。
「お守りだ。……俺の、古い友の形見でもある」
「形見……?」
「二十年前に死んだ。……いや、俺が救えなかった」
シュナイダーは、自分でも驚くほど——言葉が出てきた。
普段は口数が少ない。感情を表に出すことも少ない。
だが、この少年の前では——なぜか、話したくなった。
「そいつは、英雄じゃなかった。剣の才能も、魔法の才能もなかった。だが、誰よりも冷静で、誰よりも状況を見ていた。……お前に、少し似ている」
黒瀬ユウが、何も言わずに聞いている。
その目が——真剣だった。
「俺は、あいつを救えなかった。だから、せめて——」
言葉が、途切れた。
何を言おうとしていたのか、自分でもわからなくなった。
——せめて、今度は。
そう、言いたかったのかもしれない。
「……このペンダントには、言い伝えがある」
シュナイダーは、話題を変えた。
「装着者が『大事な人』と心から認めた相手が生きていると、淡く光る——らしい」
「本当ですか?」
「さあな。俺は信じていない。……だが、あいつの妻は信じていた」
シュナイダーは、ペンダントを黒瀬ユウの手に押し込んだ。
冷たい金属が、少年の掌に触れる。
「お前に預ける。……理由は、俺にもわからん。ただ、お前が持っていたほうがいい気がした」
「……でも、これは騎士団長の大切なものでは」
「だから、預けるんだ。貸すのではない。お前のものにしろとも言わない。ただ——持っていろ」
黒瀬ユウが、ペンダントを見つめた。
古びた金属。二十年分の傷と、二十年分の想いが詰まったもの。
「……わかりました。預かります」
少年が、静かに頷いた。
その目に、決意のようなものが灯っている。
「大切にします」
「ああ」
シュナイダーは、それだけ言って——踵を返した。
◆
廊下を歩きながら、シュナイダーは自分の胸元に手を当てた。
二十年間、そこにあったものが——もう、ない。
奇妙な軽さ。奇妙な寂しさ。
だが、後悔はなかった。
——ライナス。
心の中で、古い友の名を呼んだ。
——俺は、お前を救えなかった。
——だが、あの少年は——
黒瀬ユウの姿が、脳裏に浮かんだ。
期待されていない。力もない。
だが、冷静で、観察力があり、諦めていない。
——あいつは、生き残る。
根拠はない。
だが、そう思った。
シュナイダーは、窓の外を見た。
月が沈みかけている。
もうすぐ、夜明けだ。
訓練ダンジョンへの出発まで、あと数日。
あの少年が、無事に戻ってくることを——
——祈っている。
そんな自分に気づいて、シュナイダーは小さく笑った。
柄にもないことだ。
だが、悪くない気分だった。
こういうの初めて書きました。文字にすると短いですが、情景をイメージして書くと涙が出てきました。魂を込めて書くとこうなるんだ…。学生の頃に知りたかったな。




